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しおりを挟むカリカリカリ…ペンを走らせる音だけが部屋に響く。自分の席で書類と睨めっこしているマリアも例外ではない。マリアの所属する総務課は所謂何でも屋で、どの課に持っていけば良いか不明瞭な書類や案件がほぼ全部持ち込まれる。「これは財務課に…」とやんわり指摘しても「そっちでやっといて!忙しいんだ」とさっさと走り去ってしまう。デスクワークが苦手な脳筋騎士には珍しくない反応だ。
マリアは学校を卒業してすぐ文官登用試験に合格し王宮の事務員として総務課に配属され早数年。些か忙しいものの不満はない…マリアは。隣の席でうー、と肩を伸ばす同期のルナがマリアに話しかけてくる。
「…マリア、うちの課だけ異常に忙しくない?」
「…まあ何でも屋だからね。でも経理も忙しいって聞くよ」
「あそこは仕事がマニュアル化されてるからまだマシだよ。総務はまずどこの課に回すかを判断しないといけないのが面倒。文官も騎士も丸投げする前に確認しろ…」
怨嗟のこもったルナにマリアは苦笑いを浮かべた。
「文官はまだ説明すれば分かってくれるらしいけど、脳まで筋肉で出来てる人はこっちが上手いこと躱してもゴリ押ししてくるの、本当勘弁してくんないかなーーー」
ルナの愚痴にマリアは頷いて同意する。全ての騎士がそうである訳がないのだが、書類に時間を取られるよりも鍛錬をしたいだとか他にやりたいことがあるという極めて個人的な理由で、こちらに書類を投げて帰る者はいる。ベテランの事務員なら慣れているから波風立たない形で断ることは出来るが、新人にガタイが良く圧の強い騎士の要求を突っぱねることは難しい。勿論度を越した態度で事務員に接した場合所属する騎士団に抗議をすることもあるが、キリがないので「自分で対処出来るようになりましょう」で落ち着いてしまう。マリアも配属当初は色んな意味で苦労したものだが、今では慣れた。気も強くなったと思う。
「…正直さ採用決まった時は騎士様狙いたいなって思ってたけど…下級騎士は粗暴で紳士さの欠片もないし役職持ちや貴族出身の騎士は倍率高すぎて狙うだけ時間の無駄、狙うなら文官よ」
王宮に出仕する女性職員の大多数は結婚相手を探している。ルナも例に漏れず相手を探しているが職務を疎かにすることはしない。何度か良い雰囲気になった騎士がいるようだが上手く行かず、見切りを付けたようだ。そもそも花形職である騎士は平民貴族問わず人気で職務中に関わらず彼らに群がる侍女、事務員を見ることも少なくない。ギラギラとした肉食動物のような目をした令嬢達を押し除けるガッツはルナにはないだろう。
「そんなに焦らなくても良くない?ルナは結婚を急かされている訳ではないんでしょ?」
結婚するまでの箔付けで出仕する者は数年で相手を見つけるか、親の選んだ相手と結婚することが決まると辞めてしまう。マリアは伯爵令嬢ながら両親が寛容で「好きなことをやりなさい」と送り出してくれたおかげで、自由にさせてもらっているし同級生のルナも同じだったはずだが。ルナはハーー、と深く溜息を吐いた。
「最近親から釣書が宿舎に送られてくるのよ、後妻とかじゃないだけマシだけど」
「え、なんで急に」
「どうやら本家の集まりに行った時に私が結婚せず仕事をしてることに対して嫌味を言われたらしくてね、外聞が良くないって無理矢理釣書を押し付けられたみたい。両親は受けなくて良いって言ってるけど…断り続けるのも角が立つでしょ。かといって親戚の勧めた相手は嫌だから自分で見つけたいの。マリアはご両親だけじゃなく親戚も寛容なんでしょ、羨ましいわ結婚急かされなくて良いから」
羨望の籠ったルナの呟きにマリアはギクリ、と肩が跳ねた。とある罪悪感から声が掠れる。
「…そうだね、父方の叔母くらいかな良く思ってないのは。それも父が執りなしてくれてるから…まあ従妹は…」
「ああ、あの如何にも高慢なご夫人でしょ。わざわざここに顔出して嫌味言って帰ったよね」
「その節は本当にごめんなさい」
「良いのよ。いるのよね、高位貴族と結婚した自分に絶対の自信があるから、結婚せず働いている女性を見下したい、優位に立ちたい人。あ、ごめんね従妹のこと悪く言って」
