絶砂の恋椿

ヤネコ

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君の名はマリウス・後

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(ったく……俺らしくもねぇ)
 追ってくる傭兵を鎚で殴りつけては逃げ、挑発しては引きつけてを繰り返すエリコの体力は、最早限界に近かった。自身の武器は人よりは回る知恵だと理解しているエリコなだけに、咄嗟に取った自身の行動には、自嘲じみた苦さが滲む。
(ま、俺がこいつらを引きつけた分だけ、あの番頭を守りやすくはなったはずだ……)
 そう考えてエリコは自身を鼓舞するが、肺腑は悲鳴を上げるし口の中は鉄の味がしてきた。いっそのことここらで留まって応戦するかとエリコが鎚を握り直したところで、後方から傭兵の濁った悲鳴が聞こえた。
「て、てめえどこから……ぎゃっ!」
 次第に近づいてくる怒号とざわめきに、エリコは自身の尽きかけていた活力が再び満ちてくるのを感じた。やがて、顔色を変えて逃げてくる傭兵達の背後から、懐かしさすら感じる声がエリコを呼ぶ。
「エリコ! 生きてるか!?」
「おう! 俺ぁ絶好調だぜ!?」
 思わぬ挟撃を受けた傭兵達は悲鳴を上げるが、二人の青年達の鎚により、為す術も無く打ち倒された。ここまで自身を追ってきた傭兵達が全て倒れ伏しているのを確認し、エリコは四肢を地面へと投げ出す。
「……ったく、根性見せすぎなんだよ。テメエはよ?」
 呆れと安堵を声色に滲ませるヤノに、エリコは歯を見せて笑う。身体じゅうから汗は噴き出すが、目的を達成したという実感の快さは、見上げる空のような清々しさをエリコの胸中に齎した。
「鼠も退治したし、これから……この島も変わるよな?」
 エリコが空を仰ぎ見ていた頃、墓所に居る者達は、倒れ伏す傭兵達の手足を拘束していた。砂埃塗れになった中年の傭兵達の姿は哀れみを誘うが、彼等は罪人だ。砦の男達により身柄を押送された後に、然るべき刑に処せられる。
「……俺も、こいつらみたくなってたかもしれねんだよな」
 傭兵の脚を縛りながら、アルミロは何時になく沈んだ声で呟く。それに対し、補助をしていたズバイルは苦い微笑を浮かべて応えた。
「君がトゥルース様を攻撃したことは許し難いですが……こうして、勇ましく我々を守ってくれたことは感謝していますよ」
「……へへっ、そうか?」
 ズバイルの慰めに、アルミロは洟を啜り上げて笑う。その仕草に、ズバイルは故郷の島で暮らす弟妹達を思い出した。
「カメリオ。これからも俺を守って欲しいと頼めば、君は了承してくれるか?」
 傭兵の手首を縛り上げながら訊ねてくるトゥルースに、傭兵の脚を押さえ込むカメリオは訊ね返した。
「俺に、あんたの護衛になれってこと?」
「ああ。勿論、ガイオには話を通す必要があるが……君には、俺の傍に居て欲しいんだ」
「…………!」
 トゥルースの言葉に、カメリオの頬に仄かに紅が差した。戸惑いの色を濃くした榛色の瞳は、次に紡ぐ言葉を迷っているようだ。
(トゥルース様が不逞の輩にまた命を狙われるのであれば、彼の武勇は頼もしいが……)
 悩めるカメリオの端整な横顔を、ズバイルは目尻にそっと見守る。先の戦いで獅子奮迅の活躍を見せたカメリオがトゥルースの護衛につくのは、ズバイルとしても心強い。
「ですが――トゥルース様の片腕となるのは、この俺ですよ。カメリオ君」
「おめえ、ひょっとしてあの番頭にホの字か?」
「黙らっしゃい!」
 漏らした独り言により、俗な誤解を受けたズバイルは、小声で怒鳴るという器用な技をアルミロに披露した。
 一方、長考していたカメリオは、ようやく考えがまとまったかのように口を開く。
「引き受ける代わりに……あんたが、命を狙われた理由を教えてくれる?」
 カメリオの質問に、トゥルースは頷いて答えた。
「俺の命を狙ったのは、俺の子を産んでくれたひとの兄だ。一連の攻撃は妹を妻に迎えなかったことへの報復だと、俺は考えている」
 強張ったカメリオの表情に、トゥルースは自身の言葉が、カメリオとの間にみるみると氷の膜を生成するのを感じた。
「赤ん坊達の、母親の一人?」
「ああ。婚姻はせず子を成すのみだと、彼女達とは契約していたがな」
 トゥルースは、カメリオに父親の影が無いことを思い出した。この質問も、或いは自身とトゥルースの子供達とを重ねているのかもしれない。
「どうして、誰とも結婚しなかったの?」
「俺の妻になれば、産んだ子共々命を狙われるばかりだ。俺は、妻帯するつもりは無い」
 カメリオの悲しげな瞬きに、トゥルースは首を横に振る。トゥルースは自身の選択を曲げるつもりはない。そして、真正面から訊ねてきたカメリオには誤魔化しを聞かせたくもなかった。
「子供達には――母親と、幸せに暮らして欲しいんだ」
 ズバイルは状況を見守りながらも、アルミロの口を両手で塞いでいる。傭兵達の武器を回収していたタルズは、短く溜め息を吐いた。
「勝手だよ……そんなの」
 トゥルースの理想は、暗闘とは無縁の島で暮らすカメリオの無垢な正義感を逆撫でするものだ。喉から押し出すようなカメリオの声は、義憤の涙に濡れている。
 だが、継いでカメリオが紡いだ言葉は、トゥルースをしても意外なものであった。
「……安心して。護衛の話はちゃんと引き受けるよ」
 カメリオは長い睫毛を涙に濡らしたまま、じっとトゥルースを見据えた。
「子供達が大きくなって、あんたをぶん殴りに来るまでは……死なせないから」
「そうか……よろしく頼む」
 カメリオから向けられる真っ直ぐな怒りに、トゥルースは不思議な清々しさを覚える。まるで、自身に巣食う澱みを灼かれるような、ひりつく快さが胸を満たした。それは、トゥルースが知るに、初めて芽生えた感覚であった。
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