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さがしわすれ 〜自転車の鍵〜
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言葉に詰まって、うずくまってしまったお姉さんに合わせて膝を折ったお兄さんは、優しく囁く。
「妹様に、渡さないといけなかったのですね」
「……っど、どうしてそれを……!?」
「妹様から、直接伺いました。本当は、お姉さまが鍵を隠してしまわれたことに、気がついていたそうですよ」
「うそ……じゃあなんで!? わたしが、玄関に落ちてた鍵をわざと隠して黙ってたって知ってたなら……なんで……」
「それは小さな反抗心と言いましょうか……いじわるするなら、由香里がお母さんを独り占めして車で送ってもらうもん、と仰っていました。そしてそんな子供じみたわがままを通したことを、心から悔いていらっしゃいました」
「ちがう……ちがうわ。なんで、由香里は……なんで、知っていたなら……」
頭を振って、耐えられない後悔の念に翻弄されながらお姉さんは叫んだ。
「小百合のことを、憎まないの!?!?」
さゆり……というのは、きっとお姉さんの名前だろう。
やっと聞くことができた。
「いつもお母さん、由香里にばかり甘くて……たまにはあの子の朝寝坊を叱ってほしくて、だからたまたまあの日、小百合がいじわるして鍵を隠したのに……小百合のせいで、由香里もお母さんも、死んじゃったのに!!」
「小百合さまが、遺されたお父様と共にお二人を悼みながら過ごされた日々は、筆舌に尽くしがたくお辛かったでしょう」
「ぜんぶ、ぜんぶ小百合が悪いのに……お父さんはやさしくて、小百合のことをずっと気にかけてくれたわ。お父さんもお母さんも仲がいい夫婦だったのに……由香里も、高校生になることを楽しみにしてたのに、それを、小百合が、小百合が……」
小百合さんの姿が、高校生の形と老婆の形を行き来して定まらない。
そうか……小百合さんは、小さな過ちを犯した後の抱えきれない罪をずっと抱えて、あんなに年老いるまで生きていたんだ。
贖罪の日々は、どんなに彼女を傷つけただろう。
まだ数ヶ月の私でも、ちょっとしたきっかけで生を手放してしまいそうなほどつらいのに、それが何十年も続いたなんて……。
自分の名前が思い出せないほど、追いつめられていても無理のない話なのかもしれない。
「小百合さん」
ハツカちゃんのお兄さんが、ゆっくりと口を開く。
「あなたの辛さは、あなたしかわからないのです。あなたをゆるせるのは、あなたしかいません」
「でも、わたし、わたし……」
「小百合さんの贖罪は、すでに終わっていますよ」
「そっ、そんなことない!!」
「こうして有涯を全うされたことが、なによりの証でございます」
その一言で、小百合さんの姿は白い死装束を纏った白髪の老婆で固定された。
握りしめていた自転車の鍵は、もうその手の中になかった。
「妹様は、一足先に次の有涯へと向かわれました」
落とされた鍵を、お兄さんは丁寧に拾い上げて赤い御座布の上に置く。
「小百合さんと、また会えたらいいな、と仰っていましたよ」
「ゆ、かり……」
「もし次が家族じゃなくても、友達でもご近所さんでも先生でも後輩でも先輩でも、絶対に探すから、きっと一緒に遊んでね、今度は……朝寝坊しないように、がんばるから……と」
「由香里……由香里……っ。わ、わたしも……」
皺だらけの震える指先で、お兄さんが差し出した鍵に触れた瞬間、煙のように小百合さんは消えてしまった。
「小百合さま、由香里さま。どうぞ、良き次の有涯を」
お兄さんはいなくなった二人の余韻をなぞるかのように、開け放された扉に視線を向けている。
「志穂さん、立てる?」
いつの間にか尻餅をついていた私に、手を貸してくれるハツカちゃん。
「おばあちゃんにはどうしても連絡つかなかったからさ、ダメもとでお兄ちゃんに連絡したら、ワンコールで出てくれたよ」
「そうですか……家族想いなんですね」
「まさか。たまたま、偶然だよ。惚れた相手の入れ込んでいる最中だったら、絶対に家族からの電話なんて出ないもん。たまたま、手が空いてただけだと思うよ。でも、今回は助かったね」
黒いキャップを浅く被りなおしたハツカちゃんの細い腕につかまって、なんとか立ち上がる。
やっぱり、お客様がすべて死者というのは……本当なんだな。
見た目は生者と同じでも、なにかのきっかけであっという間にこの世のものではなくなる。死者としての世界に、こちらを引き込もうとしてしまう。
この場所は、このお店は……生者と死者の狭間に位置しているのだ。
ハツカちゃんが、使命感を持ちながらも怖がる理由がようやくわかった。
「お兄ちゃんはね、店主としての才能がずば抜けていて、自分の意志で彼岸と此岸を自由に渡り歩くことができるの。でもそのせいで、気軽に死者の言葉を遺族に伝えてしまうから、過剰に依存されたりしちゃうんだけど……まあ、こういう時は、助かるよね。最近は、おばあちゃんに大目玉くらうからあんまり首をつっこんだりしなくなったんだけど……元々おせっかいだから、生まれつきの性格って変わらないよね」
「じゃあ、由香里ちゃんの言葉も、本人がちゃんと言っていたってことですか?」
「たぶん」
「そうですか……じゃあ、私は由香里ちゃんから、きちんと聞き出せなかったってことですね……」
店主代理の手伝いとして、うまくやったつもりでいたのは自分だけだったみたいだ……と、肩を落とす。
