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1巻
1-3
そんな高雄を見て、雪姫が優しげに言う。
だがその雪姫の目も、高雄と同様、冷たいものだった。
「さてさて、娘よ。お前にも高雄様の御前でも声が出せるよう、術をかけてやろう。なぁに、感謝には及ばぬよ。お前のようにか弱き者には、我らの前にいることすら辛いだろうからのう」
雪姫はそう言って、華代に手を振った。
瞬間、華代はふらつきながらも立ち上がり、ぎっと初音を睨みつける。
「わたくしはただ、皆様の勘違いを正しに来てさしあげただけですわ!」
雪姫が術をかけるまで立ち上がることすらできなかったとは思えないほど、華代は勢いよく言った。
「勘違いだと?」
高雄はうっとうしげに眉をひそめる。
だが華代の大声に初音が身をすくませているのに気づいたのか、その手をぎゅっと握りしめ、「なにも心配することはない」と囁いた。
◇◇◇
華代は、初音の隣に座る男が押し出しの立派な、役者顔負けの美丈夫だと見てとり、さらに怒りを募らせた。
華代も、藤の花が光り、そこから男たちが現れたところを見ていた。
そして、その美しさ、神々しさに、目を奪われずにはいられなかったひとりだった。
さらに彼らを見た教師が、彼らを「鬼神」だと、この世で「神」の末裔だとされる帝よりも強い力を持つ原初の「神」だと言うのを聞き、自分にふさわしいのはあのような男だと思った。
華代は、異能で他を圧倒する四家のひとつ西園寺の本家の娘で、異能者としての能力も高い。十六歳という花の年齢にふさわしく、美貌だって知れたものだ。
つねづね華代は、この世には自分にふさわしい男性は少ないと嘆いていた。同じ四家の同年代の男どもは頼りないし、といってあまりに年上の男は嫌だ。
もっと上の地位にある男を相手にしてやってもいいが、彼らは術者としての能力は低い。
自身の貴重な異能を後世に引き継ぐためにも、身分が高く、美しく、術者としての能力も高い夫でないとだめなのに、そういった男は華代の知る限り存在しなかった。
だから鬼神を見て、彼らこそが自分の夫にふさわしいと思ったのだ。中でも身分が高い「統領」と呼ばれる鬼神がいると知り、彼こそが自分の夫だとひとり決めした。
だというのに、統領と呼ばれる鬼神は、初音を「花嫁」と言い、華厳校長から公爵夫人の館に招かれたという。
公爵夫人の館に招かれるなど、過去には皇族に嫁ぐことになった令嬢が数名いるばかりの名誉なことだ。華代も、いつかはここに招かれる身の上になると密かに誓いを立てていた。
それなのに。
それらを、よりにもよって、初音が。
「無能」といつも周囲にさげすまれている姉が、そんな名誉を与えられるなど……!
なにかの間違いとしか、華代には思えなかった。
そう、例えば。
初音と自分を間違えた、としか。
考えてみれば、ありそうなことだ。「無能」の姉とはいえ、姉は姉。血がつながっていて、華代よりずいぶん落ちるとはいえ、面立ちも似ている。
だからこの世に来臨した鬼神たちが、先に初音を見て、あれを自分の花嫁だと思ったとしても、まぁ納得はできる。「無能」の姉と間違えられるなど、ふだんであれば許しはしないが、相手はこの世に慣れぬ神だ。一度の間違いは大目に見てやろう、そう言うつもりだったのだ。
だが、冷えた高雄のまなざしにさらされて、華代は続く言葉を失った。
恐ろしい。
これは、自分が相対できるものではない。
そう身体の奥から、本能が訴える。
逃げ出したい気持ちを抑えつけ、華代が言葉を続けられたのは、ひとえに馬鹿にしている姉への対抗心からだった。
「ええ、そうですわ、鬼神様! あなた様の隣に座る女は、わたくしの姉。彼女のことは、わたくしがよぉく存じております。その女は『無能』。異能も持たぬ弱き者。美貌だって、社交や、知識だって、彼女とわたくしとでは比べ物になりません。あなた様はわたくしの血縁であるその女を花嫁だと勘違いされたのかもしれませんが、わたくしたちを比べてご覧ください。そうすれば、どちらがあなた様の花嫁にふさわしいかおわかりになるはず……」
立て板に水とばかりにまくしたてる華代に、高雄の目はどんどん冷たくなる。
だが高雄たちの威光にさらされた華代には、雪姫の術の助けがあるといっても、彼らの反応に気づくほどの余裕はなかった。
自らの口が動く間に、言うべきことは言わねばならない。
そう思って、一生懸命に考えていることを口に出す華代は、高雄だけでなく他の鬼神たちも自分を白い目で見ていることに気づけなかった。
「よぅしゃべるな、娘。して、話はそれで終わりか」
華代がとうとう話す気力を手放し、その場に膝をつくと、高雄は怒りに燃える目で彼女を睨みつけた。
そこでようやく華代は目の前の鬼神たちが発する怒りに気づく。
気づいてしまえば、恐ろしさに今まで奮い立たせていた気力も萎え、言葉も失くし、しおしおと顔を下げるしかなかった。
◇◇◇
高雄は憎々しげに華代を睨み、一転して優しく初音に囁いた。
「愚かな虫が、汚い音をたててお前の耳を汚したな。さて、この女、どうしてほしい?」
初音は、きょとんと首をかしげた。
華代の言いざまは確かに美しいとは言い難かったが、初音を罵り、むやみに驕り高ぶるのはいつものことだ。
