左遷先の伯爵様が愛しすぎて帰れません。

daru

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本編

05.ネッサ領

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 絶対に人が乗る用ではないロバ車の荷台は、馬車に比べて直に衝撃を受ける。
 とはいえそのゆったりとした乗り心地は意外にも悪くなく、森林に囲まれた道のせいもあってか、つい気が緩みそうになるほど長閑だ。どこからか聞こえてくる鳥の鳴き声がまた心地よい。

「ハミルトン様、不快感はありませんか?」

「大丈夫だ。いつも後ろばかり見ていたから、前を見て進むのは爽快だ。」

 気分の話ではなく足の状態について尋ねたのだが、木漏れ日を落とした笑顔が燦々と輝いていたので、特に追究はしなかった。
 ただ、足が痺れていても、その痺れる感覚も無いとのことで、この振動だけが気がかりだ。

「集落の道幅が狭いので、ロバをお使いになるのですか?」

「あー、というよりは、こっちの方が風景に馴染むから。」

「え?」

 あ、バカにしてるだろ!と指を差してきたハミルトン様から目を逸らす。
 バカにしているわけではないが、理解に苦しむ非効率的な移動手段だと思った。

「せっかく田舎に来たんだから、田舎らしく暮らしたいじゃないか。」

 そういうものだろうか。よく分からない。

 頭を捻っていると、ハミルトン様が「あれを取ってくれ。」と車椅子を指差した。車椅子の横に取り付けられた、革のポケットに刺さった筒状の紙が目に入る。
 体勢を変え、「こちらでしょうか?」とその筒を指すと、「ああ。」とすぐ頷いたので、それを抜いてハミルトン様に手渡す。

 ハミルトン様がそれを広げると、それが地図であることが分かった。

「しわくちゃですが。」

「今朝、尻に敷いてしまってな。」

 なぜそんなことに。

「ショーンが悪いんだ。」

 恐らくだが、違うと思われる。

 ハミルトン様は気にした様子もなく私との間にそれを置いた。

「山を下るまでに、少し領地について話そうか。」

 どうやらネッサ領全域の地図のようだが、その狭い領域のほとんどが森林もしくは山岳地帯で、村の名前は1つしか書かれていなかった。
 おそらくその村が、城下に当たる今の目的地クック村だろう。

 城に行く前に通ったが、一般的な農村にしては人口が多く、かといって活気も見られない、何ともアンバランスな集落だという印象を受けた。

「この地は殆どが未開の地、というか元々防衛戦線だったが、何百年も前に放置されてから森林に呑まれた土地なんだ。」
 
「だから立派な古城がある割に、住める土地が少ないのですね。」

「そうなんだ。城が捨てられ、人口がどんどん減り、小さな村だけが残った、という流れらしい。俺も聞いた話だが。」

 ハミルトン様は軽く息を吐いて続ける。

「小さい規模の村だから、前は皆が自給自足で事足りてたんだ。むしろ俺も養って貰ってたくらいに。」

 領主は領民に支えられるとはいえ、随分と卑下した言い方だと思ったが、嘘泣きじみた湿らせ声で「じっちゃんばっちゃんたちが野菜くれるんだもん!」と言うので、言葉通り養って貰っていたのだと理解した。
 それにしても四十路の貴族が、もん、という語尾を使うのは如何なものか。

「それが、ここ5年ほどでじわじわと難民たちが集まり出してな。」

「ちょうど戦争が激化した頃ですね。」

「そうだ。最初はまだ良かった。でも、人数が増えるに連れて住居が足りなくなり、食糧が足りなくなり、農地を増やそうにも土地が無く、森を切り開くにも人手が足りず、といった具合に立ち行かなくなってな。」

 ハミルトン様は深いため息を吐いた。

「難民の中に働き手はいないのですか?」

 私が首を傾げると、ハミルトン様は優しく、しかし重みを持たせた声色で、「クリスタル卿。」と一拍置いた。

「徴兵されていない者は、どのような者たちだと思う?」

 はっとした。
 働き手になるような人材であれば、そのほとんどが徴収されて参戦していたはずだ。
 戦争が終わったとはいえ、ここに集まった難民は戦時中に逃げてきた者たち。ともすれば、徴兵を免れる女子供、または負傷人や病人が主ということだ。

