霊感不動産・グッドバイの無特記物件怪奇レポート

竹原 穂

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第二話 袋路の魔鏡館

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「里見くん、ちゃんと対策してこなかったの?」

 番場さんは僕の腕を掴んだまま、所長の顔をのぞき込む。僕からは所長の表情は見えない。

「いやぁ、途中で朝くん来ちゃったから中途半端だったかもなぁ……」
「ぼっ、僕ですか?」

 僕が来たせいで、中断されたことといえば……なんだろう?
 掃除かな? いや、それよりもっと……。

「まさか……」

 事務所に足を踏み入れた時から聞こえていた、不気味な呻き声(後に喘ぎ声と知る)を思い出す。

「あと少しでイケそうだったんだけど……」
「ちょ、ちょっと! 女性の前でそんな!」

 ほっといたらどこまでも喋りそうな所長の口をふさぐため、番場さんの制止を振り切って所長の正面に回る。

「いやいや、これには根拠があるんだぜ? 人をそんな、発情期の猿みたく見境ない男扱いしないでよ……」

 相変わらずの軽口だったけど、所長の目は真っ赤に充血していた。

「そ、その目……一体どうしたんですか?」
「これ? さぁ、知らないよ」
「い、痛くないんですか……?」
「死ぬほど痛い。歩けないほど痛い」
「だけど、掻いたりしないほうが良いわよ。止まらなくなるから」
「分かってるって」

 薄暗くてよく分からなかったけど、目が慣れてくると所長が瞬きする度に赤い涙がポロポロ流れ出ていることに気がついた。額には脂汗が滲んでいる。

「しょ、所長……!」

 助けを求めるように番場さんを見るけれど、彼女は冷めた様子でいつの間にか用意していた手元のボードに何かを記入し始めた。

「ほとんど霊感のなくなった里見くんでもコレなんだから、一般の人は当分入れないわね」
「番場さん! な、なんとかしてくれませんか!?」
「え? だってこれが仕事だから。今だって、結界張ってなかったら朝前さんがこうなってたのよ? 調査っていうのは、いろんなサンプルを取らないと意味が無いじゃない」
「そういうことだよ。だから、気にすんな!」
「で、でも……」

 そう言われても、目の前で苦しんでいる姿を見ては放っておけない。
 ……ん? でも待てよ……。
 これが調査ってことは、僕もいずれこうなるってことか……?

「はぁ……でも、ちょっとしんどいわ。こりゃ、買い手がつかないわけだぜ」

 とうとう膝を折って座り込んでしまった部長は、ポケットからスマホを取り出した。

「俺、ここで休んでから行くから。二人で床の間見てきて」
「はいはい。イヤホンするのよ」
「えっ、あ、あの……」

 崩れ落ちた所長を見捨てて、スタスタと先を急ぐ番場さん。
 僕は一体どっちについて行けばいいのか分からなくて、二人の姿を交互に追う。

「キミは……番場ちゃんと行け」
「でも……」
「番場ちゃんは俺なんかよりも優秀で立派だ。学ぶこともたくさんある。それとも、俺のオススメが気になるのか?」
「えっ?」

 所長が目の前に掲げたスマホには、某有名有料AVサイトのタイトルがズラリと並んでいた。

「へっ!?」
「俺はねぇ、上中島かみちゅうじまこずえちゃんが好みかな。最近だと真鍋しんなべカノミちゃんも捨てがたい……」
「こっ、こんな時になにを考えているんですか!?」
「こんな時、だからだよ」

 ふぅ、とため息を吐き出して所長は続ける。

「幽霊が一番好きなのは、なんだと思う?」
「きょ、恐怖心……とかでしょうか」
「グッド。じゃあ、その感情を上から塗り替えれば良い。霊体にとって、一番縁遠い感情ってなんだと思う?」
「な、なんでしょう……」
「一言で表現するなら、性欲かな。性的衝動」
「せっ……!?」
「人間の三大欲求、睡眠・食欲・性欲。これは生きている人間のものだからな。でも、幽霊に襲われているときに急に眠ったり、飯食ったりはできないだろ? 性欲に訴えかけるのが、一番有効なんだ」

 本気で言っているのだろうか。
 でも、所長に教えてもらった方法で、今、自分自身の体調は悪くなっていない。あのやり方は正しかったらしい。
 それなら、この一見荒唐無稽な方法も効果があるのかもしれない。

