上 下
20 / 37

第20話  手榴弾ふたたび

しおりを挟む
「うふっ!」 

 苺ジュースを前に、フランが笑う。
 僕らはショッピングセンターのカフェで一休みをしていた。

「どうしたの?」

「お買い物して、お茶をして……。これってデートですよね? フラン嬉しいです。これから、もっとこんな風にお出かけしたいです」

 フランが頬を染め、もじもじと恥じらっている。

「それに……お兄様と並んで写真を撮ったし………」

 フランは携帯を愛おしそうに抱きしめると、

「これ、待ち受け画面にします!」

 と言った。

「ま、待ってフラン!」

 僕はぎょっとした。猫耳の中学生とツーショットなんて、人が見たらなんて思うだろうか? 考えただけで顔から火が出そうだ。

「あら? お兄様? 恥ずかしいんですか? わかりました。お兄様がお嫌ならば、待ち受けにはしません。これ、フランとお兄様だけの秘密ですね」

 と、嬉しそうに笑った。

 僕は安堵するのと同時に、フランの素直な姿に疚しさを感じてしまった。 
 でも、子どもの言ったことだ。聞き流そう。いつかフランも自分の言ったことを忘れてしまうに違いない。

 子どもなんだ。そうじゃなきゃ、あんな態度を部長の前でとるはずがない。
 まるで挑発しているみたいだったけど、悪気なんてさらさらないんだ。

「でも……やっぱり、あのカチューシャ買えばよかったなぁ~。ああいうのお好きなんですよね? お兄様」

 フランはカチューシャに未練たらたらだ。

「そ、そんなことはないよ! 君は誤解しているんだ!」

「そうですかぁ~?」

 フランが怪訝そうに僕を見る。
 でも、フランが猫耳のカチューシャのことを早く忘れてほしいという僕の願いは、どこかに届いたようで、何事もなかったかのようにフランが話を始めた。

「おば様とお兄様は、パリでレース編みを覚えられたんですね」

「うん。母は近所の奥さんたちの編み物集会に誘われたんだ。週一回の集まりをとても楽しみにしていたよ」

 パリで僕が生まれる前、母さんには父さん以外の知り合いがいなかった。
 彼女たちの優しさが母を救い、僕は無事に生まれることができた。
 僕は赤の他人の優しさに救われ、親族の冷淡さに煩わされている。皮肉なものだ。

「パリ。いいなぁ。フラン、まだフランスに行ったことがないんです」

 フランが小さな溜息をついた。

「いつか行けるよ」

「そう思いますか?」

「うん」

「早くそうなるといいな。私、ママンの故郷を見たいんです」

 まだ見ぬ遠い地。フランのもう一つの故国ふるさと。それは僕のそれでもあるんだ。
 家事や育児の合間に母さんがレースを編む姿を、僕は生涯忘れることはないだろう。

「お兄様。お兄様もレース編みをなさるんですね。日菜ちゃんから聞きました」

「うん」

「どうして編まないで図案ばかり描かれているんですか?」

「どうしてって……」

 返答に困る。

「お兄様はものすごくお上手だって、日菜ちゃんが言っていました」

「そんな。大げさだよ。子どもの頃からやっているから、他の人よりは上手いかもしれないけど、プロになれるほどじゃないんだよ」

「プロになれないと編んじゃいけないんですか?」

「そういうことじゃなくて……僕が編んでもね、僕が楽しむだけで終わっちゃうんだ」

 フランは暫くの間、ぽかんと口を開けて僕を見つめていた。そして、何か思いついたのだろうか? 顔を輝かせた。

 ――そして。
 再び。
 フランの手榴弾がさく裂した。

「わかりました! お兄様は人の役に立ちたいんですね!! やっぱりお兄様は素晴らしい人です。尊敬します!」

 と、店内に響き渡るような大声で言った。

 ―― う……わっ……!!!!

 ああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!
 
 公衆の面前で、何恥ずかしいこと言ってんの!

「フラン。フラン。声が大きいよ!」

 投げつけられた手榴弾は、僕の生易しい感傷を木っ端みじんに打ち砕いた。

 フランが目をキラキラとさせて、僕を見つめている。
 尊敬!? そんな重たいもの欲しくないし!

「そんな大げさなことを考えているわけじゃないよ!」

「そうなんですかぁ~?」

「そうそう。好きってだけでは続けられなかったんだ。それだけだよ」

 子どもなんだ。そうだ。子どもなんだ! 自分の言っていることの意味なんてわかっちゃいないんだ! 僕は自分に言い聞かせる。

「ふーん?」

 勿忘草の瞳が、いたずらを企む子猫のように僕を見つめる。
 
 何とか気を逸らしたい。

「そうだフラン。花のモチーフを使ってサシェも作れるよ。サシェに入れるポプリを買おう」

「わぁ!」

 フランが手を叩いて喜び、僕らは再び手芸売り場へ戻っていった。



 それから数日後のことだった。
 僕は、いつも通り部長と向き合い図案を描いていて、あと少しで完成という時だった。

 ピロロン。

 呼び出し音が鳴り、僕は携帯を取り出し……

「!!!」

 ―― なっ! なんてもの送ってくるんだ!

 僕は、即座に携帯を鞄に戻そうとした。

 が、

「なに?」

 部長にその手を押さえられた。氷の炎のような視線を、僕と、僕の手にした携帯に向けている。

 『なんでもありません!』 『見せなさい!』 という応酬の後、携帯は部長の手に渡った。

「ふーん? 坂下君って【こういうの】好きだったんだ」

 僕を冷たい目で睨みつけながら言う。

 送られてきたのは、手芸店で撮った僕とフランのツーショットだ。
 可憐な笑顔の猫耳少女と、おどおどした僕が並んで写っている。

 メッセージには

『二人の ヒ・ミ・ツ!。。。。うふっ☆』とあった。

「こ……これはフランが……」

 どぎまぎしながら、最後の弁明を試みる。

 でも、違うんだ。
 僕がつまらない好奇心を起こしたことが、そもそもの始まりで、フランには何の罪はないんだ。

「よこしなさい!」
 
 冷たく乾いた声が部室に響いた。 

 それからの部長は電光石火のごとく。
 僕からタブレットを取り上げると、完成寸前の図案を、跡形もなく消去した。
 
 あっという間の出来事だった。



しおりを挟む

処理中です...