婚約破棄された元聖女は氷の公爵に拾われ、辺境を花園に変えて幸福を掴む

小林 れい

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第四章 王都公開審問、涙の懇願と春を選ぶ答え

第四章 王都公開審問、涙の懇願と春を選ぶ答え

 旧礼拝堂で押収した文書は、予想以上に大きな波を呼んだ。
 ノルドヴェイン公国は王国グランセイルへ正式抗議を提出し、国境共同審問の場を要求。証拠の真偽を両国の公証官立会いで確認する異例の手続きが進んだ。

 場所は国境都市レインマルク。石造りの公会堂に、両国貴族と司祭、商会代表、傍聴席の市民まで詰めかける。
 リシェルはアレクセイと並び、中央席に座った。背筋は伸びている。けれど膝の上の指先は、わずかに冷えていた。

「緊張しているか」

 隣から低い声が落ちる。
「少しだけ」

「私がいる」

 短い言葉。それだけで呼吸が整う。

 審問が始まり、王国側の代表としてユリウス皇太子が入場した。数週間で彼はひどくやつれていた。頬はこけ、目の下に隈がある。かつて祭壇で見せた自信に満ちた笑みは消え、代わりに焦燥が貼りついていた。

 王国法務官は苦しい弁明を続ける。
「護符文書は偽造の可能性があり、ミレイユ侯爵令嬢の関与は未確認で――」

 しかしノルドヴェイン側が提出した筆跡鑑定、紙質分析、封蝋成分の一致で次々に反証される。追い詰められた王国代表席で、ミレイユ本人がついに感情を爆発させた。

「全部あの女が悪いのよ! 戻ってくればよかっただけでしょう!」

 会場がどよめく。
 ミレイユは扇を叩きつけ、叫ぶ。
「あなたさえいなければ、私は王妃になれた! なのに土地は枯れるし、人は私を責めるし――」

 自白だった。
 司祭団が即座に発言を記録し、法務官は顔面蒼白で椅子にもたれる。審問長は槌を打ち鳴らし、ミレイユの退席を命じた。

 騒然とする会場の中、ユリウスがゆっくり立ち上がる。
 そして誰も予想しなかった行動を取った。
 彼は中央通路へ進み、リシェルの前で膝をついたのだ。

「……リシェル。頼む、戻ってきてくれ」

 ざわめきは悲鳴に変わった。
 皇太子の跪礼。王都なら国家的醜聞だ。

「俺が間違っていた。君の価値を理解していなかった。国が崩れる。民が苦しんでいる。君しか救えない」

 リシェルは彼を見下ろした。
 かつて愛した人。未来を誓うと信じていた人。
 だが今、胸の中にあるのは未練ではない。静かな距離だけだった。

「ユリウス殿下」

 彼女の声はよく通る。
「あなたが求めているのは“私”ではありません。便利な聖女の機能です」

「違う、俺は――」

「違いません。あなたは祭壇で私の名前を切り捨てた。あの日、あなたは私を失ったのではなく、自分で手放したのです」

 ユリウスの肩が震える。
 リシェルは言葉を続けた。

「私はもう戻りません。ここには私を人として扱ってくれる人々がいる。私が守りたい土地がある。選ぶのは私です」

 沈黙。
 やがて傍聴席のどこかで、誰かが小さく拍手した。続いて二つ、三つ。会場全体がざわめきに包まれる。
 審問長が静粛を命じ、最終判断を読み上げた。

『王国側による不当介入と妨害行為を認定。リシェル・ルヴァール公爵夫人の居住・活動権を完全保障。王国は謝罪と賠償を行うこと』

 槌音が響く。
 決着だった。



 帰路の馬車で、リシェルは窓の外を眺めていた。雪解けの水が川を満たし、岸辺に若草が覗く。長い冬の終わりを告げる色だ。
 アレクセイが隣で書類を閉じる。

「疲れたか」

「少し。でも、すっきりしています」

「よく言い切った」

