持たざる者は、世界に抗い、神を討つ

シベリアン太郎

文字の大きさ
158 / 180

第158話 決裂

しおりを挟む
 ラドニアにて突きつけられた「三日」という期限は、聖教国の中枢に火を放ったも同然だった。
 帝都帰還後、急ぎ開かれた枢機卿会議は、ただちに混乱へと陥った。

「ふざけた要求だ! 帝国の恫喝に屈してどうする! こちらから宣戦布告してやればよい!」

 剛胆なことで知られる枢機卿が怒声を上げると、すかさず別の老枢機卿が眉をひそめる。

「開戦だと? まともな準備もないまま帝国と衝突すれば、信徒たちはどうなる! 今こそ、王国に改めて仲裁を乞うべきではないか」

 しかしその案も、すぐさま冷笑とともに退けられる。

「王国だと? あの連中が我らの味方をすると思うか? いや、むしろこの混乱を“神の試練”と称して高みの見物を決め込んでいる連中だぞ」
「……では、どうするというのだ。帝国も王国も、所詮は世俗の徒。神の審判が何かをわからせてやるべきだ。我らの口から、“異端”の二文字を告げれば、さすがに連中も無視はできまい」
「まさか、帝国も王国も同時に異端認定するとでも……?」
「やむを得まい。主の名のもとに立つのは我らだ。連中が恐れるのは、信徒たちの離反だ。脅しでも、その可能性を見せれば、動くはずだ」

 過激な意見が飛び交う中、他の枢機卿たちは顔をしかめ、憮然と座していた。誰もが現状に苛立ちながらも、いずれの意見にも決定的な道筋を見出せずにいる。

「結局、何も決まらぬではないか……」
「この無為、混乱、すべての元凶は明らかだ!」

 会議の片隅から、一人の若い枢機卿が立ち上がり、震える声で叫んだ。

「教皇だ! 肝心要のそのお方が、今この時にして声を発せず、姿も見せぬ。もはや“主の代理人”たる資格など……!」
「黙れ!」
「不敬だぞ!」
「貴様、何を言っているのかわかっているのか!」

 席を蹴る音が響き、会議室は一瞬で怒号に包まれた。
 しかし、その騒ぎの中で、誰もが内心では同じ疑念を抱いていた。

 ──教皇は、なぜこの期に及んで沈黙を貫いているのか。
 ──あるいは、もはや沈黙を“貫けるだけの状態”にあるのか。

 その重たい空気を誰も払うことはできなかった。
 議論は熱を持ったまま、しかし何一つ結論を出せぬまま夜を迎えた。
 外では冷たい雨が降り続け、聖都の灯火を霞ませていた。

 その翌朝、帝国軍の先遣部隊三千が、国境沿いの鉱山跡に布陣を開始したという報が、密かに聖教国へ届けられることになる。
 議場に緊張が走る中、和平派の筆頭であるエレナ枢機卿が静かに口を開いた。

