霊感不動産・グッドバイの無特記物件怪奇レポート

竹原 穂

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第二話 袋路の魔鏡館

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 鏡の中のナニカは、微動だにしない。
 もしかして、絵なのだろうかと思って目を凝らしてみる。

「……っひぃ!?」

 向こうも僕が見ていることに気がついたのか、鏡の中からドンドンと枠を勢い良く叩く。今にも倒れそうなほど前後に激しく動いて、まるで生きているみたいだ。

「しょ、所長……!」

 所長の目には、この鏡はどう映っているのだろう。
 おそるおそる隣に立つ所長の様子を伺ってみる。

「ん? どうかした?」

 全く顔色を変えずに、ズンズン鏡に近づく所長。
 またさっきみたいに動けないほど霊に当てられるのかと思っていたのに、所長流の『対策』は効いているらしい……。

「こ、怖くないんですか? 所長は……」
「別に?」

 鏡の中の人物は、相変わらず僕に向けて激しい自己主張をしている。
 顔面を覆っていた黒い霧はもはや身体を全て隠してしまった。
 血走った赤い目が、僕を逃がさないとでも言うように鋭く光って逃さない。
 生者の穴を伝って身体に取り憑くらしいから、慌ててさっき切った指を押さえる。
 それなのに、気味悪さは収まるどころかどんどん酷くなっていく。無理矢理入ってこられるような不快感、吐き気、寒気。
 なんで?
 どうして?
 そんな疑問で頭がいっぱいになる。
 穴は……傷口はここだけのはずだ。
 他に穴なんて……。
 ……穴?

「げっ、朝くんどうしたの? こわ……」
「えっ?」
「あーっ! 目ぇ掻いちゃダメ! 抉れるまでやっちまうぜ!」

 頬に何かが伝う感触があった。
 思わず頬に手を添えると、指には赤い水滴がついていた。
 まるで、所長が取り憑かれていた時に流していた血の涙だ。
 血の涙がでている、という自覚を持った途端、急激な痒みに襲われる。

「ど、どうすれば……っ!!」

 痒い。
 痒すぎる。
 眼球に直接大量の毛虫が這うような、全身を細い糸でゆっくりと締め付けられているような……何に例えたらいいのか分からないぐらいの掻痒感。
 痒いっていうのは、こんなにも辛いことだったのか。
 昔、なにかのテレビ番組で拷問として『痒み』を使用することがあると聞いたことがあったけれど……これは納得だ。
 ……なんて、別のことを考えて意識を別のところに飛ばそうとしたけれど虚しく終わってしまった。
 痒い、以外のなにも考えられない。

「うっ……、ぐぐぐぐ……」

 息を吸おうと口を開くと、今度は口の中が痒くなってきた。

「あんまり口、開けない方がいいぜ。鼻から吸え、鼻から」

 そうか……目や口は身体の『穴』としてカウントされるらしい。

「あと、あんまり怖がるなよ。恐怖心も、立派な『穴』になる」

 所長は鏡の足下にしゃがみこんで、なにやらゴソゴソと触っている。

「こんなもん、怖がるほうがどうかしてるぜ」
「……?」

 しゃがんでいた所長が立ち上がると、激しく動いていた鏡はピタリと止まっていた。
 いつの間にか鏡の人物は消えて、割れた鏡は部分的に僕らを映し出している。

「な、なにをしたんですか……?」
「その辺に落ちてた鏡の破片を挟んだだけだよ」
「へ?」

 落ち着いてみると、確かに姿見の台座は派手に一部分だけ欠けていた。
 今は、その欠けている部分に所長が差し込んだ鏡の破片が上手いこと噛み合って動きを止めている。

「なぁ、朝くんの目には何が見えた?」
「えっと……ガウンを着た人物が……顔は靄がかかって見えなかったんですけど、鏡の中から乱暴に鏡を叩いていました……」
「へぇ、それがここの『当主』ってヤツなんだろうな。お出迎えしてくれて良かったじゃん」
「所長には……どう見えましたか?」
「俺の目には、台座が欠けたせいでガタガタ揺れているだけにしか見えなかったな」

 そんなバカな……。
 あんなにハッキリ、動いていたのに?

「幽霊の、正体見たり枯れ尾花っていうのはこういうことだよ」
「………」
「自然現象にかこつけて、恐怖を煽って、自分を見つけてもらいたいんだ。こんなに他人に求められるのってないだろ? 可愛いお姉ちゃんだったらよかったのにってか?