華代が、いつもは見下している初音と自分を取り違えていると言ってまで、高雄との縁を望んだのは意外であったが、華代が気に入れば取り上げられるのもいつものことだった。
ということは、高雄は、華代を嫁にするつもりなのだろうか。
初音の代わりに。
それはなんだか嫌だな、と初音は思った。
高雄が自分を見る優しい目、あまやかすような言葉。
それは、初音がずっと欲しくて仕方なかったものだった。
西園寺の娘として恥ずかしくないように生きろと教え込まれてきたから高雄の求婚を退けたものの、自分へ向けられる優しい言葉に、初音の心はすでにあまく浸食されていた。
今は自分に与えられているそれらが、華代のものになるのかと思うと、胸がしくしくと痛む。
(せめて私も「ツレ」になれないかしら)
高雄と気軽に言葉をかわす火焔たちのように、仲のいい仲間に入れてもらえたら。
そんなことを願ってしまう。「無能」の娘はなにも望んではいけないと言い聞かされてきたのに、すぐになにかを欲してしまう。
自分はなんと強欲なのだろう、と初音は自嘲した。
「私は、なにも……。あなたのいいようになさってください」
初音は精いっぱいの笑みを浮かべて、言う。
すると高雄は息を吞み、照れたように頬を赤らめた。
「そ、そうか。ならばこの女は灰にするか」
「お待ちください!」
恥ずかしそうに言われた言葉に、初音は驚愕して制止の言葉をかける。
完全に言葉と態度がずれている。
「灰に、とは? 彼女は、私の妹なのですが」
「だが、そなたに対するこの女の態度はひどい。腹が立たないのか? この世から消えたらすっとしないか?」
「それは……」
物心ついたころからずっと、華代は初音を見下していた。
次第にその態度は増長し、初音のものを奪ったりひどい言葉を浴びせたりするようになった。父のように直接暴力を振るうことはなかったものの、たびたび人前で初音を嘲笑し、女学校での居場所まで奪ったのは華代だ。
腹が立つことも、悲しく思うことも、しょっちゅうだ。
華代さえいなければ、自分も両親に愛されたのではないかと考えたことも、何度もあった。
だがそれは、心の中でのひっそりとした想いだ。華代を消してほしいとは思えない。
まして、それが自分の言葉でなされることなら、なおさら。
「華代を恨んでいないとは言いません。いなくなってほしいと考えたことも、あります。ですが、本当にこの世から消したいとまでは思えません。そのように考えるのは、恐ろしいのです」
「そういうものか?」
一生懸命に初音が自分の気持ちを伝えると、高雄は不満そうではあるものの華代を塵にすることは諦めたようだ。
「人間は、か弱い生き物ものだから、お互いを大切にするって小説で読んだことがあるわ! 初音様も、そういったお優しいお心をお持ちなのでしょう」
「つっても、そっちの妹は、初音様のことをぜんぜん大切にしているように見えないけどなぁ。やっぱり燃やしといたほうがいいんじゃね?」
樹莉がなだめるように言葉を足すと、火焔は高雄を煽るように言って、華代へ視線を向ける。
「ひっ」
気のよさそうな火焔から出た恐ろしい言葉に、華代が悲鳴を吞み込む。
彼らの前から姿を隠すように、小さくまるまる華代を、初音は凪いだ気持ちで見ていた。
(いつもは権高なのに。力が強い人の前だと、あっという間に逃げを打つのね)
いつも華代には敵わないのだと思ってきた。そう思わされてきた。
けれどその華代は、高雄たちの前ではこんなにも弱く、惨めでさえある。
そんな華代を見ても、初音の心は動かなかった。
日ごろの恨みから、胸がすくような気持ちになっても不思議はないのに、おかしなものだ。
それよりも初音は、高雄が初音の代わりに華代を嫁にする気はないようだ、ということに安堵していた。
であれば、初音はまだ高雄の嫁に望んでもらえているのだろうか。
聞いてもいいのかな、と初音は高雄の横顔をこっそり見る。
高雄は火焔や樹莉と華代の処遇について議論していて気づかなかったが、雪姫はそんな初音に気づいて「ほうほう」と頬をゆるめていた。
その時、小さなベルの音がした。
「あの、鬼神様方。西園寺侯爵が到着したようです。お通ししてもよろしいですか?」
高雄たちの物騒な言葉に怯え、黙ってたたずんでいた華厳校長は、その音を聞いて言った。
「初音様の父御じゃな。入ってもらえ」
高雄よりも早く、雪姫が許可を出す。高雄は自分をうかがい見た華厳校長に小さくうなずいた。
少しして入ってきたのは、初音の父である西園寺侯爵だ。
でっぷりと太った目つきの鋭い男は、華厳校長の使いから鬼神たちの力について聞いていたのだろう、扉のところで自ら膝をついた。
「鬼神様方、この者にも術をかけていただけますか」
華厳校長が取りなすと、雪姫は「そうじゃな」と請け負って西園寺侯爵に手をかざす。
西園寺侯爵は「む」とうなりながらも立ち上がり、華厳校長の隣に腰かけた。
「わたしが西園寺侯爵、そこの初音の父です。お初にお目にかかります」
西園寺侯爵は高雄を値踏みするように見て、頭を下げる。
高雄の隣に座っている初音は、自分にまで頭を下げられたようで、そわそわと身じろいだ。
(お父様だって自分より偉い方には頭を下げるってわかってはいるけれど、家では見たことがないもの。なんだか落ち着かないわ)
