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となり
♠️(1)
しおりを挟む「ここに、2枚のチケットがあります。」
午前の授業終わり、エルがどこかへ行ったので俺は1人でR寮に戻り、食堂で昼食を食べているところにエルが戻ってきた。
いきなり見せられた簡素な作りのチケットには、見覚えがある。
「これが何かお分かりですね、キース?」
「…音楽棟でやる演奏会のチケットだろ?」
音楽科の授業を取っている生徒が行う演奏会が、毎年冬の学期末試験後に行われることは知っていた。ジェニエッタも毎年行っているようだから。
ただ俺は、この時期、首都で行われる聖なる感謝祭とその後に控える新年の式典へ出席する為の準備をしなければならず、そもそもの興味が薄いことも相まって演奏会には1度も足を運んだことがなかった。
「これは2階席最前列中央の隣り合わせのチケットで、毎年音楽科を指導するアルボレ先生かから譲り受けました。」
つまり、アルボレ先生を誑らしこんだんだな。
「ジェニーを誘ってはいかがですか?」
ジェニエッタは音楽好きだ。ヴァイオリンを弾くのを聴かせてもらったことがあるが、素人の俺でも聞き惚れるほど滑らかで透き通る音色は見事だった。
だが、そうと知っていて今まで誘ったことがなかったのは、忙しい以外にも理由がある。
この演奏会に出演するシャンティースが、いつもジェニエッタとその仲間たちを招待していた。いわゆる友人同士のイベントに、割って入ろうとは思わなかった。
「ジェニエッタ嬢は、もうシャンティースに貰ってるんじゃないか?」
「貰っているでしょうね。」
「じゃあ誘ったって意味ないだろ。」
俺がそう言うと、エルはわざとらしく息を吐いた。
「キースは今年度に懸けているのではなかったのですか?それはいつもと違うことをする必要があるということでは?」
「それは…そうだが…。」
友人より優先してもらえる自信がない。というか絶対してもらえない。断られる。100パーセント。分かる。
「演奏会後のジェニーは、とても機嫌が良くて可愛いらしいですよ。ローズによれば。」
「それは、友人同士だからだろ。俺と一緒じゃ話が別だ。」
「…そうですか。私がわざわざチャンスを掴めるように尽力したのに、無駄にするわけですね。ではもう今期は冬休みに入って終了ですね。せいぜい試験勉強と式典準備に勤しんでください。」
冷たい瞳で皮肉を並べ立ててその場を去ろうとするエルの手から、急いでチケットをもぎ取る。
「…いる。」
エルから視線を外して一言だけ呟くと、エルは初めから素直になってくださいと、呆れ顔で俺の隣に座った。
誘いを受けて貰える自信は無い。だからと言って引いてばかりでは、エルの言うとおり今までと変わらない。
今年で最後だからと懇願すれば聞き入れて貰えるだろうか。ジェニエッタを前に、スマートに誘える気がしない。
俺はチケットを見て項垂れた。
「どう誘うべきかな…。」
「普通に誘ってください。」
その普通がどれだけ難しいか、なんでもスマートにこなすエルには分かるまい。
「もし断固として断られた場合は、援護射撃くらいしますよ。」
「ほ、ほんとか?!」
「でも、できればご自身の力でお願いしますよ。もしジェニーとの仲が違えるようなことがあれば、キースを恨みます。」
「え…。」
エルらしからぬ発言に、一瞬、俺は言葉が出なかった。
エルがどれだけシスコンかは嫌と言うほど分かっているし、ジェニエッタもそんなエルを好いていた。俺が2人を知ってから、ケンカどころかちょっとした言い合いすらも見たことがない。
そんな2人が仲違い?思い当たる節でもあるのか?いや、やはりどうあっても考えられない。
「断られにくくするのなら、人目のある場所で誘う方がいいでしょう。キースの体面を傷つけるようなことはしないでしょうから。」
「…そうだな。そうしてみるよ。」
午後の授業も終え放課後になると、俺はさっそくエルに貰ったチケットをジェニエッタに渡すべく、図書室に向かった。12月の期末試験前は、ジェニー達の図書室にいる率が高いからだ。
ジェニーは学年首席になるほど頭が良いから、特別試験勉強というものは必要無いのだろうが、おそらく他の者の勉強を見てやっているのだろう。
城のように大きい校舎の図書室は、やはり広い。エルも気に入っているだけあって、本の数も多く、貴重な物も置いてあるらしい。
俺は細かく装飾された仰々しい両扉を開き、中に入った。
入ってすぐ右にある受付カウンターを通り過ぎ、周囲を見渡しながら本棚の並ぶ通路を真っ直ぐ歩いて行くと、左にジェニエッタの姿を確認した。
大きな窓の前にある長方形のテーブルを、いつもの5人で陣どっている。シャンティースは演奏会の練習にでも行っていてくれたらと思っていたが、どうやらそう上手くは行かないらしい。
俺は小さく咳払いをしてから、そのテーブルに近付いた。
「あ、皇太子殿下。」
窓際にいるシャンティースの一声に、そこの全員が顔を上げてこちらを見る。
シャンティースの隣にいる、確かラミエラ伯爵令嬢、長方形の短辺の席に座るヘーゼ男爵令嬢、それから伯爵令嬢の正面に座るローズにその隣のジェニエッタ。
ジェニエッタと目が合うだけで、心臓の鼓動が早まり、顔が熱くなる。ジェニエッタがどんなに嫌そうな顔をしていても、それは変わらなかった。
「ジェニエッタ嬢、話があるのだが、今、少しいいか?」
「…だめだと言ってもいいのですか?」
「だめだ!」
はっ!大きい声を出してしまった!
