夕月の欠片

daru

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第2部

23.

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 陽光の当たらない、酷く閑散とした裏通りを進んだ。

 ネズミの鳴き声や走る足音が聞こえる。
 異臭を放って座り込んでいる者たちからは、虚ろな目を向けられた。

 この場所では、トガを纏い護衛を引き連れた人間が異質なのだろう。

「あの酒場です。」

 ガザリが、前方に見える古めかしい吊り下げ看板を指差した。

 いかにもならず者の溜まり場というような、濁った雰囲気が漂っている。

 ガザリに街中での捜索を任せてすぐに、この店でセスと思しき男の目撃情報を得たのだ。

 ガザリによると、セスという名前こそ出てこなかったものの、容姿的特徴の一致と行動パターンから、本人である可能性が高いという。

「ケンカを始めた男たちを追い出した、か。」

「ローニヤンでも、積極的に人助けをしていたようでした。」

 人殺しを厭わない一方で、求められれば手を差し伸べる。
 根っからの悪人ではないのだろうが、あまりにも自分本位だ。

 私は店の前で足を止め、後ろに並ぶ護衛8人を振り返った。

「2人でいい。」

 ガザリがすぐ後ろの部下1人を指名し、「残りは待機。」と指示を出した。

 2人を背に薄暗い店内へ入ると、すぐに女性店員に声を掛けられた。大きなイヤリングを身に着け、訝しげに睨みつけてくる。

「ご注文は?」

 一応そう訊かれはしたが、警戒心が全身から発せられている。

 店内は色んな音や声で騒々しい。

 女性店員の視線が私を過ぎ、後ろに向かうと、「あんた…。」ともらして視線を横に投げ、大きなため息をついた。

「今度はボスでも連れてきたのかい?話せることはこの前全部話したよ。」

「はは、気概のあるお嬢さんだ。」

 笑顔を作ることは得意だ。

「何度もすまないね。君が話してくれた男が、本当に探している人かどうしても気になってしまって。」

 笑顔で下手に出ると、大体の人間はガードが緩む。

「…どうしてその男を探してるわけ?」

「私の大切な人の知り合いかもしれないんだ。」

 元々下がった眉尻をさらに下げてそう言うと、彼女は小さく息を吐いた。

「その男は黒髪碧眼で筋肉質。腕が立つ。君が見た男もそうだった?」

「ええ、まあ。」

「誰かと一緒にいた?」

 質問を重ねると、彼女は分かりやすく眉を潜めた。

「ねえ、あたし、仕事中なんだけど。」

「注文もせずに時間を取らせてすまないね。」

 私は懐から小さな皮袋を取り出し、中から1枚の銀貨を出して見せた。
 彼女の目の前に差し出すと、彼女は恐る恐るそれをつまむようにして、私の指から抜き取った。

「男は誰かと一緒にいた?」

「…女といたわ。」

「容姿は?」

「ショールを被っていたし、よく覚えていないわ。」

「いつの話かな?」

「2、3ヶ月前かしら。」

「会話は訊いた?」

「お客さんの会話なんていちいち聞かないし、覚えてるわけないでしょ。」

「それ以来、ここへは来ていない?」

「…ええ。…たぶん。」

 何かを隠している。
 私はもう2枚、銀貨を取り出し彼女に見せた。

「よく思い返してみてくれないかな。」

 彼女は唇を尖らせながら、しれっとそれを受け取り、「ああ!」とわざとらしく大きく頷いた。
 大きなイヤリングがカラカラと揺れる。

「そう言えば、この前来たのがそうだったかもしれないわ。」

「この前?」

「ええ、この前。確か、“赤毛の男の人が探しに来たら渡して欲しい”って、メモを渡されたの。」

 赤毛の男。ナイジェルのことだろうか。

 その時、彼女の背景、店の奥の席で立ちあがった人物が目に入った。深々とフードを被り、見るからに怪しい。

 フードの人物は店の更に奥へと向かって行く。

 裏口でもあるのかもしれないと思い、あの者を追うようにとガザリへ目で合図をすると、すぐに察したガザリが、指名して連れてきていた部下に耳打ちをした。
 部下の兵はすぐに女性店員の脇を通りぬけ、フードを追った。

