虐げられた無能の姉は、あやかし統領に溺愛されています

木村 真理

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3巻

3-3

「そ、そうでしょうか……?」

 戸惑とまどいながら問うと、雪姫と樹莉は大きくうなずく。初音はまたまばたきをし、少し考えた。

「ですが、高雄様と椿を見に行くのは楽しそうです」

 雪姫がはじけるように笑うと、見守っていた侍女の竹良もこらえきれないように吹きだし、「失礼しました」と咳払いした。

「作戦会議などせずとも、初音様がお願いすれば、花葵を呼ぶこともあっさりと許可が下りそうな気がしてきたの」

 雪姫は茶化すように言いながらも、初音たちの先に立って、図書室に行く道に戻る。初音は樹莉と笑いながら、それに続いた。



「花葵に会いたい?」

 全員そろっての昼食は、久しぶりだった。席に着くとさっそく、初音は高雄に願い出た。
 高雄は手に持った皿を置き、む、と腕を組む。

「急な申し出だな。なにかあったのか?」
「いいえ。ですが、ずっと気になっていたのです。花葵様を、このままにしておいてはいけないのではないかと」

 初音は、隣に座る高雄の顔が見やすいように座りなおして、真剣に訴えた。
 高雄はあごに手を当て、む、とうなずく。

「そうだな。初音が時を戻してくれたおかげで、我々は花葵が愚かな真似まねをしたところは目撃していない。だが、宴の席で真っ向から初音に暴言を吐いたというなら、そのようなことが二度とできぬように対処すべきだと、俺は思っている」
「だーかーら。俺らは、初音様が大きな力を使われたことをわかっているし、おっしゃることが本当だろうと信じているけどよ。なんの証拠もないどころか、この世界線ではしなかったことで花葵を罰することはできねぇんだよ」

 苛立ちをこらえるように両手を握りしめる高雄の肩を、高雄の向こうに座っていた火焔がはたいた。

「わかっている。だから監視だけさせて、手出しはしていないだろう」
「監視させているのも、わりとギリギリだからな? 理由を取り繕って崔亮の許可は得ているとはいえ、花葵が訴えてきたら逆に俺らのほうが非難されるかもしれないからな?」

 火焔は高雄の肩をぎゅっとつかんで、なだめるように言う。

「高雄様、お怒りですわね」

 樹莉は頰に手を当てて、ほうとため息をついた。

「まぁ、初音様のこととなると我慢のきかない高雄様のことじゃ。初音様を罵倒した花葵に怒りを抱いているのは知っておったが、これほどあからさまとはの。よう取り繕えていたものじゃ」
「高雄様も、今の状況で花葵を罰するわけにはいかないことはわかっているんですよ。ですが、感情は抑えられないようで、花葵の話になるといつもこうなんです」

 湖苑は、いつものことだとたんたんと言った。

「高雄様……」

 花葵の「罪」のほとんどは、初音が時を戻したことで消えた。それを覚えているのも、初音と、時を戻す術を助けてくれたあの白猫だけだ。高雄や雪姫たちは、初音が語ったことを信じてくれただけで、時が戻される前に起こったことを覚えているわけではない。大きな術を使った痕跡があったとはいえ、初音が語った「時を戻す」という出来事を高雄たちが疑いもせずに信じてくれて、初音は驚きながらもとても嬉しかった。
 それに、花葵のことを調べてくれていることも、嬉しかった。
 それは、初音の言うことを信じて花葵を警戒してくれているのと同時に、統領という重い立場にふさわしく、間違いがないよう慎重に動いてくれているのだとわかるから。
 同時に、やはり花葵のあの時の言動を覚えている自分が、花葵に会って説得すべきだと思った。花葵にあのようなことを二度と起こさせないためには、花葵が初音のことを認めてくれるのがいちばんだと思うから。
 このままなにも動かなければ、花葵はいつかまた同じような行動をとるかもしれない。その前に花葵に会って、話をして、高雄の結婚相手として自分のことを認めてもらわなくてはいけない。あの時のことを覚えている自分なら、それができるかもしれない、と。
 あの時の花葵は理性を吹き飛ばしたような状態だった。でもだからこそ、あの時の言葉はきっと花葵の本当の気持ちだったと思うから。

「私は、花葵様にお会いするべきだと思うのです。公の場でないのなら、花葵様がなにをおっしゃっても、大きな問題にしなくてもいいでしょう? あの時、花葵様の本当のお気持ちをうかがった私なら、きっと花葵様のお気持ちを動かすことができると思うのです」

