霊感不動産・グッドバイの無特記物件怪奇レポート

竹原 穂

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第二話 袋路の魔鏡館

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「なぁ、朝くん」

 ヒョイと小さな箱を小脇に抱えた所長は、部屋の中の裏返った鏡を一枚一枚確認しながら僕に問いかける。

「この部屋、なんで鏡が裏返っていると思う?」
「え? ええと……」
「まぁ、分かんないよな。答えを言っちゃうと……鏡は蓋をしたり伏せたりして表面を塞ぐと、出入り口として使えないんだ。こうして鏡を裏返しておくことで、どこにも行けないようにしたんだな」
「どこにも……? だ、誰がですか?」

 この部屋には誰もいないのに?

「おいおい、誰が、なんて分かり切ってるだろ?」

 隠し部屋の鏡たちを一通り調べた所長は、抱えていた箱を僕に向けて突き出した。

「ひっ!?」
「怖がるなよ。そんなに中身はないって。軽いし」

 そんなに、ってことは……少しは入っているということだろうか。

「開けてみる?」
「いっ、嫌ですよ!?」
「なんで? だって、朝くんいま取り憑かれてないじゃん。コレの中身が本当にやばいヤツだったら、今頃立ってられないって」
「でも……」

 確かに体調は崩れていないけれど、誰かに見られているような感覚は続いている。その正体が気にならないと言ったら嘘になる。
 僕は震える指で、内心ごめんなさいと謝りながら袋の紐を解いた。
 
「これは……?」

 そっと薄目で箱の中身を確かめると、中には皺のたくさん入った黒い玉が二つと、底には白い粉。あとは黒縁の眼鏡が納められていた。

「あんまり見つめ合わない方がいいと思うぜ」
「え?」
「それ、館の当主様の目玉だよ」
「ええっ!?」
「あとは灰になった骨が少しと、生前使ってた眼鏡かな?」

 思わず取りこぼしそうになった箱を、所長が上手くキャッチする。

「気をつけろって~。仮にも預かってる物件なんだし、現状復帰が原則だろ?」
「そ、それはもちろん……! でも、どっ、どどどどうして目玉なんかが!?」
「え~? そりゃあ、経緯は俺にも分かんないけど……遺体って目をつぶってるじゃん? だから、こっそり目玉くり抜いておくのってよくある話なんだよ」
「ど、どこの世界の話ですか……!」
「俺らの世界の話だよ。こうやって、死者の身体の一部を閉じこめて成仏させないようにするんだ。通り道である鏡をあえて伏せて置いたのは……おまじないみたいなものか」
「おまじない?」
「朝くんだって、知らない場所で閉じこめられてそこから脱出するための唯一の扉を開けたらコンクリ詰めでした……とかだったら、絶望するだろ? 呪いだよ、これは」
「呪い……」
「綺麗な場所と汚れた場所を意図的に分けているのは、この当主の部屋からあそこの窓を通って中庭に降りて、そこから床の間へ当主を誘導しているんだ。皆がいるところへな」
「なんの、ために……そんなことを……」

 当主はもう亡くなっているのに。
 どうしてそんな、死人にムチ打つような真似をしたんだろう?
 いや、今まで聞いた話を繋ぎ合わせると……当主は色々と酷いことをしていたらしいから、これは子供たちによる仕返しなのかもしれない。

「……そんなに、恨まれていたんですかね」

 こんなに広い館の、こんなに狭い部屋で呪いをかけられ続けるなんて……。

「恨みって言うよりも、ただ純粋に一緒にいたかっただけなのかもしれないな」
「えっ?」
「当主の子供たちは、自分の父親が死んでからその存在を知った者がほとんどらしいから、父親と離れたくなかったんだろう」
「そ、そんな理由でここまでやりますか……?」
「最初は純粋な思いだったのに、それが次第に歪んでいくのもよくある話さ。元々が掛け値のない願いであるほど、歪んだときが恐ろしいもんだ」