「色情霊だとあんま意味ないけどね。昔から、セックス中に幽霊に襲われるってあんまり聞かないじゃん? 大体、幽霊が出たら中断して恐怖に変わるでしょ。ホラー映画だってよくカップル出てくるけど、幽霊そっちのけでイチャイチャしたりしないしさ」
「それは……そうかもしれないですけど!」
「あんまり霊力のない俺にとっては、これが一番手っ取り早いんだ。さすがに見られて興奮する趣味はないから……そういう意味でも、番場ちゃんのところに行ってくれたほうが助かるんだけどな?」

 所長は意味ありげにウインクした。
 スマホにAVサイトを表示した辺りから血の涙は治まっている。
 充血はまだ十分あるけれど、さっきより辛くはなさそうだ。
 なるほど、これは別にサボり行為なんかではなくて業務の一環なのかもしれない。
 でもこれからなにが起こるのかと想像すると、気まずさと恥ずかしさでちょっと顔が赤くなってしまった。

「わっ、わかりました! 音量おんりょうには気をつけてくださいね!」
怨霊おんりょう?」
「そっちの意味じゃないです!」
「わかってるって。朝くんも、結界切れたら試してみろよ」

 果たして、いざソレが必要な時になったらそういう気分になれるのだろうか。
 そもそも、思い至らない気がする。
 怖い時って、本当にそれだけしか考えられないからなぁ……。
 でも、だから気持ちを逸らすってことは有効なのかもしれない。

「お、覚えておきます……」

 頭の片隅に置いて、僕は番場さんを追った。
 所長は静かにスマホの画面を見始める。
 事務所の時のように音漏れしてこないので、今度はきっちり怨霊おんりょう……じゃなくて音量おんりょう調整しているのだろう。



 番場さんに追いついた頃には、彼女はもう床の間にたどり着いていた。

「朝前さん、遅かったですね」
「す、すいません……」
「また、里見くんの無駄話につき合わされていたんでしょう?」
「無駄だなんて、そんなことは……」

 館の鏡はホールの姿見をはじめどれも割れているかヒビが入っているのに、床の間に飾られている大きな鏡だけはどこも欠けずに僕たちを待っていた。
 完璧な真円と、周りに施された豪華な細工。
 薄暗い室内の中で、何故かその大鏡の前だけは明るく感じられる。
 僕たちの姿を映しだした鏡は、静かに暗闇を飲み込んでいた。

「これが……元凶なんでしょうか」

 鏡越しに見ると、改めて自分がどれだけ怯えた顔をしているのかが分かって辛い。

「どうかしら。割れてないのは、ただ単に奥にあるから難を逃れただけかもしれないわ」
「難って?」
「そうね……。話をする前に、ちょっと良い? 話すと寄ってくるから」

 鏡の中で、不意に炎が揺れた。
 驚いて隣に立っていた番場さんを見ると、彼女がライターの火を点けたところだった。「吸わないんだけど、煙だけ」と前置きしてポケットから煙草を取り出してライターに近づける。
 すぐに、ちょっとメンソールの入った煙草の煙が舞い上がった。番場さんは煙が行き渡るように、煙草を持つ手をゆっくりグルグルと八の字に回す。

「煙草の煙って、魔除けになるんですか?」

 普段は吸わないらしいけれど、番場さんが煙草を持っているのは、パンツスーツに凛々しい顔立ちも相まってとてもよく似合っていた。

「なる時もあるし、ならない時もあるわ。例えば、廃墟でお線香の匂いがしたら怖いでしょ?」
「そりゃあ……」
「でも、お葬式やお墓参りの後に備えるお線香にイヤな気分はしないわよね?」
「そう、ですね……、むしろ、ちょっと清らかなものだとさえ思います」

 まるで幼い子供に知識を教えるように、番場さんは僕に細かく質問しつつ丁寧に話を進める。

「要は時と場合なの。適材適所。お線香の匂いだって魔除けにはなるけれど、同時に死者を引きつける場合もある。それと同じで、煙草を嫌う霊もいれば好きで寄ってくる霊もいる」
「じゃ、じゃあ今その煙草は……!」
「ここにいるのは、煙草を嫌うタイプだから別にいいのよ」
「幽霊にも、好みってあるんですね……」
「煙草の煙は、生きていた頃をイメージさせるでしょ? 楽しい人生を送ってこなかった幽霊たちは、煙草が嫌いなの。天寿を全うした大往生の好々爺とかなら煙草に寄ってくるでしょうけど、ここにはいないし。逆に、お線香は死のイメージだから、うまく使えば癒せるけど、死者の側に引きずられるからオススメしないわ」
「へぇ、なるほど……」

