豚公子の逆襲蘇生

ヤネコ

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プロローグ「豚公子、再始動」

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「リリアーナッ! 貴様は俺の婚約者だろうがッッッ!?」
 夜風に花の香りが漂う王宮のバルコニーに、不似合いな濁声が響く。
 罵声を発した公爵令息ポルコが肩で息をしながら指を指し向ける先には、やたらに綺羅々しい容姿の青年に寄り添う可憐な美少女の姿があった。
「声を荒げるなポルコ公子。貴公の罵声で、リリィ……リリアーナ侯爵令嬢が震えているではないか」
 リリアーナと呼ばれた少女の肩を、愛おしげに抱く金髪の青年の名はカルロス。神聖皇国の第一皇子にして、彼の国の国教である聖愛教の筆頭祭司である。
 ふやけた豚の頭のように醜悪な面相のポルコとは対照的に、爽やかな清潔感に満ちたカルロスに支えられたリリアーナは、砂糖を蜂蜜に溶かしたような声でポルコに憐れみの言葉を浴びせた。
「ポルコ様……可哀想な御方。わたくしを罵ることでしか、貴方様は御自身を保てないのですね」
 月明かりに照らされて煌めくリリアーナの涙に、いつの間にか集まっていた野次馬が溜め息を漏らす。
 客観的に見れば間男にしてやられた婚約者が浮気の現場を咎める修羅場なのだが、リリアーナの紅涙に心酔する野次馬の中に、ポルコの味方は一人も居ないようだ。
「なっ、……きっ……貴、様……ッ、ぐう……っ!?」
 怒りのあまりもつれる舌に、ポルコはリリアーナをうまくなじることさえできない。
 ポルコの詰まった言葉にすら、華奢な肩を震わせるリリアーナを庇うカルロスの表情は、正義の怒りに燃えている。開き直りではなく当然の権利のようなその態度は、ポルコの怒りの火に油を注いだ。
 背後の野次馬からもポルコへの呪詛めいた罵倒とリリアーナへの同情の声が響くという異様な空間で、リリアーナとカルロスを睨みつけるポルコの眼前は、煮えたぎる憎悪に真っ赤になり――ぷつりと景色が消えた。
 不摂生の限りを尽くした肉体が、怒りのあまり限界を迎えたのだ。

(――なんだ……? この、茶番は)

