持たざる者は、世界に抗い、神を討つ

シベリアン太郎

文字の大きさ
92 / 180

第92話 後継者への想い

しおりを挟む
 視界が真っ白に染まった後、ふと気付くと、彼は白銀の大地に立っていた。空も地も、まるで記憶の片隅のように曖昧で、それでいて確かな存在感があった。
 その中心に、一人の男が立っていた。白い外套に身を包み、静かな眼差しをレオンへ向けている。

「……来たか」

 それが、かつてこの世界に召喚された異世界の剣士、オーソン・アークレインであると、レオンは直感した。

「語るべき時が来たようだな。お前がこの記録に触れたということは、世界は再び分岐点を迎えているのだろう。……我が記憶と意志、そして選択を、お前に託す」

 それは一瞬のことだった。
 何かが脳の奥深くへと侵入してくる感覚が走る。光。熱。無数の記憶の奔流。
 それは“情報”ではなく、“魂”そのものだった。

 〈門〉──堕天神ベリアナによって、その封印を解く“適格者”として彼が召喚されたいきさつ。ベリアナの思想、正統神──この世界の揺るぎなき理。

 ──怒り、悲しみ、希望、絶望、そして誓い。
 オーソン・アークレインの見た世界。味わった痛み。交わした言葉。奪われた命。抱いた理想。選ばなかった選択肢。そしてそれでも守ろうとしたもの──彼が生き、闘い、傷つき、そして決して折れなかった証。
 それらが一つ残らず、濁流となってレオンの中へ押し寄せてくる。

 焼け落ちた村。命乞いをしていた子供。その声に応えられず、ただ目を背けるしかなかった己の非力。
 背を向けざるを得なかった逃亡民の列。泣きながら歩く少女の手を、母が引きずるようにして進んでいく後ろ姿──
 敵兵に囲まれ、それでも最後まで剣を振るい続けた者の断末魔。味方の裏切りに崩れ落ちる者たち。己を信じて戦っていた者の目が、信頼から絶望へと変わる瞬間。
 空が割れ、雲の奥から降臨する“聖なるもの”。白銀の鎧に金の紋を纏い、巨大な翼を背負った彼らは、まるで慈愛の使者のような顔で、地上に降り立つ。
 そして、静かに告げる。

「──この地に蔓延る異端者たちよ。汝らは神の摂理を乱し、定めを拒み、聖なる秩序を穢す者。我が名において、ここに神罰を執行する」

 それは、宣告ではなく、絶対だった。
 理由も、弁明も許されない。
 彼らが敵視したのは、神に祝福されぬ者、加護なき者、〈門〉に触れた可能性を持つ者──即ち、“持たざる者”たち。
 それだけではない。彼らの神罰は、人間以外の種族──エルフ、ドワーフ、獣人全てに襲いかかる。
 地は燃え、空は裂けた。
 神聖魔法の奔流が、村々を、隠れ里を、静かに、確実に、焼き払っていく。
 子供も、女も、老人も。どんなに必死に祈ろうとも、許されなかった。

「神は、お前たちを望んではいないのだ」

 無慈悲な声とともに、聖なる光が降り注ぐ。
 それは炎ではない。ただ、存在を“削り取る”ような浄化の閃光。
 悲鳴すらも、掻き消える。
 だが、そこにいたすべての人々が、ただ絶望に沈んだわけではなかった。
 祈りは届かずとも。
 力なき者であろうとも。

「諦めるな……最後まで……!」

 立ち上がった者たちがいた。
 石を手にした少年がいた。傷だらけの身体で、泣きながら魔法を放った少女がいた。
 燃え落ちる村の中心で、互いを庇い合って、なお目を逸らさなかった者たちがいた。
 その先頭に立ち、剣を構える者がいる──オーソンだった。
 神罰の光を斬り裂き、聖なる使徒に剣を突き立てた。
 血の代わりに、聖なる輝きが飛び散る。
 正統神の意志の欠片──それを、彼は打ち破った。
 それでも、彼は神を否定しなかった。
 ただ、その権威を疑い、そこにある“選別の理”に抗ったのだ。