 幽霊を信じていないわけではなかったけれど、ここまで強制的に色々見せられては、素直に聞き入れて頷くことしかできない。

「人間だって、体のつくりは同じなのにみんな性格が全然違うでしょ。死ぬ前までは多様性を声高に訴えていたのに、どうして死んだ途端に皆一緒だと思うのかしら?」

 番場さんの少し突き放したような言い方は、どこか所長に似ていた。
 ただの仕事仲間にしては、天下の水和すいわ不動産と我らがグッドバイなんて同じ土俵にもたてないし、会話の端々に昔からの知り合いであるという情報が見え隠れしている。
 でも、初対面で立ちいったことを聞いてしまっても大丈夫だろうか……なんて悩んでいたら、また聞く機会を逃してしまった。

「それで……『難』って言うのはね、この館にまつわる話なの。ここが、没落した資産家の家だってことは知っているわよね?」
「はい……」
「詳しい名前は伏せるけど、ここの持ち主はとても奔放で自由だったみたい。その分、アタリは大きいけれどハズレも大きかった。リゾート開発から金融、教育、司法、警察、果ては犯罪じみた売春まで。様々な事業や金儲けに手を出して、人から恨みを買って、そして至る所で隠し子をもった」
「隠し子?」

 なんだかイヤな方向になってきた。

「そう。鏡を集め出したのはこの頃ね。始末の悪いことに、多少霊感の心得があった当主は自分に負の感情が集まっているのを感じたの。その『浄化』だと称して、まぁ自由奔放に手当たり次第ってこと」
「さっき所長も言ってましたけど……本当にソレが浄化になるんですか?」
「それもまた、適材適所ね。自分を正当化するための『浄化』は意味をなさないわ。それに、性的衝動やセックスそのものが魔除けになるわけじゃない。あくまでも一時避難なの。それ以外にも、恐怖を忘れて一瞬で夢中になれるものがあれば、いいんだけどね」

 僕が気を使ってソレ、と証言したのに番場さんはなんてことないことのように言ってのけるから、恥ずかしがっているコッチがおかしいのかもしれないという錯覚に陥ってしまう。

「各地から鏡を蒐集しはじめた彼は、どこかで自分の子供が産まれたと聞く度に鏡を増やしていったらしいわ」
「えっ? ……と、言うことは……」

 室内をぐるりと見渡す。
 床の間に飾られた大きな鏡の他にも、至る所に鏡がブラ下がっている。
 まさか、これ……全部?
 そんなことがあり得るのだろうか?
 ゾッする思いで割れた鏡たちを数えようとする。

「ああ、数えても無駄よ。ただの噂だし、晩年には幻聴や幻覚もあったみたいだから。さすがに、ここにある鏡の数イコール彼の隠し子ってワケじゃないわ」
「そ、そうですね……」
「そうね、せいぜい三分の一くらいかしら」

 三分の一であったとしても、すごい数だ……。

「当主がなくなった後のお葬式の場で開催された親族会議は、荒れに荒れたらしいわ。次から次へと自称娘や自称息子、自称孫まで現れたみたいだし」
「だけど、最後は没落していったんでしょう? それなら……」
「元々の数が大きいと、没落したとてある程度残るのよ。私たちみたいな庶民からしたらとんでもない額の『ある程度』がね」
「……じゃあ、その会議の場でこの屋敷はこんな有様になったんですね」
「そういうこと。骨肉の争い……とまではいかないけれど、誰かが誰かの出生の証である鏡を割ったのね。そしたら、みんなそれぞれ自分の鏡を割った相手の鏡を割り出して、事態は泥沼……みたいな」
「会議の時って、みなさんもう立派な大人ですよね? 鏡を割られることが、そんなにイヤだったんでしょうか……」

 たかだか鏡じゃないか……なんて思ったら、ここにいるであろう皆さんに怒られるだろうか。執拗に入念に飾られ、そして割られている鏡は最初は畏怖の対象だったけれど、見慣れてくるとちょっと滑稽にすら感じられる。
 まるで、映画のセットみたいだ。

「そりゃあ、朝前さんも誰かの子供なら分かるでしょ?」
「えっ?」

 至極当たり前のことのように、番場さんがきっちり結い上げた黒髪を撫でながら言う。


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