有涯おわすれもの市

竹原 穂

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10年ぶりの故郷

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 私は再びハツカちゃんからスーツケースを取り返そうとする。
 ハツカちゃんも簡単には渡してくれない。
 別に、神と呼ばれる存在を信じていないわけじゃない。
 でも、私から実母や夫や義母を奪う運命を強いたのが、誰かの采配だと言うのなら。
 もしもそれが神と呼ばれる存在ならば。
 なぜ?
 どうして?
 なんのために?
 そんな疑問が拭えない。
 そして、この私の問いに納得のいく答えを出せるのは、私しかいないということも知っている。
 だから、よく分からない言葉を並べ立てて、最後に「神様?」なんてよく分かっていない顔で小首を傾げたハツカちゃんのことを無条件で信じる気にはなれなかった。

「えっ、えっ、志穂さん怒っちゃった!? どうしよ、謝るからぁ~!」
「いや、別に怒っているわけでは……」

 さっきまでは神秘的な雰囲気で世の中のことを斜めに見たようなことを淡々と話していたハツカちゃんが、まるで子供のように泣きそうになりながら私を引き留める。
 私と一志さんの間に子供は居なかったけど、ほしくなかったわけじゃない。
 自分の子供と言うにはハツカちゃんは少し大きすぎるけど、胸の底の母性が少しくすぐられた。
 まるで、私が悪いことをしてしまっているような気分になる。
 ……こんなに必死なんだし、話を聞くぐらいはいいかな。
 私にはもう、なくして困るものなんてないもんね。

「……あのね、本当に怒っているわけじゃないんです。だから、謝らないでください」
「ホント?」
「うん、本当本当」
「二回言うときは、嘘かもしれないっておばあちゃんが言ってた……」
「じゃあ、一回だけ言います。本当に、怒ってないですよ。ハツカちゃんの話を聞かせてください」

 よく考えれば、真っ昼間のこんな時間に制服を着たままここにいるなんて、ハツカちゃんもなにかワケありなのかもしれない。
 人にはそれぞれ、事情がある。
 スーツケースを引きずりながら歩く私をみて、ほとんどの人が旅行中か仕事中だと思うだろう。誰も、私が夫と義母を亡くして家を追い出された未亡人だなんて思うはずがない。
 見た目だけじゃ、なにもわからない。
 まずは話を聞いてみよう。
 ……詐欺や事件じゃないことだけ願おう。

「うん……ありがとう。あのね、アタシ、いまここでお兄ちゃんの代わりに店長代理をしているんだけど、お兄ちゃん、こんな引継ノートだけ残して何にも教えてくれなくて……」

 ハツカちゃんを落ち着かせるために、可愛らしいソファに並んで座る。

「誰かに聞きたくても、みんなこの店にはパイプ椅子とソファしかないって言うし
、御座布のことを言ってもヘンな顔されるし、肝心のお客さんは全然こないし……お兄ちゃんは、毎日でも来るって言ってたから毎日ここで留守番してるのに……」

 私はまた室内をぐるっと見渡した。
 奥にある立派な古い机や椅子、それに赤い御座布はハッキリみえる。
 でも、本棚に乱雑に詰め込まれているものたちをしっかり焦点を合わせて見ようとすると、どうにも視界がボヤける。
 ここは、私が思っている以上に不安定な場所なのかもしれない。
 そして、そんな場所を突然たったひとりで任されることになって、ハツカちゃんは不安なんだ。
 私も、突然ひとりぼっちになる不安や心細さはよく分かる。今もその最中だ。

「そっか、大変だったんですね」
「うん、だから、志穂さんが私と同じものを見てるって知って、よかったって思って、それで……」

 きっと今まで、お兄さんからの受け売りの言葉を話していたのだろう。
 店長代理として、恥ずかしくないように。
 真面目な子だなぁ。

「わかりました。じゃあ、しばらく、一緒にお店番をしましょうか」
「えっ!? いいの?」
「はい。私に何ができるのか分かりませんが……」
「全然! 一緒に居てくれるだけで頼もしいよ! てか、アタシだってお客が死者って聞いてめっちゃ怖いんだから!」
「それは……私も怖いですけど」
「あっ、でもでも、見た目は普通の人間と変わらないって、お兄ちゃんは言ってたよ」
「それなら、なんとかなるかもしれません……」

 惚れっぽさゆえに店番を妹に押しつけるようなお兄さんの言うことは、あまり信用できませんけど、という言葉は飲み込んだ。

「だけど、志穂さん仕事は?」
「うっ……。い、今はちょうど無職なので……」
「じゃあ、志穂さん家は?」
「ううっ……。い、今はちょうど定住地がないので……この近くに仮住まいをもちます」
「じゃあ、志穂さん家族は?」
「うううっ……。い、今は、もう……」

 いません。
 とは、すんなり言えない。
 言ってしまうと、事実を認めてしまうことになりそうでこわい。
 私が認めても認めなくても、事実は事実なのだけれど。
 歯切れの悪い私の言葉をどう受け止めたのか、ハツカちゃんはキョトンとした顔で大きな目を何度かまたたかせる。
 どうしよう……。もう、私の事情を話した方が話が早いかな。
 これを言うと、誰にもが『同情モード』になって話が終わってしまうから、あんまり話したくないんだけどなぁ。
 私自身が受け入れられていないことを、同情されても仕方ない。
 そんなふうに思ってしまうから。

「あの……すいません」

 私たちのやり取りなんてまるでなかったかの如く、音もなく開いたドアの向こうに、ラフな部屋着に褞袍を来たおじいさんが立っていた。

 この人が……お客さん?
 つまり、死者!?

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