「婚約破棄してください!」×「絶対しない!」

daru

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となり

♥(3)

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 運動はあまり得意ではない。好きでもない。その為、少し走っただけですぐ息が上がってしまった。
 私は皆から身を隠すために、今の時間は使われていない講義室に入りこみ、窓際の席に座って焼け付くような胸を抑えた。

 昨日の放課後にヘーゼに押し付けたチケットは、今朝にはローズに渡っており、ローズからラミエラ、ラミエラからヘーゼ、ヘーゼからまたラミエラ、そしてラミエラから私と、爆弾ゲームのようにたらい回しになっていた。
 私は午前の講義の終わりにローズの鞄にチケットを忍ばせ、今に至る。

 突っ伏するように頭を長机に置いて目を閉じると、少しずつ息が整ってきた。

 誰かにチケットを渡したところで本当に行くわけはないだろうし、根本的に何の解決にもなっていない。それでもそれが手元にあるのは重荷だった。特にローズが変な事を言うから、余計に。

 ”殿下がジェニーを異性として想っているのは間違いないわ。”

 そんなわけないわ。
 婚約する前は1度しか顔を合わさず、婚約後も仲良くしていたわけでもない。私が入学してからは婚約破棄を願い出て、徹底してわがままで冷たい悪女として振る舞えているはずだ。
 でも万が一、本当に純粋な気持ちで私を好いているとしたら、私の態度で傷ついているのだろうか。
 いや、好かれる要素は皆無。きっとローズの思い込みだ。そうに違いない。

 大きく息を吸って吐き、目を開くと、講義室の入り口に皇太子殿下が立っていた。驚いたような顔をしているが、心臓が止まるかと思ったのは私の方だ。

 いつもおどおどしている殿下が、珍しく速い足取りで傍に来た。
 私が挨拶をしなければと焦って立つと、思ったように足に力が入らなくて机に倒れ込みそうになるのを、殿下が支えてくれた。エスコートされる時も思うが、細く見えて案外筋肉質な上、体幹がしっかりと鍛えらえている。

「ジェニエッタ嬢、具合が悪いのか?」

 そう言って優しく私を椅子に座らせる殿下は、本気で心配しているようだった。

「いえ、すみません。少し走ったら足に力が…。殿下はなぜここへ?」

「あ…と、…ジェニエッタ嬢が1人でひと気の無い方へ向かうのが見えて…。」

 追いかけてきたわけですか。

「今日はローズ嬢たちと一緒ではないのか?」

「…訳あって、隠れています。」

 私がにこりと笑えば、殿下は少し口元を引きつらせて詳細は聞いてこなかった。その代わりに隣の席に腰を下ろした。なぜ。隣に座っていいなんて言っていませんが。

「…足は、大丈夫か?」

「少し休めば大丈夫です。」

「そうか…。」

 講義室に2人きり。
 私は息を落ち着けつつ外を眺め、殿下は頬杖をついて廊下側に目を配っている。どちらが話すでもなく、静かな時間が流れた。

 殿下はなぜここにいるのかしら。お昼ご飯を食べには行かないのかしら。いつまでいるつもりなのかしら。いろいろと疑問は持ったがちょうどいい機会だと思い、ローズの考えに真偽をつけようと口を開いた。

「殿下、お聞きしたいことが…」

 そこまで言うと、私はいきなり手で口を塞がれて長机の下に引きずり込まれた。この講義室の長机は床に固定されていて、正面からは足元が見えないように3面にカバーが付いている仕様の為、狭い空間で体が密着する形になる。
 突然のことに驚きすぎて声も出なかった私に、殿下はさらに人差し指を自身の口に当ててだめ押ししてきた。

 わけが分からず文句を言おうとした時、パタパタと微かな足音が聞こえて私は耳を澄ませる。

「ん~ここもいないね。」

「もう!まったく皆して講義が終わると同時に逃げるんだから!これを来週の演奏会まで続ける気かしら!」

「はははっ!」

 呑気な声と刺々しい甘い声。紛れもなくシャンテとローズだ。校舎端の講義室まで探しに来るとは。
 それにしても殿下、耳良すぎません?

 足音がひたひたと近付いてくるに連れて、心臓の鼓動も速くなる。
 というか、この状況で見つかるとかなり厄介なのでは。無人の講義室で殿下と2人きり。しかも体をくっ付けて口を片手で覆われている。なんというか、客観的に見ると、やましい逢い引きのように見えるのではないか。それは困るわ。