めったに社交の場に連れて行ってもらえない初音は、父が彼より上位の人間といるところを見たことはなかった。
他人に礼を尽くす珍しい父の姿に、なんだか見てはいけないものを見ている気持ちになる。
だが、高雄は自分よりずっと年長の男に頭を下げられることにも慣れているのだろう。微塵も気にした様子はなく、「うむ」と軽くうなずいて、その礼を受ける。
初音も合わせて小さく礼を返し、不安と期待を抱えながらうつむいた。
◇◇◇
その話はすぐに切り出された。
「初音を、俺の嫁に欲しい」
挨拶も駆け引きもなく単刀直入に言われ、西園寺侯爵は「は」と小さく息を吐いた。
「これはこれは。唐突なことですな」
「善は急げと言うだろう。俺はこのまま初音を連れて戻ろうかと思ったが、初音は家の許可がないとできぬと言う。だから、お前に命じる。初音を、俺の嫁にくれ」
「命じる、ですか……」
少しも自分を敬したところのない高雄の態度に、西園寺侯爵は口ごもった。
これでは駆け引きしようにも、取り付く島もない。
かわいい娘を手放すのだからと言って代価を要求するつもりだったが、おそらくこの男は自分が初音をどのように扱っていたのか知っているのだろう。
口の軽い娘だ、と西園寺侯爵は初音を睨む。
曲がりなりにも自分の血のつながった娘だからと「無能」の娘を十七歳になるまで育てたというのに、よい男を見つけたとなれば恩ある父を売るようなことをする。
これだから「無能」のような低俗な人間に関わるのは嫌なのだ。
初音などどうせ手元に置いていても、金持ちの妾として売り、支援金と引き換えにするのがせいぜいの駒だ。「無能」の娘であっても、若い侯爵令嬢ならば、年寄りの平民には高く売れる。
別に金に困っているわけではないが、金はいくらあっても困るものではない。
それに初音をこれ以上手元に置いておくつもりもなかったから、早晩相手を見つけて売り飛ばすつもりではあった。
だから初音は、目の前のこの男に売ってもいいのだ。
校長は鬼神とか言っていたが、確かに尋常ではない力を感じる。
この自分が、気を抜くと膝をついて頭を下げたいという衝動に負けそうになるほどの相手だ。金と引き換えにできなくとも、恩を売っておいて損はないだろう。
だが、どんなに敵わぬ相手だと思えても、こんな若造にいいようにされるのは業腹だった。
さて、どうするか。
思案しつつ部屋中に視線を巡らせて、暖炉の横に、もうひとりの自慢の娘がぐったりと倒れているのに気づいた。
「華代……!」
華代は、ぼんやりとした目で父を見た。
「お父様……!」
華代は、父の姿に元気を取り戻した。
父は、いつだって華代の味方だ。初音よりも華代のほうが愛らしく、頭がよく、術も上手だと小さいころから褒めちぎった。
初音のようなどんくさく辛気くさい姉がいてかわいそうにと言っては、そんないたらぬ姉を持ちながらも西園寺のために力を尽くす華代を誇らしく思う、と繰り返し言った。
わたくしよりお姉様がいいなんて、鬼神たちは趣味が悪すぎる。
人間でないのだから、人と好みが違うのは仕方ないけれど、お姉様の旦那様があんなに素敵な方だなんて許せない。
お姉様にふさわしいのは、もっと醜くて、下品な、年老いた汚らしい男のはず。お金だけはふんだんに持っていてもいいわね。そしてそのお金をわたくしたちへの御礼として、西園寺の家に贈らせるの。お姉様にふさわしいのは、そういう生き方よ!
父の姿にはげまされた華代は、そんなことを力強く思った。
◇◇◇
「わたくし、お姉様が鬼神様に花嫁にと望まれたと聞いて、驚いてこちらにやってきたのです。だって鬼神様たちはとても素敵な方ですし、お姉様には不釣り合いでしょう? なにかの誤解で、わたくしと取り違えられたのかと思ったのです」
「おぉ、おぉ、そうか。それはありそうなことだ」
西園寺侯爵は、華代の言葉でようやく腑に落ちたと言わんばかりに大袈裟にうなずいた。
「言っておくが、俺はその女と初音を間違えたわけではない。俺が花嫁にと望むのは、初音だけだ」
うんざりした顔で、高雄は言う。
その言葉に驚いた様子の西園寺侯爵に、華代は涙目で訴えた。
「そうなんですの、お父様。どうやら鬼神様たちは、人とは異なる審美眼をお持ちのようですの。ですが、お姉様は『無能』ですもの。鬼神様はご自分のお城へお姉様を連れて帰るとおっしゃったようですけれど、お姉様に耐えられますでしょうか。わたくし、心配で心配で……」
せつせつと訴える華代に、西園寺侯爵は何度もうなずく。
「おぉ、そうか。華代は優しいのぅ。あのような『無能』の姉のことまで気遣って。さて、そうだな。『無能』が、鬼神様のような力の強い方とご一緒するのは大変だろう。我らでさえ、お力をいただかねば立つことすらままならんのだ。初音では、四六時中、鬼神様たちのお力を借りなければならないだろう。それでは本人も心苦しかろう。なぁ、初音」
「わ、私は……」
初音が否定しようとすると、西園寺侯爵はぎらりと睨んで、その口を閉じさせた。
「あぁ、なにも言わなくていい。お前の気持ちはわかっている。鬼神様に望まれるのはありがたいが、お前には過ぎた話だし、『無能』が鬼神様と生活するなぞ無理に決まっている。そうだろう?」
私の気持ちをわかっている?