 所長は僕が解いてしまった紐をまた丁寧に括り直すと、元通りの場所に箱を戻した。

「みんな、簡単に他人のことを呪うんだよ。朝くんだって、一度くらい誰かのことを死ぬほど嫌いになったりしたことあるよな?」
「そりゃあ、まぁ……」
「それが普通なんだよ。いつでも誰かを呪っていい。自分だって、誰かに呪われているから。だけど、時間が経てばいつか消える。放っておけば、癒えない傷なんてないんだ。それをこうやって殊更に自分の傷口をいつまでも抉り続けているなんて、バカみたいだろ? なぁ?」

 所長の問いかけに頷く。
 でも、所長は僕を見ていない。
 僕を通り越して、その後ろに居る誰かに話しかけているようだ。
 番場さんはもう帰ってしまったし、僕以外にここには誰も……。

「……眩しッ!?」

 振り返ろうとした瞬間、強い光が目に刺さった。
 思わず目をつぶると、続いてゴトン!と何か固いモノが床に落ちる音。

「えっ? えっ……」
「あーあ、逃げられちゃったか」
「逃げられたって……えっ!?」
「俺の仮説か正しいかどうか、聞いてみたかったのに」
「誰? えっ、っていうかどっちですか!?」

 どっち、と言うのは生者か死者か、という意味で聞いた。
 僕も所長も知覚できているみたいだけど、光を見てから心臓がドクドクと早鐘を打って鳴り止まない。

「さっきからずーっと、後ろをつけてた人間だよ。朝くんは幽霊ばっかりに気を取られて気づいてなかったみたいだけどさ」
「つっ、捕まえなくていいんですか!? 不法侵入でしょ!?」
「良いよ。自分らの持ち物なんだし」
「自分………?」
「この物件、書面上の持ち主はもちろんいるんだが……どうやら、兄弟間で合鍵が横行しているらしくてな。各々自由に出入りしているんだと。それも含めて、今の現状を確かめて欲しいっていう依頼だったんだな」
「そ、それなら売物件を取り下げればいいじゃないですか! まずは兄弟での関係を解決してから……」
「まぁ、まぁ。それは確かに正論」

 だだっ子を鎮めるように、両手でどぅどぅと僕を収める所長。

「でも、正論だけが正義じゃないし、なんならこの世における正義って結構優先順位低いってことぐらい……朝くんだって分かるだろ? 社会人なんだから」
「そ、それは……」
「もう、義務教育で習ったお仕着せの正義なんかどうでもいいんだ。これからは、自分なりの倫理観ってヤツを養っていかないとな」
「………」

 僕の胸あたりに、所長の拳が当たる。
 言われていることは、なんとなく理解できる。
 学校で習ったみたいに、「いつでもみんな仲良く」なんてどだい無理なのだ。
 就職してから、よく分かった。
 だけどそれでも、それを目指して努力はするべきだと思う。
 所長みたいにキッパリ割り切ることは、今の僕には難しい。

「……さぁて、とりあえず『現状』は分かったことだし、帰って纏めるとするか。朝くん、異動早々お疲れさん」
「いえ……あの、今回僕はお役に立てたでしょうか?」
「もちろん。なに言ってんだ?」
「だって……僕がしたことといえば、番場さんに頼って怖がっていただけなので……」
「そんなことないぜ~? 無特記物件の調査をしてると、さっきみたいに生身の人間と鉢合わせになることがたまにあるんだよ。そんな時、霊感持ちと霊感なしが一緒にいないと生者か死者か区別がつかないんだ。俺だけだったら、ヤバい幽霊に気づかず突っ込んでたかもしれない。逆に、朝くんだけだったら生身の侵入者に気づかず後ろからドーン! とヤられてたかもしれないだろ? この調査は、基本的に二人一組なんだ」
「そうなんですか……」
「朝くんが来てくれたおかげで助かったよ。番場ちゃんの水和不動産だけじゃ、床の間の調査しかできなかったし。仕事になると番場ちゃん融通きかないんだよなぁ」
「……依頼は水和不動産だけじゃなかったんですか?」
「ほら、ウチの社長はやり手だから」

