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第二十話 魔王様、魔物を肥溜めに落とす
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「すまんルアナ。少しの間、手を放してもらえるか」
「うん」
ルアナの小さな手が離れると、サナトは魔物たちの方へ近づいた。
「あっ、魔……ぐほゥッ」
ガバッ。
両手を広げて抱きつくように魔物たちをひとまとめに寄せると、余計なことを言いかけた魔物の喉に腕を絡ませて締め上げた。
もちろん、ゲイルとカイルを怖がらせないよう、微笑みを貼りつかせたままだ。
バンバンバン。
首が締まった魔物が、サナトの腕を必死に叩いているが、リベラたちからは表情が見えない角度なので、親しげにしているように見える筈だ。
サナトは魔物たちにぐっと顔を寄せて囁いた。
「私のことはサナトと呼べ。魔王だということは伏せている。バラしたら殺す」
低く地を這うサナトの声音に、魔物たちがこくこくと頷く。
「ならばよい」
にっこりと笑い、手を放した。
「すまなかったな、ルアナ」
「いーよ」
ルアナと手を繋ぎ直すと、リベラが首を傾げて聞いてきた。
「サナトさん、この方たちは?」
「ああ、こやつらは……ううぬ。その、なんだ、臣下……が一番近いか……」
サナトは答えあぐねて唸り声を上げた。
なんと説明すれば違和感がないのか。
そもそもこいつらは何なのだろう。
魔王といっても、単に一番強い存在というだけだ。人間の王のように統治してもいない。魔物たちは好き勝手に暮らしていて、気紛れに戦闘をしている。
魔王の役割としては人間界に攻め込む時の将であること、勇者と戦う最後の砦であること。それくらいのものだ。
ちなみに人間界に攻め込む時、魔物たちはノリノリで勝手に付いてくるし、城へ勇者がやってくると嬉々として戦いたがるので、彼らは別に魔王の指揮下で動こうとか、魔王に統治されている、魔王を守ろう、という気は全くない。臣下とも言い難かった。
「臣下って王様が持つみたい。サナトさん、貴族なんでしょう? だったら使用人の方ですね」
そう思っていたら、リベラが勝手に答えをくれた。
なるほど。人間の貴族とやらが持つのは使用人らしい。
「そう、それだ。よろしく、美しいお嬢さん」
適当に肯定したインキュバスが、ずい、と歩を進めてリベラに近付いた。インキュバスは男型の夢魔だ。サキュバスは美しい女の姿を、インキュバスは美しい男の姿を取り、人間の精気を食料としている。
インキュバスがリベラの手を取り、口元を寄せた。
「ちょっと待て」
それを見たサナトのこめかみに青筋が浮かぶ。
「気安く」
リベラの手の甲にインキュバスの唇が触れる寸前で、サナトはつなぎの襟首を掴んだ。
「触れるでないわ!」
そのままぶん投げる。
どぼん。
インキュバスが空中に大きく孤を描き、肥溜めに突っ込んだ。肥料にするため、畑の隅の一角に穴を掘り、糞尿などを貯めているのだ。
「すごい、サナト兄ちゃん」
「あの人、空を飛んだよ」
リベラとカイルが目を丸くし、ゲイルが手を叩いた。肥溜めからは、インキュバスの足がにょきりと生えている。
「もう一回やってー」
余程面白かったのか、ゲイルが無邪気な笑顔でインキュバスを指さし、まさかのアンコールだ。思いの外好評だったらしい。
「あらら、嫉妬しちゃって。ははーん、そういうことか。魔……サナト様も隅に置けないね」
「これほど可愛らしい番《つがい》候補がいるのなら、毎日の畑通いも仕方ないな」
兎族、いわゆる兎の獣人の女が妙に嬉しそうに顎を撫で、人化しているドラゴンがしたり顔で世迷い言をほざいた。なんだか知らないが、無性に腹が立つ。
「うむ。もう一回だな、ゲイル。よかろう、こやつらでやってやろう」
ゲイルたっての願いだ。叶えるべきだろう。しかしもう一度投げるには、肥溜めに落ちたインキュバスは汚い。後ろで何やらニヤニヤしている奴らを叩き落してやるとしよう。
