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第42話 〈門〉と〈鍵〉
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灰色の岩肌に刻まれた古の文字、蔦と苔に覆われた半崩壊の石造構造物。
かつてレオンが調査を行い、〈原初の力〉によって中に入れられた古代遺跡──それが〈黒翼〉が〈門〉と呼ぶ遺跡の姿だった。
「……開かん、またか」
探索部隊を指揮する男──〈牙蟲(がちゅう)ノ兵団長〉の異名を持つ戦闘幹部、ガルヴァスが歯ぎしり混じりに唸る。漆黒の装甲を纏い、脇に立つ部下たちも一様に沈黙していた。
彼らは既に三度、この遺跡の前に立っていた。あらゆる封印解除の術、禁忌の召喚、破砕魔法すら試みた。それでも、遺跡はびくともしない。まるでこの世に属さぬ何かがそれを守っているかのように。
一人の術師が頷く。
「我らの知らぬ特殊な結界です。我らの術式はすべて逆流し、跳ね返されます」
「……くそッ。本当に〈鍵〉が要るのか。あの坊主が来るまで、ただ待つしかないのかよ」
苛立ちを露わにしたガルヴァスは、拳で地面を叩いた。石の地表が小さくひび割れる。だが、その力でも遺跡は揺るがない。
そもそもこの遺跡には入口が見当たらない。レオンも最初それで苦労したのだ。この遺跡には何かがある。だがその中にある“本質”を、〈黒翼〉の誰も知らない。ただ、彼らの上に立つ幹部が「そこが〈門〉である」と告げているが故に、彼らは動いているに過ぎなかった。
──中には何がある?
──本当に、神を堕とす力が眠っているのか?
彼らは答えを持たないまま、報告のために、本拠地へと帰還を決めた。
◆
彼らが探し求めるもの──それは〈門〉と呼ばれる、古代の封印遺跡。正確な起源も用途も知れぬその遺構は、古文書によりその候補が、いくつかの場所で断片的に発見されている。ただ完全な形で残るものは、今の所、たった一つしか発見されていない。
“魔の森”の奥深くに眠る、レオンが調査を行った遺跡である。
それは、あらゆる侵入を拒むかのように、入口と言えるものはなく、外壁すら傷つけることができない“神域”と化していた。
〈黒翼〉はその遺跡こそが、かつて地上に降り立ち、封印された邪神の聖地であると信じている。神々の座を転覆させる“魂”がそこに眠っていると。
過去数十年にわたり、数多の工作員が派遣された。神官を装い、商人に偽装し、あるいは考古学者として。だが、遺跡の内部に足を踏み入れた者は一人もいない。結界のような不可視の壁が存在し、近づく者の精神を侵すという報告もあった。探索隊の中には発狂し帰還した者、消息を絶った者も少なくない。
それでも〈黒翼〉は諦めなかった。彼らは信じている。刻印の夜──星々が邪神の印を成すその瞬間が訪れれば、〈門〉は開かれると。世界の理が揺らぐその時こそ、封印は解けるのだと。
「〈門〉を開け──」
それは彼らが崇める邪神からの“神託”とされ、〈黒翼〉の最奥、〈冥主〉の口から預言として伝えられている。
いまだ真実を知らぬまま、彼らは着実に、その誤った信仰を元に、終焉の扉をこじ開けようとしていた。
◆
石で組まれた円形の講堂。その中央にある魔法陣には、何百という記号と文様が刻まれ、燃えるような紫黒の光を放っていた。その周囲にはフードを被った者たちが静かに佇む。会議の間に張り詰める沈黙を破ったのは、中央に立つ細身の老人だった。
彼の名は──〈黒翼〉内で“〈門〉探究官”と呼ばれる研究者、ザラド・エン・ミール。
「……やはり、〈門〉の内部構造に関する手がかりは得られぬ。記録の断片すら見つからない。だが……確かに、〈門〉は“開いた”」
「──我々は誰一人として、〈門〉の中に入ることができなかった。だが、奴は入った。あの、スキルを持たぬ落ちこぼれ……レオンという名の少年が」
ザラド・エン・ミールの声には嫉妬と恐怖と、そして狂気の色が混じっていた。