 ダブルブッキングを上手くごまかすことが、果たしてやり手だと言えるのだろうか。
 でも、そのおかげでまだ雇ってもらえるのだから深く詮索するのはやめておこう。

「さっ! チャッチャと片づけようぜ」

 一応、調べていなかった残りの部屋も調べてみると、物置として使っていたのか中身は綺麗さっぱりなくなっていた。物置と言っても、僕が以前住んでいた部屋よりも遙かに大きい。
 さっき、懐中電灯を持っていた兄弟の誰かが掃除しているらしい。あんなに変な掃除をするのは、業者じゃなくて身内かもしれないという、僕の予想は当たっていたようだ。
 玄関ホールに戻ると、姿見が倒されていた。
 鏡の中にいた当主が暴れて倒したのか、それとも僕らを照らした人物が倒していったのか、それとも台座が痛んでいるために自然に倒れたのか……真相は分からない。解釈次第で、恐怖はコントロールできる。
 気持ちを強く持てって、こういうことなのかもなぁ……。

「……家族って、なんなんでしょうね」

 行きと同じく車の助手席に乗り込んでシートベルトを締めたところで、フと疑問に思ったことが口に出た。

「それはまた、難しい問いかけなことで」
「魔鏡の館の人たちは、実の父親をめぐってあんなにひどく執着しあったじゃないですか。僕は、家族ってもっと安心できるものだと思っていました」
「キミは良い親に恵まれたんだな」
「所長はどう思いますか?」
「俺のところは離婚してるから、朝くんほど呑気な感情はもってないけど、でも、両親についてはそれなりに感謝してるよ。家庭は安心できる場所だったさ。親が死んでも、執着せずに送り出せると思う」

 所長は顎に手を当てて、少し考え込んでから続きを話す。

「……でも、妹に関してだけは、狂おしいほど会いたいって感情、分かる気がするな」

 目を閉じているのは、妹さんのことを脳裏に思い描いているからだろうか。
 所長にこの話題を振るのはまずかったかもしれない。
 辛いことを思い出させてしまった……。

「だからって、魔鏡の館の奴らがやっていることが良いことだとは思えないけどな~。でも当主だって間違っても良いヤツじゃないし、喧嘩両成敗ってことで放っておけばいいんじゃね?」

 謝ろうとしたところで、普段の間延びした調子に戻ったから少し安心する。

「そういえば、僕たち、魔鏡の館についてなにも解決していませんが……いいんですか?」
「え? だってそれ、業務内容じゃないし。俺ら程度の霊能力で、除霊なんて恐れ多いことしない方がいいんだよ。身の丈に合った生き方をしないとな」
「そうですか……」
「今回はこのまま、厄介な売物件として管理費だけ親族から貰い続けるパターンだろうな。俺らの懐は痛まないし、ラクな仕事だよ」
「はい……」

 役に立てるのかもしれない、といきこんでいた僕があからさまに肩を落としたせいか、所長は取り繕うように言った。

「だけどまぁ、朝くんが当主を知覚したおかげで、アレも少しは報われたと思うぜ」
「えっ?」
「身内に見られるより、他人に認識された方が成仏しやすくなるんだ」
「……本当ですか?」
「マジだって。身内だと、情が先に来るんだよ。それは肉体と精神を縛るものだから、成仏にはちょっと邪魔なんだ。ホラ、遺された者が死者を忘れるぐらい日々を一生懸命楽しく生きることが最大の供養だって、今期のドラマでも言ってたじゃん」
「そんな台詞はよく聞きますけど、本当のことだったんですね」
「そうだよ。こうやって、この世の中は大量の嘘の中に本物がチョロチョロ紛れ込んでいるんだ」
「とりあえず、幽霊を信じないのはもう今日でやめます……」
「そうしとけ。朝くんは特にな。幽霊も人間も、平等にこの世界に存在しているんだから。そんでもって……」

 所長はキーを回してエンジンをかける。

「人間も幽霊も、平等に恐ろしいんだよ」

 ブロロロロ、という起動音にかき消されながらもなんとか聞き取ることができた所長の意見を、僕は無言を貫くことで同意した。
 サイドミラーに僕の顔が映る。
 たった数時間で二歳も三歳も歳を取ったように見えた上に、当主のぎらついた赤い目が僕の肩口辺りに浮いていた気がするけれど……生唾を飲み込みながらゆっくり瞬きをすると消えてしまった。

 これが、初日の仕事。
 ちなみに、この後ひどい金縛りに遭遇したのは言うまでもない。


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