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第19話  猫耳のカチューシャ

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 翌日、僕は神宮司部長のところへ昨日の礼をしに行った。

 出迎えてくれたのは、女子の上級生。

「あら? えっとー……」
 
 彼女は、僕の顔をまじまじと見た後、
 
「あーあなたね! 神宮司さんの後輩君よね!?」

 えっ? 何? その微妙な認知度。
 
 部長に関して、いろいろな噂は耳にしている。木村以外の何人かと一緒にいる姿が目撃されているとも。僕は、その中の一人っていうわけだろう。
 こういうとき、女子はやっかみそうだけど、そういった話は聞かない。あまりにも差が開きすぎている相手には、嫉妬すらできないのかもしれない。
 
「神宮司さぁ~ん。後輩君よぉ~」

 彼女が名を呼ぶと、間もなく部長が現れた。部長は、ほかの生徒とは明らかに異質の光を放ち、周りの女子たちが影のように見える。 

「お礼なんて。私から押し掛けたのだから……まぁ、強いて言うなら、部活をきちんと頑張ってほしいわね」

 「わかりました」と言って、僕はその場を立ち去った。
  
 それからフランにも礼を言う。

「どういたしまして」

 受話器の向こうでフランの声が明るく響く。

「お礼がしたいけど」

「本当ですか? うーん。それなら……」

「なに?」

「ママンのプレゼントを作るのを手伝って欲しいんです。もうすぐ誕生日なんです」

「いいよ。何を作るの?」

「あの……それも相談したくて……」

「お母さんの誕生日はいつ?」

「来週の月曜日です」

「そっか。一週間あるのか。じゃあ、花のモチーフを編んで、それをネックレスにしたらどうかな? 太い糸で編めばいいんだ。チェーンのつなぎ方とかは教えるよ」 

「ありがとうございます! あと……」

「なに?」

「一緒にお買い物に行っていただきたいんです。ママンに内緒で行きたいけど、フランは一人では遠出できないんです」

 “遠出”というほどでもない。
 でも、中学生になったばかりでは微妙なところだ。
 しかもフランは目立つ存在なのだ。

「いいよ」

 こうして僕とフランは、材料探しの買い物に出かけることにした。

 待ち合わせ場所は、フランの家の最寄り駅にした。
 僕らの家は電車で三つほどの距離だ。日菜もだけど、あの学校の生徒は近隣の地域に住む少女たちが多い。

「お兄様。ここまで来ていていただいてありがとうございました」

 フランが丁寧に頭を下げる。
 フランは、ひらひらとしたフリルとレースが襟や袖についた白いブラウスを着て、裾にレースのふち飾りのあるスカートを履いていた。

 勿忘草の青い瞳。濃く長い睫毛。きれいに巻いたはちみつのような金色のハーフアップの髪に二つの青いリボンが揺れていた。

 本当にフランス人形みたいだな。
 何度見てもそう思う。
 
 僕らは電車に乗り、目的地へ向かった。

 電車の中で、

「お兄様。上手くいくかしら? ママンは喜んでくれるかしら?」

「フランは十分上手だし、それにプレゼントを作ろうとすること自体が大切なんだよ」

「本当!?」

 フランの顔がぱっと明るくなった。

 僕は前々から気になっていたことを聞いてみた。

「フランは何月生まれ?」

「えっ?」

 勿忘草の瞳が、なんでそんなことを聞くのだろうかというように見開かれた。

 それでも、

「二月です」

 と答えてくれた。

「そっかー」

「どうかしたんですか?」

 フランが不思議そうに僕を見た。

「いや、日菜と誕生日が近いと思って」

 やっぱりフランも早生まれだった。
 どこか幼い二人。心も体も。
 フランが気がかりなわけが、わかったような気がする。
 日菜と重ね合わせていたんだ。

「いつも日菜ちゃんのこと気にかけているんですね」

「うん? 妹だからね」

「でも、友だちのお兄様は、そんなに優しくないです」

「そうかな……」

 神宮司部長も同じようなことを言っていた。
 僕の日菜に対する気遣いは、こんな子どもにもわかるのだろうか。

 車内アナウンスが目的地の到着を告げ、僕らはショッピングビルにある手芸店へ向かった。

「わあ! 材料がたくさん!」

 ビーズに糸に針に、布、色とりどりの手芸道具の中で、呆然としたフランの視線が、あちこちに飛んでいく。

「ほら! ぼっとしてないで! 行くよ!」

 僕らはレース糸のコーナーへ行った。
 
 ネックレスのデザインは、花と四葉のクローバーのモチーフを組み合わせたもので、夏のブラウスに合わせて紺色にする。
 紺色の糸と、60センチのチェーンを買った。
 買い物はあっという間に終わったが、その後も糸や道具を見て歩いた。

「初めて手芸店に来たんです! 楽しかった!」

「それはよかった」

 こんなに喜んでくれるなんて、連れて来たよかったと思うよ。

 ふと、思いがけないものが目に入る。
 こんな物がここにあるなんて。コスプレにでも使うのだろうか?
 思わず手に取ってみると、妙な好奇心がむくむくと沸き起こった。

「ねぇ。フラン。これ着けてみて」

「えっ?」

 フランはきょとんとしていたけど、

「わかりました!」

 手に取って、鏡を見ながらそれを身に着けると、くるりと振り返って、

「どうですか?」

 花のような笑顔を僕に向けた。

 ―― ズキュン!!

 心臓を打ち抜く音がする。

 か、かわいい!!
 かわいいじゃないか!
 
 僕は、さぞかしだらしない顔していたに違いない。それを見たフランが嬉しそうに言った。

「お兄様、がお好きだったんですね? 早くおっしゃってくださればよかったのに……」

 フランは、今、猫耳のカチューシャを着けている。

   ふわり。
 ふわり。

   金色の髪をゆすると、青いリボンが猫耳の周りで揺れた

 その可愛さは。まさに天使。いや、むしろ悪魔的。小悪魔だ!
 拗ねて甘えて、僕を惑わす碧眼のブルーポイント長毛種・ペルシアン

 ゆらり。
 ゆらり。

 揺れる金色のしっぽが見えるようだ。

「似合っているんですね!? フラン、これ買います!」

 いい! いい! 絶対にいい!! 何なら僕が買ってやりたいくらいだ!

 ーーその時、

 “坂下君って【こういうの】が好きだったのね”

 冷たい声が耳鳴りのように、僕の頭の中で響いた。
 部長の声。あの人にこんなことが知られたら……。
  
 ーーツーっと冷たいものが僕の背筋を走った。

「いや! いいよ! 買わなくていいから!!!  僕は全然興味ないからね!! 【こういうの】なんて!!」
 
「え~~でもぉ~~」

 フランが未練たらたらに、猫耳のカチューシャを見つめている。

「わかりました」

 名残惜しそうにフランが言い、僕はほっと安堵した。

 ……が!

「すみませぇ~~ん! この人と並んだ写真を撮ってくださぁ~~い!」

 突如、フランが親切そうな店員に声をかけた。

「こ、こら! フラン!」

 僕はぎょっとした。カチューシャを買うよりもタチが悪いじゃないか!

「だって、せっかくの記念ですもの。一緒に撮りましょう。お兄様!」

 フランは譲らない。

 笑顔の店員が携帯を手に、写りが良くなるようにアドバイスをしてくれている。
 もう断われない。
 猫耳のフランが笑みを浮かべてポーズをとると、シャッターの音が店内に小さく響いた。
 

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