絶砂の恋椿

ヤネコ

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狩りの始末

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「ここで逢うのはこれきりにしよう」
「おや? 細君に勘付かれたかな?」
「何事も潮時というものがあるのさ。クーロシュ」
 密会の相手から関係の終わりを告げられているというのに、クーロシュの表情は穏やかなものだ。半分血が繋がっていることもあり、口許から喉にかけてがトゥルースとよく似たこの男を、クーロシュはそれなりに気に入っていたのだが、お互いに愛だの情だのがあって連んでいたわけではない。
「これは、友人としての忠告だが――君の家の若い衆。近頃、悪目立ちが過ぎるぞ」
「お説教なら、間に合っているよ」
 男が言うとおり、自身の配下がそこかしこで小競り合いを起こしていることはクーロシュも把握している。聞けば、取るに足らない子供の喧嘩でしかないのだが、共通しているのはいずれも争いの発端が、一家の者が相手からの挑発を受けたことに始まる点だ。
(争う相手も何処ぞの家の者、と決まったわけではないとは――なかなか、遣りにくいね)
 試しに一家の者との喧嘩相手を一人締め上げてはみたものの、裏で糸を引く者の存在は終ぞ炙り出すことは適わなかった。だが、的にかけられているのは、クーロシュも肌に感じている。藪蚊に集られるような不快感が、纏わり付いていた。
「海都での君の立場は盤石ではないだろう。跳ね回ってばかりでは、足下を掬われるぞ」
「親切なご忠告、痛み入るよ」
 気怠げに欠伸を噛み殺すクーロシュを一瞥して、男は衣服を羽織る。男が親切めいた忠告を口にしながらもクーロシュとの関係の清算を図るのは、自身の足下に火の粉が掛かるのを嫌がってのことだろう。
「次期商会長の君から見て、僕の身は危ういように見えるかい?」
「……友人としては、妹君共々君の島に帰ることを勧めるよ」
「なるほど。君らしい意見だ」
 くつくつと笑うクーロシュにいたたまれなくなったらしい男は、溜め息を吐いて寝台から立ち上がった。最早、これまでということのようだ。
「ご機嫌よう。君は、得意の足場固めに励むといい」
 遠ざかるにつれ歩幅が大きくなる背中に、クーロシュは優雅に捨て台詞を吐いた。男は、異母兄弟であるトゥルースの失脚をクーロシュと共謀したものの、トゥルースがバハルクーヴ島へ左遷されたきり、彼の名を口にすることは無くなった。最果ての島に流され、顔が見えなくなったことで安心したらしい。男の世界は、海都のみで完結しているのだ。
「ああ……君に会いたいよ。トゥルース」
 連絡鳥はまだ還らない。鼠にはトゥルースが向かうであろう場所を策と共に伝えてあるが、殺しきれていない可能性も十分に考えられる。持たせた炸裂筒を活用するならば先に鳥を放てとも伝えているが、手子摺っているのかもしれない。だが、戦力としてトゥルースの味方となりうる者は、海都から連れ立った醜男の船頭のみだ。無垢なる田舎者達は、トゥルースを無責任な荒淫に耽る忌むべき男だと認識していることだろう。多勢に無勢、クーロシュはトゥルースとの再会を確信していた。
「不誠実な嫌われ者。君の居場所は、僕達の傍にしか無いんだよ?」
 自らの行いにより最果ての島民から疎まれ、失意の中に命を落とした鬱金色の瞳を、クーロシュは玻璃の瓶に飾るつもりだ。乳香を焚きしめた敷布に預けた身体は、気怠さに誘われて夢想へと思考を運ぶ。目が覚めれば、目前の闘争にしばし忘れる甘い夢だ。
 翌朝、クーロシュは配下の者から以前より敵対関係にある家の者に、私兵の一人が嬲り殺されたことを聞かされた。直ぐさまに打った報復が呼び水となり、クーロシュは苛烈な抗争に身を投じることとなった。
 クーロシュ一家が海都にて、悪意の的となった理由のもとを辿れば、一人ひとりはほんの小さな悪意を以て、噂に加担したに過ぎない。噂の一つ一つも、一家の者にまつわる些細なものばかりだ。だが、やたらに種類が豊富で、それでいて標的は絞られたその噂達は、多くの人の口を渡る度に毒を孕み、蔑みを帯び、或いは彼等に奇妙な正義感を与えた。
 噂の毒に呑まれた者達は、当然のようにクーロシュ一家の者を軽んじ、蔑んだ。当然、これにはクーロシュ一家の者も反発したが、反発を生意気と感じた者達は彼等なりの正義感を以て私刑を執行した。その結果が、クーロシュ一家を中心とした大規模な抗争だ。だが、この抗争を生んだ噂の出所は、誰も知らない。
「――――そんな方法で、落とし前がつけさせられるんですか?」
「あくまで前哨戦だがな。喧嘩っ早いクーロシュを、火達磨にしてやるのさ」
  時は、カメリオがトゥルースにクーロシュへの報復手段を訊ねた晩に遡る。トゥルースが集めていた苦役刑囚らの与太話の使い道に、カメリオは顔を顰めて反発してみせた。
「でも、噂で仕返しって……かっこ悪いです」
「格好は付かないが、噂は便利でな。誰かからの又聞きを伝えるだけなら、罪悪感も無いだろう?」
 確かに、とカメリオは納得した。カメリオがエリコから聞いたトゥルースの噂も、元は見張り中の暇潰しだったのだ。エリコにそれを伝えた者も、然程深くは考えずにいたことだろう。
「俺の噂を聞いた時、君も俺を快くは思わなかったんじゃないか?」
「不潔だって、思いました」
「…………そうだろう。悪い噂は、的にかける対象への悪感情を育てるんだ」
 加えて、海都という場所は悪意と噂に馴染みが良い場所だ。新しい噂に刺激を求めたがる海都の市民層、若くして海都へ一族の頭領として進出したクーロシュに元より反感を抱える者達、道行く者へ喧嘩を吹っ掛ける言い訳探しに余念が無い破落戸――さながら、火種を待つ油のように人々には嗜虐性が煮詰まっている。
「それじゃあ……クーロシュのことを嫌いな奴らに、代わりに殴らせるってことですか?」
「ああ、その通りだ」
 トゥルースの返事に、カメリオは不服そうに唸った。
 だが、カメリオはその善良さ故か、噂により齎された悪感情が生む高揚までには思い至らなかったようだ。嫌悪の有無を抜きに高揚の共有は一種の快感を与え、対象を追い詰めることへの抵抗感を薄れさせる。それは、バハルクーヴ島の砦の男達が砂蟲狩りで発する高揚とは、似ているようで全く異なるものだ。
「海都には、暇人が多いからな」
 漏らした独り言は、燈火の揺らめきに吸い込まれた。
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