「大丈夫、本当のことだから」
マリアと同い年の父方の従妹リリアナは母親が侯爵家に嫁いだことから侯爵令嬢として、何不自由なく育ち学園を卒業後は婚約していた侯爵家嫡男と結婚した。彼女と叔母は典型的な貴族で、女は結婚して家庭に入ることが幸せだと思っている。だから在学中文官試験のために勉強するマリアを含めた同級生に「殿方と並ぼうなんてはしたない」「賢しらぶる女は行き遅れる」と嫌味をぶつけてきたことがあった。あれは学業でマリアに勝てず、叔母に小言を言われ続けた鬱憤もあったのだと思うが要するに彼女とはそりが合わない。
結婚すること自体は否定しないが、それ以外の幸せは認めないという偏った価値観は受け入れられない。マリアに結婚願望がないのは、リリアナや叔母の影響も少なくないが実際のところただ単に異性に興味がなかったからだ。このまま自分の食い扶持を稼いで、歳を重ねると思っていたのだが…。
そんな時ドアをノックする音と「失礼する」と低い声が聞こえマリア達は慌てて職務に戻る。ドアを開けて入ってきたのは長身で黒髪の男。金の刺繍が施された漆黒の騎士服の上からでも分かるほど鍛えられた肉体、切れ長の琥珀色の瞳は鋭く見た者を震え上がらせる圧を放つ。健康的に焼けた肌に形の良い眉、高い鼻梁と薄い唇は男らしい端正な顔立ちと言って差し支えないのだが、貼り付けられた無表情が近寄り難い雰囲気を醸し出している。マリアは立ち上がり男に近寄った。
「ハーヴェイ団長、どうかされましたか」
「ランドール嬢、第二で薬品と包帯が不足しているので申請を頼みたいのだが」
男…イザーク・ハーヴェイから渡された書類を受け取り確認する。内容は医務局への医薬品や備品の申請。騎士団にとって医薬品は必需品で申請に来る頻度は多いが、こういった細々とした仕事は部下に頼むのが普通。しかしイザークは団長ながら出来るだけ団内のことを把握しておきたいようで、備品や訓練場に置いておく剣や鎧の補充申請のためわざわざ総務に出向く。
「…確かに受け取りました。医務局に申請しておきます」
「ありがとう」
イザークは軽く会釈すると素早く総務課を出て行った。2人の短いやり取りを見守っていたルナはポンポン、と肩を叩く。
「マリア、ハーヴェイ団長と良く普通に話せるね。私未だに緊張するから。怒ってないのは分かるんだけど、何であんなに威圧感あるの?縁談断られまくってるって噂、本当かもね~『結婚出来なさそうランキング一位』の名は伊達じゃないわね」
「ルナ、失礼よ」
年上の役職持ちの人間に対しての無礼な発言を嗜める。イザークは王都、王宮の警備を担当する第二騎士団の団長で25歳。第一騎士団が王族や要人の警備を担当、第三騎士団は国境警備など遠征業務が殆どで王宮にいることは少ない。第一第二は貴族が多く、第三は平民出身者が多いがそこで役職持ちになるのはかなり大変だと聞くので20代で団長の座に就いたイザークは超の付くエリートだ。しかし、ルナが言った通り彼の人気は今一つ。騎士団長で伯爵家嫡男であるにも関わらず縁談が破談、しかも相手側から断られてばかりだという。理由は彼の顔が怖いことと寡黙で会話が成り立たないから。箱入りで育った令嬢は強面のイザークと目を合わせることすらままならず、会話なんて以ての外。その上断った側の令嬢が「睨まれた。怖かった」「話が続かなくて気まずい」と直接会って話したマイナスな感想を噂として広めているせいか、ここ最近は縁談の申し込みすらないらしい。そのせいで不名誉な称号まで独り歩きしてる始末。
(確かに強面で目つきが鋭いし、口数も多くないけど…慣れれば普通に話してくれるのよね)
「私、あの方がどんな人と結婚するのか興味あるわー。物凄く陽気な人とか?どう思う?」
「…っ!そ、そうね」
突然話題を振られたマリアは上擦った声で答えた。ルナは気づいてないだろう。イザークが去る時、微妙に口角を上げたことに。ましてやイザークとマリアが正式な手続きを踏んだ婚約者であることにも。
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