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第一章:リスタート

うまくいかない

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「遠慮なさらずに、殿下をお引止めしてもう少しお話すれば良かったのでは?」

 王子の消えた教室の方を見つめたまま、そんなことを考えていると、斜め上から声が降ってきた。

「遠慮?」

 見上げれば、セスの冷ややかな視線にぶつかる。いつもは温かく緩んでいる青が、冴えた光を放ってイザベラに向けられている。
 セスからこういう目で見られたことのないイザベラは、戸惑った。

「遠慮なんて、していないわ」

 今のやり取りの中で、何かセスに嫌われるようなことをしてしまっただろうか。
 急に心細くなって、どくどくと心臓が波打つ。

「切なそうに胸を押さえて、無理をして微笑んで。今も名残惜しそうに殿下の後ろ姿を見つめていらっしゃったではありませんか」

 ……切なそうに? 無理をして? 名残惜しそうに?

 意味を飲み込めず、もう一度脳内で繰り返す。暫くしてから、やっと言われたことが浸透してきた。

「……ふぇっ?」

 驚きすぎて変な声が出る。

「ち、ちょっと待って」

 待って待って。そんな風に見えたの? いや、見えるかも。
 でも違う。逆。逆だ。

 切なそうに胸を押さえて……って、あれはセスのことを考えていたからで。無理して微笑んだのは、王子がキモかったから。名残惜しそうに見つめていたのではなく、これからの算段をつけていただけで。
 まったく正反対なんだから!

 「違うのよ、セス。あの、あれはね……」

 猛烈に否定しようとして、マリエッタたちの目があることに気付く。イザベラは慌てて口をつぐんだ。

「ご自分に正直になられたらいいじゃないですか。殿下はお嬢様の婚約者なのです。甘えても構わないと思いますよ」

「~っ」

 イザベラは地団太を踏みそうになった。

 違う。違ーう!と叫びたい。王子なんてどうでもいい。自分に正直になるのなら、セスに甘えたいのに。

 しかし王子を差し置いて護衛騎士に懸想しているなんて、マリエッタたちにバレるとまずい。そんなことが知れたら、腹黒な令嬢たちはこれ幸いとイザベラを蹴落としにかかるだろう。
 特にマリエッタは辺境伯令嬢。位としては公爵より下だが、権力としては拮抗する。今は大人しくしているが、イザベラが弱みを見せたらあっという間に立場が逆になる。

 別にそれで王子の婚約者から外れるのは構わない。けれどセスと恋仲になったと両親に知れたら、どんな手を使っても引き離されてしまう。まだセスに好きになってもらってもいないのに離されてしまったら、嫌だ。

 しかしセスには誤解されたくない。

 どうしよう。
 ぱくぱくと口を開きかけては閉じるイザベラから、セスがふい、と視線を逸らす。

「さ。そろそろ授業が始まりますよ」

 ぴしゃりと扉をとざしたような横顔と声に、泣きたくなった。しおしおと椅子に腰を下ろす。

 セスのことになると、どうもうまくいかない。

 目下、本当に大変なのは王子との綱渡りな関係よりも、セスを振り向かせることかもしれない。

 大きく肩を落としてイザベラは溜め息を吐いた。
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