初音は、父の言葉に泣きたくなった。
確かに、高雄は初音にはもったいない人だ。優しく、あたたかく、力も強く、見目も麗しい。
過ぎた縁談だと言われれば、うなずくしかない。けれど高雄は、花嫁にと望むのは初音だけだと言ってくれた。初音を無能ではないとも言ってくれた。
初音は、自分の将来の夫は、父が初音にふさわしいと思う相手になるとあきらめていた。初音を悪鬼にとりつかれた「無能」の娘だと信じている父が選ぶ夫は、初音にとって望ましい相手ではないだろうと。
けれど決して叶うことはないと思いながらも、唯一無二の存在として初音を望んでくれる旦那様に娶られることを、夢見ることはやめられなかった……。
高雄は、初音が思い描いた以上の言葉を与えてくれる。初音の理想以上に、理想の人だ。
(でも、そんな夢みたいな話が本当にあるのかしら)
初音は父の言葉を否定しようとしたが、できなかった。
初音が「無能」で、見た目や社交においても華代に劣るのは事実だ。勉強に関しては初音のほうが優れていることもあるが、全体でみれば華代のほうに軍配が上がる。
悔しいけれど、華代が先ほど高雄に言っていたことは間違いではない。
初音は華代に似た、けれど華代には及ばない存在――劣化版なのだ。
なのにどうして、高雄は初音がいいなんて言いきれるんだろう。
まだ出会ったばかりなのに。
初音は戸惑いを隠せないまま、じっと高雄を見つめた。高雄は初音の視線に気づき、頬をゆるめた。その愛しそうなまなざしに、初音の心が騒ぐ。
はしたないと思われてもいい。
高雄の花嫁になりたいと、言わなければ。
西園寺の娘としてふさわしくないなんて、今さらだ。
自分にはもったいない人だとわかっているけど、高雄が望んでくれるのなら、自分も彼とともにありたい。
そう思っているのに、初音は口を開けなかった。
父や華代の、当然のように初音を見下すまなざしが怖い。今は自分を優しく見つめている高雄の目が、この父や華代のようになったらと思うと、その一言が言えなかった。
だって自分には、高雄が望んでくれるような「なにか」なんてない。
そんな初音のことを高雄はほとんど知らないから、求婚してくれたのだろうから……。
口ごもる初音を、西園寺侯爵が怒鳴りつけようとした。
その怒気に、反射的に初音が身をすくませる。高雄は初音をかばうように西園寺侯爵を睨みつけた。
「なんじゃ不快じゃのう。……そこの、初音様の父御よ。嫁取りなんじゃから、愛娘を奪おうという男を一発殴っておきたいというのはわからんでもないのじゃが、その若造は我らの統領でな。そう簡単に殴らせてやるわけにはいかんのじゃよ」
緊迫した雰囲気を拒むように、雪姫がのんきな口調で口を挟んだ。
「雪姫……」
高雄がいらだったように真っ白な髪の少女を睨むが、雪姫は素知らぬ顔で初音に笑いかけた。
「父御よ、いろいろ心配事はあろうが、初音様の能力については心配いらぬよ。彼女は鬼神であり、あやかしの統領でもある高雄様の対の娘、運命の娘じゃ。その証拠に、ほれ。初音様にはなんの術もかけておらんが、ごく普通に高雄様の隣にいるじゃろう?」
「初音が、鬼神様の運命の娘……? 馬鹿な。無能の初音なぞが、そのように選ばれた立場を得るはずなどあるまい……! 聞いたことがない!」
「人の子が知ることは少ない。我らと人では、それこそ立場が違うのじゃ。恥じることはないぞ」
西園寺侯爵の怒りも、雪姫は困り顔ひとつでいなし、自分たちとお前では立場が違うのだと、嗤ってみせる。
「で、どうじゃ。初音様の妹君の話じゃと、高雄様は人間の娘にとっても悪くない婿なのじゃろ。初音様が結婚するには親の許可がいると言うから話し合いの場を設けたが、よもや人の身で、我らが統領の求婚を退けるつもりではあるまいな」
楽しげな口調で、雪姫は凄みのある笑みを浮かべる。
鬼神の中でもいちばん若く、自分の娘ほどの年齢に見える少女の笑みに気圧された西園寺侯爵は、雪姫がついと手をかざした瞬間、ソファから転げ落ち、膝をついてこうべをたれた。
「ぐっ」
必死で抵抗するものの、勝手に体が動いて床に頭をこすりつける。ひたいには脂汗がにじんだ。
初めに相対した時から雪姫の術に助けられていた西園寺侯爵は、初めて鬼神たちと自分たちとの違いを体で感じ、自分のこれまでの言いようを撤回したくなった。
「も、もちろんでございます。初音を、高雄様の嫁にしてください……! 西園寺の当主として、初音の父として、喜んで娘を鬼神様に捧げます!」
「よし、よし」
雪姫は満足げに言うと、もう一度西園寺侯爵に手をかざす。
西園寺侯爵は大きく息をつき、その場で頭を抱えた。
「お父様……」
いつも嫌な目にあわせられているとはいえ、実の父が目の前で蹂躪されている様を見て、初音は心配そうに父を呼ぶ。
そんな初音を、華代は苦々しげに睨みつけていた。
「初音様、強引で申し訳ないのぅ。しかしこのままでは話が進まぬと思うてな」
雪姫は、初音に手を合わせて謝罪する。
「いえ。それは、私のほうが……」
初音は、この幼げな少女が、きちんと自分の意見を言えなかった初音をかばって、こんなことをしたのだと気づいていた。
先ほどから、このいちばん年若く見える少女は、誰よりも冷静に動いている。
そして、その言動は強引で人を見下すようなものでありながらも、初音のために動いてくれているということを、なんとなく察していた。
「ふふふ。我は短気じゃからのう。ついつい簡単な方法をとってしまうのじゃよ」
雪姫は、うっすらと涙をためて肩をおとす初音に、優しく言う。
「さて、統領。我のおかげで初音様の結婚の許可は下りたが、のう。このままかくりよに連れていくというのは、初音様にとっても急すぎて心の準備もできぬじゃろ。今日を含めて三日ほどはこちらで過ごさんかえ」