 よりにもよって、怪我の後遺症で参戦できなかった彼の前で口に出してしまうとは。

「申し訳ありません。失言でした。」

「そんなことはない。疑問はなんでも口にしてくれた方が良い。」

 ハミルトン様は特に気にしていないようだが、罪悪感がちくりと胸を刺した。

「それに、十分な量とは言えないが、女たちに羊やヤギの毛を織ってもらい、動ける者が隣領の村まで売りに行ったりもしてるんだ。」

「毛織物を売りに出すくらい、家畜が豊富なのですか?」

「いや、やはり土地が足りず、城内の一角で少し増やした程度だ。あまり増やすと、そちらの食糧も不足してしまうしな。」

「とにかく土地が足りないのですね。」

 ハミルトン様は深く頷いた。

「だから卿の騎士隊にはまず……労働者のように扱うようで申し訳ないのだが、土地の確保をお願いしたい。」

「畏まりました。私たちも戦場で土木作業には慣れておりますので、どうぞお気遣いなく。」

 胸に手を当ててそう答えると、ハミルトン様は安堵の笑みを浮かべた。

「伐採した木々は建築資材へ回すのですか?」

「まずはな。木々を伐採して土地を開き、その木材で住居や必要な施設を建て、農地を広げて食糧確保、というサイクルを作りたい。」

 そうしたら、と彼は地図の一点、村から少し離れた地に指先を落とした。

「ここに、城の建築時に使われていた採石場があるんだ。ここも使えるようになるかもしれない。」

「より堅固な村づくりができるわけですね。」

 母上と同じ色の瞳が、やってくれるか?と問いかけてくるように見つめてくる。それを出来うる限り強い眼差しで返した。

 土地の開拓から始めるのだ。
 私たちの騎士隊は100名のみ。
 気が遠くなる話だが、時間はあるし、シューリス家の力を借りれば、それらの作業が軌道に乗るまでに飢えることもないだろう。
 やってやる。その決意と同じ固さで拳を握った。

「本当は俺が狩の1つでもできれば良かったんだけどな。」

 自嘲気味にそう呟いたハミルトン様に、「それは違います。」と即座に割り込んだ。

「異国の言葉ではありますが、飢えている人には魚を与えるか、釣り方を教えるか、という言葉があります。ハミルトン様が狩をできたとしても、村人たちに獲物を与えるだけでは、根本的な解決にはなりません。」

 驚いた顔をしたハミルトン様に、さらに続けた。

「長期的に見て、村として自立できる環境を作ろうとなさる御判断こそ、正しいと思います。」

 優しい森の香りのする軟風が私たちの間を通り過ぎ、白金色の髪がふわりと舞った。
 彼の太陽のような存在感は、一体どこから来るのだろうか。これが英雄というものなのだろうか。彼の僅かな表情の変化に、仕草の一つ一つに、どうしようもなく目を奪われる。

「こ……肯定するならもっとはっきりしてくれ!非難されるかと思っただろ!」

「な、わ、私がハミルトン様を非難するはずがありません!」

「だったらもっとはっきり褒めてくれ!俺は約15年間、貴族社会から離れているんだ。熟れたトマトと同じくらい優しく扱ってくれ!」

「ト、マト……?」

 思わず吹き出しそうになったのを、咄嗟に手で口を抑え、俯いて隠した。
 自分をトマトに例える貴族など見たことがない。花でも果物でも、もっと稀少価値のある物があったはずなのに、よりにもよってトマトとは。

「ど、努力、致します。」

 声の震えはどうにもできなかった。このロバ車の振動のせいにできないだろうか。
 懸命に言い訳を考えていたが、先に笑ったのはハミルトン様だった。

 また笑顔を輝かせながら、困ったように眉尻を下げ、俯く私の頭に手を置いた。

「笑いたい時は笑ったらどうだ。真顔でいられるよりずっと良い。」

 初めてそんなことを言われた。

 騎士たる者、如何なる場合も心を乱さず、冷静でいるようにと心がけてきた。自我を表に出さず、忠実に命令を遂行することで忠誠心を体現してきたつもりだった。
 しかしこの方は、表情を崩せと言う。

「それでは失礼に当たります。」

 私の返答に、ハミルトン様は目を丸くした後、更に可笑しそうに笑い声を上げた。

「はははは!割とずけずけ言うくせに、何を今更。」

「え。」

 顔を引きつらせてしまったのが、自分でも分かった。

「わ、私は、何か失礼を……?」

 初めに、用意された部屋を断ったこと?それとも必要ないと言われながらも、勝手に車椅子から降ろしたこと?もしかして、出発前にダンが言った、車椅子をロバに引っ張ってもらうという冗談が聞こえていたのだろうか。

「いや、何も。むしろ小気味が良いからそのままでいてくれ。」

 軽快にそう言われたが、その後、村についてからも気になって仕方がなかった。
 騎士としての振る舞いは父を手本にし、努力してきた。その点は父にも兄にも注意されたこともない。
 あまり省みたことが無かったが、少し気を付けた方が良いのかもしれない。

 村人たちと気軽に挨拶を交わすハミルトン様を見ると、彼が気さくで身分も態度も重視していない事が分かる。
 しかし私は騎士で、今は彼があるじなのだ。礼節を尽くすのは当然のことだが、今一度、心の中に留意した。

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