 僕の目は、いったいどうしてしまったのだろう。
 これが『霊感』ってモノなのか?
 所長の軽口に、全く反応できない。

「霊感持ちは大変だよなぁ」

 うんうん、分かる。俺もそうだった、と所長は芝居がかった動作で独りごちた。

「でもさぁ、朝くんって運がいいよ」
「は?」
「霊感開花してすぐに、あんなわかりやすい本物みれて」
「運、良いんですか? むしろ悪くないですか?」
「まさか。だって、ああやってわかりやすいのならいいけど、わかりにくいのばっかり見てたらさ……」

 所長はそこで言葉を切って、ぐるりと辺りを見渡した。
 まるで、見えないモノを見ようとするように、念入りに。

「霊感持ちって気づく前に、狂っちまうだろ?」
「………」

 自分が見えているモノが相手には見えていないというのは、想像よりもストレスだ。
 人に無視される辛さは知っているつもりだったけれど、まるっきり理解されないのはその比ではないだろう。
 所長や番場さんが僕の霊感を肯定してくれるからすんなり認めることができたからいいものの、もしもひとりぼっちだったら僕は自分の見たものに自信を持てないと思う。
 それこそ、精神科を受診して薬に頼っていたかもしれない。

「俺が霊感なくなって良かったなって思うのは、見なくて良いものを見ずにすむってことだな!」

 顔全体をクシャッと歪めて笑う所長の笑顔に少しだけ気持ちが緩んだけれど、そもそも所長がいなけりゃこんな目には合ってないんだよな……というどうしようもない矛盾が僕を襲った。
 いやいや、いつかは霊感という、生まれ持ったものに向き合わないといけないんだし、これは良い機会なんだと思うようにしよう。
 あはは……と、愛想笑いを返してみたら、いつの間にか痒みや血の涙が止まっていることに気がついた。

「あれ……?」
「一時的なものだから、あんまり気にすんなよ」
「いったい何ですか? アレは……」
「なんだろな? いっつも、取り憑かれる時に起きる副作用みたいなやつだよ。傷口はもちろん、恐怖心とか目は特に入り込まれやすいから気をつけた方がいいな」
「最初に言って欲しかったです……」
「ごちゃごちゃ勉強するより、実践したほうがわかりやすいだろ? 学生じゃあるまいし、おとなしく机の上で勉強している時間なんてないんだ。社会人は忙しいんだぜ?」

 そう言われてしまうと、グゥの音も出ない。
 所長は一から十まで教えてくれるわけではないから、知りたいなら自分で聞けということか……。

「口はあんまり入り込まれにくいんだけどな。口って言うか、耳や鼻も」
「どうしてですか?」
「口も鼻も耳も、幽霊たちが嫌うものが多いんだ」
「嫌うもの?」
「唾液と鼻くそと耳垢」
「………」
「オイ、俺を汚いモノ見るような目で見るなって。どれも、死んでしまった人間には必要ないものだろ? 生きている人間の証明だから、幽霊には毒なんだよ」
「目は……涙にはその効果はないんですか?」
「ないわけじゃない。でも、涙は死者を想って流すけど、墓前で鼻くそほじったり耳掃除したり唾液垂らしたりしないだろ? 涙は幽霊の通る道になりやすいんだ。幽霊ってのは、自分のことを考えてくれる人間が大好きだから」
「へぇ……」
「だから幽霊を見ても、ビビって涙目になんかなるなよ~?」
「……所長だって、さっき血の涙を流してたじゃないですか」
「俺はいいの。幽霊見てビビったわけじゃないし、霊感の薄い人間がここにいるとどうなるかってサンプルみたいなもんだから」

 所長は会話をそこで切り上げて、さぁどうぞと言うように右手を前方に差し出した。

「えっ?」
「お喋りして、だいぶ怖くなくなっただろ? 早くすまそうぜ」
「えっと……」
「二階、行こ? 朝くんが先頭で」
「いっ……!?」
「だって、俺じゃあなにが居るのかほとんど分かんないからさ」
「そ、そんなの無理ですよ!」
「そう思って、特別に番場ちゃんにレクチャーしてもらったじゃん」
「でも……!」
「大丈夫だって!」

 な、なにを根拠にこの人は……!

「いいか? 気持ちを強く持つんだ。それだけで良い」
「気持ち、ですか……」

 そんな精神論が、幽霊に通用するのだろうか?