「そ、それは。そうしていただけると、こちらとしても大変ありがたいです……!」
じっと座っていた華厳校長が、その場に膝をついて頭を下げた。
「こちらの都合で申し訳ございませんが、この世にはこの世の帝があらせられ、政府がございます。私はこの学校の校長としてそれなりの遂行権をいただいておりますが、鬼神様方のご来臨は想定外のこと。しばし政府からの達しをお待ちいただければ、初音様の婚儀もこちらの世をあげてお祝いさせていただきますゆえ……」
「人間の寿ぎなど、俺には特に必要ない。……初音はどうだ?」
「私も、大袈裟なのは好みません」
高雄に尋ねられて、初音はとっさに答える。
そしてそれが自分の婚儀の話だと気づいて、顔を真っ赤にした。
ほとんど雪姫に脅されてのことであるが、父は初音と高雄の結婚を許可した。
自分は、高雄の花嫁になるのだ。
この自分のことを大切そうに見つめてくれる人の。
それは、何度も夢見た幸せな未来で、けれど決して実現することなどないと思っていた。なのに、とつぜんそれが現実になろうとしている。
(こんなことが現実に、私の身の上に起こるなんて。夢みたい……)
このまま高雄が住むというかくりよに連れて行ってほしかった。
夢見心地で、初音はそう思う。
けれど続く樹莉の言葉に、少しだけ冷静になった。
だがその雪姫の目も、高雄と同様、冷たいものだった。
「さてさて、娘よ。お前にも高雄様の御前でも声が出せるよう、術をかけてやろう。なぁに、感謝には及ばぬよ。お前のようにか弱き者には、我らの前にいることすら辛いだろうからのう」
雪姫はそう言って、華代に手を振った。
瞬間、華代はふらつきながらも立ち上がり、ぎっと初音を睨みつける。
「わたくしはただ、皆様の勘違いを正しに来てさしあげただけですわ!」
雪姫が術をかけるまで立ち上がることすらできなかったとは思えないほど、華代は勢いよく言った。
「勘違いだと?」
高雄はうっとうしげに眉をひそめる。
だが華代の大声に初音が身をすくませているのに気づいたのか、その手をぎゅっと握りしめ、「なにも心配することはない」と囁いた。
◇◇◇
華代は、初音の隣に座る男が押し出しの立派な、役者顔負けの美丈夫だと見てとり、さらに怒りを募らせた。
華代も、藤の花が光り、そこから男たちが現れたところを見ていた。
そして、その美しさ、神々しさに、目を奪われずにはいられなかったひとりだった。
さらに彼らを見た教師が、彼らを「鬼神」だと、この世で「神」の末裔だとされる帝よりも強い力を持つ原初の「神」だと言うのを聞き、自分にふさわしいのはあのような男だと思った。
華代は、異能で他を圧倒する四家のひとつ西園寺の本家の娘で、異能者としての能力も高い。十六歳という花の年齢にふさわしく、美貌だって知れたものだ。
つねづね華代は、この世には自分にふさわしい男性は少ないと嘆いていた。同じ四家の同年代の男どもは頼りないし、といってあまりに年上の男は嫌だ。
もっと上の地位にある男を相手にしてやってもいいが、彼らは術者としての能力は低い。
自身の貴重な異能を後世に引き継ぐためにも、身分が高く、美しく、術者としての能力も高い夫でないとだめなのに、そういった男は華代の知る限り存在しなかった。
だから鬼神を見て、彼らこそが自分の夫にふさわしいと思ったのだ。中でも身分が高い「統領」と呼ばれる鬼神がいると知り、彼こそが自分の夫だとひとり決めした。
だというのに、統領と呼ばれる鬼神は、初音を「花嫁」と言い、華厳校長から公爵夫人の館に招かれたという。
公爵夫人の館に招かれるなど、過去には皇族に嫁ぐことになった令嬢が数名いるばかりの名誉なことだ。華代も、いつかはここに招かれる身の上になると密かに誓いを立てていた。
それなのに。
それらを、よりにもよって、初音が。
「無能」といつも周囲にさげすまれている姉が、そんな名誉を与えられるなど……!
なにかの間違いとしか、華代には思えなかった。
そう、例えば。
初音と自分を間違えた、としか。
考えてみれば、ありそうなことだ。「無能」の姉とはいえ、姉は姉。血がつながっていて、華代よりずいぶん落ちるとはいえ、面立ちも似ている。
だからこの世に来臨した鬼神たちが、先に初音を見て、あれを自分の花嫁だと思ったとしても、まぁ納得はできる。「無能」の姉と間違えられるなど、ふだんであれば許しはしないが、相手はこの世に慣れぬ神だ。一度の間違いは大目に見てやろう、そう言うつもりだったのだ。
だが、冷えた高雄のまなざしにさらされて、華代は続く言葉を失った。
恐ろしい。
これは、自分が相対できるものではない。
そう身体の奥から、本能が訴える。
逃げ出したい気持ちを抑えつけ、華代が言葉を続けられたのは、ひとえに馬鹿にしている姉への対抗心からだった。
「ええ、そうですわ、鬼神様! あなた様の隣に座る女は、わたくしの姉。彼女のことは、わたくしがよぉく存じております。その女は『無能』。異能も持たぬ弱き者。美貌だって、社交や、知識だって、彼女とわたくしとでは比べ物になりません。あなた様はわたくしの血縁であるその女を花嫁だと勘違いされたのかもしれませんが、わたくしたちを比べてご覧ください。そうすれば、どちらがあなた様の花嫁にふさわしいかおわかりになるはず……」
立て板に水とばかりにまくしたてる華代に、高雄の目はどんどん冷たくなる。
だが高雄たちの威光にさらされた華代には、雪姫の術の助けがあるといっても、彼らの反応に気づくほどの余裕はなかった。
自らの口が動く間に、言うべきことは言わねばならない。
