絶砂の恋椿

ヤネコ

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孤島、望むは砂ばかり

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 痩躯の男が、器用に砂船を繰る。ぎらぎらと砂を睨み付けるその目には、どこまでも同じ色しか映さない大地の上に、進むべき道が見えているようだ。風に混じり、砂粒が布越しに頬を叩くのを、男は楽しげに受け止めた。
「本当に、砂蟲一匹寄ってきやしやせんねえ! 大したもんでさ!」
 旅人の天敵である砂蟲が居ない航路は、翼を得たような心地を男に覚えさせる。横っ腹からの攻撃に気取られず、得意の操船術を存分に発揮できるのだから、全身を叩く砂の熱さも、ねっとりと体を包む熱い風も、最早心地よさしか感じさせない。
「ああ……こいつは大商いの匂いがするだろう? タルズ!」
 船頭のはしゃぐ声に、砂船に同乗する男が応える。体幹が強いのだろう。マストが風を受けて大きく撓むように、かなりの風をその身に受けている筈だが、男は平然と腕組みをして立っている。
 タルズと呼ばれた船頭は、すんすんと鼻を鳴らして、笑い声を漏らした。
「わしは船を繰るしか能がねえもんで、ええ匂いがするのしかわからんです!」
 タルズが繰る砂船の船体には、砂蟲除けに調合された油薬がたっぷりと染み込まされている。漂う香りの良さは乗船する者の気分を向上させるが、繁殖期の砂蟲には、これが悍ましいまでの悪臭に感じさせられるようだ。悪食極まりない砂蟲達ではあるが、臭い物は喰いたくはないようで、砂地を這う音すら聞こえない程の効果を発揮している。
「相手の好き嫌いに通じるのも、商いの基本だからな」
 とは言うものの、旧文明の文献から製造法を見出したこの油薬が完成したのは、一行が海都を出発するほんの一週間前だ。ぶっつけ本番、もし文献の読み違いをしていたら、そもそも文献自体がインチキであれば、二人は砂船もろとも砂蟲のおやつになっていたのだが、男はそんなことはおくびにも出さない。
「しかし、だんさんも今回ばかりは女心とやらを読み違ったようでやすな」
 タルズは少し意地悪な声色で、自らと同じく分厚い布を顔面に纏った男を見遣る。布の奥に覗く鬱金色の瞳は、やれやれと溜め息を漏らすように細められた。
「ああ……子を成す時に交わした契約が、何れも反故にされるとは思わなんだ」
 痩躯の船頭タルズから旦さんと呼ばれた男――カームビズ商会番頭トゥルースは、弱音とも聞こえる言葉を吐く。だが、その声色はやけに楽しげだ。自棄にでもなっているのだろうか。
「子供はどんだけいてもええもんですが、まあ、手前の子が一番可愛いってのが母親の情でしょうからな」
 子は何よりの宝であるという商会の方針により、商会或いはその傘下に所属する産婦とその子供は日々の暮らしを手厚く保証される。加えて、現カームビズ商会長の息子であるトゥルースの子を産んだ彼女達には、商会から一生涯の特典が約束されている。次代の商会長候補の妻などという、血腥い椅子にわざわざ座るよりは余程安定して豊かな暮らしが見込めるというものだが、人の心はままならないものだ。
「彼女達は皆、俺の子が欲しいと言っていたものでな……無視をするのも情無しだろう」
「追ん出される時は人でなしって罵られてやしたがね」
 砂船のマストを繰りながら、タルズは呵呵と笑う。醜男のタルズからすれば、主の失敗は気の毒がるよりは笑い話だ。
 聞けば、子供達は全員生まれ月が違うというのだから、トゥルースは海都の医者が提唱する、その月毎に子作りに一番いいという日を、女達への奉仕に捧げたのであろう。決め打ちできっちり成果を叩き出すのだから、仕事ができると褒める他無い。
「旦さんは誰のことも、嫁さんにしたいとは思わなんだでやすか?」
「皆、俺の女房になれば今の仕事を失うと嫌がっていたはずなんだがな……俺の読み違いだ」
 トゥルースが子を産ませた十二人の女達は、何れも優れた才の持ち主であった。算術に優れた者、語学に優れた者、芸術に優れた者、交渉に優れた者等々、何れも子々孫々の才能が、砂に覆われたこの大地の未来を切り拓くことが予想される者達であった。トゥルースは、彼女達の才能に惚れたのだ。全ての女を、子を産む前後も等しく慈しみ、十二人の子供は全て自らの子として認知したのだが、そのうちの一人として、彼は自らの後継者には指名しなかった。
「サイコロでも投げて後継ぎを決めてりゃあ、あんな辺鄙な島に行くことは無かったんじゃねえでやすかね?」
 タルズは自らの容貌では一生涯で子を持つことは無かろうと諦めているため、偶にこのような残酷な物言いをする。
「そんな惨いことはできんさ」
 旧文明時代から続く老舗、カームビズ商会の長への道は、候補の候補であれども修羅の道だ。子は宝であればこそ、彼らあるいは彼女らの未来は明るいものであってほしい。女達へはそう伝えたつもりが、結果はこの通りの島流しである。恋多き男の理想は、些か他者には通じにくいものであった。
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