 初音は、高雄の目を見つめて、切々と訴えた。高雄はいつものように顔を赤らめることはなく、苦しげに眉を寄せて尋ねてきた。

「だが花葵は、初音のことを目の敵にしている。そなたにとって、おらぬほうがよい存在だろう。なぜそこまで、手を差し伸べようとするんだ?」

 初音のことを優しいと、高雄はいつも言う。そのたびに初音は、自分はそんなに優しい人間ではないのにと心の中で彼の言葉を否定してしまう。高雄が見ているのは自分ではなく、理想化された別人なのではないかと、少しだけ疑う気持ちがあったのだ。
 けれど、高雄は花葵に手を差し伸べようとする初音に「なぜ」と問うた。初音は嬉しくなった。優しい人間なら、誰もかれも救おうとするのが当たり前だろうに。
 そう、初音は優しくなんてない。自分を害する相手は嫌いだし、助けようなんて思わない。高雄は、それを知っている。だからここで「なぜ」とくのだろう。
 そういえば、初音を虐げていた妹の華代を高雄が消そうとしていたのを止めた時も、高雄は同じように「なぜ」と言っていた、と初音は思い出した。あの時は、すぐに妹を消そうとする高雄に困惑していたので、そのことはいつの間にか忘れていた。あのころから、高雄は初音をそのままに受け止めてくれていたのだろうか。
 初音は嬉しくなって、高雄の手を取った。そして手と手を合わせて、するりと指を絡める。

「ん、んん……?」

 高雄が戸惑とまどったような声を漏らす。けれど嬉しくなった初音は、そんな高雄の声にもそわそわして、絡めた指にぎゅっぎゅと力を込めた。
 大きな、硬くて強そうな指。あたたかい手だ。初音のすべてを包み込んでくれるような、大きな手。

(好き)

 胸の奥から、ぎゅっと気持ちが込み上げる。あまやかな話をしていたわけじゃない。けれど、あふれる感情はどうしようもない。
 もてあました気持ちのままに、初音はぎゅっぎゅと指を絡め、はぁっと熱い息を吐いた。

(高雄様が好き)

 初音が、花葵に手を差し伸べようとしているのには、いくつもの理由がある。
 ひとつめは、初音が時を戻す前のように、花葵が公然の前で初音を選んだ高雄の選択を批判して処罰を受けることになれば、高雄が大切に思っている元老の崔亮まで処罰しなくてはいけなくなるから。そのことで高雄が傷つくだろうから。
 ふたつめは、強い霊力を持つ姉と比べられ、無能と公言される花葵に、自身の境遇を重ね、同情しているから。
 そして最後に、これは初音の勘でしかないのだが、花葵はきっと高雄のことが好きだからだ。切ない目で高雄を見る花葵を目の当たりにして、出会ったばかりの自分が高雄と結婚することに申し訳なさを感じた。花葵のような思いをしている娘が、このかくりよにたくさんいることを、今はもう知っている。初音の護衛としてこの場に控えている桃香も、たぶんそのひとりだ。けれど初音がいちばん初めに高雄への恋心を持つ娘として出会った花葵は、そんな娘たちの象徴のように初音には思えて、きちんと向き合いたいと思ってしまうのだ。 
 そんな花葵が、初音を高雄の相手として認めてくれたなら、きっとひとつ自信が得られるから。

(私は、どこまでも自分勝手だ)

 身近な桃香ではなく、ただ初めて恋敵と感じただけの花葵を象徴に仕立てようというのも、本当に勝手だ。優しさとは、程遠い。初音自身だって、そんな自分のことを好きだなんて胸を張って言えない。でもたぶん、高雄はそんな初音のことも知っている。それでも、初音のことを好きだと言ってくれているのだと思う。

(本当に、どうして高雄様は私なんかが好きなんだろう?)

 初音は、高雄と出会ってから何度も抱いた疑問をまた胸に抱く。でも。

「高雄様。私は、私のために花葵に会いたいのです。ご許可いただけますか?」

 どうしてかはわからないけれど、高雄は初音のことを好きになってくれた。深く、大きな愛で、初音を大切にしてくれる。
 この幸運を大切にしたい。高雄が大切にしてくれる初音自身と、高雄たちを大切に思う自分の気持ちも一緒に。だから、ひとつひとつ。すべきだと思う行動を選び取り、重ねていこうと思うのだ。
 初音が高雄の目を見上げて、熱っぽく言うと、高雄はぐっと唇を噛んでうなずいた。