そう思って、一生懸命に考えていることを口に出す華代は、高雄だけでなく他の鬼神たちも自分を白い目で見ていることに気づけなかった。
「よぅしゃべるな、娘。して、話はそれで終わりか」
華代がとうとう話す気力を手放し、その場に膝をつくと、高雄は怒りに燃える目で彼女を睨みつけた。
そこでようやく華代は目の前の鬼神たちが発する怒りに気づく。
気づいてしまえば、恐ろしさに今まで奮い立たせていた気力も萎え、言葉も失くし、しおしおと顔を下げるしかなかった。
◇◇◇
高雄は憎々しげに華代を睨み、一転して優しく初音に囁いた。
「愚かな虫が、汚い音をたててお前の耳を汚したな。さて、この女、どうしてほしい?」
初音は、きょとんと首をかしげた。
華代の言いざまは確かに美しいとは言い難かったが、初音を罵り、むやみに驕り高ぶるのはいつものことだ。
華代が、いつもは見下している初音と自分を取り違えていると言ってまで、高雄との縁を望んだのは意外であったが、華代が気に入れば取り上げられるのもいつものことだった。
ということは、高雄は、華代を嫁にするつもりなのだろうか。
初音の代わりに。
それはなんだか嫌だな、と初音は思った。
高雄が自分を見る優しい目、あまやかすような言葉。
それは、初音がずっと欲しくて仕方なかったものだった。
西園寺の娘として恥ずかしくないように生きろと教え込まれてきたから高雄の求婚を退けたものの、自分へ向けられる優しい言葉に、初音の心はすでにあまく浸食されていた。
今は自分に与えられているそれらが、華代のものになるのかと思うと、胸がしくしくと痛む。
(せめて私も「ツレ」になれないかしら)
高雄と気軽に言葉をかわす火焔たちのように、仲のいい仲間に入れてもらえたら。
そんなことを願ってしまう。「無能」の娘はなにも望んではいけないと言い聞かされてきたのに、すぐになにかを欲してしまう。
自分はなんと強欲なのだろう、と初音は自嘲した。
「私は、なにも……。あなたのいいようになさってください」
初音は精いっぱいの笑みを浮かべて、言う。
すると高雄は息を吞み、照れたように頬を赤らめた。
「そ、そうか。ならばこの女は灰にするか」
「お待ちください!」
恥ずかしそうに言われた言葉に、初音は驚愕して制止の言葉をかける。
完全に言葉と態度がずれている。
「灰に、とは? 彼女は、私の妹なのですが」
「だが、そなたに対するこの女の態度はひどい。腹が立たないのか? この世から消えたらすっとしないか?」
「それは……」
物心ついたころからずっと、華代は初音を見下していた。
次第にその態度は増長し、初音のものを奪ったりひどい言葉を浴びせたりするようになった。父のように直接暴力を振るうことはなかったものの、たびたび人前で初音を嘲笑し、女学校での居場所まで奪ったのは華代だ。
腹が立つことも、悲しく思うことも、しょっちゅうだ。
華代さえいなければ、自分も両親に愛されたのではないかと考えたことも、何度もあった。
だがそれは、心の中でのひっそりとした想いだ。華代を消してほしいとは思えない。
まして、それが自分の言葉でなされることなら、なおさら。
「華代を恨んでいないとは言いません。いなくなってほしいと考えたことも、あります。ですが、本当にこの世から消したいとまでは思えません。そのように考えるのは、恐ろしいのです」
「そういうものか?」
一生懸命に初音が自分の気持ちを伝えると、高雄は不満そうではあるものの華代を塵にすることは諦めたようだ。
「人間は、か弱い生き物ものだから、お互いを大切にするって小説で読んだことがあるわ! 初音様も、そういったお優しいお心をお持ちなのでしょう」
「つっても、そっちの妹は、初音様のことをぜんぜん大切にしているように見えないけどなぁ。やっぱり燃やしといたほうがいいんじゃね?」
樹莉がなだめるように言葉を足すと、火焔は高雄を煽るように言って、華代へ視線を向ける。
「ひっ」
気のよさそうな火焔から出た恐ろしい言葉に、華代が悲鳴を吞み込む。
彼らの前から姿を隠すように、小さくまるまる華代を、初音は凪いだ気持ちで見ていた。
(いつもは権高なのに。力が強い人の前だと、あっという間に逃げを打つのね)
いつも華代には敵わないのだと思ってきた。そう思わされてきた。
けれどその華代は、高雄たちの前ではこんなにも弱く、惨めでさえある。
そんな華代を見ても、初音の心は動かなかった。
日ごろの恨みから、胸がすくような気持ちになっても不思議はないのに、おかしなものだ。
それよりも初音は、高雄が初音の代わりに華代を嫁にする気はないようだ、ということに安堵していた。
であれば、初音はまだ高雄の嫁に望んでもらえているのだろうか。
聞いてもいいのかな、と初音は高雄の横顔をこっそり見る。
高雄は火焔や樹莉と華代の処遇について議論していて気づかなかったが、雪姫はそんな初音に気づいて「ほうほう」と頬をゆるめていた。
その時、小さなベルの音がした。
「あの、鬼神様方。西園寺侯爵が到着したようです。お通ししてもよろしいですか?」
高雄たちの物騒な言葉に怯え、黙ってたたずんでいた華厳校長は、その音を聞いて言った。
「初音様の父御じゃな。入ってもらえ」
高雄よりも早く、雪姫が許可を出す。高雄は自分をうかがい見た華厳校長に小さくうなずいた。
少しして入ってきたのは、初音の父である西園寺侯爵だ。
でっぷりと太った目つきの鋭い男は、華厳校長の使いから鬼神たちの力について聞いていたのだろう、扉のところで自ら膝をついた。
「鬼神様方、この者にも術をかけていただけますか」
華厳校長が取りなすと、雪姫は「そうじゃな」と請け負って西園寺侯爵に手をかざす。
