持たざる者は、世界に抗い、神を討つ

シベリアン太郎

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第105話 聖教国の綻び

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 ラドニアの迎賓館では、三国代表による緊急会合が開かれていた。かつての三国会談とは違い、今回は完全な王国主導。レオンから報告された鉱山跡での一件について、王国が正式な説明を行う場である。

 進み出た王国側代表ギュスターヴが、冷静な口調で語り始めた。

「──以上が、我が王国の民、レオンによる報告の要点です」

 整然と並べられたその内容は、簡潔に整理されていた。
 ・〈黒翼〉の動向を追っていた王国の冒険者──レオンが、旧鉱山跡へ潜入したこと。
 ・そこには古代遺跡の儀式施設があり、エリオットを含む〈黒翼〉が力を得ようとしていたこと。
 ・しかしレオンの介入により、儀式は未遂に終わり、脅威は排除されたこと。
 ・現在、〈黒翼〉の幹部数名が意識不明の状態で確保されていること。
 ・捕虜の扱い、および今後の調査は王国主導で行われること。

 帝国代表──銀の髪を結い、軍装に身を包んだ帝国対外連絡局の女将官クラリッサが険しい目でギュスターヴを見やる。

「……情報が、あまりに少ない。古代の遺跡だと? 具体的にどの時代の遺産だ?  〈黒翼〉が何をしようとしていたのか、その“力”とは何だ?」

 しかしギュスターヴは穏やかに頭を下げた。

「我が国もまだ調査中でしてな。確証を得ぬまま情報を拡散することは、混乱を招くだけ。我が国には帝国に対しての不誠実な意図はございません。確かな進展があれば、改めてにてお伝えいたします」

 帝国の使節団内に緊張が走るが、“二国間協議“という言葉に納得したのか、クラリッサは苦い表情ではあるが、これ以上食い下がることなく引き下がる。
 対して聖教国の使節──赤衣の枢機卿は、あからさまな不快の色を浮かべて身を乗り出した。

「我らは神の使徒である。世界に混沌が迫る時、真実を共有することが我らの使命であろう!  隠すとは何事か。すべての情報を開示されたし!」

 その場に重い沈黙が走った。
 殊更に“三国“という言葉を強調したのは、王国と帝国の“二国間協議”という言葉に反応したのだろう。
 だが次の瞬間、ギュスターヴの声は冷たく響く。

「──お言葉ですが、聖教国殿。我が国に対し“神の名のもと”に情報を強要する権利があるとお考えですか?  先の三国会談において、貴国は独断で動き、王国および帝国の信義を裏切られた。これは事実上の三国協定違反です。要求以前に、まずはその非を認め、我が国および帝国に誠意を示されるべきでは? その点における、貴国のお考えを伺いたいものですな」
「なっ……!」

 枢機卿は言葉を失った。
 咄嗟に反論の言葉を必死に探すものの、王国と帝国の使節団が冷ややかな視線を突きつける。
 クラリッサがこれ見よがしに肩をすくめ、皮肉な笑みを浮かべた。

「ほう、“神の使徒”殿は随分と都合のいい信義をお持ちだ。……もっとも、信義を持たぬ者が神を語るなど、帝国では滑稽な笑い話にしか聞こえんがな」
「貴様……!」

 枢機卿の顔が怒りと焦りに染まる。

「聖教国殿、まだお考えを聞かせていただいておりませんが、我らに対し、誠意を示されるつもりはない、ということでよろしいですかな?」

(まずい、まずいぞ……! このままでは聖教国が本当に三国から外される……!)

 冷や汗が背を伝うのを感じながらも、もはや会議の場で挽回は不可能だった。
 視線を向けても、帝国は冷笑を浮かべ、王国は無言のまま突き放している。

 ──聖教国は完全に孤立した。

 会談ののち、使節団の控室へ戻った枢機卿は、青ざめた顔で震える手を押さえながら急ぎ書簡をしたためる。

(いかん、このままでは本当に王国と帝国が手を結び、我らを排除しかねん……)

 震える筆先は、教皇への極秘報告──“緊急事態”の印を刻んでいた。



 白亜の聖堂の奥深く、祈りの鐘が鳴り響くその裏側で、かつてない混乱と亀裂が広がっていた。
 三国の緊急会合での孤立。即ち、王国と帝国──二大強国を同時に敵に回したという報せに、教皇庁は重く沈んでいた。
 いや、それ以上に深刻なのは、王国と帝国から突きつけられた“信用と信頼の喪失”だった。情報を得られなかったことよりも、「情報を与えるに値しない存在」と扱われた事実が、聖教国中枢に衝撃を与えていた。

 報告を受けた教皇は、沈痛な面持ちで椅子に腰を沈めた。

「……王国と帝国が結託しつつある……聖教国を締め出そうという動きだ」

 その言葉には、憤りが滲んでいた。

(愚かな……王国も帝国も……自ら神の守護を捨て去るつもりか。愚昧なる背信者どもめ……)

 教皇の思考は、自らの誤りを認める方向には決して向かわない。あくまで“他国の悪意と陰謀”こそが、この事態の原因だと信じて疑わなかった。
 責任の所在をすり替え、怒りを外へ外へと向けるその姿は、もはや盲信に近かった。
 周囲に控える枢機卿たちの顔色も暗い。ただでさえ〈黒翼〉の動きに揺れていた信徒たちの心は、今回の事件と情報封鎖により一層不安に包まれる。

「このままでは、神の権威も、我らの信頼も揺らぐ……今こそ内なる整理が必要だ」

 内なる整理──その中に自らが含まれるかどうかは、彼自身さえも分からぬまま口にした言葉だった。
 教皇は静かに目を閉じた。
 その胸中には、王国と帝国に対する警戒心と、これまで抱いていた“神の秩序”への迷いが、静かに胎動していた──。

 次第に枢機卿たちの怒号と非難の声が飛び交う。

「なぜあの時、聖騎士団の派遣を強硬されたのだ!  しかも現地では戦闘行為が発生している。取り返しのつかないことになってしまったではないか!」
「愚か者め!  派遣を進言したのは誰だ?  急進派の枢機卿ではなかったか!  帝国の動きを抑えるための交渉と称して、我らの教義を盾に前線へ人員を動かしたのは、貴様ら急進派ではないか!」
「だが教皇はそれを黙認されたではないか!」
「情報はすべて急進派が握っていた。教皇は、我らと神を信じたまで……!」

 批判と擁護。糾弾と弁明。
 かつては一つの神を掲げて団結していたはずの枢機卿たちの間に、いまや決定的な亀裂が走っていた。
 教皇は、沈黙のままその光景を見下ろしていた。

(……ついに私にまで、火の粉が及び始めたか……)

 枢機卿たちの言葉の端々に、明らかに教皇自身の責任を問う意図が滲み始めている。
 それを察知した教皇は、静かに立ち上がった。

「……この件は、いずれ改めて議する。今は皆、己の心を神に問い、冷静にあれ」

 低く、しかし威厳を帯びた声でそう言い残すと、教皇は一切の言い訳も弁明もせぬまま、重苦しい空気を振り払うように背を向けた。
 枢機卿たちの怒声を背に、そのまま自室へと消えてゆく。
 その後、教皇は誰の面会も許さず、扉を閉ざしたまま長く沈黙を守ることになる。
 だがその胸中では、なおも燻る怒りが渦巻いていた。

(王国も帝国も……必ず報いを受けることになる。必ずだ)

 静寂の中、教皇の影はじっと膨れ上がってゆく。
 ──聖教国の崩壊の足音は、すぐそこに迫っていた。
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