「どうしてもダメなときは、俺がなんとかしてやるから!」
「うぅ……」

 所長に全幅の信頼を寄せているわけじゃないけれど、今までの指示は的確だった。
 霊感がひどく弱いらしい所長が、どうしてもダメな時になんとかできるとは思えないけれど……とにかく今は二階を調査しないことには帰れない。
 僕は意を決して、今日だけで三度叩かれた頬の痛みを思い返しながら一歩を踏み出した。

 玄関ホールを右に曲がるとすぐに階段があって、階段の向こうには大きなキッチンルームだった。一応、キッチンの方をのぞくと、そこは左に曲がった時とは打って変わって綺麗に掃除されてあって驚いた。鏡も置いていない。

「あれ……? どうして、こちら側だけこんなに綺麗なんでしょう?」
「さぁな。業者が入ったか、親族が整理したか……どちらにせよ、二階を調べれば分かることさ」

 二階か……。
 何とも思っていなかった階段という存在が、なぜだか今日は薄気味悪い。
 最初の一段を踏み出すのが怖いけれど、所長はどうあっても僕の前に出るつもりがないのか僕の後ろでニヤニヤするだけだ。
 仕方ない……。

「………」

 一歩ずつ、身長に段差を上る。
 時々ギシリと軋むけれど、大丈夫だ。まだ家鳴りとして許容範囲だ。
 登り切ったところで、ガラス窓越しに大きなバルコニーが見えた。
 道はまた二股に分かれている。

「どっちに行きましょうか」
「番場ちゃんの地図だと、当主の部屋は左だな」

 左に進路をとる。
 ここもかつては安心できる場所であったはずなのに、広すぎて迷ってしまいそうだ。
 二階にあがってから、今までとは違う違和感に襲われていた。

「なんか、綺麗すぎますね……」
「そうだなぁ」

 一階の床の間付近の乱雑さとは反対に、二階は今すぐモデルルームとして公開できそうなほどの清潔さだった。これはあまりにも不自然だ。
 誰かが、定期的に手を加えているとしか思えない。
 舐められるような視線は感じるものの、特に異常はないまま当主の部屋の前までたどり着いた。

「やっぱ、綺麗な部屋はいいよな~」

 一階のような不気味さはないけれど、その分、例の視線が深く突き刺さる。
 所長はケロリとしているから、感じていないのかもしれない。

「じゃあ、開けますよ……」

 二部屋ぶち抜きらしい当主の部屋のドアノブに手をかけて回す。当主の部屋らしく、ドアまで豪華な細工が入っていた。
 室内は家具の全てが揃っていて、今すぐ生活できそうだった。掃除も行き届いている。
 お世辞にも目が肥えているとはいえない僕が見ても、どの家具も高価なんだろうということが分かった。

「……おかしいな」
「えっ?」
「番場ちゃんに見せてもらった間取り図と、この部屋は噛み合ってない」

 番場さんに見せてもらったと言っても、位置確認が出来るだけの短い時間だった。
 あんな短時間で、所長は間取りを全部把握したとでも言うのだろうか。

「一畳分、足りないんだ」

 ペタペタと窓や家具を触る所長。
 僕も何か出来ることがないかとキョロキョロ見渡していたら、広縁ひろえんから見えた窓が目についた。
 開け放たれた窓にはだらしなく破れたカーテンが絡まっていて、ここだけ掃除を忘れさられたような印象を受ける。
 ……どうして、綺麗なところと汚いところがごちゃごちゃなんだろう。
 どこもかしこも鏡だらけだけど、館の左側はもう何年も手入れされていないような有様なのに、右側は今日の朝にでもクリーニングされたようだ。
 水和不動産がこんな部分的な清掃をするかな? 
 物件管理しているのは、水和不動産だけじゃないのかもしれない。僕らみたいな別業者に依頼して、掃除している? こんな一方的に?
 いや、違う……。僕らがやるなら、どんなに気味悪くても全部掃除する。どこか掃除し損ねてしまったら、またお金がかかってしまうからだ。そんな利益のでないことはしないはず。
 こんな歪な手の入れ方をするのは、たぶん……。

「おっ、ここかな」

 所長の声で振り返ると、本棚の一部をスライドさせているところだった。

「……す、すごい仕掛けですね」
「そうでもないさ。よくある話だって。ここだけ、本の数が異常に少なかったんだ。わかりやすい方だぜ」

 隠し扉の向こうは、ほんの一畳ほどの小さな部屋だった。
 足りない一畳とピッタリ一致する。
 家具はなにもなくて、壁一面に背を向けた大小様々な大きさの鏡が並んでいた。
 そして中心には……。

「……所長」
「お?」
「アレ……なんでしょうか」

 綺麗な布に包まれた、小さな箱が部屋の中心に置かれていた。
 見覚えが、あるにはある。祖母のお葬式の時に、見た気がする。
 でもそうだと信じたくはなくて、つい所長に聞いてしまった。

「遺骨だろ?」

 あぁ、やっぱりそうなんだ……。

「中身がどれだけ入ってるのかは知らないけどな~」
「ちょ、ちょっと所長!」

 隠し部屋には窓がなく、しかも四方を背を向けた鏡が守っているから薄暗いし不気味だ。内部に足を踏み入れることを躊躇していた僕を置いて、所長は涼しい顔で部屋に入って遺骨が入っているらしい箱に手をかけた。


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