「“持たざる者”にも、生きる価値がある。スキルを持たぬ者にも、未来を選ぶ権利がある。神がそれを否定するのなら──俺は、それでも抗う」

 たとえ報われずとも、敗れようとも、己のすべてを賭して、次に続く者のために道を繋ぐ。
 ──それが、オーソン・アークレインの選んだ戦いだった。

 絶え間なく流れ込む声。声。声。
 言葉ではない、魂そのものの慟哭。
 戦場の土の匂い。焼けた鉄と血の味。仲間の手のぬくもり。夜毎に聴いた泣き声。
 誰かを庇って死んだ友の、最後の笑み。
 無数の記憶と感情が、視覚・聴覚・触覚・嗅覚、すべての感覚を通して、レオンの中へと叩き込まれる。

「ッ、ああああああッ……!」

 頭が割れるような痛み。視界は既に白く染まり、耳も聞こえない。ただ、果てしない数の思念が、叫びが、問いかけが、怒号が、祈りが、レオンの心に突き刺さる。魂が軋み、裂け、呑まれていく。
 この記録は書ではない。オーソンそのものだ。彼の存在の残滓。意志と魂の結晶。それは“持たざる者”の未来を託すための、“神に抗った者”の遺言であり、業そのもの。
 だが、それを受け止めるには、レオンはまだ──。

「……っ!」

 次の瞬間、レオンの意識はぷつりと途切れ、全身の力が抜けた。
 その身はまるで操り糸を断たれた人形のように、静かに床に崩れ落ちた。



 レオンが崩れ落ちた瞬間、リューシャは鋭く息を呑んだ。

「レオン!?」

 彼女は駆け寄ろうとした。だが、床に横たわるレオンの身体から立ちのぼる“何か”に、足が止まる。空気が振動していた。見えないはずのものが見え、聞こえないはずの声が耳の奥を揺らす。彼女の精霊感知の能力が、警鐘のように全身に警告を送っていた。
 これはただの昏倒ではない。何か……もっと根源的な、“存在”に関わる領域のものだ。

「ダメ……これは、触れちゃ……っ!」

 リューシャの唇が震える。彼女の手が触れようとしたその瞬間、逆巻く光と影の粒子がレオンの身体を覆い、拒絶するように弾いた。空間そのものが拒絶するかのように、彼を“外界”から切り離そうとしているようだった。
 そんな彼女の背後で、レティシアは固く唇を噛みしめていた。
 動揺していないわけではない。だが彼女は、──何より、レオンという少年を見守る者として、冷静さを保とうとしていた。
 低く、しかし震える声で呟く。

「……これは、“記録”が動き出した? オーソン・アークレインの遺志……その全てが彼に流れ込んだ」
「レティシア、あまり近づかないで。今の彼は……彼自身じゃない。いや、彼だけの存在じゃない。下手をすれば、精霊との契約すら破壊される」

 彼女の瞳には、恐れと敬意がないまぜになった光が宿っていた。異邦の英雄の魂。それが“新たな継承者”の中で、いま再び蠢いている。そうとしか思えなかった。
 レティシアはその言葉に一瞬たじろぎながらも、レオンの傍から離れようとはしなかった。