慌てて口を押さえて辺りを見ると、案の定、注目されている。しまった。やってしまった。恐る恐るジェニエッタに視線を戻すと、冷ややかな視線で氷漬けにされた俺は、言葉を失ってしまった。ローズの呆れたような表情の方がよほど暖かい。
俺が動けずにいると、ジェニエッタがため息を吐いて席を立ち、俺の腕を引っ張ってくれた。そのまま図書室を出て足を止めたところで、ようやく俺の声が出た。
「わ、悪い、ジェニエッタ嬢。さ、騒ぐつもりでは…。」
「いえ、私がああなることを予想するべきでした。」
「わ、悪い…。」
恥をかかせてしまっただろうか。ちらりと彼女の表情を盗み見ると、怒っているようには見えないが、元から表情の変動が少ない為、本当のところは分からない。
図書室の扉のすぐ横にいる為、出入りする者や前を通る者達から視線を感じた。周囲の者達は俺が婚約破棄をせがまれているとは思ってもいないのだろうな。そう考えるだけで気が落ちる。
こんな関係のまま結婚してしまえば、本当にジェニエッタを不幸にしてしまう。それだけは絶対に避けたい。俺は勇気を振り絞った。
「今年の演奏会のチケットは、もう貰ったか?」
「演奏会ですか?」
ジェニエッタはきょとんとして首を傾げた。今まで俺がそれに口を出したことが無かったので予想外だったのだろう。
「はい。いつものようにシャンテから貰いました。」
シャンテ!もちろん知ってはいたが、愛称呼び…羨ましい。
俺は1度もジェニエッタに愛称で呼ばれたことがない。彼女を愛称で呼ぶことも許されていない。それをシャンティースという男は、難なくやってのけたのだ。一体どうやって…。あ、いや、そうではなく、そもそも女4人の中に、なぜ男が1人紛れ込んでいるのだ。この男に関して、俺は色々と納得できていない。
まぁ、負け惜しみなわけだが…。いや、負けるな、俺!
「ジェニエッタ嬢!…今年は…えぇと…。」
懐からエルに貰ったチケット取り出し、声を整える為の咳払いを挟む。
「俺と、一緒に…行って、くれると…嬉しい…。」
あぁ、しまった。俺がそんなこと言っても、ジェニエッタが俺が喜ぶことを好んで承諾するはずがない。
その通り、ジェニエッタは差し出したチケットをなかなか受け取ってはくれない。
「チケットは、もう持っていますが。」
「その、これは、2階席の最前列のチケットなんだ。俺にとっては最後の年だし、ジェニエッタ嬢と一緒に聴けたら嬉しい…。」
あ、またやった。
「あ…と、ジェニエッタ嬢が…つまり…。」
思考停止。どうしても気持ちばかりが先行してしまう。
エルのように、目的の為に言い回しを考えるような頭は俺にはない。
「つまり、何ですか?」
「…ジェニエッタ嬢と聴きに行けたら…嬉しい…。」
「…何度言い直しても、同じことしか仰っていませんが。」
「…うん。」
恥っず!なんだこれ、恥っず!これで断られたら、たぶん俺の心臓が破裂する。
そんな俺の危惧とは裏腹に、ジェニエッタは俺の手からするりとチケットを抜き取った。
「…この席、毎年音楽科のアルボレ先生が座っている席では?」
「あ、あぁ、そうらしい。」
「らしい?」
きらりとジェニエッタの瞳が光った。…気がする。良くないことを言った…気がする。なんとなく。
「…分かりました。取り敢えず、チケットは受け取っておきます。」
「あ、ありがとう!」
ジェニエッタは俺の礼の言葉に複雑そうな表情を見せたが、とにかくチケットを受け取ってくれた。俺的には、それで充分だった。
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