「……初音が、どうしてもと言うのなら仕方あるまい」
「ありがとうございます!」

 初音はぱっと顔を輝かせて、雪姫と樹莉のほうへ手を振った。ふたりは目を丸くして初音を見返したが、一瞬の後、笑顔で手を振り返してくれた。
 ほっとして、初音は卓に置いていたお茶をひとくち飲んだ。
 その隣で、高雄は顔を両手でおおって、ぐったりとうなだれる。

「振り回されてるなぁ、統領」

 火焔は、逆隣から高雄の顔をのぞき込み、からかうように言う。

「なんとでもいえ。俺は幸せ者だ……」

 うつむいたまま、高雄は返す。火焔はけらけらと笑い、ばんばんと高雄の背中を叩いた。

「まぁ、このまま花葵の監視を続けていても進展なさそうだしな。手があるのなら、打つのもいいだろ。それが吉とでるか凶とでるかはわからねぇけどな」
「初音さえ無事なら、多少のことはどうとでもするさ」

 そう言って高雄は顔を上げ、切り替えるように小さく咳払いして、卓に並ぶ全員の顔を見回した。

「では、話を詰めるか。まず絶対条件として、初音が内宮から出て、花葵に会うことは許可できぬ。強い結界で守られたここがいちばん安全な場所だからな」
「でしたら、内宮の応接室に席をもうけましょう。表向きは、わたくしが初音様の無聊ぶりょうを慰めるため、親しくなれそうな方をお招きするとしてはどうでしょうか」

 樹莉は、先ほど初音や雪姫と打ち合わせしていた話を切り出した。

「悪くはないが……、それで花葵を招くのは難しいのではないか? 初音と親しくなれそうな女性は、他にいくらでもいるだろう」
「そうだな。花葵は表立って初音様に敵対しているわけじゃねぇけど、自分の姉である木蓮を、高雄様のお相手にと推していたのは知られた話だしな。なんで花葵が早々に呼ばれるんだって疑問に思われそうだな」

 高雄が首をかしげると、火焔も同意した。けれど湖苑は、「それが問題になるでしょうか?」と声を上げた。

「一般的な高位のあやかしに嫁ぐ娘であれば、まずはより格の高い方に顔をつなぎ、相手の顔を立て、庇護ひごを得るのは賢いやり方でしょう。しかし初音様は、統領である高雄様のお相手です。そのお立場は比類ないものです。高雄様の母である天零てんれい様や、元老の紫水しすいとも既に顔を合わせられており、おふたりにも認められている初音様が、順序がどうのと外野から言われる筋合いはありません。あまり気を遣わずに済む、同じ年ごろの娘たちとの顔合わせから始めて、かくりよの社交に慣れていただくつもりだといえば、花葵を招いてもそう不自然ではないのではないでしょうか?」

 湖苑の話に、高雄はうなずいた。けれどなおも思案顔で腕を組んだ。

「だが、樹莉は友人知人も多い。いくらでも初音に好意的で、素行がよい娘がいるだろうに、なぜ花葵なのかと言われそうだな」
「ですが、花葵だって崔亮の孫娘で身元は明らかですし、この御所城にもよく出入りしています。わたくしとも、幼いころから顔馴染みですもの。それほど不自然に思う者はいないはずですわ」

 樹莉は高雄に訴えた。

「まぁ、花葵の他にも何名か呼べば紛れるじゃろ」

 雪姫が樹莉に加勢する。
 だが高雄は、それを聞いて顔をしかめた。

「他の者にも、初音を会わせるのか?」
「そう嫌そうな顔をするな。初音様はこれからもずっとかくりよで暮らしていかれるのじゃぞ。知人もろくにいないのではお寂しいじゃろう。まぁ、初音様が興味を持たれそうな商人たちも紹介したいと思うておったんじゃ」
「商人を?」

 高雄はますます嫌そうな顔をしたが、雪姫は一蹴した。

「心配せんでも、男の商人は呼ばぬ。安心しろ。今、我が呼ぼうと考えておるのは、楽粋館らくすいかん牡丹ぼたんじゃ。あやつは品行方正じゃし、性格も穏やかで争いごとを嫌っておる。初音様がお会いになっても嫌な思いをさせられることはないじゃろうし、花葵は幼いころ、あの家で育てられておった。花葵についても、いろいろと情報を持っておるかもしれぬ。なにより、楽粋館で扱っている陶磁器は面白いからな。初音様にもお見せしたかったのじゃ。あとは、そうじゃな。樹莉がひいきにしておる季法堂きほうどうの姉妹も呼んでもよいのではないか?」
「楽粋館の牡丹と、季法堂の三姉妹か。あれらなら、まぁよいだろう」