サナトはにぃ、と笑って振り向いた。
「ちょっと待って、魔……サナト様。笑顔が怖ッ、って、ひきゃああああああああっ」
「俺は関係ない。本当のことを言っただけぇぇぇぇぇっ」
「臭いっ、汚いっ、酷い目にあった……ってぐわぁぁあ」
二つの影が放物線を描き、どぼどぼと肥溜めに落ちた。肥溜めから這い上がりかけていたインキュバスが、二人が落ちてきたためにまた逆戻りする。
「ちょっとサナトさん、そんなことしたら駄目じゃないですか!」
「ぬう、しかしだな、リベラ殿」
何も知らないで魔物たちを心配するリベラに怒られ、サナトは言葉につまる。
そうは言われても、人間の精気を糧にするインキュバスなど近づけたくない。かといって本当の事を言うわけにもいかない。
「臭っせー! 最悪!」
「そうだそうだ、言ってやってよ、お嬢さん! 大体サナト様。人間と仲良くしたけりゃすればいいっつったの、サナト様じゃないか」
這い上がってきた魔物たちが、口々に文句を並べ立てる。サナトは顔をしかめ、喉の奥で唸った。
「……慣れ合うのはごめんだと言ったのは、お前たちであろうが」
そのせいで三日三晩、殴り合いをするはめになったというのに、どの口が言うのかとまぶたを半分落とす。
その間にドラゴンが己と他の魔物たちを水魔法で洗った後、風魔法をかけていく。
「それは最初、精気もらうのも駄目だと思ったからさ。人間は食料である精気の元。仲良くした方がより沢山の精気をもらえるだろ?」
農帽を取り、さらさらになった長い髪を整えつつ、インキュバスが白い歯を見せた。仲良くしようとする理由が予想通りで、サナトはやはりインキュバスをリベラに近付けるわけにはいかない、と改めて決意する。
なにせインキュバスが人間から精気をもらう方法は、人間の生殖行為を利用するものなのだ。
「実を言うと、あたしは前々から人間に興味があったんだよなー。でもさ、だからってホイホイ賛成したらサナト様と戦えなかったじゃん」
もそもそと農帽の中の耳を直している兎獣人が、軽い口調で言った。
「俺は、人間というものをこの目で見定めに来ただけだ。今まで争うことしかしなかったからな。距離を縮めるにしても置くにしても、実際に見てみないことには分からん」
その後を、ドラゴンが引き継ぐ。
「なるほど。それでオセに頼んだというわけか」
サナトがどこの町に転移して畑仕事をしているのか、知っているのはオセのみ。
三人とも、サナトと同じように農帽とつなぎ、首にはタオル、手には軍手、足には長靴という姿だ。農帽とつなぎにはやはりワッペンが縫い付けてある。ワッペンの刺繍糸には星屑の粉が使われていて、サナトと同じく瘴気を封じ込めるものだ。
女神アストライアの加護を受けた星屑の粉。
これを手に入れられるのは、サナトが知る限りあのスケルトンくらいなものである。
「ま、他のやつらのことは知らないけどさ。サナト様と戦いたいだけであんな風に反対した奴も多いんじゃない?」
「オセ翁が転移出来る数が限られていたからな。俺たちは代表だ」
魔物たちは瘴気から発生する。それゆえ家族や伴侶というものを持たず、仲間意識というものが薄い。よって仲間を殺されたという恨みもなく、人間と戦争していたからといって、人間が嫌いというわけではないのだ。
人と馴れ合うのが嫌だと言っていたのも、弱いものと付き合うメリットがないということ、戦う機会が減るというだけのこと。
サナトはこの二人のような考えのものも多いと踏んではいたが、予想よりも行動が早かった。
「ということで、サナト様。そこのお嬢さんはサナト様のものだとして、こっちのお嬢さんの精気を……ひぎっ」
インキュバスの手が今度はルアナに向かう。が。
ぐわし。
きょとんとするルアナに触れる前に、サナトは無言でインキュバスの頭を鷲掴みにした。
「まだ落ち足りないらしいな」
「ぎゃあああああっ!」
インキュバスの体が再度、空中に放物線を描くと、肥溜めに吸い込まれた。