「でも、でもっ……放ってなんかおけないよ!こんな顔、見たことない……!」

 レオンの顔には、汗が浮かび、苦悶の表情が刻まれていた。まるで誰かの断末魔を、その心の奥で受け止めているかのように。

「……わかってるわ。だから、私たちにできるのは、彼を信じて待つことだけ。彼が、この記憶の奔流を、超えて戻ってくるのを……」

 そう言いながら、リューシャは静かに精霊魔法の準備をしながら両手を突き出した。万が一、“何か”がレオンを通して顕現した場合、それを滅ぼすために。彼を護るために。

 魔力の波動はなおも荒れ狂い、周囲の空気を変質させていく。
 まるで、世界そのものがレオンの目覚めを──そして、その先にある何かを──予兆しているかのように。



 ──意識が沈む。
 重く、深く、黒の底へと。
 だがその闇は、死の静けさではなかった。むしろ、無数の声と記憶の波が、濁流のようにレオンの意識を呑み込んでいた。
 その中心に──彼は、いた。
 荒れた黒髪。鋼のような眼差し。古びた軍装。手にした剣。絶望感にさいなまれながら、それでもなお、立つことを選んだ男の姿。

「……オーソン……?」

 レオンは思わずそう呟いた。だが返事はない。男はただ、前を見て語り続けている。まるで“幻”のように。

 ──神々は世界を見下ろしている。
 だが、世界を変えるのは、選ばれなかった者たちだ。

 男の声は、どこか切ない。怒りでも絶望でもなく、ただ静かに、深く沁みるような調子だった。

 ──私は英雄ではない。
 神に選ばれたわけでも、讃えられる器でもなかった。
 それでも……私は、背負った。
 世界の汚れを、欺瞞を、理不尽を。
 背負って、斬って、喰らって、そして……記した。

 レオンは走り寄ろうとする。だが、足は地を踏まない。空気の中を漂うように、彼はただ、その場から動けずにいた。

「なぜ……俺なんだ。答えてくれ……!」

 叫んでも、男の背は動かない。レオンの声は、まるで届いていなかった。
 それでも、オーソンの言葉は続いた。

 ──真実は、時に誰かの命よりも重い。
 真実は、時に神よりも残酷だ。
 それでも、知ることを恐れるな。
 お前が辿るその道が、たとえ全てを敵に回すものだったとしても。
 それは──お前だけが行ける場所なのだから。

 その声はやがて、霞む。
 音が遠ざかるように、オーソンの姿もまた、霧の中へ溶けていく。
 レオンは手を伸ばした。届くはずのない幻影に向かって。

「待って……まだ、知りたいことが……!」

 指先は、空を掴んだ。光が砕けるように、男の姿は霧散した。
 だが──その瞬間、確かに最後の“言葉”だけが、耳奥に響いた。

 ──“持たざる者”よ。
 力なき者として拒まれ、名も与えられずに生まれたお前にこそ、私は託す。
 奪うことではなく、背負うことで、世界を変えよ。
 お前は、私の後継者。
 血でも、教義でもない。
 意思を継ぐ者として、選ばれた。

 その言葉は、まるで祈りのようだった。
 そして祝福でも、呪いでもない。
 ただ一つの──決意だった。
 残されたのは、静かな闇だけ。
 だが、胸の奥には確かに何かが刻まれていた。
 憎しみでも、悲しみでもない。
 “覚悟”という名の、言葉では言い表せない熱。

 ──目覚めよ。
 この世界は、まだ終わっていない。

 その最後の囁きが、確かに耳元で響いた瞬間、レオンの意識は──現実へと引き戻されていく。

 レオンが目覚めたのは、それから十日後のことだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

30年待たされた異世界転移

明之 想
ファンタジー
 気づけば異世界にいた10歳のぼく。 「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」  こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。  右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。  でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。  あの日見た夢の続きを信じて。  ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!  くじけそうになっても努力を続け。  そうして、30年が経過。  ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。  しかも、20歳も若返った姿で。  異世界と日本の2つの世界で、  20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

レイブン領の面倒姫

庭にハニワ
ファンタジー
兄の学院卒業にかこつけて、初めて王都に行きました。 初対面の人に、いきなり婚約破棄されました。 私はまだ婚約などしていないのですが、ね。 あなた方、いったい何なんですか? 初投稿です。 ヨロシクお願い致します~。