「神の恩寵を持たぬ者が、なぜ〈門〉に選ばれた!? 我ら〈黒翼〉こそが、〈門〉を開き、あの方を迎える器であるはず……!」
「落ち着け、ザラド」
講堂の奥、闇に溶け込むように佇む女が声をかける。黒羽ノ令嬢──エリオットの母であり、〈黒翼〉幹部の一人。
「……お前の焦りもわかる。〈門〉を開くには、〈鍵〉が要る。邪神の力に応える〈鍵〉が」
「神より与えられし光のスキル、その血脈を穢すことで、扉は歪み、道が現れる」
円卓の右端に座る仮面の男が独り言ちる。
仮面は白磁のような質感で、無表情な眼孔だけが開いている。彼の名は〈骨面(こつめん)ノ司〉──〈黒翼〉の術式と儀式において最も深く関与する古参幹部の一人である。
「そうだ。〈冥主〉の御言葉によれば、“聖の器”を汚すことで、正しき神の結界に亀裂が入る」
「その〈鍵〉とは?」
ザラド・エン・ミールが静かに問うと、黒羽ノ令嬢は頷いた。
彼女は長く白い指を掲げ、宙に魔力を流す。そこに浮かび上がったのは、一人の少年の姿──エリオット。
「これがその〈鍵〉であると?」
「我が息子。貴族の血と黒翼の血を受け継ぎ、未熟ながらも〈聖騎士〉のスキル持ち……それを、我らが“邪なる〈鍵〉へと変質させる」
「まさか……“転化の儀”を行うおつもりか?」
ザラドが身を乗り出す。女は薄く笑った。
「そうだ。“正の力”を“負の器”へ。祝福を呪詛へ。〈聖騎士〉を〈暗黒騎士〉とするのだ。あの者の〈聖騎士〉としての覚醒は、我らにとってまさに恩寵……反転の儀式を完成させるための、欠片」
「だが……失敗すれば?」
「構わぬ。所詮は捨て駒だ。成功すれば邪神が顕現し、失敗すれば血の器となって次代を作る。その程度の価値はあろうよ」
講堂に沈黙が戻る。
黒羽ノ令嬢の微笑は深まり、その声は毒のように甘く冷たい。
「幼き頃より培った“優越”。“光”に選ばれた者の傲慢は、やがて“闇”への入口となる。レオンという存在は、その火種として実に都合がよかった。……彼は自ら、闇に身を堕としつつあるのだ」
幹部たちの間に、低く笑う声が波紋のように広がる。醜悪で、誇り高く、そして確信に満ちた声。
「次の段階に移ろう。〈門〉のある遺跡……その周辺に我らの“眼”を配置せよ。レオンが近づく可能性もあるが、問題はない。……むしろ、兄弟が再び相まみえれば、より深く闇が心に根を張る」
「“〈聖騎士〉が弟を斬る”……劇的で、儀式向きだな」
「いずれにせよ、間もなく〈門〉は開かれる。その先に主の“座”がある」
そして、全員が一斉に頭を垂れた。
闇の主──邪神ベリアナの名のもとに。
地下の空間に、狂気と静寂が静かに満ちていった。
闇の奥深くで、生まれ落ちた新たな火種。
その炎は、王都すらも焼き尽くすかもしれないと、誰もがどこかで感じていた。
かつてレオンが調査を行い、〈原初の力〉によって中に入れられた古代遺跡──それが〈黒翼〉が〈門〉と呼ぶ遺跡の姿だった。
「……開かん、またか」
探索部隊を指揮する男──〈牙蟲(がちゅう)ノ兵団長〉の異名を持つ戦闘幹部、ガルヴァスが歯ぎしり混じりに唸る。漆黒の装甲を纏い、脇に立つ部下たちも一様に沈黙していた。
彼らは既に三度、この遺跡の前に立っていた。あらゆる封印解除の術、禁忌の召喚、破砕魔法すら試みた。それでも、遺跡はびくともしない。まるでこの世に属さぬ何かがそれを守っているかのように。
一人の術師が頷く。
「我らの知らぬ特殊な結界です。我らの術式はすべて逆流し、跳ね返されます」
「……くそッ。本当に〈鍵〉が要るのか。あの坊主が来るまで、ただ待つしかないのかよ」
苛立ちを露わにしたガルヴァスは、拳で地面を叩いた。石の地表が小さくひび割れる。だが、その力でも遺跡は揺るがない。
そもそもこの遺跡には入口が見当たらない。レオンも最初それで苦労したのだ。この遺跡には何かがある。だがその中にある“本質”を、〈黒翼〉の誰も知らない。ただ、彼らの上に立つ幹部が「そこが〈門〉である」と告げているが故に、彼らは動いているに過ぎなかった。
──中には何がある?
──本当に、神を堕とす力が眠っているのか?