「ううん、そんなことないよ」
ハツカちゃんはそんな私の肩をやさしく叩いた。
「妹様に、渡さないといけなかったのですね」
「……っど、どうしてそれを……!?」
「妹様から、直接伺いました。本当は、お姉さまが鍵を隠してしまわれたことに、気がついていたそうですよ」
「うそ……じゃあなんで!? わたしが、玄関に落ちてた鍵をわざと隠して黙ってたって知ってたなら……なんで……」
「それは小さな反抗心と言いましょうか……いじわるするなら、由香里がお母さんを独り占めして車で送ってもらうもん、と仰っていました。そしてそんな子供じみたわがままを通したことを、心から悔いていらっしゃいました」
「ちがう……ちがうわ。なんで、由香里は……なんで、知っていたなら……」
頭を振って、耐えられない後悔の念に翻弄されながらお姉さんは叫んだ。
「小百合のことを、憎まないの!?!?」
さゆり……というのは、きっとお姉さんの名前だろう。
やっと聞くことができた。
「いつもお母さん、由香里にばかり甘くて……たまにはあの子の朝寝坊を叱ってほしくて、だからたまたまあの日、小百合がいじわるして鍵を隠したのに……小百合のせいで、由香里もお母さんも、死んじゃったのに!!」
「小百合さまが、遺されたお父様と共にお二人を悼みながら過ごされた日々は、筆舌に尽くしがたくお辛かったでしょう」
「ぜんぶ、ぜんぶ小百合が悪いのに……お父さんはやさしくて、小百合のことをずっと気にかけてくれたわ。お父さんもお母さんも仲がいい夫婦だったのに……由香里も、高校生になることを楽しみにしてたのに、それを、小百合が、小百合が……」
小百合さんの姿が、高校生の形と老婆の形を行き来して定まらない。
そうか……小百合さんは、小さな過ちを犯した後の抱えきれない罪をずっと抱えて、あんなに年老いるまで生きていたんだ。
贖罪の日々は、どんなに彼女を傷つけただろう。
まだ数ヶ月の私でも、ちょっとしたきっかけで生を手放してしまいそうなほどつらいのに、それが何十年も続いたなんて……。
自分の名前が思い出せないほど、追いつめられていても無理のない話なのかもしれない。
「小百合さん」
ハツカちゃんのお兄さんが、ゆっくりと口を開く。
「あなたの辛さは、あなたしかわからないのです。あなたをゆるせるのは、あなたしかいません」
「でも、わたし、わたし……」
「小百合さんの贖罪は、すでに終わっていますよ」
「そっ、そんなことない!!」
「こうして有涯を全うされたことが、なによりの証でございます」
その一言で、小百合さんの姿は白い死装束を纏った白髪の老婆で固定された。
握りしめていた自転車の鍵は、もうその手の中になかった。
「妹様は、一足先に次の有涯へと向かわれました」
落とされた鍵を、お兄さんは丁寧に拾い上げて赤い御座布の上に置く。
「小百合さんと、また会えたらいいな、と仰っていましたよ」
「ゆ、かり……」
「もし次が家族じゃなくても、友達でもご近所さんでも先生でも後輩でも先輩でも、絶対に探すから、きっと一緒に遊んでね、今度は……朝寝坊しないように、がんばるから……と」
「由香里……由香里……っ。わ、わたしも……」
皺だらけの震える指先で、お兄さんが差し出した鍵に触れた瞬間、煙のように小百合さんは消えてしまった。
「小百合さま、由香里さま。どうぞ、良き次の有涯を」
お兄さんはいなくなった二人の余韻をなぞるかのように、開け放された扉に視線を向けている。
「志穂さん、立てる?」
いつの間にか尻餅をついていた私に、手を貸してくれるハツカちゃん。
「おばあちゃんにはどうしても連絡つかなかったからさ、ダメもとでお兄ちゃんに連絡したら、ワンコールで出てくれたよ」
「そうですか……家族想いなんですね」
「まさか。たまたま、偶然だよ。惚れた相手の入れ込んでいる最中だったら、絶対に家族からの電話なんて出ないもん。たまたま、手が空いてただけだと思うよ。でも、今回は助かったね」
黒いキャップを浅く被りなおしたハツカちゃんの細い腕につかまって、なんとか立ち上がる。
やっぱり、お客様がすべて死者というのは……本当なんだな。
見た目は生者と同じでも、なにかのきっかけであっという間にこの世のものではなくなる。死者としての世界に、こちらを引き込もうとしてしまう。
この場所は、このお店は……生者と死者の狭間に位置しているのだ。
ハツカちゃんが、使命感を持ちながらも怖がる理由がようやくわかった。
「お兄ちゃんはね、店主としての才能がずば抜けていて、自分の意志で彼岸と此岸を自由に渡り歩くことができるの。でもそのせいで、気軽に死者の言葉を遺族に伝えてしまうから、過剰に依存されたりしちゃうんだけど……まあ、こういう時は、助かるよね。最近は、おばあちゃんに大目玉くらうからあんまり首をつっこんだりしなくなったんだけど……元々おせっかいだから、生まれつきの性格って変わらないよね」
「じゃあ、由香里ちゃんの言葉も、本人がちゃんと言っていたってことですか?」
「たぶん」
「そうですか……じゃあ、私は由香里ちゃんから、きちんと聞き出せなかったってことですね……」
店主代理の手伝いとして、うまくやったつもりでいたのは自分だけだったみたいだ……と、肩を落とす。
「ううん、そんなことないよ」
ハツカちゃんはそんな私の肩をやさしく叩いた。
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