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第一部
8話
しおりを挟む「絶対嫌だ」
(予想通り)
打ち合わせの時、一応サイン会についての打診をしようと「サイン」と言った時点で拒否された。想像通りすぎて笑いすらこみ上げてくる。そもそも顔出しNGの作家にサイン会の打診をすることは矛盾しているとしか思えない。勝手な推測だが、完全に話題性を狙っていると静香は思った。ここまで嫌がっている相手に無理強いをしたところでいい結果にはならない。「そうですか、嫌なら仕方ないですね」とあっさり引き下がっても良かった。編集長も望み薄だと言っていたし、今までも自分より先輩の編集でも首を縦に振らせることは出来なかったのだ。誰も期待してはいない。
しかし、ここまで頑なな理由が気にならないか、と問われれば微妙だ。ほんの少しだけ好奇心が自分の中から顔を出し始めていた。新條の言葉を信じるのならば、櫻井は静香に気を許しているらしい。普段の態度からは窺い知れないが。それを前提とするのならば、頑なに拒否をする理由を聞くことが出来るのではないか、と。新條の思い違いで全く気を許していなかった場合、聞いた後が怖い。急に自分の中に踏み込んできたと壁を作られるだけならまだいい。「こんな奴とはもうやっていけない」とチェンジを言い渡されるかも。静香としては「自分から降りる」と言わない限り最初の宣言を違えたことにはならないと見ている。また櫻井の方も負けず嫌いな印象を受けたので、向こうからの担当変えの訴えも上がらないのでは、とどこまでも自分本位に考えていた。
正直なところどっちに転んでも静香に大した影響はない。自分としては途中で投げ出す形になるので不服だが、駄目だった場合「2年目には荷が重かったか」と同情されて終わりだ。だが、やはりたった数ヶ月で下ろされるのは避けたいところだ。
静香は硬い表情の櫻井をチラリと確認した後、床に置いた紙袋に視線を落とす。「これ」を見る限り望みがゼロと言うわけではなさそうだが…駄目で元々だ、と軽い声音で訊ねた。
「差し支えなければ、サイン会を拒否する理由を教えていただきたいのですが」
仕事で使うノートをペンを出しながら聞いてきた静香に対し、櫻井は端正な顔を歪ませ鋭い目つきでこちらを睨んだ。
「…何?編集長から絶対サイン会承諾させろって頼まれた?」
「頼まれはしましたけど、それはさっきの先生の『絶対嫌だ』という返答を持って終了しました。今のは会社関係なく個人的な理由で聞いています。なので話したくないのなら話さなくて良いです」
「…個人的な理由?何で…」
眉間の皺が薄まり、ほんの少し険しさが消える。何で、と聞かれると新條から得た情報「櫻井が静香に気を許している疑惑」を話さないといけなくなる。それは絶対に出来ない。新條と櫻井の仲に亀裂が入る危険性があるし、勝手に話すのは新條に対して申し訳ない。かといって適当な言葉を並べて誤魔化すべきではないとも思う。新條から得た情報を伏せた上で、嘘ではない櫻井を納得させるに当たる理由…。
「…先生からサイン会を拒否する確固たる理由を把握し、編集部の方にも伝えておけば、これまでのように一々打診して不快な思いをさせることも減ると思ったからです。ただ単にやりたくない、という理由では納得しないんですよ、お手数をおかけしますが教えていただけると」
と静香が説明していくうちに無愛想と形容できる表情から、心なしか悲し気な表情に変わっている気がした。そして幻覚だろうか、項垂れた動物の耳が見える。
(何、そんな悲しそうな顔されること言ってない…)
櫻井の変化もそうだが、今の自分の目がおかしくなってしまったのではと不安になった。この間動画で見た叱られてションボリしている犬の姿が何故か蘇る。訳が分からない。平静を装いながらも戸惑っている静香にポツリとした呟きが届く。
「…そういう理由?てっきり…」
「え?」
独り言を静香に聞かれていると思わなかったのか、聞き返すと急に右手で口を覆いそっぽを向かれた。てっきり…の後に何が続くのか少しだけ気にはなったがじわじわと赤く染まる耳や頬を見て、その好奇心より櫻井を案ずる気持ちが上回る。
「急にどうかされましたか?体調でも」
「いや、違う何でもない」
「?顔も赤いようですが?もしかして熱があるのでは?測った方が」
「何でもないって!ああ、もう、理由話すからこの件については触れないでくれ!」
顔を伏せこれ以上追及することは許さない、という意思を感じ取った。体調を心配し、にじり寄る静香を手を目一杯伸ばして制す櫻井は「体調は悪くない、健康!」と声を張って頻りに伝えてくる。一瞬意地を張っているのでは?と思ったが、そんな真似をして櫻井に何のメリットもない。そこまで幼稚でもないだろう、と結論付け引き下がるとテーブルの椅子に座り直した。続いて櫻井も座る。髪を乱暴に掻きあげると、面倒くさいという雰囲気を醸し出しつつも切り出した。
「…不特定多数の前で顔を晒して、昔の知り合いに俺が今何をしているのか知られるのが心底面倒くさい、可能性がゼロじゃないなら絶対したくない、この理由を話した上で前の担当に顔が良いんだから出さないと勿体ない、って何度も言われて鬱陶しい思いをした、そもそも今でも十分売れてるんだから今更話題性とか要らない、サイン会したくらいで売り上げに影響なんてないと思っている…こんな感じ」