 足音が目の前の辺りに来た。私は見つからないようにと祈るように、固く目を瞑る。

「お腹空いたよローズ。寮に戻ってるかもしれないし、一旦寮に行こうよー。」

「…そうね。どうせ次の講義で会うでしょうし、そうしましょう。」

 初めてシャンテが神様のように思えた。
 2人の足音が遠のき講義室から去っていくと、先に殿下からゆっくりと顔を上げて、入り口の様子を窺った。

「…大丈夫そうだな。」

 殿下はそう言ってから私の方を向くと、目が合った途端後ろに跳ね退き、その反動で机に頭を、椅子に背中を打ちつけ、尻餅をついた。
 何をやっているのかしら。

「…大丈夫ですか?」

「あ、あぁ!…すっ、すまない!隠れていたと言っていたから!足音が聞こえたから突然のことで体が勝手にっ…!どこか、怪我はないか?!」

 即座に体制を立て直し、私に手を差し出してくる殿下。いや、怪我の心配があるのは殿下の方なのですが。
 とりあえず差し出された手を取り机の下から出て立ち上がる。

「隠れようと思っただけで!乱暴しようとした訳ではっ…!」

「…あぁ。青い顔をして何を仰っているのかと思ったら、私を机の下に引きずり込んだことへの謝罪でしたか。」

 別にこれは意地悪でもなんでもなく事実を口にしただけだったのだが、殿下の顔からはますます血の気が引いた。

「…わ、悪い…。」

「謝罪は不要です。むしろ、私は全然気が付かなかったので、助かりました。ありがとうございました。」

「そ………そうか…。それなら…良かった。」

 出たわ。殿下の百面相。青くなったり赤くなったり。ここまで顔色がころころ変わると、むしろ病なのではと心配になる。

「か…体は、休まった、か?」

「そうですね。でもまだ身を隠していたいので、もうしばらくここにいます。」

「そ、そうか…。じゃあ…俺は昼食を…。」

 先ほど途中になってしまった質問をしようと思ったが、殿下は声をかける間もなくそそくさと立ち去ってしまった。
 ローズには見つからずに済んだけれど、わざわざ私を追ってきて、殿下は一体何がしたかったのかしら。

 1人になった講義室で、私は考えを巡らせた。
 ローズの言うように来週までこの調子では、正直辛い。追いかけっこ自体は楽しいが、みんなでお喋りする時間はなくなってしまう。ローズも怒らせてはおけない。
 何か平和的な解決方法を取らなければ。





 午後は最初の講義以外、ローズとラミエラとは別の授業だった。その為私たちはいつも、放課後になると自然と寮の談話室に集まる癖がついていた。
 私とヘーゼが談話室に行ったときには、すでにローズとラミエラが待機していた。ラミエラの疲れた顔を見るに、ローズがご立腹だったようだ。ヘーゼが私の影に隠れる。

「ちゃんと来てくれて良かったわ。どこまで避けられるのかと思ったもの。」

「ごめんなさい、ローズ。怒ってる?」

 素直に謝ると、ローズは少し表情を緩めて口を尖らせた。拗ねてしまったのかしら。

「怒ってはいないわ。…ただ、ずっと避けられたら、寂しいでしょう。」

「私もずっとこうなのは嫌だわ。だから、チケット、私にちょうだい。」

 私が手を差し出すと、みんなは目を丸くした。私から始めたことだったから、仕方ないわね。

「演奏会は、殿下と行くということ?」

 眉を潜めるローズに、私は首を横に振った。やっぱり演奏会はこの4人で行きたいもの。3年間ずっとそうだったのだから。
 私はローズからチケットを受け取った。

「姉さん、呼んできたよ。」

 グッドタイミングだわ、キャル。
 キャルの後ろから、おずおずとブライアが顔を覗かせた。

「僕に用事があると…。」

 乗馬祭以来、キャルの友人であるブライアとはそれなりに仲良くなったつもりでいたが、なぜこんなに怯えた様子なのか。

「用事というか、提案というか。」

 私がそう言うと、ブライアは首を傾げた。

「来週の試験後に音楽科の演奏会が行われるのは知ってる?」

「あ、はい。一応。」

「私達、毎年シャンテに招待されているのだけど、今年は私が殿下にもお誘いを受けて、とても良い席のチケットを貰ってしまったの。」

 あぁ、シャンテさんは演奏会の練習か、とキャルが呟く。キャルは少しシャンテに懐いている。悪いところを真似しなければいいけれど。
 一方ブライアは殿下のファンだ。音楽に興味があろうがなかろうが、殿下と行けるなら喜ぶだろうと思った。

「でも私はシャンテに貰ったチケットがあるし、良かったらこっちのチケットは、ブライアにあげるわ。」

「えっ?!!い、いやいや悪いですよ!!!それに、ジェニエッタさんの代わりなんて僕には勤まらないし!!!殿下ががっかりなさるのでは?!!」

「でも私は先に友人たちと約束してしまったし、殿下が1人で出向く方ががっかりすると思わない?」

「そ、それは…。」

「姉さん、あんまりブライアを困らせないであげて。」

「困らせるつもりはないの。迷惑なら断ってくれてもいいのよ?でもブライアは殿下のファンだと聞いていたから、お話できるチャンスにもなるかと思って。」

 私が笑顔でそう言うと、ブライアはうっと声を上げた。このチケットに魅力は感じているらしい。

「ブライアは行きたい?」

 キャルの質問にブライアは素直に頷いた。可愛いわ。

「殿下とお話できるかと思うと緊張するけど、そもそも演奏会とか行ったことないから、すごく…興味はある…けど…。」

「そう。じゃあせっかくだから、チケットは取り敢えず貰っておこうか。そんなに緊張するなら、僕もどうにかチケットを手に入れれないか考えてみるよ。」

「本当?!ありがとう、キャル!ジェニエッタさん、ありがとうございます!」

「いえいえ、私の方こそ、受け取ってくれて助かったわ。」

 キャルが友人に優しく接しているのを見て、胸がほっこりと温かくなった。ブライアも喜んでくれているし、一件落着ね。




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