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第三話 特定街区の飛び降り団地
④
しおりを挟む「その昔、団地は憧れの場所であると共に飛び降り自殺の名所だったんだ」
「名所、ですか……」
「飛び込みだと周りに迷惑がかかる、首吊りだと途中で失敗する可能性がある、服毒は苦しい。その点、飛び降りなら足を踏み出してしまえば失敗しないし、他人への迷惑だって飛び込みよりマシだよな。第一発見者はトラウマになるだろうけど」
「そう言われると……」
今は周りに団地よりも遙かに高い建物があるから、こんな低い建物が自殺の名所だなんてあまりピンとこなかったけれど、そういう背景があるなら納得だ。
「この団地はブームの時に作られた三棟目でな、先に建てられた二つが二つとも立派な名所になったもんで、二度あることは三度あるを防ぐために徹底的な予防策を講じたんだ。屋上に行けないように鍵の管理を強化したり、飛び降り防止のために高くて丈夫なフェンスを作ったり……あとはあそこ」
所長が指さしたのは、部屋じゃなくて外階段の部分だった。
まるで刑務所のように、外階段の周りはものものしい格子で囲まれている。
「屋上からできないんだったら、外階段から飛んでやるって輩のためにああいう仕様なんだと。そんな努力の甲斐あって、この団地ではなんと設立以来死亡事故ゼロ!」
「良かったじゃないですか。それなら、なんで怪現象が……」
「それを調べるためのが俺らの仕事だろ?」
「この物件はまだたくさんの住民が暮らしているじゃないですか。どうやって調査するんでしょうか」
「そんなもん、依頼主の部屋を見せてもらえばいいだろ」
「あっ、今回の依頼主は個人なんですね」
毎回思うけれど、所長はもっと仕事に取りかかる前に僕に情報を渡してほしい。
そんな紙切れよりも目で見た方が早い! とか、事前に情報を入れておくと恐怖に囚われるだろ? とかもっともらしい理由をつけて教えてくれない。
……まぁ、確かにいらない想像力で怖がってしまうことも多いけども。
「個人って言うよりも、連名だな。ここの住民たちが複数人、揃って依頼してきたんだ」
「それなら、安心ですね……」
住民が残っている物件を調べるのは、不審者と間違われる危険性と隣り合わせだ。
一応、スーツを着ているものの取り憑かれたり祓ったり、端から見れば不審な行動をしているのは間違いないから。
「個人の依頼って珍しいよな。一体どこから聞きつけてきたんだか」
「宣伝とか出してないんですか?」
「ないよ。手を広げすぎても俺たちがケガレを溜めて潰れるだけだろ。無特記物件に悩んでるヤツは多いんだし、依頼が増えると『自分たちのところだけ来てくれない』って不満で呪われるしな」
「そんな小さな不平不満も、呪いなんですか?」
「人間の負の感情は、朝くんが思うよりもしつこくてネチネチしてるんだよ。死人でさえも精一杯なのに、生きてる人間の呪いまで背負ってられないよなぁ。……そんなわけで、とっとと行くぞ」
「はぁ……。あっ、待って下さい!」
「まだ何かあんの?」
団地へと足を踏み出した所長を、最初の一歩で引き留める。
そうだ、所長がスマホを叩きつけたことに驚いて言いそびれてしまったけれど、コレは言っておかないと……。
「あの、さっき聞かせてもらった音声データ、僕には足音じゃなくて言葉が聞こえました……」
「へぇ。どんな?」
「お、おまえが死ねばよかったのに、って……」
あまりにもネガティブな言葉だから、正直口に出すのも気分が悪い。
「わぁ、おそろしい」
「大丈夫でしょうか? 結構しっかり聞こえたんですけど……」
「そうだなぁ。まっ、よくある話だからあんまり気にすんなよ」
「よくあるんですか……」
「納得して自殺する人間なんていないだろ? 自殺霊ってだけで、ある程度は他人を呪って当たり前だぜ。でもその分だと、生に執着ありそうだからちょっと気合い入れとくか」
「痛ぁ!?」
所長は言うが早いが、僕の両頬を思いっきり叩いた。
「よしっ! これで大丈夫だろ!」
「た、叩く前には一言下さい……」
「後はこれでも持っとく?」
僕の訴えを完璧に無視した所長は、車に積んでいたクーラーボックスから保冷剤を取り出した。
「なんですか、これ……」
「持っておけば、水を伝って幽霊が抜けやすくなるんだ」
「へぇ……って、そのまま持つのは冷たいですって! 低温やけどしますよ!」
「俺は平気なんだけどなぁ……」
残念ながら、僕は所長ほど手の皮が厚くない。
ポケットからハンカチを出して保冷剤を包もうとしたら、魔鏡館で番場さんにもらったまま突っ込み放しだったオモチャがつられて地面に落ちた。
「あっ、すいません」
「それ、番場ちゃんに押しつけられたヤツ?」
「押しつけられたって言うか……」
「俺もたくさんもらったぜ~。朝くんのは笑い声シリーズか。番場ちゃんのところの子供は凝り性だから、たぶんコンプリートするまでダブりを押しつけられ続けるだろうな。その辺は甘いんだから」
「……番場さんは、優しい人だと思いますよ」
「そぉ? 解釈違いだな」
番場さんから聞いた所長の話を思い出したけれど、いま僕の目の前にいる所長をちゃんと見ようと思って、転げ落ちた音の出るオモチャをまたポケットにしまった。