 女性店員が驚いた様子で胸に手を当てている。

「な、何?」

「気にしないで。それよりも、そのメモ、見せてくれないかな?」

 女性店員は私のつま先から頭の先まで見回した。

「どう見ても頼まれた人とは違いそうだけど。」

 私は笑顔を崩さず、銀貨を更に3枚出した。もちろん彼女は受け取った。

「見るだけだよ。見たら返す。」

 ね?と首を傾けると、渋々、彼女は懐から小さく折られたメモを取り出し、渡してくれた。

「ありがとう。」

 筒状に丸められたそれを開く。

 メモには、ナイジェルと合流したいという内容と、セスが拠点にしているという2ヶ所、宿場と洞穴について書いてあった。これを読んだらそこで待つように、と。

 最後まで目を通してからガザリにも渡す。

「随分と読み書きが流暢できるようだね。」

「ナイジェルが積極的に子供たちに文字を教えていたようです。おそらくセスも彼から。」

 そしてシノアも、か。

 読み終えた様子のガザリからメモを受け取り、私から女性店員へ返した。

「他に、何か思い出せそうなことはある?」

「もう十分でしょ。営業妨害もいいとこよ。」

 じっと彼女を見つめた。
 知り合いというわけでもなさそうだし、収穫も得たし、この辺で終わりにしておくべきか。

「分かった。ご協力ありがとう。」

 胸に手を当てて頭を下げると、女性店員は口を尖らせてそっぽを向いた。

 もう1度店内を見回す。大声で笑う者たち。ボードゲームで盛り上がっている者たち。何かに憤っている者たち。
 変わらず騒がしい店内に、怪しく浮いた者は見当たらなかった。

 女性店員に背を向け、杖をコツコツと鳴らした。
 
 外に出ると、待機していた6人の兵たちが背筋を伸ばした。
 態度さえ悪くなければ私語くらい別に構わないのだが、ガザリのしつけは厳しいらしい。

「フードを追った者はまだ戻っていないのか。」

「探させますか?」

 気にはなるが、ガザリの班員は実力の秀でた精鋭部隊だ。危険を察知すれば1人で深追いはしないだろう。

「いや、もう少し待とう。それよりも、さっきのメモの場所へ人員を向かわせたい。残りの6人を3人ずつに分けよう。」

「トレシュ様の護衛がいなくなってしまいます。」

「私には君がいてくれたらいいよ。」

 ガザリはブランドンと1位2位を争う実力者だ。ナイジェルにせよ、セスにせよ、敵も少ない。護衛に多くを割く必要はないと思ったが、ガザリは納得しなかった。

 いつも忠実なガザリが、今回ばかりは大きく首を横に振った。

「せめて2人残しましょう。宿場と洞穴には2人ずつ向かわせます。よろしいですか?」

 熱の込められた真摯な視線を向けられたが、すぐには答えず、杖を握る人差し指を一定のリズムで弾ませた。

 本来の目的は、彼らの目標をはっきりとさせる為の外出だった。
 私を狙って来るのか、それともシノアの元に行くか。何日も外出を継続すれば動き出すだろうと。

 私を狙ってくるのなら護衛が少ない方が釣りやすい。が、もし本当にそうなった場合、離れた場所に他の護衛を待機させられない状況で、ガザリに全てを背負わせるのは酷かもしれない。それで怪我をさせてしまっては、私が怪我を負ってしまっては、痛手となってしまう。

 人差し指を止め、「分かった。」と頷き了承した。

 ガザリが素早く6人を3分割し、2人を残してそれぞれの目的地へと向かわせる。

 そうしている間に、ぽつぽつと雨が降ってきた。地面にゆっくりとドットの模様が広がっていく。
 急いで屋根に入る程ではないが、鬱屈としたため息が出た。

「最近、雨が多いな。」

 くすんだ雲に覆われた空を見上げると、自分の心を映しているようで気が滅入る。

「馬車を用意させますか?」

「いや。」

 それでは外へ出てきた意味が無い。

「まだ弱いし、このまま歩こう。」

 頬を緩めてそう言うと、ガザリと2名の兵は機敏に頷き、私の後について来た。

 杖をついている私は、当たり前だが歩行速度が遅い方だ。このペースで進めば、邸に着く頃には日が傾いているだろう。

 歩きながら、全神経を集中させていた。どんな音も聞き逃さないように。どんなに怪しい者も見逃さないように。

 さあ、出て来い、ナイジェル。この都市にいるのなら、護衛の少ない今が狙い目だぞ。
 私を殺したいのだろう。私の元に来い。シノアではなく、私を殺しに来い。

 閑散とした裏通りを抜け、露店の並ぶ開けた道に入ると、途端に騒がしくなった。
 人通りが増えたから、というわけではない。突発的に、何か騒動が起こったのだ。

 咄嗟にガザリが私の前に出る。

 少し離れた場所に煙が立っている。

「確認してきます。」

 後ろの兵の1人が煙の方へ向かう。

 その時だった。後ろから近づいてくる不穏な足音に気がついたのは。なんだなんだと困惑している市民たちとは明らかに違う、真っ直ぐとこちらに向かってくるテンポの速い足音。

「後ろだ!」

 ガザリも護衛の1人も私の声に素早く反応したものの、すぐそこまで来ていたフードの男は難なく1人の護衛を切り捨て、私に次なる刃を振りかざした。


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