左遷先の伯爵様が愛しすぎて帰れません。

daru

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本編

08.失った日

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  しとしとと小雨が鎧を濡らし、束を作る前髪から落ちた雫が何度も顔を撫でて行く。それが鬱陶しく首を横に振ると、後ろの高い位置で一つに結んだ髪も一緒に揺れた。

 ぬかるむ山道を進む足音、鎧同士がぶつかる金属音、馬が鼻を鳴らす音。
 行軍は順調だ。それなのに胸がざわつくのは、森の静けさのせいか、それとも湿った土の匂いのせいだろうか。

 馬の歩調を前を行く父に合わせ、黒いマントを靡かせる威厳のある背を見つめながら、兄を思い浮かべた。大人になった兄の上背は父を越え、先発部隊の長を任せられるほど逞しく、頼りにされている。
 庶子である私にも偏見無く接してくれるお兄様。何事もなく作戦通りに進んでいればいいが。

 途端、何重もの銃声が聞こえたかと思うと、隊列のあちこちから悲鳴が上がった。

「敵襲だあああ!!」

 敵襲、敵襲、とあちこちで声が上がり、森の中から武装した伏兵が現れた。

 誕生日に父から授かった長剣を抜き、「敵襲!」と後続を振り返ると、すぐ後ろの兵が銃に打たれ、落馬した。
 この狭い山道で馬に乗っていたら良い的になってしまう。かと言って後列の兵糧を置いて走り抜けるわけにもいかない。

 蹴散らしてやる!

「応戦します!」

 父にそう言い残し、伏兵が蟻のように現れる木々の中へ駆けた。
 右に左に長剣を振り回し、銃弾をどうにか躱して、敵を次から次へと薙ぎ倒して行く。

 敵兵の悲鳴と血を浴びながら進んでいくと、先に、じっと小銃を構える敵兵が見えた。その銃口はこちらを向いていない。
 構える先を目で追うと、兵糧を乗せた荷馬車を背に、馬を駆けながら剣を振るう勇猛な父の姿が見えた。
 他の騎士や兵士たちとは装備からして違うのだ。一目で将であることが分かる。
 直感した。あの銃兵は父を狙っている。

 周囲の蟻共を全速力で薙ぎ払い、鞍に付けていたホルダーからピストルを抜き、照準を父を狙う銃兵に合わせた。

 剣はともかく、銃はあまり得意ではない。しかしこの距離を走っては間に合わない。
 神に祈る一心で、引き金を引いた。

 銃声。

 離れた位置から聞こえる馬の悲鳴。

 手ごたえの無い右手。

 父を見れば、父の愛馬が倒れ、父自身も地に横たわっていた。

 父の周囲の騎士たちが父を庇うように戦っているのを確認し、私は他の者には目もくれず、父の馬を撃った銃兵の元へ駆けた。

 私の銃は不発だったのだ。雨のせいもあるだろう。こんな時に。よりにもよって。

「あああああああああ!」

 雄叫びを上げると銃兵はようやくこちらに気がつき、急いで別のピストルを取り出した。銃兵が放った銃弾が頬を掠めたが私は止まらず、こちらに銃を向けていた腕を自慢の長剣で薙ぎ払い、怯えた目をした銃兵の首を切り落とした。

「父上。」

 急ぎその場を離れ、今度は父の元へ向かう。

 父は一人の騎士に抱えられ、荷馬車の後方へ避難していた。

 荷馬車の周りに群がる敵兵を薙ぎ払いながら道を開いた。
 馬を降り、側近に頭を抱えられた父に駆け寄る。

「父上!」

「クリスタル。」

 名を呼ばれ、少し安堵した。意識はあるらしい。

「お怪我をされたのですか?!」

「大したことはない。」

 苦痛にゆがむ表情で強がりだと分かる。だがそれを暴くまでもなく、側近が口を挟んだ。

「足の骨が折れています。急いで固定しますので、どうか閣下を安全な場までお連れしてください。」

「分かった。」

「いや、待て。」

 クリスタル、と父が真っ直ぐに私を見つめる。私と同じ薄灰色の瞳から、強い意思を感じた。

「敵はどれくらいいる?」

「多いです。ざっと1000人。森の中にはもっといるかもしれません。」

 あちこちから聞こえる銃声と金属音に、拳に力が入った。
 数だけなら3000騎従えていたこちらの方が分があるが、不意打ちを食らった上に、地形、天候、おまけに守るべき兵糧、明らかに不利だ。

「クリスタル、お前だけ行け。」

 耳を疑った。

「父上、何を……。」

「アーチボルドの先行部隊と合流し、このことを知らせるのだ。」

「父上を置いては行けません!」

「私は何とかしてみる。指揮官が部下と大事な兵糧を置いて逃げ出せるか。」

「では私も戦います!」

「クリスタル!」

 父は怒号を上げたかと思うと、震える手で私の顔に手を伸ばし、頬を撫でた。ピリリと痛み、銃弾がかすったことを思い出した。

「クリスタル・カッソニア。」

「はい、父上。」

「これは大事な任務だ。お前はこの事実をアーチボルドに伝えに行くのだ。カッソニア家を継ぐのはあの子だ。家門の為に、何があってもあの子を護れ。」

「ですが……。」

「早く行け!」

 父上はもう決断なさったのだ。私が何を言おうと意見が変わることはないだろう。

 先ほど私の頬を撫でてくれた父の手を取り、祈るようにそこに額を置いた。

「父上、どうか……どうか御無事で。」

「お前も。」

 顔を上げ、しっかりと目を合わせてから、私は立ち上がった。
 素早く馬に跨り、「援軍が来るまで持ちこたえよ!」と鼓舞し、駆ける。

「伝令だ!追え!」

 敵将の声だろうか。さっそく5名ほど追手が付けられた。

 全速力で戦場を駆けてゆく。

 敵味方の混ざった遺体を障害物として利用しながら、1人ずつ追いつかせて処理していく。
 追手全員を始末できた時、戦場はとっくに抜けていた。

 肩を上下させながら後ろを振り返った。

 味方の志気を維持するために援軍などと言ってはきたが、絶望的だろう。私が伝令として向かったところで、援軍が来るまで持ちこたえるなど容易ではない。既に決着がついていると考える方が自然だ。

 父の無事を祈ったが、それも望みが薄い事は分かっていた。だからこそ父も、兄を護るようにと言づけたに違いない。
 喉がひりひりと乾く。雨か涙か分からないぐしゃぐしゃの顔を手の甲で拭った。
 
 その時、突如として爆発音が鳴った。
 先ほどまでいた戦場の方だった。


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