豚公子の逆襲蘇生

ヤネコ

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第9話「レイヤー違いの殉愛」

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 説教壇に立つカルロスに捧げられる眼差しは、或いは憧憬、或いは称賛、或いは羨望、或いは嫉視であるべきだった。
 しかし、今現在彼に向けられている眼差しは、或いは戸惑い、或いは嘲り、或いは悲しみを帯びている。
「――この喜ばしき日を、諸君と迎えられたことを嬉しく思う」
 歌うように唱えた言葉には、僅かな震えも淀みも無い。動揺は傷口であり、焦りは流れる血と同様だと、数多の政争を闘い抜き、勝利を収めてきたカルロスは理解していた。
 そして今現在、自身がこの王国において築き上げたものが、根こそぎ奪われようとしていることも。
「この大聖堂を主神アモールへ献堂することで、諸君らは益々の光に包まれるであろう――」
 教徒の篤信により捧げられた品々で麗しき乙女リリアーナの姿を飾り、その優しき心を慰めることを、カルロスは主神アモールへの奉仕と考えている。
 しかしカルロスが教徒から預かり、愛の化身たるリリアーナへ捧げた品々を、卑賤の者達からの略奪だと騒ぎ立てる工作は、王国内における教徒の信仰心に、不心得な傷を付けたようだ。
(この者たちの心は、風吹けば踊る落ち葉のように移ろいやすい……背教者を特定し、導き直さねばなるまい)
 誰が背教者となり、広告主――おそらくは王国中枢部にしぶとく根付く、マンツォ公爵一派に与する者であろう――へ、かの下卑た広告記事を書かせたものか。
 よもやその詳細に過ぎる情報源が、知らぬ間に姿を消したリリアーナの元侍女の日記であろうなどとは、カルロスは知る由もない。
 政敵への執念には細やかに目を配ってきた彼をして、ネルの忠義の一撃は思いもよらぬものであった。
「我々は苦難も喜びも、分かち合い、共にする。主神アモールの注ぐ愛の光は、諸君を決して見捨てることは無いだろう――」
 教徒から向けられる多大なる忖度と阿媚も、神聖帝国の皇子として育ち、筆頭祭司へ上り詰めたカルロスからすれば、常の生活の中にあるものだ。それは奢りではなく、持たざる者には到達出来ぬ境地の心得であった。
 カルロスは決して慢心はしていない。ただ、足下に転がる卑小な者達の心の底に横たわる臆病さの名を、知らぬだけだ。
 贈られる筈の万雷の拍手に代わって、静かな拍手を嘲笑じみた溜め息で濁らせた教徒数名が、魔法騎士により連行された。彼等を待つのは、背教者としての審問であろう。

「――以上が、献堂式の顛末です」
 諜報員からの報告に、ポルコは顎に手を当てて頷いた。
 カルロス本人が取り乱す事は無いだろうとはポルコも予想していたが、王国内の聖愛教徒の信仰心は、彼のにはついていけずにいるようだ。
「しかし、サロンのオーナーが鼠役を申し出るとは意外だったな」
「左様で。かの人物は聖愛教の教義に深く感銘を受けていると評判の人物でしたからな」
 曰く、清らかなる乙女リリアーナの身を飾ることで王都内の貴婦人達に夢を見せていたというのに、夢も希望も無いネコババの一覧に並べられたのでは、サロンのブランドイメージにかかわる。
 協力してやるから公爵家の潤沢な資金と伝手で、サロンのリブランディングに協力しろとの勝ち気な取引を、サロンのオーナーは持ち掛けてきた。
「……この年になってまた、母上に甘ったれる事になるとは――遅い親孝行として、夜会着を何着か贈るとするか」
 ブランディングの為ならば、オーナー自身は幾らでも頭を下げるし変節もする――この臨機応変な姿勢こそが、王都内の貴婦人達から一種の信仰心を生んでいるのだろうと、武藤は冷やかに感心する。
 ポルコは母、モントーネ夫人にどう話を持ち掛けたものかと青年らしく思案しながら、諜報員からの報告の続きに耳を傾けた。
 さて、乙女時代は王妹として社交界に君臨し、今なお公爵夫人として強い影響力を持つモントーネ夫人が提案する着こなしは、リリアーナにお株を奪われたかつての社交界の花々達へ、毒のように浸透した。
 かの清らかなる乙女を飾る演出として機能していたサロンのドレスは、かくして対価を払った者のみに許される、社交界を闘い抜く武装として再定義された。