「……この際、妥協案を提示してはどうでしょうか」

 ざわり、と空気が揺れる。穏やかだが芯の通った口調は、逆に議場に鋭い緊張を走らせる。

「妥協だと? 帝国にか? ふざけたことを!」

 反射的に立ち上がったのは敵対派の中でも過激な急進派──ディオニス司教だ。その声には怒気と嘲笑が混じり、幾人かがそれに同調するように小声で呟いた。

「ここまで好き勝手をされて……こちらが譲歩する道理があるか」
「まるで我々が敗者のようではないか……!」

 即座に保守派から怒声が上がった。だがエレナは怯まなかった。彼女は手を前で組んだまま、静かに視線を向ける。

「帝国が求めているのは、国境からの聖騎士団の完全撤退と、賠償の支払い──それを飲みましょう」

 会議室が凍りついたように静まり返る。

「……本気か?」

 呆然と呟いた者がいた。
 だがエレナは一拍置き、続けた。

「もちろん、要求を丸呑みするだけでは意味がありません。こちらからも、対等な条件を提示します」

 彼女は視線を鋭くし、静かに言い放った。

「賠償と聖騎士団の撤退に応じる代わりに──帝国領内、国境沿いにある“旧鉱山跡”に眠る聖地の調査と管理権限を、我が聖教国に認めさせる」

 騒然となる議場。

「何を言っている!」
「それでは帝国に屈した事になるではないか!?」
「聖地の名を騙って、侵略の口実にされるだけだ!」

 怒号が飛び交う中、エレナは冷静に言葉を重ねる。

「我らが聖典の記録にある聖地は、確かにあの地下に存在する可能性が高い。帝国がそこに採掘を行っていたにも関わらず、発掘を中断したのも、なにがしかの“禁忌”に触れたからでしょう」
「これは単なる地政学的譲歩ではありません。我々にとっての宗教的義務であり、同時に、帝国との戦火を避けつつ、聖地への関与を維持する唯一の道でもあるのです」

 敵対派は歯噛みしながら沈黙するしかなかった。提示された案に対して、現実的な対案を出せる者はいなかったからだ。強硬論を唱えることはできても、その先の戦略も、勝算もない。苛立ちがこもった呼吸音だけが、空気を震わせる。

 ──静寂が、会議の間を支配していた。
 誰もが口を閉ざし、重苦しい空気の中、ただ燭台の炎が揺れていた。まるで主の意思を伺うかのように。
 そして、やがて重々しい沈黙を破る声が響いた。

「……決を採ろう」

 声の主は、白銀の髭を胸元まで伸ばした老枢機卿──レグロス。
 長く聖教国の法と秩序を司ってきた重鎮である。

「主の代理人たる教皇がここにおらぬ以上、この場に集う我々〈十二枢機会〉が、代行せねばならぬ。決定を下すのは、我らの責務だ」

 その言葉に、数人が深く頷き、数人は眉を顰めた。もはや〈黒翼〉の密偵として逃走した、ラザフォードの席は空である。十二人となった枢機卿によって、この局面に決着がつけられようとしていた。

「他に案がない以上……この案を推し進める他はないでしょう」

 そう続けたのはエレナ枢機卿自身だった。静かだが、決意の滲む声だった。
 その場には、様々な思惑が渦巻いていたが、誰も新たな対案を示すことができなかった。いかに策謀に長けた者であれ、帝国の動きはあまりにも速く、苛烈で、隙がなかった。
 やがて無言のうちに挙手による投票が始まった。
 一人、また一人と手が挙がるたびに、空気が張り詰めていく。

 ──賛成、九。
 ──反対、二。
 ──棄権、一。

 誰もが深く息を吐いた。
 かくして、エレナ枢機卿の案が正式に採用された。
 聖教国は、帝国に対し和解と共同調査を申し入れるべく、使者を送ることになったのだ。
 賛成に回った枢機卿たちは、あくまで「対話の道を模索する」ことに最後の希望を賭けた。破滅の未来を回避できるなら、どれだけ屈辱的であっても構わない──そんな、もはや信仰では支えきれぬ現実に追いつめられていた。

 一方で、反対に回った者たちは沈黙のまま立ち上がり、部屋を後にする。
 彼らは動いていた。密かに国内の戦力を再編し、軍事拠点の要となる学院に〈戦力〉を集結させはじめていた。表向きは和平のための動きの裏で、次なる「聖戦」への布石が着々と打たれていたのである。

 二週間後、帰国した使者がもたらした帝国の対応は、聖教国にとどまらず、周辺勢力すらも震え上がらせるものだった。

「聖教国による妥協案。我が帝国はこれを断固として拒否する。
 そもそも、貴国は我らの領域を侵し、聖騎士団をもって圧力を加えた明確な加害者である。よって、筋としてはまず非を認め、謝罪し、無条件の撤退および賠償を行うことが当然の責務であろう。
 何一つ責任を果たさぬまま、条件を提示するとは──
 それは我が帝国に対し、反省の色すら見せず、むしろ開き直りと支配の意思を露わにするもの。
 即ち、それは正式な『宣戦布告』と見なす。
 この瞬間をもって、交渉の余地は完全に断たれた。
 今後、帝国は軍事行動をもって、聖教国の不義に鉄槌を下す」

