持たざる者は、世界に抗い、神を討つ

シベリアン太郎

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第168話 〈黒翼〉の動き

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 闇組織〈黒翼〉の本拠地、黒き楼閣〈アスフォデル〉。その地下会議室では、〈黒翼〉の幹部たちが静かに言葉を交わしていた。彼らは再び鉱山跡に潜む〈門〉の存在に着目していた。

「──帝国と聖教国は戦に手いっぱいで、鉱山跡の警備が手薄になっている」

 低く、しかし確信に満ちた声が響く。語ったのは老齢の男だが、その眼差しは鋭く、暗黒の知識に長けた魔術師でもある。

「帝国と聖教国の争いが熾烈を極める中、鉱山跡に対する監視の目は実質的に消えたと見ていい。鉱山跡地の周辺にあった監視拠点も、今やほとんど空っぽだ。情報筋によれば、帝国の現地指揮官も、もはや我々〈黒翼〉の活動など眼中にないらしい」
「聖教国も同様だろう。神の正義の前に、我らのような“異端”など取るに足らぬと」

 若き女幹部の皮肉めいた言葉に、数名が苦笑を漏らす。
 だが、重い声が場を制した。

「──問題は、王国だ」

 声の主は、影の戦士たちをまとめる武闘派の男。傷だらけの顔に、戦場で磨かれた重圧が滲む。

「王国は中立を貫いてはいるが、防衛を強化する中で、鉱山周辺の巡回も継続している。だが、以前ほどの緊張感はない」
「うむ……以前に比べれば、明らかに緩んでいる。あの国は戦場に巻き込まれるのを恐れ、自衛を優先している。ならば今こそ最大の好機ではないか?」
「確かに。ならば、“影の使徒”を動かして、一気に邪魔者を排除してはどうか?」

 その一言に、会議室の空気が一変した。

「……あれを使うのか」

 “影の使徒”──それは〈黒翼〉が誇る、特殊訓練と儀式により生み出された暗殺特化の戦闘存在。正面戦闘だけではなく、後方攪乱、要人暗殺、魔封技術破壊を任務とする暗殺者たち。

「……あの連中は、制御が難しい。下手をすればこちらの意図すら無視して暴走する」
「だが、〈冥主〉の命令とあらば、逆らうことはあるまい」
「それが保証されていないから難しいのだ」

 視線が、一人の女へと集まる。
 黒羽のように漆黒の外套を纏った女性──黒羽ノ令嬢と呼ばれる存在は、ずっと沈黙を保っていた。

「……黒羽ノ令嬢。貴女の判断を仰ぎたい」

 沈黙のまま数秒。

 やがて、彼女は静かに言葉を紡ぐ。だが、彼女の口から出たのは個人の判断ではなかった。

「……現時点で動かせる“影の使徒”は三体。〈冥主〉の命令が下れば、すぐにでも」

 その声は、感情をほとんど含まない。冷たい水面のように、感情の読めない声色だった。

「貴女の判断は? それを尋ねているのだ」

 苛立ったような声。

「〈冥主〉の意思を仰ぐべき。私は使徒を束ねる者。命令があれば、従うのみ」

 あくまで自分の判断は述べない。判断は〈冥主〉がするべきだ。彼女は言外にそう言っているのだろう。
 それを感じ取った別の幹部が口を開く。

「……では、進言しよう。時は満ちた」

 その言葉に、幹部たちは頷いた。

「了解した。私が〈冥主〉に進言しよう」

 会議の結論として、老幹部が進言の使者となる。

 そして、数日後、〈黒翼〉の中枢に鎮座する存在──〈冥主〉は、闇に包まれた広間で、老幹部の言葉を黙って聞いていた。

「……好機と存じます。鉱山跡地はもはや戦場、監視の目も薄れました。今こそ〈門〉へと至る、第二段階を──」

 長い沈黙。
 そして、〈冥主〉は簡単に返した。

「──よい。〈門〉を解放せよ。存分に働け」

 それは命令であり、解放だった。
 それは、終焉の鐘の音か。それとも、新たなる扉の序章か。



 夜。星すら出ぬ闇の中。
 王国と帝国の国境、鉱山跡地付近にて、黒い影が数体、ぬるりと地表を這うように出現する。
 それは“影の使徒”。
 人間とは異なる、異形の魔と肉体が融合した“兵”たちが、誰に知られることもなく、戦乱に揺れるこの地の底で──再び開かれんとする〈門〉へ向かって、動き始めた。

 鉱山跡へと潜入した“影の使徒”たちは、現地にいまだ残る王国軍の警備部隊を排除するための指示を受け取っていた。全てが滞りなく進められた──そのように見えた。

 一方、“影の使徒”たちを送り出した黒羽ノ令嬢の内心は、決して穏やかではなかった。

(……本当に、今“影の使徒”を動かしてよかったのか?)

 単純に焦りからの判断ではなかったか。いや、そうに違いない。今はまだ、大国同士の戦争が激化している最中だ。ここで動けば、再び〈黒翼〉の存在が注目されかねない。
 ましてや、あの封印が本当に解ける保証など、どこにもなかった。前回は〈鍵〉として連れてきたエリオットを用いたにもかかわらず、結果は失敗に終わっている。他の者たちは、レオンの介入によって儀式が邪魔されたのだと見ているが、彼女は違うと考えていた。

 ──あれは、そもそも“通じなかった”のだ。

 レオンが自信ありげに言ったというではないか。

「お前たちには封印は解けない」

 なぜそう言い切れたのか。それはレオンが何か決定的なことを知っているからだと彼女は考えている。だが、それが何かはわからない。
 それに対して自分たちは、〈門〉の正確な所在、封印の構造、そして開扉の条件──それらの情報はいまだに不完全だった。その調査を担っていたのが、聖教国に潜伏していたラザフォード。しかし、彼が〈黒翼〉の一員であることが発覚したことで、聖教国内における勢力基盤は事実上、瓦解した。

 今思えば、潜入はラザフォード一人に絞るべきだったのだ。焦って余計な“芽”をいくつも差し込んだ結果、無用な痕跡を残し、それが〈聖女〉の警戒を呼び込み、計画は破綻した。そして、その命令を下したのは他でもない、〈冥主〉だった。

(……あれも、苛立ちゆえの決断だったのだろうがな)

 彼女はそう思った。〈冥主〉が、計画の遅れに業を煮やしていたことは明白だった。だが、それでも命令は絶対だ。結果がどうであれ、従わねばならない。

 彼女は息を潜め、ただ静かに思案を巡らせた。

(だが、これ以上の失敗は許されぬ。いかに〈冥主〉と言えど……)

 地上では今日も、戦火が拡がり、数えきれぬ血が大地を染め、憎悪と怨嗟の声が空を満たしている。

 だが、誰も気付いていなかった。
 その叫びは、確かに届いていたのだ──鉱山の、はるか地下。封じられし“それ”の、眠る場所に。
 やがて、黒き封印の内側で、“それ”が蠢く。

 目覚めの刻は、もうすぐだ。
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