笹竜胆(ささりんどう)咲く ~源頼朝、挙兵~

四谷軒

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第一部 以仁王の挙兵

08 以仁王(もちひとおう)の武略

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 この時点で頼朝は、六郎と三善康信より、令旨がほんものであるという確信を得ていた。

「以仁王は不遇を身。熊野からの人の出入りがあった、といううわさがあります」

 貴人の行動は、それと知らさずとも注目される。
 また、熊野の内部でもめごとが起きているという。
 平家に従うか、否か――で。

「新宮十郎行家の叔父は、熊野に潜んでいた」

 頼朝の脳内で、令旨はほんものとの確信を得た瞬間である。
 行家は熊野でそれなりの影響力を持っている。
 その熊野でもめごとが起こるということは、令旨によるものであり、逆説的に、令旨がほんものだからこそ、もめごとが起こるのだ。



如何いかに、如何いかに!」

 さっきからこれしか言わない。
 そうやって「乗せる」のがなのだろう。
 頼朝としては、令旨はほんものだろうが、まだ行家が平家の間者という可能性も捨て切れないと感じていた。
 そこで行家は業を煮やしたのか、さらに、「後白河院のおおせぞ、後白河院の仰せぞ!」と吠えた。

「…………」

 これは地味に効いた。
 行家としては、以仁王にここぞという時に頼朝に使えと言われて吠えている台詞である。
 どのような効果を持つかは知らぬ。
 だが、頼朝の沈痛な面持ちを見て、これは効いていると確信し、かさにかかってさらに吠えるのであった。

「……わかりました」

 行家が三十四回ほど「後白河院」と吠えたあたりで、頼朝は観念したのか、了承の旨、返答した。

「…………」

 かつて、伊東祐親が指摘したとおり、頼朝は治天の君──後白河法皇から寵愛を受けた身だった。
 父・義朝が差し出したので、頼朝としてはいやおうなく関係を結ぶことになった相手である。
 平治の乱で権勢を失っていた後白河院──後白河法皇は、頼朝の助命を平清盛に願ったが、それは拒否された。
 結果として助命された頼朝は、だが伊豆へと流されてしまう。
 それも、
 後白河法皇としては面白くない。
 だが、抜山蓋世の英雄、平清盛を前に、それを口にするわけにもいかず、押し黙っていた。

「……以仁王宮さまは、それを知っているのか」

 頼朝のそのつぶやきは、頼みもしないのに「でかした」だの「これで勝った」と、ぺらぺらとしゃべる行家には聞こえなかった。
 後白河法皇は、みずから院宣を出すことはためらわれるが、代わりに息子の以仁王に令旨を出させたのか。
 であれば、この令旨は院宣と同じものなのか。

「宮さまの言ったとおりだわい。後白河院を持ち出せば、頼朝はなびく、とな」

 沈思する頼朝に気づき、行家はひとりごちた。
 なぜ後白河院の名が効くかは知らない。
 どうせ、より権威の高い存在を出すと、「ははあ」とひれ伏したくなる心理だろう。
 行家はひとりでそう納得し、「では」と立ち上がった。

「どちらへ」

「この国の各所にいる源氏の武者たちのもとへ」

「まだ、誰が」

「木曽の義仲、陸奥の義経……」

 頼朝に聞かれ、ついついしゃべってしまう行家。
 伊豆の田舎者には初耳の情報だろうと、行家はつい、得意になる。
 だからしゃべった。

「それにな、頼朝」

「何でしょう」

「以仁王さまの策の最大の肝は、全国の源氏ではない」

「…………」

「聞いておどろけ、何と、摂津源氏の源頼政を動かす気じゃ」

「何と」

 やった。
 無表情なこの甥に、おどろきの表情を浮かべさせてやった。
 行家は小躍りしたいほど喜んだ。
 こういう、他人をおどろかすのが好きな男だった。

「しかし、どうやって」

 迫る頼朝に、まあ待てまあ待てと手を振る。
 こういう時――どうして頼政を味方にと言われた時に、使えと言われた小道具がある。
 行家はふところをまさぐり、ついにそれを取り出した。
 取り出した勢いでそれは手を離れ、床に落ち、円形のそれはころころと転がって――頼朝の前で、くるくる回り、やがてその回転が静止させた。
 頼朝はそれを手に取る。

「宋銭……」

「欲しけりゃやるぞ」

 まだあるからな、と行家は笑った。
 さきほどの後白河院の名と同様に、なぜ宋銭が頼政に効くかは知らぬ。
 だが頼朝には相当の衝撃だったらしく、その宋銭を押しいただいていた。

「以仁王さまの武略、思い知ったか」

 自分でも、何でそんな台詞が出て来たかはわからないが、行家は得意げにそう言って、高笑いして去っていった。



「やはり軽薄な奴でしたね」

 亀は容赦ない。
 父の安達盛長は、これと言って制止するが、頼朝は別にいいととがめなかった。

「おかげで以仁王のおそろしさが、あるいはもくろみがわかった」

「な、何が」

 盛長には、行家のいう全国の源氏の決起よりも、もっととてつもないものを感じた。
 以仁王はいったい、何を企んでいるのか。
 後白河法皇とのについて言及していることは、むろん言えない。
 だから、盛長たちには以仁王の「挙兵」が後白河法皇とつながっている、とのみ言った。
 亀は不審に思っていたが、それを誤魔化すために、というか、こちらこそ以仁王のおそろしさである、理由を述べた。

「――以仁王さまは、摂津源氏の源三位頼政げんざんみよりまさを味方につけている、というかつけることは確実」

 源頼政。
 清盛の周旋により、念願の従三位じゅさんみに叙せられたため、源三位頼政として知られる。
 摂津に勢力を持つ摂津源氏であり、具体的には、摂津国渡辺を本拠地にしていた。
 渡辺は渡辺津という港がある土地であり、摂津源氏は──その港を金蔵かねぐらとしており、港湾や船荷の警護などを収入あがりとしていた。

「その頼政どのを、どうお味方になさるというのですか、以仁王さまは」

 盛長も一廉ひとかどの武人である。
 以仁王が全国の源氏に決起をうながし、その騒乱の隙をついて、摂津源氏を蜂起させて、一挙に京畿を制しようとする武略はわかる。
 わかるが、この、あまりにも無謀な暴挙に──天下人たる平清盛に逆らうという愚挙に、源頼政が従うとは思えない。

「何せ、頼政どのは、ほかならぬ清盛入道のおかげで従三位になれた身。それに……」

 そこからは、頼朝の前で言いにくかった盛長だが、娘の亀があとをついだ。

「それに……その以仁王とやらの暴発? ですか? それにつきあったら、摂津源氏は破滅では。何ら褒美も出ない上に、負けたら死んでおしまいという、今の頼朝さまが暴発した場合と同じ結果になるのでは」

「これ」

 盛長は娘に自重を求めたが、亀はどこ吹く風だ。
 頼朝は苦笑しながら「かまわぬ」と流した。
 懐から、宋銭を出しながら。

「頼政どのが以仁王さまに従う理由……それがこれだ」
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