息継ぎもせず一気にやりたくない理由を話した櫻井はふー、と息を吸った。静香は櫻井が話した内容をかなりのスピードで手帳に書き記す。書き終わった後ペンを置き顔を上げる。
「人前が苦手、人の視線を集めたくないという理由ではないのですね」
人が嫌いな人は人前で話すことや見られることを嫌う傾向がある。櫻井もそういう理由で拒否していると踏んでいたのだが、違った。
「別に人前は苦手…ではないと思う。人前でスピーチやれと言われればやれる」
凄い自信だが、櫻井はやると言ったことはやるのだろうな、と根拠のない確信があった。仕事に関しての彼は堂々として自信に満ちているのだ。人前に出るのがどうしても無理だというのなら、無理強いは出来ないのでこの話はここで終わっていた。しかし、そうではない、ならば。
「絶対に顔を出したくないという強い意思が伝わってきますね。では顔を隠したらどうですか?」
「…?」
何いってんだこいつ、という表情をされた。
「顔を隠しているアーティストも多くいますし顔を隠した作家がサイン会をしても、何も問題はないと思います。それに先生、編集部に届くファンレター、全部取っているんですよね、長井さんから聞きました」
「…そうだけど、別に普通のことだろ」
何で今そのことを持ち出すんだと櫻井は怪訝な顔になる。
「サイン会開くとファンに直接会えますよ?人が嫌いとおっしゃってましたけど、応援してくれるファンも嫌いですか」
櫻井は目を細め、唇を真一文字に結び何とも言えない表情をしている。静香の質問に肯定の意を示したいが、言ったら最後承諾したとそのまま開催する方向で話を持っていかれると危惧しているのだろう。もしくはただ単に静香の口車に乗せられるのが嫌なだけか。それとも両方か。胸の内までは分からないが、葛藤しているのだろうなというのは伝わって来た。眉間に皺を寄せ、黙ってしまう。静香は悩んでいるであろう櫻井の邪魔をすることも急かすこともしない。リビングに飾られている観葉植物を見ながら待っていた。
やがて喉の奥から絞り出したような低い声が櫻井の口から聞こえてくる。
「…絶対顔は出さない、それさえ守ってくれるならやってもいい」
「…ありがとうございます」
「別に会社のためじゃない、一回くらい直接ファンに会ってみたいなと思っただけ」
「承知しました」
照れ隠しのつもりか顔を背ける櫻井。思いの外あっさりと承諾してくれたことに驚きつつも、サイン会についての櫻井の要望を交え箇条書きで纏める。ファンに会いたいという理由であれほど嫌がっていたサイン会を承諾するとは。作品を書くことにしか関心がない人だと思っていたが、そんなことはなかった。ファンレターのこともだが、自分の作品を好きで居てくれる人々を大事に思っているのだ。最初はつかみどころのない人という印象が強かったが、仕事で何度も顔を合わせていくうちに、途轍もなく不器用な人だということは何となく分かってきた。長井は気難しい人だと言っていたが、慣れるとそうでもない。フフフ、と微笑を浮かべると「何?」と硬い声で聞き返されたので慌てて誤魔化した。
「やるとは言ったけど、企画通るの?漫画家やイラストレーターなら仮面なり覆面なりを付けても違和感ないだろうけど、俺普通の作家だよ」
「その辺りはご心配なく、勢いで押します。サイン会開いてくれるだけで編集部としては満足だと思いますし、顔を隠そうがコスプレしようが些細なことです」
「頼もしいのかよく分からないな…あとコスプレしないから」
「…それはするという前振り」
「違う」
真顔で首を横に振る。冗談のつもりで言ったのだが、伝わらなかったようだ。静香は表情筋があまり動かないので、冗談を言ってもそう受け取られないことがある。やはり直すべきだなと思い直す。
「昔同期の作家…新條孝人と顔出しで対談しないかって話が来たことがある、即断ったけど」
遠い目をして答える櫻井。余程嫌だったのか、断るのに苦労したのか。しかし、うちに会社はどれだけ櫻井に顔出しをさせたいのか、あまりのしつこさ…熱意には頭が下がる。悪い意味で。
(端正な顔立ちの人は喜んで顔出しをするとでも思ってるのかな…嫌な人は嫌でしょ)
強要のしすぎて作家との間にトラブルが起こったらどうするのか。一時の話題や利益に目がくらみ作家の信頼を失っては元も子もない。
「そう言えばこの間新條先生が編集部に顔を出されまして。先生新條先生とご友人だとか」
新條の名前を出した途端顔をしかめる。
「…友達じゃない、こっちがどんだけ突き放しても構ってきて。もう面倒で好きにさせてたら家にまで入り浸るようになっただけだ。全く連絡なしで来るの本当に辞めて欲しいんだよ、準備だってある…何でもない」
「…」
それはどこから見ても友達ではなかろうか。それにすっかり新條に絆されているようだ。本当に素直じゃない人である。微笑ましいものを見る目で櫻井を見ると彼は顔を引きつらせる。
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