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第三話 特定街区の飛び降り団地
①
しおりを挟む「高い……」
目の前に広がるのは、近代的な高層ビルの数々に建築途中のクレーン、縦横無尽にのびる道路、申し訳程度の緑。忙しなく動く人影と、悠然と静かに佇む青い海。そして、不自然に凹んだ穴。
いかにも栄えた港町らしい風景に目を奪われてしまうけれど、内心は鳥肌が立っている。なぜなら、僕が立っている場所はとあるビルの高層階。
高所恐怖症ではないのに、下半身が縮こまるような感覚を覚えた。ダメだと思うほど目線は下に向かってしまう。
普段ならこんな場所、縁がないのだけれど……。
「朝前さん」
通された応接室の扉を開けたのは、以前お世話になった番場怜子さんだった。
今日も長くて黒い髪をキッチリと纏め上げて、黒いパンツスーツが凛々しい。
とても小学生のお子さんがいるとは思えないほどの美しさだ。
「わざわざ出向いてくれてありがとう。助かったわ」
ここは水和不動産の本社ビル。
就職活動時代、ダメもとでエントリーシートを出したけれど書類選考すら通らなかった会社に足を踏み入れているという事実だけでかなり緊張する。
今日は遺志留支店に配属された初日に遭遇した『袋路の魔鏡館』ついてのレポートを届けにきた、ただの使いパシリなのに立派な応接室に通されて居心地が悪い。
ソファがふかふかすぎて座るのを躊躇い、立ったまま外を見ながら待っていたら着席を促された。
「どうぞ、座ってちょうだい」
「あっ、はい……」
「そんなに畏まらなくてもいいのに。届けてくれたレポート、社長も喜んでいたわ」
「しゃっ……!?」
水和不動産の社長と言えば、テレビで度々特集番組が組まれるほどの敏腕社長だ。
レポートについては、機械がまるでダメらしい所長が僕に丸投げしたお粗末なものだったはず。
直接見られるのなら、もっと推敲すればよかった……!
「なんていうか、素朴で味があるって」
「……それは、良い意味で、でしょうか」
「お世辞は言わない人だから。今後もグッドバイさんに仕事をお願いしたいって言ってたから、伝えておくわね」
「こっ、こちらこそ!」
僕が勤める不動産会社・グッドバイは水和不動産と比べれば天と地ほどの差がある。それなのにこんなに太い繋がりがある理由は、以前、所長が水和不動産が抱える無特記物件の問題を解決したからと聞いているけれど、詳しい話は知らない。
所長と一緒に働き始めてしばらく経ったけれど、相変わらず生態は謎に包まれている。様々な事情で今は遺志留にある事務所兼住居で共同生活を送っているにも関わらず、教わったことと言えばおいしいお茶の入れ方と掃除の仕方、それに幽霊への対策がいくつか。僕が一階、所長が三階、事務所として二階を使っているので、必要以上に顔を合わすこともないからプライベートもあまりよく分からない。
三階建ての二世帯同居って、結構プライバシー保たれるのかもしれないなぁ。
滅多にお客さんがくることはないから、僕の主な仕事は掃除・洗濯・料理くらい。もはや社員と言うよりも、ハウスキーパーと言った方が正しいかもしれない。
社員らしいことと言えば、書類の整理をしたりお茶くみをしたり、それに出張調査で幽霊に取り憑かれたりするぐらいか……。
「習うより慣れろ!」を地でいく所長の元についたせいか、段々取り憑かれることにも慣れてきた自分がいるのがおそろしい。
所長に霊感はもうほとんど残っていないらしいけれど、取り憑かれた時の指示は的確だから助かっている。
……正直、所長一人でも良かったんじゃないか? 僕は取り憑かれ損では? と思うことは多々あるけれども。
「里見くんと一緒に仕事するの、もう慣れたかしら」
里見くん、とは所長のことだ。
所長と番場さんは幼なじみらしい。信じられないことに。
「はっ、はい! 所長にはいつも頼ってばかりで……」
「あの子、ちょっと変わってるでしょ」
「い、いえ、そんなことは……」
最初に感じた所長のちぐはぐさ……部屋や暮らしは丁寧に整えているのに、自分に関することは無関心すぎるという印象は一緒に暮らしだしてからも変わっていなかった。
部屋の掃除をする前に、まずはシャツにアイロンをかけてくれと思う。言わないけど。
「でも朝前さんが来てから、里見くんは随分明るくなったわ」
「本当ですか? 元から明るい人だと思っていました」
所長は初対面から飛ばしていたけれど、緊張していた僕をほぐそうと冗談を言ってくれたり、普段の態度も親しみやすい。
「里見くん、昔はあんな感じじゃなかったのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。特に、妹さんの事件の後は塞ぎ込みがちで。事件の前も、どちらかと言えば本ばかり読んで内向的であまり喋らない方だったし」
意外だった。
いつも聞いてもいないことまでペラペラと回る口だなぁと思っていたから。
知らない一面だ。
でも、事務所に並べられた壁一面の本を思い出すと、納得かもしれない。所長はあの本の内容が全部頭に入っているらしい。
「……気をつけてね」
「へっ?」
何について忠告を受けているのか分からなくて、思わず気の抜けた返事を返してしまった。
「里見くんのこと」
「所長が、なにか?」
僕の正面に座る番場さんは、口元に手を当ててなにやら神妙な面持ちをしている。そして、意味ありげな含みを持たせて言った。
「彼、人が変わったみたいだから」
人が変わった……とは、果たして良い意味なのだろうか。
完璧な化粧をして微笑む番場さんからは、何の情報も読みとれない。
「そ、それだけ明るい性格になったということですか?」
