強面で寡黙な騎士団長が実は婚約者です。

水無月瑠璃

文字の大きさ
2 / 8

2話

しおりを挟む


遡ること半月前、マリアは宿舎からそれほど離れていないバールに1人で居た。王都でも比較的治安の良い地区に建っており、女性の1人客が多くまたマスターや店員が強面のおかげか、ガラの悪い客が少ない。安心して酒を楽しめることからマリアは同僚と共に来ることも今回のように1人で来ることもあった。その日のマリアは柄にもなくビールをハイペースで飲んでいた。あまりの早さにグラスを拭いていたマスターが声をかけてくる。

「…マリアさんちょっと飲み過ぎでは?そんな乱暴な飲み方をすると一気に酔いが回りますよ?」

「…大丈夫ですよ~」

「…危なそうだから馬車呼んでおくか」

マスターのそんな気遣いは気持ち良く酔っていたマリアの耳には届かなかった。マリアはこんなふうにやけ酒することは殆どないのだが、今日はとにかく飲みたい気分だったのだ。カウンター席に空のグラスがどんどん並んでいく。

「ランドール嬢?」

そんなマリアの名を呼ぶバリトンボイスが耳に届く。振り返るとかっちりとした騎士服ではなくシャツにトラウザーズというラフな格好のイザークがいた。しかし腰に愛用の剣を下げているので硬い雰囲気は消えておらず、軽々しく話しかけられないオーラが出ている。

「あれ、ハーヴェイ団長奇遇ですね。お1人ですか」

「ああ1人だ…何だこのグラスの数は!この量をあなた1人で飲んだのか」

「ふふふ、そうですよ~」

表情こそ変わらないものの、声音から驚いて…いや引いているのが伝わってきた。2人が知り合いだと思ったマスターが話に入ってきた。

「あなた、マリアさんのお知り合いですか」

「知り合いというか…仕事で関わりがあるだけの…」

「良かったお知り合いなんですね。マリアさん何か嫌なことがあったようで、凄いペースで飲んでいるんです。私ちょっと手が離せないので、話を聞いてあげてくれませんか。それだけでもスッキリすると思うので」

「いや、俺は」

「!いらっしゃいませ~!じゃあお願いしますね」

レスポンスの早いマスターは言いたい事だけ言うとカウンターを出て行ってしまった。イザークはどうしたものか、と思案していたが良くない飲み方をしているマリアを放っておけず恐る恐る隣の席に腰を下ろす。

「…その、何かあったのだろうか。俺は…知っての通り口下手で碌なアドバイスは出来ないが話を聞くくらいは出来る。勿論、無理にとは言わないが…」

控えめながらイザークはマリアに話すよう促してくる。マリアは悩んだが一瞬だった。こういうのは友人よりも次いつ話すか分からない相手の方が話しやすいと聞く。隣にいるイザークは話しやすさとは対極にいる人間だが、表情が変わらないせいで誤解されやすいだけの、優しい人だと思っている。こんななんの面白みのない話を聞かされても、文句は言わないだろうという確証のない予感がしていた。

「私月一で侯爵家に嫁いだ父方の従妹にお茶会に誘われるんです。叔母が侯爵家に嫁いだので彼女も侯爵令嬢として育ったんですけど…如何にも貴族令嬢らしい考え方をする人たちなので」

「…あなたとは気が合わなそうだな」

短い説明でマリアと従妹の関係を理解したイザークは硬い声で呟く。

「そうなんですよ、だから互いに付かず離れずな関係でいた方が良いと思っていたのに向こうは関わりたがるんですよね。学生時代もそうですけど、結婚してからも『働いている従姉が心配』という理由で度々呼び出されるんです」

やれ何処のお茶会に招待された、何処の家のパーティーに招待された、高価な宝石を買ってもらった等の自慢を一方的に聞かされマリアに許されるのは相槌を打つことだけの会。一度断ったことがあるのだがリリアナが嫁いだ侯爵家経由で抗議が来た。「リリアナの気遣いを無碍にするとは、従姉とはいえ無礼では?」という遠回しな嫌味が手紙にグチグチと書き連ねられていたのだ。父は流石にリリアナの態度に思うところがあったのか伯爵家当主として「お茶会といってもリリアナ夫人の近況を延々と聞かされるだけで娘の話をリリアナ夫人は聞こうとしない。会話というよりも一方的に話すだけの生産性のない時間が過ぎるだけであり、王宮で職を得ている娘は暇ではない。今後は控えていただきたい」と貴族らしい言い回しゼロの返信をしようとしたので兄と一緒に止めた。リリアナは夫に溺愛され、義両親とも仲が良い。こんな手紙を貰ったら向こうが激怒して、ランドール家に何をするか分からない。仕方なくマリアは月一のリリアナのマウントを取られるだけの苦痛な時間を耐えているのだが。

「今日、遂に良い人がいるって勧められました。結婚は考えてないと言っても女の幸せは結婚だ、男と肩を並べて働く女は敬遠されて婚期が遅れるだけだって。昔から私と両親に否定的だったんですけど、結婚してからは更に干渉するようになったんです。従姉が働いてるのは外聞が悪いとか何とか」