足を踏み入れた飛び降り団地は、嫌な二つ名のわりにはあっさりとしていた。
もう、普通にただの団地。
ひょっとして、僕が聞いたのは所長のイタズラだったのでは……? と思うレベルだ。
「どうだ? 何か感じるか?」
「まだ入ったばかりじゃない、です……か……」
でも何気なく郵便受けに目を向けたら、黒い手形がたくさんついているような気がした。思わず立ち止まって何度か瞬きをする。
「どうした?」
「えっと、あの郵便受けに変なものが見えたような気がしたんですが……」
「気のせいだった、って?」
改めて見ると、ただの年期が入った郵便受けだ。
ズボラな住民がいくつかチラシを取り損ねて溢れているけど、それだけ。
「はい、今は何も……」
「ふーん……。なんか、雰囲気に飲まれそうならもう一発いっとく?」
僕の願いを聞き入れてくれたのか、今度は頬を打つ前に一言添えてくれる所長。
今にも叩かれそうだったので、構えられた両手を何とか制する。
「いっ、今はいいです……!」
「そぉ? ま、俺じゃあんまり効果もないだろし、やりすぎると癖になるからなぁ。とりあえず、不審に思ったら瞬きして生唾飲みこんどけ。あとは深呼吸な」
「たったそれだけで……魔除けになるんでしょうか」
「魔除けっていうか、自分自身にかけるおまじないみたいなものなんだろうな。幽霊から与えられた恐怖心を一旦リセットして、自分の感情を取り戻すきっかけというか」
所長に教えてもらったいくつかの方法は、時々首をひねるほど簡単でお手軽だから逆に効果を疑ってしまう。実際に使ってみると効いている……ような気がするけれど詳しい仕組みは分からない。
「あ、でも過信だけはするなよ? 幽霊も取り憑かれはじめが肝心なんだ。早めの対処でずいぶん違う」
「いや、そんな風邪みたいな……」
「似たようなもんだぜ。どっちも空気中に漂ってるし。でもな、インフルエンザ級のやつも居るから気をつけろよ」
「インフル……それはどういう意味の例えですか?」
「治すには専門家を頼るしかなくて、最悪死んじまうってこと」
所長はいつもサラッと恐ろしいことを言う。
「し、死……?」
今まで取り憑かれてきたけれど、最初の魔鏡館以外はどれも所長に教えてもらった方法で結構すぐに解除できた。
なんだ、怖いけれど幽霊なんてそんなものなのか。気の持ちようでこんなにも楽になれる。
僕がビビりすぎていただけなんだな……と思っていただけに、所長の言葉を聞いてまた足を止めてしまった。
「またなんか見えたか?」
「いえ……。その、死ぬほどの霊ってどんな感じなんでしょうか?」
僕と所長が一緒にいれば、先に取り憑かれるのは間違いなく僕だ。これは聞いておきたい。
「死っていうと極端だけど……ま、わかりやすく言うなら幽霊が神になったら相当ヤバいな」
「か、紙?」
「神、だ。カミサマ。でも普通の祀られてるようなヤツじゃなくって、信仰を集めた存在って意味でな。信仰っていうのは、要するにどれだけ人間に信じられているかってことだ。たとえば都市伝説なんかあるだろ?」
「口裂け女とか、人面犬とかですか?」
「そうそう。人間の信じる力っていうのは幽霊にとって最高のエネルギーだからな! 『いるかもしれない』って思われれば思われるほど力をもって、ただの霊から神格を得る。正規ルートじゃないから野良神だけどさ」
「神さまって、そんなに簡単になれるものなんですか?」
「簡単じゃないさ。例外はあるが、何十、何百年と信じられた選ばれしモノだけが至れる境地だ」
あんまりピンとこないけど、それだけ人間が及ぼす影響は強いということなのだろう。今はカミサマよりも目の前の仕事だ。
「そうですか……。それじゃ、もしそんな幽霊に出会ったら……?」
「大体、神レベルになると柵から放たれて人を襲ったりはしないんだが、たまに悪堕ちしてヤベーのがいるんだよ。そういうのは、話しかけてくるから気をつけろ」
「そういえば、今まで話しかけられたことはないですね」
「だろ? 絶対に反応するなよ。人語を理解してるってことは理性が残ってるってことだ。理性が残ってるのにまだ幽霊なんてやってるってことは、狂ってるってことだ。狂ってるってことは、悪堕ちしてるってことだからな」
「う……」
いらないことを聞いてしまったかもしれない。
途端に怖くなってきた。
所長が僕に必要以上の話をしないのは、こういうことだったのか……。
耳で聞いただけなのに、脳内はもう悪堕ちした幽霊に取り憑かれる妄想でいっぱいだ。
「おいおい、怖がるなって! 朝くんにはちょっと早かったか~?」
「い、いえいえ……そんなことは……」
所長に教えてもらった深呼吸と瞬きと唾飲みを一気に全部やって、ポケットの中で眠っているまだ溶けていない保冷剤を握る。
「大丈夫です……!」
嫌な妄想はどこまでも転がるけれど、今の僕には所長が近くにいてくれる。
それこそ、風邪のひきはじめを訴えたらすぐに対処してくれるだろう。
……よし、体調を崩したら真っ先に言おう! 意地を張らずに! すぐ! と、僕は情けない覚悟を決めた。
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