 その言葉に、空気が爆発するような緊迫感が広がった。
 和平と妥協を模索して臨んだ最後の交渉は決裂し、むしろ聖教国側の「曖昧な姿勢」と「無責任さ」が糾弾される結果となった。
 この失態によって穏健派は発言力を失い、急進派の声が一気に台頭する。もはや聖教国において、平和を語る余地はなかった。
 誰もが理解した──もはや和平は潰えた。妥協の道は閉ざされ、歴史の歯車は後戻りを拒むように、音を立てて動き始めた。

 そして──
 歴史の転換点が、確かに訪れたのである。

 翌日未明。
 帝国軍が、国境付近に駐屯していた聖騎士団を武力でもって排除。
 聖教国と帝国は敵対関係に突入し、大国同士の全面戦争が──ついに、その幕を上げた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

30年待たされた異世界転移

明之 想
ファンタジー
 気づけば異世界にいた10歳のぼく。 「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」  こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。  右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。  でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。  あの日見た夢の続きを信じて。  ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!  くじけそうになっても努力を続け。  そうして、30年が経過。  ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。  しかも、20歳も若返った姿で。  異世界と日本の2つの世界で、  20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

独身貴族の異世界転生~ゲームの能力を引き継いで俺TUEEEチート生活

髙龍
ファンタジー
MMORPGで念願のアイテムを入手した次の瞬間大量の水に押し流され無念の中生涯を終えてしまう。 しかし神は彼を見捨てていなかった。 そんなにゲームが好きならと手にしたステータスとアイテムを持ったままゲームに似た世界に転生させてやろうと。 これは俺TUEEEしながら異世界に新しい風を巻き起こす一人の男の物語。

レイブン領の面倒姫

庭にハニワ
ファンタジー
兄の学院卒業にかこつけて、初めて王都に行きました。 初対面の人に、いきなり婚約破棄されました。 私はまだ婚約などしていないのですが、ね。 あなた方、いったい何なんですか? 初投稿です。 ヨロシクお願い致します~。

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

【もうダメだ!】貧乏大学生、絶望から一気に成り上がる〜もし、無属性でFランクの俺が異文明の魔道兵器を担いでダンジョンに潜ったら〜

KEINO
ファンタジー
貧乏大学生の探索者はダンジョンに潜り、全てを覆す。 ~あらすじ~ 世界に突如出現した異次元空間「ダンジョン」。 そこから産出される魔石は人類に無限のエネルギーをもたらし、アーティファクトは魔法の力を授けた。 しかし、その恩恵は平等ではなかった。 富と力はダンジョン利権を牛耳る企業と、「属性適性」という特別な才能を持つ「選ばれし者」たちに独占され、世界は新たな格差社会へと変貌していた。 そんな歪んだ現代日本で、及川翔は「無属性」という最底辺の烙印を押された青年だった。 彼には魔法の才能も、富も、未来への希望もない。 あるのは、両親を失った二年前のダンジョン氾濫で、原因不明の昏睡状態に陥った最愛の妹、美咲を救うという、ただ一つの願いだけだった。 妹を治すため、彼は最先端の「魔力生体学」を学ぶが、学費と治療費という冷酷な現実が彼の行く手を阻む。 希望と絶望の狭間で、翔に残された道はただ一つ――危険なダンジョンに潜り、泥臭く魔石を稼ぐこと。 英雄とも呼べるようなSランク探索者が脚光を浴びる華やかな世界とは裏腹に、翔は今日も一人、薄暗いダンジョンの奥へと足を踏み入れる。 これは、神に選ばれなかった「持たざる者」が、絶望的な現実にもがきながら、たった一つの希望を掴むために抗い、やがて世界の真実と向き合う、戦いの物語。 彼の「無属性」の力が、世界を揺るがす光となることを、彼はまだ知らない。 テンプレのダンジョン物を書いてみたくなり、手を出しました。 SF味が増してくるのは結構先の予定です。 スローペースですが、しっかりと世界観を楽しんでもらえる作品になってると思います。 良かったら読んでください!

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

処理中です...