 雪姫の挙げた相手に心当たりがあったようで、高雄は納得したようにうなずいた。

「それに、まぁ、こちらとしては面白くないが、初音様が宴で倒れられた時、花葵は目の前におったからの。その謝罪もあってと言えば、早々に花葵を呼んでも勘繰かんぐられることはないじゃろう」

 雪姫が言うと、樹莉もうなずいた。

「そうですわね。起きたことを考えれば、初音様が謝罪なさるなんて話はしたくありませんけれど。宴の最中に花葵の前で倒れられたので、一言声をかけるのも通例ですから、そういうことにしておいてもよいですわね。花葵に妙な注目を集めるのは避けたいですもの」

 樹莉が言うと、高雄も苦い顔でうなずく。すると火焔と雪姫が卓の上のお茶に手を伸ばした。
 話は、ひと段落したのだろう。初音は、おずおずと切り出した。

「ところで、高雄様。お伺いしてもよろしいですか?」

 初音が高雄のほうを向いて尋ねると、高雄はとろけるような笑みを浮かべた。

「もちろんだ」
「花葵様の監視とは、どういうことをされているのでしょうか。今は特に悪いことをしているわけではないですよね? それなのに監視をつけても大丈夫なのですか?」

 初音が時を戻す前の世界線ならば、花葵は監視をつけられても逆らえない罪を犯していた。けれど今、この世界軸ではその限りではない。
 初音の言葉を信じて動いてくれるのは嬉しいが、そのせいで高雄たちが困ったことになるのも、花葵を傷つけるのも嫌だ。
 そんな初音の気持ちをんで、樹莉は安心させるように微笑んだ。

「問題ございませんわ。花葵を監視しているのは主に御所城の中ですし、崔亮の屋敷に数名の侍女も潜り込ませていますが、初音様を批判しない限り報告はさせないという条件で、崔亮の許可も得ています。城の外宮の廊下や待合室などでは、わたくしたち高雄様の側近は必要に応じて監視の術を使用できますし、そのことは以前より周知されています」
「この城に集まるのは、力が強いあやかしばかりだからなぁ。基本的には好き勝手に力を使えないようになってんだよ。俺たちや元老、近衛たちは職務上緩和されていることもあるんだけどな」
「まぁ緊急時以外は、場所が限られておるから、得られる情報もそう多くはないのじゃがの。花葵を監視しはじめて、改めて我らはあの娘のことを知っているようでぜんぜん知らなかったと気づかされたわ。崔亮の孫娘じゃし、小さなころから城にも出入りしておったから、なんとなしに気にはかけておったし、城で催される茶会に頻繁に出入りしておるのは知っておったが……」

 雪姫は、少しばかり苦い表情で微笑んだ。
 樹莉や火焔は、力なくうなずいた。

「花葵って、昔から城に来ても、俺たちと遊んだり勉強や修練をしたりしなかったからなぁ。話しかけてもおどおど目をそらすから、あんま話しかけねーほうがいいのかと思って距離をおいているうちに、俺たちのとこに顔を出さなくなったんだよな」
「わたくしもです。……わたくしは同性で、年長者で、いちばん花葵を気にかけてあげられた立場ですのに、火焔と同じように考えて距離を縮めようとはしてきませんでした。姉の木蓮は霊力の強さから城での修練が必須だったうえ、学問所に入りびたっていたのでよく話をしましたけれど。思い返すと、花葵とは表面的な話以外したこともなかったんです。もっと気遣ってあげればよかった……」

 樹莉が、しおれたように言う。いつも穏やかな樹莉が悲しげにしているので、初音の心にも影が差した。

「なにかわかったのですか?」

 初音が問うと、火焔は苦く笑って言った。

「花葵が付き合っている男がちょっとやっかいな相手だってことだな。問題にはならなそうなことも、わかったが……」
「わたくしたちが落ち込んでいるのは、花葵が幼いころ預けられていた家の娘が、どうやら花葵に肩身が狭い思いをさせていたようだとわかったからですわ。わたくし、当時もそんな噂を聞いたことがあったのです。ですけれど、崔亮が孫娘を溺愛しているのは明らかでしたし、その家の長女の牡丹とは親交があって、元老の孫娘に悪意を向けるような方ではないから、事実無根だろうと気に留めていなかったのですわ」

 目を閉じて、樹莉は重いため息をついた。すると黙っていた湖苑が、樹莉の手の上に手を重ねた。

「樹莉は、あの時も花葵に事実を確認していました。預けられた家でのことを聞き出そうと、樹莉は花葵にばかり話しかけていました。僕はその時から樹莉のことが好きだったので、ずるいと思ったのをよく覚えています」

