琥珀の夢は甘く香る ~アンバーの魔女と瞳に眠る妖魔の物語~

遥彼方

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依頼1ー熱気と闇を孕む商業国ナナガ

少女を追え

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「コハクさっ、うぶっ」
 揺れるハルの背にしがみつくポルクスが、隣に並んだコハクの名を呼び、言葉尻で舌を噛んだ。涙目になるポルクスへハルが忠告する。

『伏せろ! ポルクス』
「へ?」
 犬のハルの言葉はポルクスにはただの吠え声にしか聞こえない。当然伏せるなどという選択肢は生まれず、何事かとハルを見ただけだった。

『ちっ!』
 ハルは、人間で言う舌打ちひとつ、犬としては短い唸り声を上げた。極力走る速度を落とさずに四肢を曲げ、姿勢を低くする。

 ひゅんっ。
 金色の何かがポルクスの頭上を掠め、明るい金髪が舞い散った。

 前方を走る少女の巻き髪が、生き物のように伸びてきたのだ。

「~っ!」
 ポルクスが声にならない悲鳴を飲み込んで、より一層ハルへしがみついた。首へ回す腕と胴を挟み込む足に力がこもり、体を密着させて自然と頭も下がる。

『それでいい。しっかり掴まってなよ』
 ハルは、犬の表情を豊かに変えて人間臭く笑うと、走りながら激しく動き始めた。

 串刺しにしようと鋭く伸びた髪を、左右へかわす。足元を払う髪を一際大きな跳躍で通過させ、頭を狙う髪は姿勢を低くしてやり過ごす。
 目標を捉えられなかった毛束は、地面を抉り、壁を穿った。

 更に、狭い路地裏は真っ直ぐばかりではない。右に左に道が折れ曲がり、背中のポルクスは振り落とされまいと必死だった。

「ひいいいっ」
 上下左右に揺すられて情けない声を出すポルクスを尻目に、駆けるホムラにも髪は迫る。

 ホムラはコハクを支えるのを左手一本にして、袖から小刀を抜き取り器用に口を使って抜刀する。
 鋭く突きにくる髪の毛束を刀の側面に当てて方向を変える。足元への攻撃は体の軸をずらして最小限の動きで回避。ミズホ国の独特の跳ねない足運びと相まって、音のない流れるような体捌きだった。

 そして何故かホムラが逸らした髪がハルの方へ来る。

『よっ、ほっ、とっ! お前っ! わざとだろっ!』
「知らん」
 軽快に避けつつハルが吠える。口に鞘をくわえたままのホムラは素っ気ない一言だ。背中のポルクスの手は、力を込めすぎて真っ白だった。

「止めなさい。それよりも」
 コハクはホムラの頭を軽く小突いて咎め、前方の少女を見る。
 犬の全力疾走は人間など簡単に捉える。妖魔のハルならばいくら人間を背負っていても楽勝だ。それがあまり縮まっていない。人間を超えた身体能力、さらに体の一部である髪を使って攻撃してきた。

『かなり同化してるね』
 少女がチラチラとこちらに視線を送りながら、また路地を曲がった。これだけ走り回っているのに表の通りには一度も戻っていない。少女の土地勘も使っているのか。だとすれは、意識を共有もしているのかもしれない。
 どちらにしても、このままでは埒が明かない。コハクは暫し己の瞳に意識を向けた。

「おいで、チヅル」
 コハクの瞳の破片が質量と形を変えて現れる。

「か、紙? あれも妖魔?」
 驚きのあまりポルクスが思わず呟き、揺れでまた舌を噛んだのか直ぐ顔をしかめた。
 コハクの瞳から現れた四角い無数の白紙は、宙を舞いパラパラと音を立てる。

『コハク、コハク。あの子を足止めすればいいの?いいの?』
 無数の紙たちの囁きにコハクは頷いた。

「お願いね」
『勿論、勿論。コハクの為だもの、だもの』

 パタパタと紙が折れ、次々と形を変えていく。対角に半分にたたまれ、また半分にたたみ広げ、形が変わる。
 紙は最終的には、鳥の形になった。鳥になった紙は、風に乗り綺麗に折られた翼を羽ばたかせて狭い路地から空へと散った。
 薄暗い路地の上に、路地と同じ形に切り取られたような夕焼けの空へ、白い紙の鳥が吸い込まれていく。
 小鳥ほどの小さな紙の鳥はあっという間に視界から消えた。

 紙の鳥が飛び立ってから僅か数十秒後、少女の逃走劇は終わりを告げることとなった。

※※※※

 車から飛び出したリルは、恐ろしくて堪らなかった。走っても走っても振り切れもせず、ジグザグに路地を曲がっても正確に付いてくる。

 これだけの距離を走っていても息切れもなく、独りでに金の巻き髪がコハクたちを襲っていることに彼女は気付いていない。
 前者は逃げることに必死な為、後者は彼女が前を向いている時にのみ動くからだ。

 角を左に曲がろうとして、大通りが見えて止める。次の路地を右に折れた。貧相な身なりの老婆がリルを見て驚いて固まった。

 ……違う。こいつじゃない……。

 老婆を軽々と飛び越して、ひた走る。

 何処へ逃げようとしているのかも分からない。胸の内に響く声は、焦っている。後ろから来るコハクという女に恐怖している。リルも同じように焦り、恐怖する。

 引き裂きたいという狂おしい願望も、声と同じように感じていた。そのことをおかしいと疑う感情は湧いてこなかった。

 薄汚れたドアから中年の男が顔を出し、猛然と走るリルを見てドアを閉じた。

 ……あいつも違う。引き裂くのはあの女たち……。

 愛しいあの人に付きまとう忌々しい女たち。憎い憎い女どものあの人に触れた手を引き千切り、口を引き裂いて、身体中を切り刻んでやるのだ。

 脳裏に浮かぶのは愛しいあの人、嘘だらけの優しい笑顔だった。
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