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第二話 袋路の魔鏡館
①
しおりを挟む「うぇえええ……」
車に揺られること約二時間。
所長の運転は思ったより荒っぽくなかったけれど、車内で慣れない読書をしたものだからすっかり酔ってしまった。
「おーい朝くん、大丈夫か?」
「す、すいません……」
道中、立ち寄ったサービスエリアのベンチでくたばっていたら所長がペットボトルの水を買ってきてくれた。
「ちょっと刺激が強かったかな~?」
「いえ、そんなことは……」
貸してもらった本に、難解なことは書かれていなかった。
単純な言葉で単純なことが記されているだけなのに……全く頭に入ってこない。
日本人が中国語を読んでいるような感覚……と言ったら伝わるだろうか。
文字は読めるけど、内容が分からない。
守護霊がどうとか、あがるとかおちるとか、上層世界とか輪廻転生とか、悪霊とか幽霊とか神霊とかケガレや忌み地、霊道、動物霊に低級霊に野良神様や古神社、アカシックレコードやエーテルなどなど……。
今まで、幽霊や見えない世界のことについて全く理解を示していなかったから、土台がないのだ。
しかも、どの本からも所長が吸っている煙草の臭いが染み付いていて、余計に車酔いに拍車をかけてしまった。
「どうだ? ちょっとは分かったか?」
「ええと……」
正直、よく分からない。
いや、全く分からない。
「ちょっとだけ……」
こういう時、嘘をついてしまうのが僕の悪い癖だ。
所長は僕のひきつり笑いを見て「ふーん」となにかを察したような表情をして隣に座った。
「なぁ、強くなりたいか?」
「は、はい! そりゃあもう!」
「よっし、それならまずは……どんどん取り憑かれよっか?」
「は?」
自分の耳を疑う。
まだ『取り憑かれる』という単語が日常会話の中に紛れていることに慣れない。
「どんな格闘技だって、一番最初は受け身のやり方から学んで行くものだろ?」
「か、格闘技はそうかもしれませんけど……っ!」
「本当に正しいことは、万物に通じるんだぜ~?」
「だ、だからといって……!」
所長は時々、嘘か本当か分からないことを真顔で言うから困る。
ただでさえ、人の顔色を伺うのは苦手なのに……!
「大丈夫大丈夫、俺がきっちり教えてやるから!」
「取り憑かれ方を、でしょ!?」
「それが大事なんじゃん」
「大体、取り憑かれたらどうなるのかさえ分かんないんですが……!!」
「取り憑かれたら? そんなん、歪んで爛れて廃れて萎れて塞いで……まぁ、分かりやすく言うと人間らしさを失うってことかな。取り憑かれるってことは、この世から引き剥がされるってことだから」
想像するだけでも恐ろしい。
でも、今まで取り憑かれていたらしい僕の日々を思い返せば……その辛さは理解できる。
「ぼ、僕は取り憑かれない方法を教えて欲しいんですけど……」
「何事も近道なんてないのさ。急いては事を仕損じる、急がばまわれ、万里は一日にしてならず……」
「そ、それっぽい単語を並べて誤魔化さないでください!」
つい、言葉を荒げてしまったら所長がまたクシャと顔全体で笑ってなにもない大空に向けて両手を広げた。
「いいか? 基本的に除霊や防霊は自分の行動ありきだ! その場しのぎで払っても、性根が変わらないままだったらすぐにまた元通りだぞ!」
「そ、それは……そうですけど」
「まずは基本のキからだな」
人目を集めそうなポーズをやめた所長は、スーツのポケットから三角形の包みを取り出した。
事務所にいる時はだらしのない格好だったのに、車に積んであったのか今はパリッとしたスーツ姿だ。髪の毛もキッチリ撫でつけられて、いかにもできる営業マンといった出で立ち。
……見た目って、やっぱり大事なんだな。
次の休みには、散髪して靴を磨こう。
「ホイ、これもあげる」
手渡された包みを広げると、中には白い粉が入っていた。
「これは……?」
僕の右手には、所長にもらった水。左手には、所長にもらった怪しげな白い粉。
「怪しいもんじゃないよ。ただの塩。それを、利き手の人差し指と親指でひとつまみして舌に乗せた後、そのペットボトルの水を飲むんだ」
「は、はい……」
しょっぱい。
塩単品で味わうなんて初めてだ。
ダイレクトな刺激に眉を顰めつつ、言われるがままペットボトルに口をつける。
「………」
「それ、全部飲むまでペットボトル離しちゃダメだぞ」
マジですか。
500ml一気飲みとか辛いんですけど……!