西園寺侯爵は「む」とうなりながらも立ち上がり、華厳校長の隣に腰かけた。
「わたしが西園寺侯爵、そこの初音の父です。お初にお目にかかります」
西園寺侯爵は高雄を値踏みするように見て、頭を下げる。
高雄の隣に座っている初音は、自分にまで頭を下げられたようで、そわそわと身じろいだ。
(お父様だって自分より偉い方には頭を下げるってわかってはいるけれど、家では見たことがないもの。なんだか落ち着かないわ)
めったに社交の場に連れて行ってもらえない初音は、父が彼より上位の人間といるところを見たことはなかった。
他人に礼を尽くす珍しい父の姿に、なんだか見てはいけないものを見ている気持ちになる。
だが、高雄は自分よりずっと年長の男に頭を下げられることにも慣れているのだろう。微塵も気にした様子はなく、「うむ」と軽くうなずいて、その礼を受ける。
初音も合わせて小さく礼を返し、不安と期待を抱えながらうつむいた。
◇◇◇
その話はすぐに切り出された。
「初音を、俺の嫁に欲しい」
挨拶も駆け引きもなく単刀直入に言われ、西園寺侯爵は「は」と小さく息を吐いた。
「これはこれは。唐突なことですな」
「善は急げと言うだろう。俺はこのまま初音を連れて戻ろうかと思ったが、初音は家の許可がないとできぬと言う。だから、お前に命じる。初音を、俺の嫁にくれ」
「命じる、ですか……」
少しも自分を敬したところのない高雄の態度に、西園寺侯爵は口ごもった。
これでは駆け引きしようにも、取り付く島もない。
かわいい娘を手放すのだからと言って代価を要求するつもりだったが、おそらくこの男は自分が初音をどのように扱っていたのか知っているのだろう。
口の軽い娘だ、と西園寺侯爵は初音を睨む。
曲がりなりにも自分の血のつながった娘だからと「無能」の娘を十七歳になるまで育てたというのに、よい男を見つけたとなれば恩ある父を売るようなことをする。
これだから「無能」のような低俗な人間に関わるのは嫌なのだ。
初音などどうせ手元に置いていても、金持ちの妾として売り、支援金と引き換えにするのがせいぜいの駒だ。「無能」の娘であっても、若い侯爵令嬢ならば、年寄りの平民には高く売れる。
別に金に困っているわけではないが、金はいくらあっても困るものではない。
それに初音をこれ以上手元に置いておくつもりもなかったから、早晩相手を見つけて売り飛ばすつもりではあった。
だから初音は、目の前のこの男に売ってもいいのだ。
校長は鬼神とか言っていたが、確かに尋常ではない力を感じる。
この自分が、気を抜くと膝をついて頭を下げたいという衝動に負けそうになるほどの相手だ。金と引き換えにできなくとも、恩を売っておいて損はないだろう。
だが、どんなに敵わぬ相手だと思えても、こんな若造にいいようにされるのは業腹だった。
さて、どうするか。
思案しつつ部屋中に視線を巡らせて、暖炉の横に、もうひとりの自慢の娘がぐったりと倒れているのに気づいた。
「華代……!」
華代は、ぼんやりとした目で父を見た。
「お父様……!」
華代は、父の姿に元気を取り戻した。
父は、いつだって華代の味方だ。初音よりも華代のほうが愛らしく、頭がよく、術も上手だと小さいころから褒めちぎった。
初音のようなどんくさく辛気くさい姉がいてかわいそうにと言っては、そんないたらぬ姉を持ちながらも西園寺のために力を尽くす華代を誇らしく思う、と繰り返し言った。
わたくしよりお姉様がいいなんて、鬼神たちは趣味が悪すぎる。
人間でないのだから、人と好みが違うのは仕方ないけれど、お姉様の旦那様があんなに素敵な方だなんて許せない。
お姉様にふさわしいのは、もっと醜くて、下品な、年老いた汚らしい男のはず。お金だけはふんだんに持っていてもいいわね。そしてそのお金をわたくしたちへの御礼として、西園寺の家に贈らせるの。お姉様にふさわしいのは、そういう生き方よ!
父の姿にはげまされた華代は、そんなことを力強く思った。
◇◇◇
「わたくし、お姉様が鬼神様に花嫁にと望まれたと聞いて、驚いてこちらにやってきたのです。だって鬼神様たちはとても素敵な方ですし、お姉様には不釣り合いでしょう? なにかの誤解で、わたくしと取り違えられたのかと思ったのです」
「おぉ、おぉ、そうか。それはありそうなことだ」
西園寺侯爵は、華代の言葉でようやく腑に落ちたと言わんばかりに大袈裟にうなずいた。
「言っておくが、俺はその女と初音を間違えたわけではない。俺が花嫁にと望むのは、初音だけだ」
うんざりした顔で、高雄は言う。
その言葉に驚いた様子の西園寺侯爵に、華代は涙目で訴えた。
「そうなんですの、お父様。どうやら鬼神様たちは、人とは異なる審美眼をお持ちのようですの。ですが、お姉様は『無能』ですもの。鬼神様はご自分のお城へお姉様を連れて帰るとおっしゃったようですけれど、お姉様に耐えられますでしょうか。わたくし、心配で心配で……」
せつせつと訴える華代に、西園寺侯爵は何度もうなずく。
「おぉ、そうか。華代は優しいのぅ。あのような『無能』の姉のことまで気遣って。さて、そうだな。『無能』が、鬼神様のような力の強い方とご一緒するのは大変だろう。我らでさえ、お力をいただかねば立つことすらままならんのだ。初音では、四六時中、鬼神様たちのお力を借りなければならないだろう。それでは本人も心苦しかろう。なぁ、初音」
「わ、私は……」
初音が否定しようとすると、西園寺侯爵はぎらりと睨んで、その口を閉じさせた。
「あぁ、なにも言わなくていい。お前の気持ちはわかっている。鬼神様に望まれるのはありがたいが、お前には過ぎた話だし、『無能』が鬼神様と生活するなぞ無理に決まっている。そうだろう?」
私の気持ちをわかっている?
