仮面夫婦の愛息子

daru

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 兄ヴィクトルに対して罪悪感があった。
 本来ならば、侯爵位は俺ではなく兄が継承するはずだったから。

 兄に恨み言を言われたことはなかったが、エイヴリルほど表には出さなくとも、俺のことを良く思っているはずはなかった。

 仲が悪いとは思わないが、決して良くもない。
 だが、嫌っているわけでもない。むしろ穏やかに健やかに過ごして欲しいと願っている。

 だからこの提案は、兄とその息子への救済措置だった。

「兄さん、エイヴリルを差し出してください。」

「エイヴリルは私の妻です。そう簡単に手放すことはできません。」

 兄の敬語が苦手だ。
 俺が侯爵になってから線を引くように使われ始めた敬語は、まるで責められているかのように聞こえる。

 しかし今は怯んでいる場合ではない。

「あるメイドが証言しました。あのパーティーの日、毒を入れた執事に、エイヴリルが何か指示を出していたようです。」

 いくらバックに公爵がいたとしても、そんな情報が出れば言い逃れは難しいだろう。
 兄と甥を、エイヴリルの道連れにはしたくなかった。

「まずはその証言の裏付けを取るべきではないですか?」

「ええ。ですからこうして聴取をしに参上しました。」

「私に何を訊きたいのですか。」

「不審点があればなんでも。エイヴリルを突き出してください。真相が暴かれて兄さんが泥を被る前に。そうすれば兄さんのことは俺の協力者として助けます。ヒューゴにも害はありません。」

 突き出すも何も、と重い息を吐く兄は表情があまり動かず、焦っているのか本当に何も知らないのか見分けがつかない。

「私が話せることはありませんので、そういうのは不可能です。」

 知らないなんてありえるだろうか。

 俺が知っている兄は、身体が弱くいつも一歩引いていたせいか、一際観察眼の鋭い人だった。
 口数こそ少ないが、どこまでも深く突き刺さることを言う人だった。

「兄さんも分かっているでしょう。執事とエイヴリル、合わせて尋問すれば、すぐに真実は明かされます。この邸宅内も捜索させて頂きますよ。」

 そこで毒物でも見つかれば、もはや尋問すら不要になる。

「全部暴かれて、その後になって知らなかった、では済まされません。ヒューゴの為にも、決断してください。」

 こうやって、エイヴリルよりも先に話しているのも、俺なりの温情ですと付け加えたが、さすが兄は眉1つ動かさずに答える。

「捜索なら好きにしてください。しかし、エイヴリルに関して話せることは何もありません。」

 俺は知らずの内に歯を食いしばっていた。

 なぜエイヴリルを庇うのか。俺の死を、兄までもが願っていたとでも言うのか。

 ぎりっと歯を軋ませる俺とは違い、エドウィン、と落ち着いた兄の声が静かに響いた。

「私の意思は変わらない。もしもエイヴリルが過ちを犯したというのなら、その時は、罪を共に背負い償おう。死罪でもなんでも、甘んじて受け入れる。」

「どうしてあの女の為にそこまでするんだ!」

「私の妻だからだ。」

 真っ直ぐと向けられた視線が刺さる。

「エドウィン、人の妻を簡単に、あの女、などと呼ぶものではない。お前は彼女のことを知らないだろう。どれだけ献身的に私を支えてくれたかも。」

 突然の諌めるような口調に、俺は言葉を飲み込んだ。

「お前には人を侮るところがある。上辺しか見ず、どういう人間かを決めつける。」

 脳内にセシールの姿が浮かぶのは、兄の指摘が図星だからだ。

「母の影響であることは分かる。確かにあの人を間近で見ていたら、人を信じることが難しくなるだろう。しかしエドウィン、人間というのは多面的だ。サイコロのように、色んな顔を持つものだ。」

「エイヴリルの擁護はもうたくさんです。」

「エイヴリルだけではない。」

 は?
 俺のしかめた顔も兄に影響力は無く、苦言は続く。

「妻の役目を全うしようとする女性を娶ったのなら、それは何よりも大切にすべき存在だ。それは夫の助けになるということと同義だからだ。」

 確かにセシールは侯爵夫人としての気位が高かった。そしてその実力はすぐに社交界で発揮され、あちこちに味方を作り、俺の社会的評価を上げた。
 そしてセオを授かり、ウェップ家の安定にも繋がった。

 セシールを蔑ろにしたつもりはなかったが、なるほど、大切に扱った記憶もないということに、今更ながら気がついた。

「だから私は、できる限り妻の味方でいたいと思うし、私も妻を助けてやりたいと思う。」

「それとこれとは話が別です。」

 兄の夫婦観は立派だと思う。俺には足りなかった部分だ。

 しかしエイヴリルは殺人未遂を犯したのだ。許されない罪を犯したのだ。
 それを助けるなんて言ったら共犯者ではないか。

「兄さんは真面目で誠実な人です。それはもうクソがつくほど。母でさえ手に余していたその真っ直ぐさを、エイヴリルの為にへし折るつもりですか?」

「家族を守るのは、夫の責務です。」

 敬語に戻った。結局これまでということか。
 兄を巻き込みたくはなかったが、覚悟が変わらないということならば仕方がない。

 ウェップ家当主としての威厳の元、こちらも毒を盛られてやすやすと許すわけにはいかないのだ。

 俺は騎士達に邸内の捜索を命じた。
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