絶砂の恋椿

ヤネコ

文字の大きさ
22 / 84
近づきたい微熱

4―2

しおりを挟む
 カームビズ商会内での仕事ぶりの評価は『そこそこ』の男であったダーゲルは、後ろ楯だけは立派な前責任者の尻拭い役として、バハルクーヴ支部に赴任した。最果ての島に飛ばされたダーゲルを待っていたのは、海都での文化的な生活とは程遠い日々であった。
 惨めさを紛らわすべく入り浸った安酒場で、嫌でも目に飛び込んでくる溌剌とした若い活気は、孤独で草臥れた中年であるダーゲルが持ち得ないものだった。ダーゲルの寂しく荒んだ心は、彼等の活気を渇望した。
「彼らとは……飲み友達、とでも言いましょうか」
 ぽつりぽつりと、ダーゲルは語りだした。トゥルースも性急に答えを求めることはせず、じっとダーゲルの言葉に耳を傾けている。
「無邪気な連中でしてね……はは、安い酒と肴を与えてやれば、随分と私に懐きましたよ」
 ダーゲルは彼等に酒を奢り、飯を奢り、稚気に満ちた武勇伝に耳を傾けた。謎めいた有閑紳士を気取り、島外の話を聞かせてやったこともある。活力に満ちた年若い大男達の酒量に付き合い、夢現となったダーゲルの生活は、次第に荒れていった。
「貴方様への不満があるならば直接伝えろとは申しましたが……まさか、私の話をあのように曲解しようとは――やはり、粗野な連中は困りますな」
 乱れた生活が祟り、何時しか商会支部内での立場も無くしたダーゲルは、身勝手な逆恨みを青年達に覚えた。本人達は全く自覚が無いトゥルース暗殺劇の主犯格へと青年達を焚き付けることで、ダーゲルは仄暗い復讐心を満たしたのだ。
「そうか――しかし、不可解だな」
 トゥルースはダーゲルの顎を自らの指で上げさせると、鬱金色の瞳でじっとダーゲルの瞳を覗き込んだ。
「お前と俺は、今ここで初めて面識を持ったはずだが……何故、俺があの場所を訪れると彼等に告げた?」
「……貴方様程に、偉大な御方であれば、きっと、この島の水源を……見に行くであろうと」
 ダーゲルの瞳が怯えたように動くのを、トゥルースは鋭い眼力で絡め取るように睨め付ける。さながら猛禽に捕らえられた小鳥のように、ダーゲルは唇を震わせた。
「御為ごかしを囀らせるために、お前を生かしていると思ったか?」
 怒鳴りつけるわけではない、だが、明確な怒りを帯びた声に、ダーゲルは吐き出そうとした誤魔化しを呑み込んだようだ。端正な口元の赤黒い痣は、トゥルースに剣呑な凄みを与えていた。
「質問を変えよう。何故、お前はカナートに居た?」
「そ、れは……」
 ダーゲルが怯えたのは、果たしてトゥルースの責めに対してのみであっただろうか。眉間をゆがめ、頬を青褪めさせるダーゲルから視線を逸し、トゥルースはタルズへと振り向く。
「交代しやすか?」
「いや……お前には、彼等に美味いスープを作って貰わねばならないからな」
 真顔で場にそぐわぬ言葉を発するトゥルースにやれやれと肩をすくめて、タルズは自らの懐に仕込んだ小刀を彼に手渡した。
 よく研がれた、ぬらりと鈍く光る小刀を受け取り、トゥルースはダーゲルに向き直る。
「は、刃物で脅すとは……貴方様に、カームビズ商会番頭としての矜持は無いのですか!?」
「なに、俺もこれで命を取るつもりはないさ」
 拘束により椅子に固定されたダーゲルの右の小指と薬指の付け根に、トゥルースは躊躇無く小刀を当てる。濁った悲鳴が、狭い部屋の壁に吸い込まれた。
「だが、くたばったとして五体をまともに冥府に連れていけるかは、お前の心掛け次第だ」
 手の甲に向けて深く長くなったダーゲルの小指は、まだ辛うじて肉体と繋がっている。だが、彼の視線は自らの指をただの肉片に変えんとする凶器でも、それを握るトゥルースでもなく、赤赤と火を焚べられた炉に注がれていた。
 ようやく発揮されたダーゲルの海都生まれらしい察知に、トゥルースは正解だと言わんばかりに頷いてみせる。
「カナートに、おかしなものを仕込もうとしていたそうだな。商会との誓約を忘れたか?」
 トゥルースの問いに、失われた血潮の余白を恐怖が埋めるのをダーゲルは自覚した。指先から駆け抜ける悪寒が、彼の上下の歯を打ち鳴らさせる。
「み、『水を冒す者……死を以て、罪を……贖うべし』……!」
「そうだ。我々は水で商いをしてきただろう……だのに、何故お前はそれを冒そうとした」
 ダーゲルは、両の眼から後悔の涙を流す。しかしそれは、自らの過ちを悔いるものではなく、ただあの時――不運にも船頭の男に露見さえしなければという、どこまでも自己憐憫に満ちたものであった。
「お赦しを……私には、従う他の、道は無かったのです……!」
「そうか。あくまでお前の意志では無いと、そう言うのだな」
「断れば私の命を取られたのです……! お赦しくださいませ!」
 トゥルースさえバハルクーヴ島に左遷されなければこのような事には――自分こそが、トゥルースに巻き込まれた被害者だと、ダーゲルは心の中で叫んだ。血潮と共に冷静さを失った男の口からは、訊ねられる前から共犯者の存在が明かされた。
 そんなダーゲルに、トゥルースは先程までとは打って変わった慈愛に満ちた声で訊ねる。
「哀れなダーゲル……誰がお前の命を奪うというのだ。俺をその候補から外したいのなら、お前が知るその名を告げるがいい」
 血に濡れた小刀の先で、先程痛め付けた方ではない耳の耳珠を撫でながら、トゥルースは訊ねる。痛痒さの後のじわりと濡れたような感触に、たまらずダーゲルは呻き声を上げた。
「く、クーロシュ一家の者です……前責任者あの男に、仕送りを届けていたのと……同じ、男でした」
 身も世もない有様で、ダーゲルはトゥルースの言葉に飛びつく。哀れみを乞うようなダーゲルの眼差しを見つめ返しながらも、告げられた名前が自身の予想通りであったことに、トゥルースは苦く笑った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