初音は、父の言葉に泣きたくなった。
確かに、高雄は初音にはもったいない人だ。優しく、あたたかく、力も強く、見目も麗しい。
過ぎた縁談だと言われれば、うなずくしかない。けれど高雄は、花嫁にと望むのは初音だけだと言ってくれた。初音を無能ではないとも言ってくれた。
初音は、自分の将来の夫は、父が初音にふさわしいと思う相手になるとあきらめていた。初音を悪鬼にとりつかれた「無能」の娘だと信じている父が選ぶ夫は、初音にとって望ましい相手ではないだろうと。
けれど決して叶うことはないと思いながらも、唯一無二の存在として初音を望んでくれる旦那様に娶られることを、夢見ることはやめられなかった……。
高雄は、初音が思い描いた以上の言葉を与えてくれる。初音の理想以上に、理想の人だ。
(でも、そんな夢みたいな話が本当にあるのかしら)
初音は父の言葉を否定しようとしたが、できなかった。
初音が「無能」で、見た目や社交においても華代に劣るのは事実だ。勉強に関しては初音のほうが優れていることもあるが、全体でみれば華代のほうに軍配が上がる。
悔しいけれど、華代が先ほど高雄に言っていたことは間違いではない。
初音は華代に似た、けれど華代には及ばない存在――劣化版なのだ。
なのにどうして、高雄は初音がいいなんて言いきれるんだろう。
まだ出会ったばかりなのに。
初音は戸惑いを隠せないまま、じっと高雄を見つめた。高雄は初音の視線に気づき、頬をゆるめた。その愛しそうなまなざしに、初音の心が騒ぐ。
はしたないと思われてもいい。
高雄の花嫁になりたいと、言わなければ。
西園寺の娘としてふさわしくないなんて、今さらだ。
自分にはもったいない人だとわかっているけど、高雄が望んでくれるのなら、自分も彼とともにありたい。
そう思っているのに、初音は口を開けなかった。
父や華代の、当然のように初音を見下すまなざしが怖い。今は自分を優しく見つめている高雄の目が、この父や華代のようになったらと思うと、その一言が言えなかった。
だって自分には、高雄が望んでくれるような「なにか」なんてない。
そんな初音のことを高雄はほとんど知らないから、求婚してくれたのだろうから……。
口ごもる初音を、西園寺侯爵が怒鳴りつけようとした。
その怒気に、反射的に初音が身をすくませる。高雄は初音をかばうように西園寺侯爵を睨みつけた。
「なんじゃ不快じゃのう。……そこの、初音様の父御よ。嫁取りなんじゃから、愛娘を奪おうという男を一発殴っておきたいというのはわからんでもないのじゃが、その若造は我らの統領でな。そう簡単に殴らせてやるわけにはいかんのじゃよ」
緊迫した雰囲気を拒むように、雪姫がのんきな口調で口を挟んだ。
「雪姫……」
高雄がいらだったように真っ白な髪の少女を睨むが、雪姫は素知らぬ顔で初音に笑いかけた。
「父御よ、いろいろ心配事はあろうが、初音様の能力については心配いらぬよ。彼女は鬼神であり、あやかしの統領でもある高雄様の対の娘、運命の娘じゃ。その証拠に、ほれ。初音様にはなんの術もかけておらんが、ごく普通に高雄様の隣にいるじゃろう?」
「初音が、鬼神様の運命の娘……? 馬鹿な。無能の初音なぞが、そのように選ばれた立場を得るはずなどあるまい……! 聞いたことがない!」
「人の子が知ることは少ない。我らと人では、それこそ立場が違うのじゃ。恥じることはないぞ」
西園寺侯爵の怒りも、雪姫は困り顔ひとつでいなし、自分たちとお前では立場が違うのだと、嗤ってみせる。
「で、どうじゃ。初音様の妹君の話じゃと、高雄様は人間の娘にとっても悪くない婿なのじゃろ。初音様が結婚するには親の許可がいると言うから話し合いの場を設けたが、よもや人の身で、我らが統領の求婚を退けるつもりではあるまいな」
楽しげな口調で、雪姫は凄みのある笑みを浮かべる。
鬼神の中でもいちばん若く、自分の娘ほどの年齢に見える少女の笑みに気圧された西園寺侯爵は、雪姫がついと手をかざした瞬間、ソファから転げ落ち、膝をついてこうべをたれた。
「ぐっ」
必死で抵抗するものの、勝手に体が動いて床に頭をこすりつける。ひたいには脂汗がにじんだ。
初めに相対した時から雪姫の術に助けられていた西園寺侯爵は、初めて鬼神たちと自分たちとの違いを体で感じ、自分のこれまでの言いようを撤回したくなった。
「も、もちろんでございます。初音を、高雄様の嫁にしてください……! 西園寺の当主として、初音の父として、喜んで娘を鬼神様に捧げます!」
「よし、よし」
雪姫は満足げに言うと、もう一度西園寺侯爵に手をかざす。
西園寺侯爵は大きく息をつき、その場で頭を抱えた。
「お父様……」
いつも嫌な目にあわせられているとはいえ、実の父が目の前で蹂躪されている様を見て、初音は心配そうに父を呼ぶ。
そんな初音を、華代は苦々しげに睨みつけていた。
「初音様、強引で申し訳ないのぅ。しかしこのままでは話が進まぬと思うてな」
雪姫は、初音に手を合わせて謝罪する。
「いえ。それは、私のほうが……」
初音は、この幼げな少女が、きちんと自分の意見を言えなかった初音をかばって、こんなことをしたのだと気づいていた。
先ほどから、このいちばん年若く見える少女は、誰よりも冷静に動いている。
そして、その言動は強引で人を見下すようなものでありながらも、初音のために動いてくれているということを、なんとなく察していた。
「ふふふ。我は短気じゃからのう。ついつい簡単な方法をとってしまうのじゃよ」
雪姫は、うっすらと涙をためて肩をおとす初音に、優しく言う。
「さて、統領。我のおかげで初音様の結婚の許可は下りたが、のう。このままかくりよに連れていくというのは、初音様にとっても急すぎて心の準備もできぬじゃろ。今日を含めて三日ほどはこちらで過ごさんかえ」
「そ、それは。そうしていただけると、こちらとしても大変ありがたいです……!」
じっと座っていた華厳校長が、その場に膝をついて頭を下げた。
「こちらの都合で申し訳ございませんが、この世にはこの世の帝があらせられ、政府がございます。私はこの学校の校長としてそれなりの遂行権をいただいておりますが、鬼神様方のご来臨は想定外のこと。しばし政府からの達しをお待ちいただければ、初音様の婚儀もこちらの世をあげてお祝いさせていただきますゆえ……」
「人間の寿ぎなど、俺には特に必要ない。……初音はどうだ?」
「私も、大袈裟なのは好みません」
高雄に尋ねられて、初音はとっさに答える。
そしてそれが自分の婚儀の話だと気づいて、顔を真っ赤にした。
ほとんど雪姫に脅されてのことであるが、父は初音と高雄の結婚を許可した。
自分は、高雄の花嫁になるのだ。
この自分のことを大切そうに見つめてくれる人の。
それは、何度も夢見た幸せな未来で、けれど決して実現することなどないと思っていた。なのに、とつぜんそれが現実になろうとしている。
(こんなことが現実に、私の身の上に起こるなんて。夢みたい……)
このまま高雄が住むというかくりよに連れて行ってほしかった。
夢見心地で、初音はそう思う。
けれど続く樹莉の言葉に、少しだけ冷静になった。
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