「そうね……そうだと良いんだけど」
番場さんはそこで言い淀み、名刺の裏になにやら数字を書き込んで渡してくれた。
「コレ、渡しておくわ。ここにかけてくれたら、必ず出るようにするから。……何かあったら、連絡してちょうだい」
「えっ? でも……」
「里見くんに私は融通きかないって吹き込まれているんでしょうけど、時と場合によるのよ。確かに、自分の力量以上のことをするつもりはないけれど……幼なじみを見捨てるような薄情な性分ではないの。朝前さんは良い迷惑だろうけど、いま里見くんの近くにいるのは貴方だから……」
困惑しながら渡された名刺には、電話番号らしきものか記されていた。
「彼のこと、よろしくね」
番場さんがなにを心配しているのか、僕には分からない。
二人は昔からの付き合いらしいから、きっと色々あったのだろう。
僕には今の所長しか見えていないけれど、番場さんにとっては違うようだ。
同じモノを見ても人によって受ける印象が違うのは、幽霊も人間も同じらしい。
「……わかりました」
こうやって、事態を把握しないまま安請け合いするのは良くないことだとわかっているけれど、親密度も足りないままに関係性を土足で踏み荒らすようなことはできないので、とりあえず頷いてしまった。
頼まれなくても、何かあったら番場さんに頼る気まんまんだったので、ありがたく受け取った名刺をケースにしまう。
「私から伝えることはこれぐらいよ。……今日はもう、遺志留に帰るの?」
「いえ、都会に出てきたのでついでにこの辺りの無特記物件の調査をしてから帰ろうかと思っています」
「あら、それじゃあ里見くんも出てきてるってこと?」
「はい、所長は駐車場の車の中で待っていると思います」
「呆れた。朝前さんにだけ仕事を押しつけて。そんなに私のところの社長に会いたくないのかしら」
「そのような内容のことを、言っていましたね……」
所長は水和不動産の社長をなぜか苦手に思っているらしい。社長からは気に入られているみたいだけれど……一体、なにがあったのか見当もつかない。
「まぁいいわ。また、気が向いたら来るように伝えておいて。水和の社長が会いたがってるって」
「は、はい……」
番場さんに別れの挨拶をして、居心地の悪い本社ビルから退散する。
駐車場で待っていたはずの所長は、出口まで迎えに来てくれていた。
「おーい、朝くん。コッチコッチ」
「すいません、わざわざ」
取引先の会社の目の前に路上駐車するなんて冷や汗ものだけれど、所長はあまり気にしていない様子だ。
いつものように助手席に座る。本当なら、部下である僕がハンドルを握るべきなんだろうけど、所長は頑なにハンドルを譲ってくれない。
運転はあまり得意ではないから、本音としては助かっている。
「番場ちゃん、元気にしてた?」
「はい、お元気そうでした。あと、水和不動産の社長さんが所長に会いたがっていましたよ」
「ふーん」
伝言を伝えたのに、所長は全く興味がなさそうだ。
「朝くんがお使いに行ってくれている間、俺もこの辺りをぐるっと走ってきたんだけどさ」
「……駐車場で待っているって言ってたじゃないですか」
「そのつもりだったけど、こんな都会滅多にこないし。なんか気になっちゃってさ、今回の物件」
「『特定街区の飛び降り団地』ですか?」
『特定街区』とは、相当規模の都市基盤の整った街に指定されるものだ。
一般的な建坪率、容積率、高さ制限などの規定が適用されずに、全てその街区に適した制限が都市契約によって定められる。
有効な空き地及び定数の住宅の確保も受けられるので、超高層のオフィスビルや商業ビルなどが密集する栄えた場所が対象となる。
まさしく、今日の僕たちがいる辺り。
「そうそう。朝くんも、あの高層ビルからこの街を眺めて、どう思った?」
車の窓ガラス越しに流れる景色は、どれも近代的で洗練されていてオシャレだ。
でも……。
「……『穴』が空いているな、と思いました」
「そうだな~。まっ、それが今回の依頼だから!」
上から見下ろした時、背の高いビル群がところどころ極端に低くなっているのが気になった。
その正体を知ろうと目を凝らすと、町並みに似つかわしくない古びた団地がそっと残っていたのだ。
「本来、特定街区において団地なんてまっさきに壊されるはずなのに、残っているなんておかしい話だよなぁ」
「……でも、また例によって特に曰く付きでも噂があるわけでもないんですよね?」
「そうだよ。依頼されている物件はな」
我が支店で取り扱っている無特記物件をいくつか調査させてもらって、大体パターンが掴めてきた。
事件事故がないのに霊現象が多発する現象の正体は、今のところ人為的が6割で本物の幽霊が4割ぐらいだと思う。
未だ『役に立てた』という実感は少ないけれど……なんとか所長に助けられながら取り憑かれている。
……いや、取り憑かれている、なんて単語がすんなり頭に浮かぶ時点でちょっとおかしいのかもしれない。
でも、今の僕には必要なことだ。
番場さんに閉じていた霊感を解放してもらってから、面白いように取り憑かれるようになってしまった。
幸い、すぐに抜けてくれるものの何回憑かれても慣れることはない。
できれば、霊感なんてずっと眠ったままにしておいて欲しかったと思う日もあるけれど、いつかは向き合わないといけないものなら今が良い。自分を変えたいと切実に願い、そして所長や番場さんという頼れる人がいる今が。
さて、今回はどんなパターンだろう?
妬み? 僻み? 妄執? 偏狭? 因習?
出来ることなら、どれも遠慮願いたいけど……たぶん、無理だろうな……。
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