「サナトさん!!」
「サナトお兄ちゃん、めっ!」
その結果、二人に怒られることになったのだから、理不尽だ。
「うん」
ルアナの小さな手が離れると、サナトは魔物たちの方へ近づいた。
「あっ、魔……ぐほゥッ」
ガバッ。
両手を広げて抱きつくように魔物たちをひとまとめに寄せると、余計なことを言いかけた魔物の喉に腕を絡ませて締め上げた。
もちろん、ゲイルとカイルを怖がらせないよう、微笑みを貼りつかせたままだ。
バンバンバン。
首が締まった魔物が、サナトの腕を必死に叩いているが、リベラたちからは表情が見えない角度なので、親しげにしているように見える筈だ。
サナトは魔物たちにぐっと顔を寄せて囁いた。
「私のことはサナトと呼べ。魔王だということは伏せている。バラしたら殺す」
低く地を這うサナトの声音に、魔物たちがこくこくと頷く。
「ならばよい」
にっこりと笑い、手を放した。
「すまなかったな、ルアナ」
「いーよ」
ルアナと手を繋ぎ直すと、リベラが首を傾げて聞いてきた。
「サナトさん、この方たちは?」
「ああ、こやつらは……ううぬ。その、なんだ、臣下……が一番近いか……」
サナトは答えあぐねて唸り声を上げた。
なんと説明すれば違和感がないのか。
そもそもこいつらは何なのだろう。
魔王といっても、単に一番強い存在というだけだ。人間の王のように統治してもいない。魔物たちは好き勝手に暮らしていて、気紛れに戦闘をしている。
魔王の役割としては人間界に攻め込む時の将であること、勇者と戦う最後の砦であること。それくらいのものだ。
ちなみに人間界に攻め込む時、魔物たちはノリノリで勝手に付いてくるし、城へ勇者がやってくると嬉々として戦いたがるので、彼らは別に魔王の指揮下で動こうとか、魔王に統治されている、魔王を守ろう、という気は全くない。臣下とも言い難かった。
「臣下って王様が持つみたい。サナトさん、貴族なんでしょう? だったら使用人の方ですね」
そう思っていたら、リベラが勝手に答えをくれた。
なるほど。人間の貴族とやらが持つのは使用人らしい。
「そう、それだ。よろしく、美しいお嬢さん」
適当に肯定したインキュバスが、ずい、と歩を進めてリベラに近付いた。インキュバスは男型の夢魔だ。サキュバスは美しい女の姿を、インキュバスは美しい男の姿を取り、人間の精気を食料としている。
インキュバスがリベラの手を取り、口元を寄せた。
「ちょっと待て」
それを見たサナトのこめかみに青筋が浮かぶ。
「気安く」
リベラの手の甲にインキュバスの唇が触れる寸前で、サナトはつなぎの襟首を掴んだ。
「触れるでないわ!」
そのままぶん投げる。
どぼん。
インキュバスが空中に大きく孤を描き、肥溜めに突っ込んだ。肥料にするため、畑の隅の一角に穴を掘り、糞尿などを貯めているのだ。
「すごい、サナト兄ちゃん」
「あの人、空を飛んだよ」
リベラとカイルが目を丸くし、ゲイルが手を叩いた。肥溜めからは、インキュバスの足がにょきりと生えている。
「もう一回やってー」
余程面白かったのか、ゲイルが無邪気な笑顔でインキュバスを指さし、まさかのアンコールだ。思いの外好評だったらしい。
「あらら、嫉妬しちゃって。ははーん、そういうことか。魔……サナト様も隅に置けないね」
「これほど可愛らしい番《つがい》候補がいるのなら、毎日の畑通いも仕方ないな」
兎族、いわゆる兎の獣人の女が妙に嬉しそうに顎を撫で、人化しているドラゴンがしたり顔で世迷い言をほざいた。なんだか知らないが、無性に腹が立つ。
「うむ。もう一回だな、ゲイル。よかろう、こやつらでやってやろう」
ゲイルたっての願いだ。叶えるべきだろう。しかしもう一度投げるには、肥溜めに落ちたインキュバスは汚い。後ろで何やらニヤニヤしている奴らを叩き落してやるとしよう。
サナトはにぃ、と笑って振り向いた。
「ちょっと待って、魔……サナト様。笑顔が怖ッ、って、ひきゃああああああああっ」
「俺は関係ない。本当のことを言っただけぇぇぇぇぇっ」