 当時のことを思い出したのか、不満そうに湖苑が言った。
 樹莉は小さくまばたきをして、湖苑を見た。

「そう……だったかしら?」
「間違いない。あれは樹莉が十五歳で、僕が八歳の時だった。花葵は僕よりひとつかふたつ年下だけど、僕とそれほど年齢が変わらないのに、樹莉にいつも話しかけてもらっていた。だからどうにかして僕がその立場に成り代われないかと、話の内容も耳を澄ませて聞いていたんだ。樹莉が花葵におうちではどうすごしているのかとか、なにをするのが好きかとか聞いたら、花葵は『ふつう』とか『別に』とか言っていたけど、あの家が嫌だとも言っていなかった。むしろ楽しそうだなと思って聞いていた」
「そうだったら、いいのだけど……」

 樹莉は、まったく覚えていないらしい。湖苑が明言しても、まだ首をかしげていた。
 湖苑はそんな樹莉を見て、微笑んだ。

「ああして相手を気遣うことは、樹莉にとっては当たり前のことだし、花葵の生活に問題がなさそうだと判断して忘れてしまったんだと思うよ。確かに花葵が預けられた家でのことは、気になる点もあるけど……」

 湖苑は、樹莉を励ますように言う。その時、雪姫が立ち上がった。

「ああ、待て。花葵が城に来たようじゃ。今日も外宮で催される茶会に出席する予定じゃったから、ちょうどその刻限なのじゃな」
「ちょうどよい。雪姫、謄写布とうしゃふに花葵を映せるか」

 それまで雪姫たちの言葉を静かに聞いていた高雄が、声をかけた。

「もちろんじゃ」

 そう言って雪姫は右手をさっと振る。すると目の前に白い布のようなものが現れた。

「よし、ではご覧あれ、じゃ」

 雪姫が言うと、白い布は初音たちの前でぴんと張り、雪姫が両手を布の前で回すとそこには鮮やかな朱色の柱と緑釉瓦りょくゆうがわらが目をく二層楼門が映し出された。

(応天門みたい……)

 初音は、故郷である大統国の大内裏にあった楼門を思い出した。大内裏の威容を示すように堂々とした大きな楼門は、古い時代に建てられたために東の大国の影響が色濃く残っていた。
 初音はほとんどの時を内宮で過ごしているため、御所城の外宮に足を踏み入れたのは数えられるほどだ。けれど外宮は東の国の影響をより感じる建築様式だったので、この楼門は外宮のものなのだろうかと推測した。

「これは、御所城の外と内を隔てる正面の門、応天門ですわ」

 名前も同じなのかと初音は驚く。けれどそれを口にする前に、謄写布とうしゃふに映し出された光景は変わり、門の近くにたたずむ赤い髪の少女が大きく映し出される。

(花葵様だ)

 今日も花葵は林檎りんごのような赤い長い髪をなびかせ、真っ赤なドレスを身にまとっていた。ただその大きく開いた胸元を飾るのは、いつもしていると言っていた深紅の紅玉ルビーではなく、真珠の首飾りだった。白い真珠が三連、首に添うように連なり、中央に見たことがない薔薇ばら色の真珠のようなたまの飾りがちょこんとぶらさがっている。

「あら、今日はいつもの紅玉ルビーの首飾りではありませんのね。真珠のチョーカーかしら。真ん中は、きっとコンクパールですわね。あれほどの大きさで、あの色合い。見事ですこと」

 初音が花葵の首飾りに注目していることに気づいたのか、樹莉が詳しく教えてくれた。

「コンクパール、ですか?」

 初音の妹の華代は宝石に目がなかったし、女学校の級友たちの話にもさまざまな宝石の名前が登場していた。けれど、コンクパールという名前は、初音は初めて聞いた。わずかに「パール」が真珠のことだとはわかったので、あの色の真珠はコンクパールというのかとうなずきながら、樹莉に返した。
 樹莉は「ええ」とうなずき返し、雪姫に首飾りのところを拡大するようお願いした。
 雪姫は「りょーかいじゃ!」と軽やかに言うと、またくるくると両手を布の前で回す。すると大きな布一面に、花葵の首元が映し出された。

「確かに、こうして見ると美しい色合いだな。初音に似合いそうだ」

 高雄が「ふむ」とうなずいたので、初音は慌てて「欲しいわけではありません!」と断った。断らなければ、明日にでもコンクパールの首飾りを贈ってきかねない。

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