「………」
「おーおー、すごいすごい! あと少し! 頑張れ!!」
所長の励ましを受けて、なんとか飲み干した。
「ブハッ……ハァ、ハァ……」
「すげぇな、別に一気飲みしなくてもよかったのに」
「へっ!?」
「『ペットボトルから』手を離しちゃいけないんであって、『飲み口から』口を離しちゃいけないってことじゃないからな。人の話はよく聞くことだぜ」
「………」
いたずらっ子のような理屈だ。
「睨むなって~。朝くんって、従順そうに見えて時々イヤーな目つきするよね」
「すっ、すいませ……」
「ああ、だから謝らなくていいんだって。俺はキミのそんなところも個性だって思ってるからな!」
所長は陽気に僕の背中を叩く。
一気に水分を摂った後はそういうことは控えて欲しいけど……所長は気さくだし、幽霊とかそんな単語を口にしなければ良い上司なんだと思う。
「さっきやってもらったのは、簡易的な結界の張り方なんだ」
「結界?」
「そう。元々、塩には清めの力があると信じられているだろ? その刺激と、冷たい水を一緒に摂取することで自分の体内を清浄に保つんだ」
「それは、また気の持ちようとかそういう話……ですか?」
「いいや? これは本物。でも、効果は六時間だから気をつけて。水の量は冷水でコップに七分目以上な。飲み干すまで入れ物から手を離さないこと」
条件が多い。
これは本当のことなのだろうか。
単に冷たい水を飲んだせいなのか、結界のおかげなのかはハッキリしないけど、なんとなくお腹の底に何かが溜まってちょっと落ち着いたような気がする。
「よしっ! じゃあ行くぜ」
「はい……。あの、休憩ありがとうございました。お水のお金、払います」
「いいよ、そんなん。キミはこれから、もっと別のモンを祓ってもらうんだから」
僕の言う「はらう」と所長の言う「はらう」はたぶん違うんだということは、なんとなく感じることができたけど、その真意はやっぱり分からないまま僕は件の袋地へと近づくため再び車に乗り込んだ。
『袋地』とは、その名の通り閉じこめられた土地のことだ。
別名、無道路地や盲地、旗竿地、敷延などと呼ばれる。
他の土地に囲まれて、なにもしなければ道路に出られないような場所を指す。
道路に出られないままじゃ接道義務を果たせないので、建物を建てることができない。この義務のために、民法210条が定められている。
『他の土地に囲まれて公道に通じない土地の所有者は、公道に至るため、その土地を囲んでいる他の土地を通行することができる』
だから、袋小路にあるからと言って売れないわけでも建物が造れないわけでもない。でも、きれいに形の整って道路に面している整形地と比べると、どうしても歪な形の不整形地は不人気になってしまう。
そのぶん、値段を控えて販売するから需要はそこそこあるのだけれど、やっぱり周りが建物に囲まれているから日当たりが悪かったり、狭い道を通らないと家にたどり着けないから不便だったり、駐車スペースの確保が難しかったり、命綱である通路部分について近隣住民とトラブルになったり、土地を売却することが難しかったり……苦労は多い。
そもそも、なんで袋地ができてしまうのかというと、それは売る側の都合なのだ。
売りやすい、手頃な広さの土地からどんどん売った結果、最後に歪な形の袋地が残ってしまうというパターン。
だけど土地というものは、いきなりその場に現れたわけじゃない。
長年の歴史があって、血脈の縁があって、名義人が設定されている。
いかに扱いにくい土地と言っても、持ち主・建て主にとっては大切なのだ。
不動産関係の仕事は色々と良くない噂があるし、それは実際本当なんだけど(大きな額が動くから)……お金の問題だけじゃない、人間の想いがにじみ出る瞬間がある。
そんな時、僕はこの仕事を選んで良かったと思うんだ。
「……ここ、ですか」
問題の物件は、大きな駅から徒歩十分という理想的な立地条件の場所にあった。
物件の周囲には真新しいマンションと古い一戸建てが混在しているけれど、新しい建物のほうがやや多い印象だ。よく見ると、残された一戸建ても荒れ果てていたり取り壊し準備が進んでいたりするから、近い未来にこの辺りの雰囲気はガラッと変わるだろう。
所長が言うような『無特記物件』なんてどこにも見あたらない。
確信を持って歩く所長の後についていたら、いきなり周囲の町並みにそぐわない雑草地帯が飛び出してきた。
「番場ちゃ~ん!」
その草むらの前に、ストライプのパンツスーツを身につけた長身の女性が立っていた。長い黒髪を綺麗に結い上げて、露わになった首筋に見惚れてしまいそうになる。
女性の年齢は分からないけれど、たぶん僕より十歳は年上だと思う。それなのに、不思議な魅力だ……。
「ああ、里見くん。お久しぶりね」
番場ちゃん、と呼ばれた女性は所長を見てイヤそうな顔をしつつも丁寧に頭を下げた。
「そちらの方は?」
「朝飯前くんだよ」
新参者である僕に視線が注がれる。
「あっ、本日より遺志留支店に配属されました! 朝前夕斗と申しますっ!」