「臭いっ、汚いっ、酷い目にあった……ってぐわぁぁあ」
二つの影が放物線を描き、どぼどぼと肥溜めに落ちた。肥溜めから這い上がりかけていたインキュバスが、二人が落ちてきたためにまた逆戻りする。
「ちょっとサナトさん、そんなことしたら駄目じゃないですか!」
「ぬう、しかしだな、リベラ殿」
何も知らないで魔物たちを心配するリベラに怒られ、サナトは言葉につまる。
そうは言われても、人間の精気を糧にするインキュバスなど近づけたくない。かといって本当の事を言うわけにもいかない。
「臭っせー! 最悪!」
「そうだそうだ、言ってやってよ、お嬢さん! 大体サナト様。人間と仲良くしたけりゃすればいいっつったの、サナト様じゃないか」
這い上がってきた魔物たちが、口々に文句を並べ立てる。サナトは顔をしかめ、喉の奥で唸った。
「……慣れ合うのはごめんだと言ったのは、お前たちであろうが」
そのせいで三日三晩、殴り合いをするはめになったというのに、どの口が言うのかとまぶたを半分落とす。
その間にドラゴンが己と他の魔物たちを水魔法で洗った後、風魔法をかけていく。
「それは最初、精気もらうのも駄目だと思ったからさ。人間は食料である精気の元。仲良くした方がより沢山の精気をもらえるだろ?」
農帽を取り、さらさらになった長い髪を整えつつ、インキュバスが白い歯を見せた。仲良くしようとする理由が予想通りで、サナトはやはりインキュバスをリベラに近付けるわけにはいかない、と改めて決意する。
なにせインキュバスが人間から精気をもらう方法は、人間の生殖行為を利用するものなのだ。
「実を言うと、あたしは前々から人間に興味があったんだよなー。でもさ、だからってホイホイ賛成したらサナト様と戦えなかったじゃん」
もそもそと農帽の中の耳を直している兎獣人が、軽い口調で言った。
「俺は、人間というものをこの目で見定めに来ただけだ。今まで争うことしかしなかったからな。距離を縮めるにしても置くにしても、実際に見てみないことには分からん」
その後を、ドラゴンが引き継ぐ。
「なるほど。それでオセに頼んだというわけか」
サナトがどこの町に転移して畑仕事をしているのか、知っているのはオセのみ。
三人とも、サナトと同じように農帽とつなぎ、首にはタオル、手には軍手、足には長靴という姿だ。農帽とつなぎにはやはりワッペンが縫い付けてある。ワッペンの刺繍糸には星屑の粉が使われていて、サナトと同じく瘴気を封じ込めるものだ。
女神アストライアの加護を受けた星屑の粉。
これを手に入れられるのは、サナトが知る限りあのスケルトンくらいなものである。
「ま、他のやつらのことは知らないけどさ。サナト様と戦いたいだけであんな風に反対した奴も多いんじゃない?」
「オセ翁が転移出来る数が限られていたからな。俺たちは代表だ」
魔物たちは瘴気から発生する。それゆえ家族や伴侶というものを持たず、仲間意識というものが薄い。よって仲間を殺されたという恨みもなく、人間と戦争していたからといって、人間が嫌いというわけではないのだ。
人と馴れ合うのが嫌だと言っていたのも、弱いものと付き合うメリットがないということ、戦う機会が減るというだけのこと。
サナトはこの二人のような考えのものも多いと踏んではいたが、予想よりも行動が早かった。
「ということで、サナト様。そこのお嬢さんはサナト様のものだとして、こっちのお嬢さんの精気を……ひぎっ」
インキュバスの手が今度はルアナに向かう。が。
ぐわし。
きょとんとするルアナに触れる前に、サナトは無言でインキュバスの頭を鷲掴みにした。
「まだ落ち足りないらしいな」
「ぎゃあああああっ!」
インキュバスの体が再度、空中に放物線を描くと、肥溜めに吸い込まれた。
「サナトさん!!」
「サナトお兄ちゃん、めっ!」
その結果、二人に怒られることになったのだから、理不尽だ。
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