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依頼1ー熱気と闇を孕む商業国ナナガ

宿主と妖魔

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「あ、そんなことよりもリルさんは!?」
 倒れたままのリルが心配で、ポルクスは急いで隣を覗き込む。

『平気ですわ。二体もの妖魔と分離したショックで気絶してるだけですもの』
「良かった」
 ほっと胸を撫で下ろしたポルクスに、ミソラが何気ない一言を付け加えた。

『他の妖魔がいたせいで、私もこの子の精神を食べ損ねましたし、勿論体を食べる程の力はありませんでした。外身も中身も無事ですわ』

「えっ!?」
 そこはかとなく怖い発言にぎょっとする。可愛らしい子猫の外見と、自分に好意的な態度なものだから忘れていたが、やはり妖魔は危険な存在なのだという現実を突き付けられてしまった。

「あの、気になってたんですけど、宿主と妖魔の関係って何なんですか?」

 ポルクスには、ミソラはリルの分身のように思えた。穴の中から聞こえていた声はリルそのもので、あの寂しさも罪もリルのものだった。
 しかし、今のミソラの発言だとリルの精神と肉体を食べる気だったらしい。

「宿主の罪である妖魔は、宿主が罪を犯す動機と経緯を、存在そのものに刻み込んで生まれる。だから宿主そのもののように感じるし、宿主の記憶も持っているわ」
 少しずつ見え始めた視界に、金髪の青年の姿を捉えながらコハクは何度か瞬きをした。

「でもね、いくら同じ記憶を持っていても、例え声や体が一緒だったとしても、違う存在、似て非なるものなのよ」

 瞬きの度に景色が鮮明になっていき、膝の上で丸くなっている子猫へ目が行った。艶やかな黒い毛の子猫は片目だけを緑に光らせ、コハクを見て笑う。

『その通りですわ。雛鳥が親鳥を真似るように、妖魔は生みの宿主を真似るのです。そうして宿主そっくりになって、精神を食べ、乗っ取ってなりすましますのよ』

 ミソラは片目を瞑ったまま、開いている方の目を細めてペロリと口元を舐めた。

『宿主を乗っ取れば人間を食べられますもの。人間を食べて力を得たら、後は宿主の体を食べて妖魔としての肉体を手に入れるのですわ』

 子猫を膝に乗せたポルクスの顔が、みるみる強張った。柔らかな毛並みを撫でていた手が止まる。

「じゃ、じゃあ、さっきのリルさんの想いは? 虚しさと寂しさは何だったんですか!? ただの真似事で、あれはミソラの中にもあった感情じゃなかった? 妖魔はやっぱり人間を食べるだけの存在ってことですか? 僕は何とかしたくて本気でっ……!」
 コハクは動揺するポルクスの目を真っ直ぐに捉えた。
 この人の好い青年が真剣に妖魔へ向き合っていたのを、間近に感じたからこそ失望して欲しくなかった。

「ポルクス、妖魔は宿主の罪。罪を犯した宿主の感情をそのまま引き継ぐわ。だからあの時の想いも言葉も、ちゃんとミソラの本心だったのよ」

『そうですわ、ポルクス。貴方は寂しくて虚しくて穴の開いた私へ、一緒にぶつかりに行こう、一緒に泣いて考えるって言ってくれたこと、本当に嬉しかったですわ。でなければただの人間に真名を教えるものですか』

 膝の上で子猫が立ち上がり、緑の大きな瞳が真剣な光を灯し、揺らぐ青の瞳を下から覗いた。

「僕には訳が分かりません」
 明るい金髪を揺らして、ポルクスは力なくかぶりを振った。今のミソラの言葉に嘘はないと感じるからこそ、分からない。それでどうして宿主を食べたいと思えるのか。

「罪から生まれ、記憶と想いも共有して宿主の性格すら引き継ぐ。だからあれはリルの想いであり、ミソラの想いでもあった。でも、宿主と妖魔は同じであって同じではないのよ」
 破片の舞う黄褐色の瞳と、深い彼の青の瞳が交差した。垂れた青の目は、食い入るようにコハクの目の中へ答えを求めていた。

 分からないと言いながら、尚も信じたいと思ってくれているのだ。彼の理解の外にいる妖魔たちを、ごく普通の人間である彼が理解しようと努力している。

 それは、英雄が世界を救うよりも、不治の病が治る事よりも、コハクと妖魔たちにとっては奇跡に思えた。『珠玉』の立場から、色々と希有な色の目を見てきたが、何の変鉄もないありふれた青の瞳が、どんな色よりも綺麗だと感じる。

「例え同じものから分かれたものでも、分かれた時点で別の存在としての生を歩む。そして宿主の罪と想いを抱えながら、妖魔の本能に突き動かされるの」
 コハクの言葉に、ハルが目と耳を伏せた。分かりやすい彼の動きに気付き、ポルクスが問う。

「ハルさんも、そうだったんですか? 宿主を……食べたんですか?」
  
「俺もそうだったよ。コハクに会うまでは。俺の場合は最初から高位だったから、宿主を食べなくても肉体も力もあった。けど、宿主を喰ったし大勢の人間も食べた」

 ハルは正直に答える。この青年には優しい嘘などきっと要らないし、何よりもハル自身が嘘をつきたくなかった。

「俺らは宿主の真似事をしてるだけの偽りの存在かもしれない。罪を犯す狂おしさと苦しさしかなくてさ。だから本物を食べて成り代わりたい……のかな。実際はそんな事してもちょっと気が紛れるくらいで、直ぐにまた血が欲しくなる」
 力のない笑みを浮かべるハルを、ポルクスはじっと見上げた。

「今もですか?」
「いいや。コハクが俺を救ってくれたから」
 無言でしばらくハルを見て、目の前のコハク、膝の上のミソラ、倒れたままのリルへと視線を移した。

「そっか」
 ポルクスの張り詰めていた雰囲気が弛んだ。膝の上の子猫をそっと抱き上げる。

「ポルクス?」
「……安心しました」
 抱き上げた子猫を胸に抱き締め、くしゃりと笑った。彼の笑みは春の日溜まりのように温かい。胸へ飛来したふわっとした温もりに、コハクは少し戸惑いを覚えた。
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