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第一章:リスタート

気ばかりが焦る(セス視点)

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 頬をなぶる夜気と、太ももに伝わる馬の動きを感じながら、セスはイザベラを追っていた。

「そんなに飛ばすなよ。馬が潰れる」

 やや斜め後方からの声がセスを責めた。

「申し訳ありません。潰してしまいましたら、弁償いたします」

 しかしセスは謝罪を口にしつつも、速度を緩める気などさらさらない。
 イザベラ奪還に際して、いかなる費用も惜しまないという公爵からの言質はとってある。たとえ馬が潰れても、馬の価値以上の金品で弁償してくれるだろう。

「おい。謝罪が口先だけだぞ」

 もう一度発せられた不機嫌な声は、ジェームス王子のものだ。
 セスとジェームス王子の周りには、王子の護衛騎士たちが並走している。

 心ここにあらずの詫びだということは、バレバレだったらしい。
 セスは舌打ちを抑え込み、角が立たないようにそれらしい理由をつけた。

「失礼いたしました。しかしながら乗馬は初心者にございまして、余裕がないのです」

 半分は本当で半分は嘘だ。初心者で、余裕がないというのは本当。しかし本当に余裕がない理由は、乗りこなすことに気を取られているからじゃない。

 イザベラお嬢様の無事。
 セスの心を占めるのはそれだけだ。

 怪我はしていないだろうか。無体な事をされていないだろうか。
 不安で泣いてはいないだろうか。

 早く。少しでも早くと、気ばかりが焦る。

 汚い男どもに触れられたと思うだけで腸が煮えくり返る。
 その上もし、かすり傷一つでも加えられていたなら。犯人どもは勿論、マリエッタも許さない。

「まったく。これが本当に馬に乗るのも初めてだった奴か」

 速度を上げてセスに並んだジェームス王子が、小さく舌打ちをした。

 イザベラ様や令嬢たちの前ではそんな態度を取らないくせに。ただでさえ焦りと心配でささくれ立っているセスは、腹が立って仕方がない。

 さらに追い打ちをかけるように、周囲に自分の側近とセスしかいないせいか、堂々とイザベラの悪口を言ってくる。

「よくあんな見た目だけの高慢ちき女の為に必死になれるね。忠義心? それともまさか、あの女が好きだとか? うへぇ。趣味が悪いな」

 見た目だけしか見ていないのはお前だ。何も知らない奴がお嬢様を語るな!

 心の中だけで悪態をつき、セスは王子の方を見ないようにして、手綱を握る手に力がこもりそうになるのを堪えた。

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。あまり手綱を引っぱってしまうと、馬にブレーキをかけてしまう。

 この男がセスと共に馬を走らせているのは、イザベラを助けるためではない。アメリアのためだという事実もまた、セスを苛立たせた。
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