所長の前ではできなかった、出きる限り元気のいい挨拶をする。新人ができることなんて、特に今の僕には元気よくすることしか……いや、こんな窶れた姿じゃそれすらもあやしいけど。
「そういうこと」
「へぇ……新人さん。珍しいわね、こんな時期に」
「なーんか色々あるんだって。まっ、ウチは番場ちゃんの水和不動産みたいにホワイティじゃないからさっ!」
「それは関係ないでしょう。個人の問題です。本気でそう思うのなら、私のところに来ればいいと毎回言っているのに、いつもそうやって斜に構えて……困ったものね」
「そうだなぁ、本当だなぁ~」
「最近音信不通で、多少心配していたのに……いらぬ世話だったみたいね。……朝前さん、ご挨拶遅れました。私は番場怜子です。水和不動産の課長をしております。グッドバイさんにはいつもお世話になっております」
所長へのちょっとした軽蔑の表情をガラリと変えて、番場さんはニッコリと微笑む。
正面で見ると、番場さんはやっぱり美人だった。それに、水和不動産と言えば不動産関係者でなくても一度は名前を聞いたことのある一流企業だ。正直、我らがグッドバイとは比べ物にならない……。
「あ、はい……。よろしく、お願いしま……」
微笑んだ表情のまま、番場さんは僕との距離を詰めた。
「えっ……!?」
至近距離で見ても、染みひとつない白い肌に気圧されてしまう。
「な、なん、でしょうか……」
「ちょっと里見くん、この子、本当に連れてくの?」
「もちろん! 理想的な人材でしょ?」
「そうねぇ………確かに。でも」
「ちゃんとさっき、結界張ったから大丈夫だって!」
番場さんの前で『結界』なんて単語を使うということは、番場さんも霊とかそういうものに精通しているのだろうか。
「……本気? この強度で?」
「……え?」
ダメなんですか?
さっきの塩舐め水飲みじゃ……?
「だって、朝くんはまだハジメテだから」
「そう……じゃ、仕方ないわね」
仕方ない、のか?
聞きたいことは色々あるのに、変なことを聞いて心証を悪くしてしまうのが怖くて愛想笑いしかできない。
「……朝前さんは、無自覚に憑かれやすい体質みたいね。私にも霊感があるのよ」
僕の何か言いたげな表情を察してくれたのか、番場さんが説明してくれた。
「そうなんですか!」
ええい、もう驚くまい。
「でも、霊感と一口に言っても色々種類があるの。音が聞こえるだけだったり、匂いが分かるだけだったり、話ができたり呼び寄せることができたり、祓ったり浄化したり使役したりできる人もいる。人それぞれだし、ちょっとしたきっかけで増幅したり減少したりね。万能じゃないの。私に除霊はできないわ」
霊感を持っているなら、僕の除霊をお願いしようと思っていたのに先回りされてしまった……。
「昔はできたんだけど、出産してからは子供のほうにいっちゃったの」
「やっぱり、成長すると薄まるよなぁ」
「里見くんのソレは、ちょっと違うでしょ」
「いやいや、一緒だって。俺はただ、子供でいられなくなったってだけ」
「お子さん、いるんですか……」
年齢的にいてもおかしくないけれど、若く見えるからちょっと驚く。
「ええ。もうすぐ小学生なの。ガシャガシャ? ガチャガチャ? って言うのかしら。それが好きでね。お土産によく買って帰るのよ」
番場さんはスーツのポケットから丸いプラスチックボールを取り出した。
「これ、買ったはいいけどすっかり忘れてて……開かなくなったんだけど朝前さん分かる?」
「あ、はい……」
懐かしい。
昔とはちょっとだけ開け方が違うけど、引っかかっている部分を押すと簡単に開いた。
「どうぞ」
「ありがとう! あ、でもこれ……あの子持ってるわ。もらってくれる?」
ガチャガチャの中身は、子供向けの玩具だった。
小さな装置の真ん中にボタンがついていて、押すと人気ゲームの効果音やキャラクターの笑い声が出る仕掛けとなっている。
「はい……」
欲しいわけではないけれど、渡されるままダブりの景品を鞄の中にしまった。
「じゃ、そろそろ行こうぜ」
「待ちなさい。どうしてロクな説明もしないまま行こうとするの」
「だって、グダグダ話すより実際に見た方が早いだろ?」
「そうかもしれないけど……朝前さんはどこまで知ってるの?」
僕は正直に、袋路にあるということと、物件が『魔鏡の館』と呼ばれていることしか知らないと伝えた。
「はぁ……。あのね、ここは現在水和不動産で管理してるの。この辺りの土地は元々、『魔鏡の館』の主である資産家のものだったんだけど、次第に資金難になって、庭の一部を切り売りしていたら……結果的に袋路になってしまったというわけ」
「そうなんですか……。でも、なんで魔鏡?」
「館の持ち主は経営難の理由を魔物に取り憑かれたからだと考えて、魔除けのために鏡をコレクションしはじめたと聞いてるわ。鏡っていうのは、そもそも魔を返す力を持っているけど……同時に置き位置や扱いが良くないと余計なものを呼ぶことになるのよ」
「余計なもの、ですか」
なんだろう?
とにかくもう、イヤな予感しかしない……。
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