琥珀の夢は甘く香る ~アンバーの魔女と瞳に眠る妖魔の物語~

遥彼方

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依頼1ー熱気と闇を孕む商業国ナナガ

信じる事への責任

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「ポルクス。ミソラの事なのだけれど、このままではいけないの」
 子猫が鳴らしていたゴロゴロという音がピタリと止まる。

「普通の人間が妖魔を従わせる事自体が異例だから、詳しくは分からないけれど、この状態は宿主と妖魔の状態だと思う」

「それってつまり」
 ポルクスの顔色がさあっと青褪めた。

「ミソラに精神を喰われるかもしれないってことですか!?」
 反射的に胸に抱いていた子猫を前へ放り投げる。

『ちょっと! 扱いが乱暴ですわよ!』
 子猫は文句を言って目の前のコハクの膝へ着地した。白い手が黒い子猫を捕まえる。

「瞳の力も戻ったし、この子は私が引き受けるわ」
『嫌です』

 横合いからハルの手が伸び、子猫の首を掴んでコハクから取り上げた。

「おい、我が儘言ってんなよ! ひよっこ」
 片手でぷらんと吊るし、ハルは子猫と鼻先を突き合わせた。

『私はポルクスに真名を教えたのです。コハクにではありませんわ。他の方にほいほいと従うほど安くはありませんの』
 つんと横を向く子猫へハルは唸る。

「ならこのまま俺がお前を喰う」
『お好きにどうぞ』
 子猫は臆することなく、すました顔で顔を洗った。

「止めなさい、ハル。ミソラ、ポルクスを食べようと思っている?」
『いいえ。真名を教えたら寂しさも虚しさも消えましたわ。穴は埋まりました』

「そう」
 ミソラの言葉を聞いて安心する。これはコハクと妖魔の関係と同じかもしれない。

『でも、ポルクスからはとても美味しそうな匂いがしますわ。私が誘惑に負けて彼を食べてしまう前に、この犬に食べてもらう方がいいかもしれませんわね』
 訂正。やはり宿主と妖魔、いやコハクたちと中間のような関係なのか。

「私の瞳の中へ来れば、そんな事をしなくてもいいのよ?」
『それでも、私が従うのはポルクスだけですわ』
「そう。困ったわね」
 コハクがミソラを使役すれば万事解決なのだが、ミソラの決意は固いらしい。

 緑の瞳と黄褐色の瞳が、金髪の青年へ向けられる。視線を集めてたじろいだものの、彼はぐっと唇を引き結んで覚悟を決めた。

「ミソラ、その、僕を食べたい衝動って我慢出来る?」
 ポルクスは立ち上がり、ハルの手からぶら下がる子猫の目線に合わせる。

『衝動に負けるならば、私は自ら滅びを選択しましょう。それが私の美学というものですわ』
「分かった。君を信じる」
 ハルから子猫を引き取ろうと両手を出した。

「ばっ馬鹿! 何でも簡単に信じすぎだろ。何かあってからじゃ遅いんだぞ」
「うん。ありがとう、ハルさん」
 ポルクスは子猫から手を離さないハルへ微笑みかけた。

「怖くないのか? こんなこと言ってても、知らないうちに喰われるかもしれないんだ。お前じゃ抵抗も出来ない」

「そんなことしませんよ、ミソラは」
 ニコニコと笑みを絶やさないポルクスの態度に、ハルは苛ついて耳を動かした。

「どこまで能天気なんだよ。お前の脳みそはお花畑か! 何の根拠があって……」

「真名を教えて貰う時のミソラの気持ちに嘘はないと感じましたし、コハクさんも肯定してくれました。根拠はそれです。勿論食べられるのは嫌ですけど、もしもミソラに食べられちゃっても、その時はその時ですよ」

「なっ!?」
 予想外の言葉に絶句するハルへ、穏やかに続ける。

「正直、怖いですよ。だけどもしも信じたミソラに裏切られても、それはミソラを見誤った僕の責任です。だから僕は僕の責任でミソラを信じます」

 情けないことに、ミソラを受け取ろうと出した手は少し震えていたりもする。それを誤魔化そうと尚更ハルへ笑顔を向けた。

 ハルは濁りのない青の瞳を、直視出来なくなって目を逸らす。
 相手が裏切るかどうかなど関係なく、相手を信じられるというこの青年は、効き目が強すぎて毒ですらあった。
 子猫をポルクスの手の上に置いて、コハクへ懇願する。

「コハク、俺を瞳に戻して」
「ハルさん?」
 弱々しいハルの様子にポルクスは眉を潜めた。思わず名を呼ぶが、耳を伏せて見るからに元気のない様子の青年は、こちらを見てもくれなかった。

「ごめん、ポルクス。今はお前と話していたくない。コハク、お願い」
「お入り、ハル」
 ハルの願いを聞き入れてコハクは瞳の中へ戻す。

「ハルさん、心配してくれてありがとう!」
 小さな破片へ姿を変えるハルへ、せめて礼を伝えようとポルクスは叫んだ。揺れる茶色の尻尾だけが最後に見えた。

「貴方が悪いのではないわ。ハル自身の問題なのよ」
 何がハルを傷付けてしまったのか、理解出来ずに項垂れるポルクスをコハクは慰めた。
 ハルの事情が分からない彼にとって、コハクの慰めは気休めにしかならないだろう。分かっていたが、言わずにはいられなかった。どうにもこの新米隊員のしょげた顔を見るのは、コハクの心を落ち着かなくさせる。

『コハク、コハク。そろそろ結界を解いてもいい? いい?』
 長く見守っていたチヅルが痺れを切らしてコハクへ尋ねる。
「ええ。お願い」
 これで話題と気分を変えられる。渡りに船とばかりに頷いた。四方にあった紙の棒がバラけると同時に、壁から一斉に紙が剥がれて闇の中を乱舞する。
 視界が白く染まる程の紙の乱舞が終われば、建物の隙間から覗く夜空と、すっかり闇に包まれた路地裏へ立っていた。

「お入り、チヅル」
 紙は次々と小さな破片となって、コハクの瞳へ吸い込まれていく。

「ああ、気持ち悪い。流石は東邦の魔女、あんなものを目の中へ入れてしまうなんてね」
 煌々とした月光を跳ね返して、冷たく無機質な銃口が鈍く光る。

 結界の解けた闇夜の中、銃を構えて狙いを定めていたのは、豊満な肉体を強調する衣服を身に付けた30代後半の美しい女だった。
 月の光に晒されて、纏め上げたうねる金髪と大きく開いた胸元、脇のスリットから覗く肌を闇の中から浮かび上がらせている。

 アングレイ商会の会頭、ダグス・ハラーナ・アングレイの妻であり、リルの母リリアーヌ・ハラーナ・アングレイが、濃い蒼の瞳をぎらぎらと燃やしてコハクを睨んでいた。
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