「…親兄弟が言うのなら分かるが従妹だろう?父方とはいえ嫁いだ叔母の娘、その本人も嫁いでいるのなら従姉が独身でいることで影響があるとは思えないが…」

「そうなんですよ!従妹と付き合いのある夫人や令嬢だって私という従姉がいること自体知らない人が圧倒的なのに『母方の従姉が20になっても結婚せず働いていて心配』ってわざわざ話題に出すんですよ!従妹の知り合いも従妹と似た考えの持ち主なので『それは心配ですね。私の親戚に良い人が』って善意で紹介しようとするんです。まだ私に話を通すだけマシですけど、そのうち勝手に縁談組まされて事後報告されそうで怖い」

「…」

捲し立てるマリアにイザークは表情は変わらないものの、同情しているのが伝わってくる。マリアは一気にビールを喉に流しこむ。「おい…」とイザークが咎めるも遅かった。

「…貴族の娘は結婚して家の繁栄に貢献する…そういう考え方を否定するわけではないんです。両親から家の為に結婚しろと言われたら受け入れるつもりですし…今はその必要がないから働いてますけど結婚という形で利益をもたらせない代わりに仕送りしてますし…誰に迷惑かけているわけでもないのに何でグチグチ言われないといけないんでしょうか、職業婦人推進とか謳っておきながら風当たり強いですよね?」

「いや」

「結婚してない女は人間性に問題がある、とまで言うんですよ従妹!はぁぁぁぁぁぁ…もうお茶会行きたくないし雑音が何もかも面倒臭い…」

「…」

管を巻き延々と喋り続けるマリアにイザークは口を挟むことなく、自分が注文した酒を飲みつつ話を聞いていた。完全に絡み酒とそれに付き合わされる不憫な人の図が出来上がっていた。

「別に結婚したくないわけではないんですよ。仕事を続けさせてくれて、行動を制限しない人なら喜んで結婚しますよ?まあ、そんな人いませんよねぇ。結婚したら仕事辞めろって言う人が殆どですからね。従妹の勧める人は絶対仕事を続けること許してくれないですし…はぁぁぁ」

マリアの母は結婚後も妊娠するまで王立図書館で働いていたが、許していた父が特別だっただけだと働いてみて分かる。結婚すると殆どの人が退職してしまう。叔母以上に保守的で娘は家の駒、娘が働くなんて家の恥だと公言して憚らなかったらしい祖父母と育った父が、何故前衛的な考えを持つようになったのか本当に謎だ。

「…そんな悲観的にならなくても良いのでは?探せばあなたのお眼鏡に適う男はいると思うが」

項垂れるマリアを不憫に思いイザークは慰めの言葉をかけてくれる。マリアは俯いていた顔をゆっくりと上げ、隣に座る彼を見た。

「…因みに団長さんは結婚したら妻には即家庭に入って欲しいですか?妻の行動範囲は全て把握して、出来るだけ家に居て欲しいタイプですか?」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~

イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。 王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。 そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。 これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。 ⚠️本作はAIとの共同製作です。

幼馴染の執着愛がこんなに重いなんて聞いてない

エヌ
恋愛
私は、幼馴染のキリアンに恋をしている。 でも聞いてしまった。 どうやら彼は、聖女様といい感じらしい。 私は身を引こうと思う。

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

顔も知らない旦那様に間違えて手紙を送ったら、溺愛が返ってきました

ラム猫
恋愛
 セシリアは、政略結婚でアシュレイ・ハンベルク侯爵に嫁いで三年になる。しかし夫であるアシュレイは稀代の軍略家として戦争で前線に立ち続けており、二人は一度も顔を合わせたことがなかった。セシリアは孤独な日々を送り、周囲からは「忘れられた花嫁」として扱われていた。  ある日、セシリアは親友宛てに夫への不満と愚痴を書き連ねた手紙を、誤ってアシュレイ侯爵本人宛てで送ってしまう。とんでもない過ちを犯したと震えるセシリアの元へ、数週間後、夫から返信が届いた。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。 ※全部で四話になります。

うっかり結婚を承諾したら……。

翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」 なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。 相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。 白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。 実際は思った感じではなくて──?

十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした

柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。 幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。 そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。 護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。

婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜

紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。 連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。

初恋に見切りをつけたら「氷の騎士」が手ぐすね引いて待っていた~それは非常に重い愛でした~

ひとみん
恋愛
メイリフローラは初恋の相手ユアンが大好きだ。振り向いてほしくて会う度求婚するも、困った様にほほ笑まれ受け入れてもらえない。 それが十年続いた。 だから成人した事を機に勝負に出たが惨敗。そして彼女は初恋を捨てた。今までたった 一人しか見ていなかった視野を広げようと。 そう思っていたのに、巷で「氷の騎士」と言われているレイモンドと出会う。 好きな人を追いかけるだけだった令嬢が、両手いっぱいに重い愛を抱えた令息にあっという間に捕まってしまう、そんなお話です。 ツッコミどころ満載の5話完結です。

処理中です...