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20話
しおりを挟む花村の勤める会社にこの春、ある女性の新入社員が入社した。彼女は相談役の娘という、強力な後ろ盾を持っているお嬢様でコネ入社だ。縁故採用の人間は大きく分けて2種類いて、周囲から所詮コネだと侮られた悔しさをバネにして仕事に邁進しメキメキ頭角を表すタイプと、腰掛けで結婚相手を探しにくるタイプ。このご令嬢は分かりやすく後者だった。
「彼女は総務部に所属していたんだが、噂によると仕事は他の者に押し付けて、他所の部署に行く用事だけは率先して引き受けていたらしい。目的は言わずもがな。そして女性社員には当たりがきつく、男性社員には馴れ馴れしい態度を取っていた」
「どんな人か、想像しやすいですね…」
そんな社員普通なら疎まれるが、強力な後ろ盾もあり彼女の機嫌を損ねることも出来ず、皆好き勝手にさせるしかなかったのだろう。実際相談役は遅くに出来た娘を甘やかして育てたせいで、ご令嬢は我儘で自分の思い通りにならないことは許せない性格で周囲は相当に疲弊していたようだ。
ご令嬢は色んな場所に出入りしながら、お眼鏡にかなう男性を探していて…彼女に目をつけられたのが花村だった。猛アプローチを受けたらしい。恋人がいれば断る理由になったが、花村はすれ違いが原因で彼女に振られて以来、ここ数年はフリーだったのが仇になった。
(でも、そういう猪突猛進する人って恋人がいようがいまいが関係なく略奪しに行きそう…)
「8も上の男の何処がいいのか全く理解出来なかったが、あまり強く拒絶して俺個人はともかく商品開発部に塁が及ぶのは避けたかったから、仕方なく食事には付き合った。それ以上のことも求められはしたが、当然断った。入社して以来あれほど精神的に疲れたことはないよ」
当時のことを思い出したせいか、花村の顔に疲れが出て来てげっそりとしている。思い出しただけでこれなら、当時は本当に大変だったのだろう。もし葉月が花村と同じ会社に勤めていたら、表立っては無理でも何かしらの手助けは絶対していたのにと、もどかしくなった。
花村が中々自分に靡かないことに業を煮やした令嬢は父親である相談役を巻き込んで、外堀を埋め始めたのだ。交際していると嘘八百を吹き込み、娘に甘い相談役は言い分を鵜呑みにして花村に結婚を仄めかしてきた。ここまでくると花村は今までのキャリアを投げ合ってでも転職しよう、と本気で考えていたらしいので相当追い詰められていたのが窺える。
そして令嬢が入社してから数ヶ月後、彼女がエントランスで花村を呼び止め「妊娠したから責任を取れ」と叫び大騒ぎになった。当然全く身に覚えがない花村は断固否定したし、商品開発部の人々も花村が令嬢に辟易していることは知っていた。そんな訳がないと花村を庇ったが他の部署では花村が令嬢を弄び、その癖責任を果たさないクズな男だとか、令嬢以外の女性に手を出して捨てているのだという悪意に満ちた噂が流れ始めたのだ。相談役も妊娠させたのに認めない花村に怒りを露わにし、わざわざ部署にまで来て罵倒し「お前は人間の屑だが孫の父親だ、責任を取って結婚してもらうからな」と侮蔑の篭った目で宣告されたという。
「もう何が何だか分からなかったよ。後で分かったんだが、以前告白を断った社員達が結託して、ご令嬢の話に便乗して俺の評判が落ちるように噂を流していたんだ。そんなに恨まれていたのか、とショックを受けたよ」
「そんな…酷い」
花村のことだから手酷く振ったわけではないだろう。誠心誠意相手に向き合ったはずだ。だというのに花村を恨むなんて、ただの逆恨みである。そんな性根だから振られるんだ、とその社員達への怒りを心の中でぶつけた。
