ただ帰りたいはずだったのに、私は壊す者になった

川浪 オクタ

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第9話『精神の迷宮、二人で』

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 一人じゃ、もう壊れそうだった。

 だから――“二人で”歩く。


 《 王太子との別れ 》

 王太子ルディアン・ロア=グレンは、護衛と共に王都へ一度戻ることになった。

「……また会おう。君の判断を、信じてるから」

 最後にそう言って馬車に乗り込んだ彼の笑顔は、どこか名残惜しそうだった。



 《 天空の宿り木 》


「本当に、こんな立派なホテルに泊まってもいいの…?」

 王都近郊にある宿泊施設──その名は《天空の宿り木》。

 かつて高位冒険者たちの拠点として栄え、今では一般客も受け入れる格式ある宿。ロビーらしき広間には、さまざまな種族の冒険者や親子連れの姿が見える。

 晴歌は、獣耳をつけたヒトや、ドワーフのような小柄なヒトがいることに気付き、この世界の広さを改めて知った。

「……まぁ、宿泊代はあいつ持ちだから。一泊でも二泊でも好きにしろ」

 なぜかリュゼルも同じホテルに泊まるよう勧められたようで、隣でぶっきらぼうに言いながらも、晴歌の様子を気にしている。

 そのとき――足元が揺れたような感覚。晴歌は立ち止まる。

(……いま、揺れた? 私だけ……?)

 リュゼルも眉をひそめた。彼の鋭い感覚が、空間の微細な魔力の歪みを捉えていた。

 そこに、角と丸メガネが印象的な執事風の人物が現れた。

「リュゼル様、お待たせいたしました。お久しぶりでございます」

「……久しいな。何かあったのか?」

「はい。少し、アクシデントが」



 《 地下の異常 》


 三人はロビーの隅に移動し、小声で話を始めた。

「……地下に異常があったって話か?」

「はい。『試練の間』が、少し不安定でして」

 地下には今も"試練"と呼ばれるダンジョンがあり、宿泊者の訓練や試験に使われている。だがその空間は周期的に魔力の流れが変わり、いまだ完全には制御できていなかった。

「四日前から、地下の魔力が乱れています。そして……従業員が一人、清掃に入ったまま戻ってこないのです」

「姿が見えなくなったのか」

「入口付近の清掃ですから、本来ならダンジョンの奥に入ることはありません。ですが、今は結界の様子も不安定で……」

「それでも、放っておくわけにはいかないな」

 リュゼルが立ち上がる。その表情に、晴歌は少しの変化を感じ取った。最初に出会った時のような警戒心ではなく、むしろ義務感のようなもの。

「……来たばかりで申し訳ありません。あ、そのお方は?」

 リュゼルは一瞬、晴歌を紹介するかどうか迷った。が、現状を優先して答える。

「あ……私は、晴歌といいます。よろしくお願いします」

「ハルカ様ですね。《天空の宿り木》のオーナー、エベル・ミューレンと申します。以後、お見知りおきを」

 晴歌とリュゼルを交互に見つめ、ふっと柔らかく微笑む。

「……オーナー」

「はい?」

「こいつとは何もない。たまたまルディに勧められただけだ」

「それは失礼。あまりにお似合いだったもので、つい……」

 耳まで真っ赤になったリュゼルは、咳払いして立ち上がる。

「おい、準備できたら行くぞ!」

「えっ!? 私も!?」

(……一緒に行くなんて、一言も言ってないのに!)

「君の力をもっと理解したい。それに……」

 リュゼルが少し言い淀む。

「冒険者として、まだ場慣れが必要だろう。精神系のダンジョンは独特だ。経験しておいて損はない」

 そう言いながらも、リュゼルの視線は晴歌の安全を気遣っているようだった。そして何より、もう少し一緒にいたいという気持ちが、リュゼルには隠しきれずにいた。

 オーナーの案内で二人は地下へと向かっていく。その背中を、宿の従業員たちが不思議そうに、ある者は驚きのまなざしで見送った。

「リュゼル様……あんな顔するんだな」

 小さくつぶやいたスタッフの声に、誰かがクスリと笑う。



 《 精神の迷宮 》


「ここまでは結界がありますので、安全です」

 地下に入ると、そこは石造りの回廊と扉が連なる、静かな迷宮だった。空気がピリつく。結界内にいるはずなのに、何かが"いる"気配がする。

「それでは、どうかご無事で……よろしくお願いいたします」

 二人は結界の外に足を踏み込んだ。

「ここは『精神の迷宮』と呼ばれている。様々な生き物の精神が集まる場所だ」

 リュゼルが説明した。

「魔力が弱い者には幻影として、魔力が強い者には実体化して現れる。俺たちには……おそらく実体として現れるだろう」

「……たしかに。森のダンジョンと、似てるようで違うかも」

 何度も同じ通路に戻されながらも、慎重に進む。その間、リュゼルは晴歌の後ろを歩きながら、彼女の魔力制御の様子を観察した。

(前に会った時より、ずっと安定してる。そして…)

 晴歌の成長と、その力の奥に潜む可能性を感じながら、リュゼルは改めて興味を抱いた。

 やがて、かすかな声が――

「……助けて……誰か……!」

 リュゼルが即座に走り出し、うずくまっていた従業員を抱き起こす。彼は幻影を見せる魔力にさらされ、震えていた。

「幻影か……にしては、強すぎる」

 晴歌は周囲を見回しながら違和感を覚える。

(ここ全体の魔力……色々な色や形をしていてごちゃごちゃしている?)

 リュゼルが青年を保護し、脱出ルートを確保しようとした、その瞬間。

 空間の一部がぐらりと揺れ、封鎖された。

「……完全に起動したか。歓迎されてないみたいだな」

 リュゼルが剣を抜く音が響く。晴歌の足元にも魔力が集まっていく。

 "誰かと一緒に乗り越える"試練が、動き始めた――
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