 献堂式から幾日かが過ぎ、主神アモールの愛の光が照らす貴婦人達の心に疑念の陰が忍び寄り始めた頃――
「お招きありがとうございます。オリエッタ様」
「あ……、ようこそ、おいでくださいました。リリアーナ……様」
 醜聞など何処吹く風というようなリリアーナの清らかな微笑みに、彼女の信奉者である令嬢、オリエッタは戸惑いを隠せなかった。
 オリエッタは自慢のサンルームでの茶会にリリアーナを招くのを、心待ちにしていたはずだった。
「……そのドレスも、あの、サロンで仕立てられたのですか?」
「いいえ。カルロス様が、帝国のデザイナーを紹介してくださったの」
 オリエッタの纏うドレスは領地の工房で拵えられたもので、リリアーナの纏うドレスのようには上等な拵えではない。
 だが、その糸一本をとっても領民の涙は染み込んではいないという、高潔な自負を抱くオリエッタには、リリアーナの纏う天界の羽衣のようなそれが、酷く悍ましい着物に見えた。
「ごめんなさい……私、母に呼ばれていて……」
 後退るように逃げるオリエッタは、うっかりとリリアーナの瞳を覗き込んでしまった。
 若草のように美しい碧眼は憐れみの色を帯び、オリエッタを見つめている。
 背筋に氷を挿し込まれたような恐怖に襲われたオリエッタは、顔色を白くして彼女の母のもとへ縋るように逃げ出した。
 以前までは誰も気にも留めなかったこの脱走劇は、漣のように令嬢達に伝達し、彼女達の乙女らしく柔らかな心に恐怖を伝播させた。

「ネル、の新聞は、無事回収できたか?」
 聖愛教団は新聞の回収に対しては苛烈な反応を見せたものの、巻き上げた供物の代金には静観の姿勢であった。
「ええ。新聞社内に保管された在庫そのものは聖愛教団により回収されたようですが――こちらが出した一面広告が刷られた刷り損ないの損紙は、全て買い取ってきました」
 ポルコは首を鳴らすと、話が読めないでいるビアンカに答え合わせをするように言葉を継いだ。
「出入りの商会が梱包材を欲しがっていてな。隣国との交易で使う詰め物に、良い再利用になると思わないか?」
「……さすがにやりすぎだと思います」
「良き隣人への、ささやかな注意喚起だ」
 ポルコの屁理屈に眉間の皺を深くしたビアンカであったが、その効果は幾日かの静観を覆って余る程に覿面であった。
 その優美さと卓越した政治力で、圧倒的な影響力を誇るカルロスが駐在する王国程には聖愛教団の支配が及んでいない近隣諸国では、損紙に書かれた内容に戦慄した商人達が、教団への態度を翻して硬化させた。
「これは――我々の独断で対処するべき問題ではない」
 窮地に立たされた彼等は、王国に駐在する筆頭祭司カルロスへ指示を仰ぐ者も居れば、カルロスの後塵を拝し苦渋を舐める次席祭司派の教徒が、彼の頭を跨いで聖愛教団本部へ指示を仰ぐといった裏切りもみせた。
 その保身と打算のうちにある彼等の昏い混乱を、主神アモールの愛の光が照らすことはなかった。
 そしてとうとう――カルロスを指名し、聖愛教団本部から出頭の辞令が届いた。

「愛しい人、リリィ……私はこの王国を離れねばならない」
「カルロス様……」
 カルロスの甘く整ったかんばせは献堂式の日よりは窶れているものの、その美しさは一層に磨かれている。
 彼が瞳を曇らせる理由は、自身の窮地でもなければ、教団の帝国外における影響力の失墜でもない。
「お別れだ。私の魂、私の愛……不甲斐ない私を、どうか許さないでくれ」
 最愛の女性リリアーナの優しい心を曇らせる言葉を、自らが吐き出さねばならぬという、身を焦がすような罪の意識だった。
「いいえ、いいえカルロス様……わたくしは決して、あなたさまのお側を離れません」
「リリィ……私がこれから歩むのは、悍ましい修羅の道だ。君の優しい心を、悪意の棘に傷つける訳にはいかない――ッ!?」
 まるで全てを赦すかのような柔らかな抱擁に、カルロスは言葉を継ぐことができなかった。
 リリアーナは華奢な腕でカルロスの頭を抱き締めたまま、思いの丈を告げる。
「カルロス様、あなたさまこそが私の愛の光……例え行く道の先が荒野であろうと、あなたさまの温もりさえあれば、わたくしはなにも、怖くはありません」
 かくして運命の恋人達は手に手を取り合い、カルロスは聖愛教団本部への出頭の為に帰国し、リリアーナは彼に寄り添う形で神聖帝国へと亡命した。
 貴族の名誉を捨て、王国一の令嬢としての名声も捨て、多額の借金を負った実家の侯爵家すらも捨て置いて。

「ポルコ様――リリアーナ元侯爵令嬢と会わなくて、本当に良かったんですか?」
 侯爵家から送られた、一人娘の亡命に伴う婚約解消の文書を指先で弾くポルコに対して、ビアンカは彼女にしては気不味げな声で訊ねた。
「……俺はを取り巻く因果を叩き潰した。会う理由も無いさ」
「それでも……、あの夜会まではずっと、ポルコ様がそばに居たいと思っていた人でしょう?」
「くどいぞ。もう終わったんだ」
 ポルコ自身、リリアーナとの別離は感傷は無かった。
 ただ、二枚重ねに自身の生に貼り付いていた彼女の肖像が剥がれて消え去るような感覚が、ポルコの魂を包んでいた。
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