そして花村は良くも悪くも目立つ存在で妬む者もいた。今まで隙がなかった花村の醜聞は彼らにとって格好の餌になった。一部の女性社員に乗っかり、花村を誹謗中傷する男性社員まで出始めたようだ。とはいっても、一部は一部。信じない社員が大部分だったから、それほどキツくはなかったと花村は語る。彼の周りが敵ばかりではなかった事実に葉月は心底ホッとする。
「まあ俺もやられっぱなしは性に合わないからな。友人の伝手を頼って調査会社に令嬢の周囲を徹底的に調べて、腹の子の父親を特定して欲しいと依頼した。そうしたらびっくり、父親同じ部署の同期だったんだ。令嬢はキープとして複数人と付き合っていたが、時期的にその同期が父親で間違いないようだ」
衝撃の事実に絶句した。
「え…」
「俺が理不尽に責められている元凶の1人が、何食わぬ顔で励ましてるんだよ。あの時はゾッとしたわ」
笑いながら告げる花村は酷く悲しげだった。口ぶりからしてその同期とは仲が良かったのだろう。自分が父親なのに名乗りもせず、花村が苦しむ様を側で見ていた彼は一体どんな気持ちだったのか。
花村は証拠を令嬢と相談役、そして同期に突きつけた。令嬢が花村と関係を持ったと主張する日の、花村のアリバイを証明するための証拠も合わせて。するともう限界だと悟った同期が、こんなことをしでかした理由を話し出した。
その同期は野心家で上昇志向が強かった。しかし入社当時から優秀だと目をかけられていた花村には敵わず、仕事でもプライベートでも常に上を行かれていた。花村の方が先に商品開発部に異動になったとか、彼の考案した商品の評価が自分のより高いとか、気になっていた社員が花村に告白して振られたとか、そういったことが積み重なっていつしか花村を恨むようになったらしい。完全なる八つ当たりだが、その溜まりに溜まった恨みが令嬢の件で爆発したのであった。
令嬢には男の影がちらつけば花村が嫉妬する等と吹き込み、身体の関係に持ち込んだ。その令嬢も花村のことが好きだと言いながら他の男とも関係を持っていたので、同情する余地はない。同期は妊娠したのは偶然だと言い張っていたが、狙っていた可能性が高い。妊娠の事実にパニックを起こした令嬢に花村が父親だと言い張れば外堀が埋まって彼は結婚せざるを得ない、と唆してあの騒ぎを起こさせたのだ。
「いや、そうはならないでしょう。もし仮に、仮に無理矢理結婚したとしても産まれた子のDNA鑑定すればバレますよね」
それに最近では産まれる前に胎児のDNA検査をすることも可能だと聞いた事がある。こんな嘘は遅かれ早かれ暴かれていたはずだ。
「そこまで頭が回らなかったんだろう。浅慮というか馬鹿っぽかったからな。まあ、アイツらの思惑通りに事が運んで托卵がバレても、世間体を大事にする相談役のことだ。醜聞を恐れて俺の子として育てろと強要しただろうな。同期は相談役の性格を見越していたんだろ」
「最悪過ぎません?」
「全くだ。そもそも、いくらプレッシャーをかけられようと自分を陥れた奴と結婚するわけないだろ。馬鹿にするにも程があるし断固抵抗したぞ」
フン、と花村は鼻で笑う。その笑みから冷酷さが漏れている。顔の良さと相まって迫力があり葉月は身震いした。花村を陥れようとした彼等の末路は、悲惨なものだったのだと容易に想像出来た。しかし自業自得である。
(前に倫理観のない奴が嫌いって言ってたの、こういうこと。それに女性客の視線も鬱陶しかったって…)
花村への妬みから令嬢を利用して、「妊娠させたのに責任を果たさない屑」の汚名を着せようとした同期、花村のことを好きと言いながら他の男とも関係を持ち、唆された部分があるとはいえ花村を陥れる計画に加担した令嬢。一体どういう神経をしているのか、全く理解出来ないししたくもない。彼等の仕打ちに花村は傷付き、謂れのない中傷に苦しめられたのだ。部外者である葉月も彼等への怒りを抑えるので必死である。
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