 ものの数十秒後、再びポルコの眼が映した景色は先ほどまでと変わらないが、その脳髄が捉える意味は随分と様変わりしていた。
 この光景は、がスマートフォンで購読していた新聞の広告に頻繁に登場した、『婚約者の豚公子に虐げられていましたが隣国皇子様から溺愛されています』という、アニメ化決定!の文字も眩しいロマンスファンタジーの宣伝内容と、あまりにも酷似している。
「いや……婚外恋愛を楽しむ前に、せめて身辺を整理しろよ」
 勧善懲悪リアルタイムアタックと婚外恋愛とを安定の中世ヨーロッパ風世界観でまとめたキメラに、武藤は「宣伝内容が繰り返し動画で流れるバナーが鬱陶しい」以外の感情を抱いていなかったが、自分自身がポルコの立場となるなら話は別だ。
 怒りで痛むこめかみを抑えながらリリアーナに対して継いだ言葉は、武藤の語彙でありポルコの意思であった。
「貴公――私とリリィの純真なる交流を、斯様に下劣な言葉で愚弄するとは……覚悟はできているのだろうな?」
「……貞操義務って言葉を知ってるか? おたくら」
 摩訶不思議なことに、この極度に肥満体の公爵令息ポルコの肉体には、日本のとある企業における社内政争に敗北した男、武藤の魂が収まったのである。
 しかし、ポルコの意思もあり武藤の記憶もあるこの状態は、その魂がマーブル模様のように混じり合っていることを示していた。
「どうされましたか!?」
「ああっ、衛兵! あの豚公……ポルコ公子が国賓のカルロス殿下に狼藉を!!」
 騒ぎに駆け付けた衛兵たちに、野次馬の一人がとんでもない告げ口をした。冗談じゃない、こっちは被害者だとポルコは告げ口した者を睨むが、衛兵は野次馬の言葉を真に受けて詰め寄ってくる。夜会の飾りでもあるのだろう。どの衛兵も若く、美しい顔立ちをしている。
「よってたかって人を悪者扱いしやがって……俺は不貞行為の被害者だぞ?」
「……ご同行願います」
 話にならない。ポルコにも武藤にも、コキュの趣味は無い。意味不明な罪状でお縄につくつもりも毛頭無いが、ポルコに同行を要請した衛兵は、眼差しからしてポルコへの嫌悪感を隠さない。他の衛兵も同様だ。
 ただ――一人を除いて。
「なあ、チビ助。お前もこの状況が狂ってるとは思わないか?」
 ポルコは呆れの捌け口に、この場で一人だけひどく気まずそうにしている小柄な衛兵に問答を仕掛けた。
 まさか自分が声を掛けられるとは思ってもいなかったのだろう。プラチナブロンドの髪が掛かる猫のような水色の瞳が、驚いたように見開かれた。
「屁理屈をこねて逃げる気だぞ!!」
「往生際の悪い……衛兵、取り押さえろ!!」
「はっ!!」
 興奮した野次馬からの指示に従い、衛兵はポルコに掴み掛かってくる。そこには、一応は公爵家令息であるポルコへの敬意は微塵も感じられない。
「付き合ってらんねえぞ……クソッ!」
 まるで集団催眠に掛かっているかのようなこの異様な空間から抜け出すべく、ポルコは野次馬に向かって体当たりをした。
 このまま捕まるのは不味いと、武藤の経験からのひりつきが伝えていたのだ。
「おわぁっ!? 豚が狂ったぞ!!」
「いやぁ!! 汚される!!」
 ポルコの体当たりに跳ね飛ばされた野次馬は、悲鳴を上げて衛兵に倒れ込む。身体は重いが、動けないことはないようだ。
「逃がすか――ぐはッ!?」
 再びポルコを捕らえようと挑み掛かってくる衛兵に当て身を食らわしたのは、先程、ポルコがこの不条理への同感を訊ねた衛兵だった。
 その白い手は、ポルコに向かって懸命に伸ばされる。
「……ッ! こちらです!!」
 ポルコが差し伸ばされた手を握ると、衛兵は出口に向かって走り出した。剣胼胝ができているものの柔らかな掌は、冷や汗で湿っている。
 何事かと振り返る人々の合間を縫って、二人の逃避行は中世ヨーロッパ風の世界観からは些か逸脱した――デイムラータイプ45によく似た――ポルコの魔導力車へと到達した。
「急いで、出してくれ。早く!!」
「ははぁっ……!!」
 逃避行で息が上がり、汗みずくの茹だった顔でポルコは運転手に言い付けると、衛兵を車内に押し込んだ。ポルコが乗り込んだところで直ちに魔導力車は発進する。
 追っ手が来ないことに安心して大きく溜め息を吐いたポルコは、暑さにのぼせた顔で天井を仰いだ。
「……すまなかったな、巻き込んで」
 ポルコは天井を仰いだまま、隣に座る衛兵へと詫びる。顔をそちらに向けられないのは、ここまでの逃避行で得た情報が、極めてポルコにとって不都合な真実を伝えてきているからだ。
 プラチナブロンドの髪をまろい額に汗で張り付かせた衛兵の、詰襟の奥に覗くやけに細い首に薄い肩は、小柄な若者ではなく美しい少女の様相を呈していた。
 ポルコの中に宿った現代日本人の武藤は、不可抗力とはいえ年端もいかぬ少女を巻き込む形になってしまった事実を呑み込むのに若干の時間を要した。
「いいえ……私も、ポルコ公爵令息のご意見に、一理あると考えましたので」
 ポルコより先に息が回復したらしい衛兵は、まだ幼さが残るが凛とした声でポルコに答える。
 やはり自分の見立ては間違っていなかったと思うと同時に、ポルコの記憶には無いこの少女がなぜ自分を知っているのかと、ポルコは不思議になって顔を衛兵の座る方に傾けた。
「俺を知ってるのか……?」
「来場者のお顔とお名前は全て記憶しております。それに……ポルコ公爵令息は、有名人ですので」
 有名人、という言葉に濁されたものを感じながら、ポルコはそうかとうなずいた。衛兵たちの態度からしても、要注意人物と扱われていたのだろう。
「それにしても、俺を庇って良かったのか? 職務放棄と見做されるだろうが」
「おそらくは……おっしゃる通りになると思います。でも、私は後悔はしていません」
 衛兵は制服の裾をきゅっと握ると、ポルコに向き直って告げた。真剣な眼差しでポルコを見据える水色の瞳には、あの夜会でポルコを囲んだ嫌悪の影ではなく、清々しい光が宿っている。
「それから――ではありません。私は、ビアンカです」
「おう……よろしくな、ビアンカ」
 本来であれば、ポルコはあの場で断罪されていたのだろう。だが、彼の運命はビアンカから差し伸べられた白い手によって別の道へと切り替えられた。
 脇役とするにはあまりにも眩いこの少女も、あのふざけた原作では何かしらの道化役が与えられているのだろうなと、公爵家のタウンハウスへとひた走る魔導力車の中で頭の隅に思いながら、ポルコは間男と不貞女カルロスとリリアーナへの復讐に思考を切り替える。
 暗闇を切り裂く魔導力車の車輪の音は、再点火したポルコと武藤の魂を煽るふいごの音であった。
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