夜が明けなければいいのに(洋風)

万里
BL
大国の第三皇子・ルシアンは、幼い頃から「王位には縁のない皇子」として育てられてきた。輝く金髪と碧眼を持つその美貌は、まるで人形のように完璧だが、どこか冷ややかで近寄りがたい。 しかしその裏には、誰よりも繊細で、愛されたいと願う幼い心が隠されている。 そんなルシアンに、ある日突然、国の命運を背負う役目が降りかかる。 長年対立してきた隣国との和平の証として、敵国の大公令嬢への婿入り――実質的な“人質”としての政略結婚が正式に決まったのだ。 「名誉ある生贄」。 それが自分に与えられた役割だと、ルシアンは理解していた。 部屋に戻ると、いつものように従者のカイルが静かに迎える。 黒髪の護衛騎士――幼い頃からずっと傍にいてくれた唯一の存在。 本当は、別れが怖くてたまらない。 けれど、その弱さを見せることができない。 「やっとこの退屈な城から出られる。せいせいする」 心にもない言葉を吐き捨てる。 カイルが引き止めてくれることを、どこかで期待しながら。 だがカイルは、いつもと変わらぬ落ち着いた声で告げる。 「……おめでとうございます、殿下」 恭しく頭を下げるその姿は、あまりにも遠い。 その淡々とした態度が、ルシアンの胸に鋭く突き刺さる。 ――おめでとうなんて、言わないでほしかった。 ――本当は、行きたくなんてないのに。 和風と洋風はどちらも大筋は同じようにしようかと。ところどころ違うかもしれませんが。 お楽しみいただければ幸いです。

敗戦国の王子を犯して拐う

月歌(ツキウタ)
BL
祖国の王に家族を殺された男は一人隣国に逃れた。時が満ち、男は隣国の兵となり祖国に攻め込む。そして男は陥落した城に辿り着く。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...