彼らは答えを持たないまま、報告のために、本拠地へと帰還を決めた。
◆
彼らが探し求めるもの──それは〈門〉と呼ばれる、古代の封印遺跡。正確な起源も用途も知れぬその遺構は、古文書によりその候補が、いくつかの場所で断片的に発見されている。ただ完全な形で残るものは、今の所、たった一つしか発見されていない。
“魔の森”の奥深くに眠る、レオンが調査を行った遺跡である。
それは、あらゆる侵入を拒むかのように、入口と言えるものはなく、外壁すら傷つけることができない“神域”と化していた。
〈黒翼〉はその遺跡こそが、かつて地上に降り立ち、封印された邪神の聖地であると信じている。神々の座を転覆させる“魂”がそこに眠っていると。
過去数十年にわたり、数多の工作員が派遣された。神官を装い、商人に偽装し、あるいは考古学者として。だが、遺跡の内部に足を踏み入れた者は一人もいない。結界のような不可視の壁が存在し、近づく者の精神を侵すという報告もあった。探索隊の中には発狂し帰還した者、消息を絶った者も少なくない。
それでも〈黒翼〉は諦めなかった。彼らは信じている。刻印の夜──星々が邪神の印を成すその瞬間が訪れれば、〈門〉は開かれると。世界の理が揺らぐその時こそ、封印は解けるのだと。
「〈門〉を開け──」
それは彼らが崇める邪神からの“神託”とされ、〈黒翼〉の最奥、〈冥主〉の口から預言として伝えられている。
いまだ真実を知らぬまま、彼らは着実に、その誤った信仰を元に、終焉の扉をこじ開けようとしていた。
◆
石で組まれた円形の講堂。その中央にある魔法陣には、何百という記号と文様が刻まれ、燃えるような紫黒の光を放っていた。その周囲にはフードを被った者たちが静かに佇む。会議の間に張り詰める沈黙を破ったのは、中央に立つ細身の老人だった。
彼の名は──〈黒翼〉内で“〈門〉探究官”と呼ばれる研究者、ザラド・エン・ミール。
「……やはり、〈門〉の内部構造に関する手がかりは得られぬ。記録の断片すら見つからない。だが……確かに、〈門〉は“開いた”」
「──我々は誰一人として、〈門〉の中に入ることができなかった。だが、奴は入った。あの、スキルを持たぬ落ちこぼれ……レオンという名の少年が」
ザラド・エン・ミールの声には嫉妬と恐怖と、そして狂気の色が混じっていた。
「神の恩寵を持たぬ者が、なぜ〈門〉に選ばれた!? 我ら〈黒翼〉こそが、〈門〉を開き、あの方を迎える器であるはず……!」
「落ち着け、ザラド」
講堂の奥、闇に溶け込むように佇む女が声をかける。黒羽ノ令嬢──エリオットの母であり、〈黒翼〉幹部の一人。
「……お前の焦りもわかる。〈門〉を開くには、〈鍵〉が要る。邪神の力に応える〈鍵〉が」
「神より与えられし光のスキル、その血脈を穢すことで、扉は歪み、道が現れる」
円卓の右端に座る仮面の男が独り言ちる。
仮面は白磁のような質感で、無表情な眼孔だけが開いている。彼の名は〈骨面(こつめん)ノ司〉──〈黒翼〉の術式と儀式において最も深く関与する古参幹部の一人である。
「そうだ。〈冥主〉の御言葉によれば、“聖の器”を汚すことで、正しき神の結界に亀裂が入る」
「その〈鍵〉とは?」
ザラド・エン・ミールが静かに問うと、黒羽ノ令嬢は頷いた。
彼女は長く白い指を掲げ、宙に魔力を流す。そこに浮かび上がったのは、一人の少年の姿──エリオット。
「これがその〈鍵〉であると?」
「我が息子。貴族の血と黒翼の血を受け継ぎ、未熟ながらも〈聖騎士〉のスキル持ち……それを、我らが“邪なる〈鍵〉へと変質させる」
「まさか……“転化の儀”を行うおつもりか?」
ザラドが身を乗り出す。女は薄く笑った。
「そうだ。“正の力”を“負の器”へ。祝福を呪詛へ。〈聖騎士〉を〈暗黒騎士〉とするのだ。あの者の〈聖騎士〉としての覚醒は、我らにとってまさに恩寵……反転の儀式を完成させるための、欠片」
「だが……失敗すれば?」
「構わぬ。所詮は捨て駒だ。成功すれば邪神が顕現し、失敗すれば血の器となって次代を作る。その程度の価値はあろうよ」
講堂に沈黙が戻る。
黒羽ノ令嬢の微笑は深まり、その声は毒のように甘く冷たい。
「幼き頃より培った“優越”。“光”に選ばれた者の傲慢は、やがて“闇”への入口となる。レオンという存在は、その火種として実に都合がよかった。……彼は自ら、闇に身を堕としつつあるのだ」
幹部たちの間に、低く笑う声が波紋のように広がる。醜悪で、誇り高く、そして確信に満ちた声。
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「“〈聖騎士〉が弟を斬る”……劇的で、儀式向きだな」
「いずれにせよ、間もなく〈門〉は開かれる。その先に主の“座”がある」
そして、全員が一斉に頭を垂れた。
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