「あなたが隣にいたからです」

 その瞬間、彼の手がわずかに止まる。
「私が?」

「ええ。王都で一人だったら、あんなふうに話せなかった」

 アレクセイは視線を外へ向けたまま、低く返した。
「……私も同じだ」

「同じ?」

「おまえが来るまで、私は領地を守ることだけを考えていた。だが今は違う。守る理由が増えた」

 馬車の揺れの中、リシェルの頬が熱を帯びる。
 契約結婚。合理のために始めた関係。
 それなのに彼の言葉は、契約の外側を静かに満たしていく。



 ルヴァール領へ戻ると、人々は門前で二人を迎えた。
 難民区の子どもたちが花を抱え、石工たちは槌を掲げ、農夫は新芽を編んだ冠を差し出す。

「奥方様、勝ったんだってな!」
「もう誰も連れ戻せないんだろ?」

 リシェルは笑ってうなずいた。
「はい。ここが私の家です」

 歓声が上がる。
 その夜は即席の祝宴になった。大鍋のシチュー、焼きたてのパン、僅かながら甘い果実酒。質素だが温かい食卓だった。

 宴の後、城の回廊で二人きりになる。
 月明かりに照らされた庭を見下ろしながら、アレクセイが口を開いた。

「契約の更新について、話がある」

 リシェルは瞬く。
「更新?」

「当初は一年契約だった。だが――」

 彼は珍しく言葉を選んだ。
「次は契約ではなく、意志で続けたい。私と、夫婦として」

 胸が高鳴る。返事は、考えるまでもなかった。

「私も同じです」

「本当に?」

「はい。私はもう、義務であなたの隣にいるわけではありません」

 アレクセイは深く息を吐き、硬かった表情をほどく。
「……良かった」

 その素直な一言に、リシェルは笑みをこぼした。氷の公爵と呼ばれる彼が見せる、誰にも向けない顔だった。



 一方、王都では審問敗北の余波が広がっていた。
 ミレイユは自宅謹慎となり、侯爵家は寄進権を剥奪。神殿は内部監査に追われ、農政部は荒廃した土地の回復策を必死に探している。だが失われた季節はすぐには戻らない。

 ユリウスは王宮の庭で一人、崩れた花壇を見つめていた。かつてリシェルが散歩していた場所だ。
 彼は手袋のまま土に触れ、乾いた感触に顔を歪める。

「遅すぎた……」

 呟きは風に消えた。
 後悔は芽吹いても、春にはならない。



 ルヴァール領の春は駆け足で進んでいく。
 水路は全域開通、種まきは予定より早く完了。診療所には薬草が揃い、孤児院の食卓には彩りが増えた。リシェルは毎朝畑を巡り、夜には領民との会議に出る。忙しいが、疲労の質が違う。消耗ではなく、積み上げるための疲れだ。

 その日、初めての大規模収穫祭の準備会議が開かれた。
 ユハンが予定表を読み上げる。
「祭典の最後に、公爵夫妻から領民へ宣言をお願いします」

「宣言?」

「はい。領地再生計画の第二段階です。新しい町名と自治規約の発表を」

 リシェルはアレクセイを見る。
「町名、もう決めたんですか」

「まだだ。おまえが決めろ」

「私が?」

「この土地を最初に起こしたのはおまえだ」

 リシェルは地図上の空白地帯に指を置き、少し考えて言った。
「では、“ヴェルデリア”はどうでしょう。緑と祝福の意味を込めて」

 アレクセイはうなずく。
「いい名だ」

 紙の上に新しい町名が記される。
 それは過去を消すためではなく、未来を呼ぶための名前だった。

 祭りの日、彼女は領民の前で宣言するだろう。
 ここから先も、もう誰にも人生を奪わせないと。
 そしてその隣には、契約ではなく意志で選んだ人が立っている。
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