独身貴族の異世界転生~ゲームの能力を引き継いで俺TUEEEチート生活

髙龍
ファンタジー
MMORPGで念願のアイテムを入手した次の瞬間大量の水に押し流され無念の中生涯を終えてしまう。 しかし神は彼を見捨てていなかった。 そんなにゲームが好きならと手にしたステータスとアイテムを持ったままゲームに似た世界に転生させてやろうと。 これは俺TUEEEしながら異世界に新しい風を巻き起こす一人の男の物語。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

【もうダメだ!】貧乏大学生、絶望から一気に成り上がる〜もし、無属性でFランクの俺が異文明の魔道兵器を担いでダンジョンに潜ったら〜

KEINO
ファンタジー
貧乏大学生の探索者はダンジョンに潜り、全てを覆す。 ~あらすじ~ 世界に突如出現した異次元空間「ダンジョン」。 そこから産出される魔石は人類に無限のエネルギーをもたらし、アーティファクトは魔法の力を授けた。 しかし、その恩恵は平等ではなかった。 富と力はダンジョン利権を牛耳る企業と、「属性適性」という特別な才能を持つ「選ばれし者」たちに独占され、世界は新たな格差社会へと変貌していた。 そんな歪んだ現代日本で、及川翔は「無属性」という最底辺の烙印を押された青年だった。 彼には魔法の才能も、富も、未来への希望もない。 あるのは、両親を失った二年前のダンジョン氾濫で、原因不明の昏睡状態に陥った最愛の妹、美咲を救うという、ただ一つの願いだけだった。 妹を治すため、彼は最先端の「魔力生体学」を学ぶが、学費と治療費という冷酷な現実が彼の行く手を阻む。 希望と絶望の狭間で、翔に残された道はただ一つ――危険なダンジョンに潜り、泥臭く魔石を稼ぐこと。 英雄とも呼べるようなSランク探索者が脚光を浴びる華やかな世界とは裏腹に、翔は今日も一人、薄暗いダンジョンの奥へと足を踏み入れる。 これは、神に選ばれなかった「持たざる者」が、絶望的な現実にもがきながら、たった一つの希望を掴むために抗い、やがて世界の真実と向き合う、戦いの物語。 彼の「無属性」の力が、世界を揺るがす光となることを、彼はまだ知らない。 テンプレのダンジョン物を書いてみたくなり、手を出しました。 SF味が増してくるのは結構先の予定です。 スローペースですが、しっかりと世界観を楽しんでもらえる作品になってると思います。 良かったら読んでください!

復讐完遂者は吸収スキルを駆使して成り上がる 〜さあ、自分を裏切った初恋の相手へ復讐を始めよう〜

サイダーボウイ
ファンタジー
「気安く私の名前を呼ばないで! そうやってこれまでも私に付きまとって……ずっと鬱陶しかったのよ!」 孤児院出身のナードは、初恋の相手セシリアからそう吐き捨てられ、パーティーを追放されてしまう。 淡い恋心を粉々に打ち砕かれたナードは失意のどん底に。 だが、ナードには、病弱な妹ノエルの生活費を稼ぐために、冒険者を続けなければならないという理由があった。 1人決死の覚悟でダンジョンに挑むナード。 スライム相手に死にかけるも、その最中、ユニークスキル【アブソープション】が覚醒する。 それは、敵のLPを吸収できるという世界の掟すらも変えてしまうスキルだった。 それからナードは毎日ダンジョンへ入り、敵のLPを吸収し続けた。 増やしたLPを消費して、魔法やスキルを習得しつつ、ナードはどんどん強くなっていく。 一方その頃、セシリアのパーティーでは仲間割れが起こっていた。 冒険者ギルドでの評判も地に落ち、セシリアは徐々に追いつめられていくことに……。 これは、やがて勇者と呼ばれる青年が、チートスキルを駆使して最強へと成り上がり、自分を裏切った初恋の相手に復讐を果たすまでの物語である。

処理中です...