8 / 52
第一部 以仁王の挙兵
08 以仁王(もちひとおう)の武略
しおりを挟む
この時点で頼朝は、六郎と三善康信より、令旨がほんものであるという確信を得ていた。
「以仁王は不遇をかこつ身。熊野からの人の出入りがあった、といううわさがあります」
貴人の行動は、それと知らさずとも注目される。
また、熊野の内部でもめごとが起きているという。
平家に従うか、否か――で。
「新宮十郎行家の叔父は、熊野に潜んでいた」
頼朝の脳内で、令旨はほんものとの確信を得た瞬間である。
行家は熊野でそれなりの影響力を持っている。
その熊野でもめごとが起こるということは、令旨によるものであり、逆説的に、令旨がほんものだからこそ、もめごとが起こるのだ。
*
「如何に、如何に!」
さっきからこれしか言わない。
そうやって「乗せる」のが手なのだろう。
頼朝としては、令旨はほんものだろうが、まだ行家が平家の間者という可能性も捨て切れないと感じていた。
そこで行家は業を煮やしたのか、さらに、「後白河院の仰せぞ、後白河院の仰せぞ!」と吠えた。
「…………」
これは地味に効いた。
行家としては、以仁王にここぞという時に頼朝に使えと言われて吠えている台詞である。
どのような効果を持つかは知らぬ。
だが、頼朝の沈痛な面持ちを見て、これは効いていると確信し、かさにかかってさらに吠えるのであった。
「……わかりました」
行家が三十四回ほど「後白河院」と吠えたあたりで、頼朝は観念したのか、了承の旨、返答した。
「…………」
かつて、伊東祐親が指摘したとおり、頼朝は治天の君──後白河法皇から寵愛を受けた身だった。
父・義朝が差し出したので、頼朝としてはいやおうなく関係を結ぶことになった相手である。
平治の乱で権勢を失っていた後白河院──後白河法皇は、頼朝の助命を平清盛に願ったが、それは拒否された。
結果として助命された頼朝は、だが伊豆へと流されてしまう。
それも、頼朝自身が清盛に抱かれて命乞いをしたおかげで。
後白河法皇としては面白くない。
だが、抜山蓋世の英雄、平清盛を前に、それを口にするわけにもいかず、押し黙っていた。
「……以仁王は、それを知っているのか」
頼朝のそのつぶやきは、頼みもしないのに「でかした」だの「これで勝った」と、ぺらぺらとしゃべる行家には聞こえなかった。
後白河法皇は、みずから院宣を出すことはためらわれるが、代わりに息子の以仁王に令旨を出させたのか。
であれば、この令旨は院宣と同じものなのか。
「宮さまの言ったとおりだわい。後白河院を持ち出せば、頼朝はなびく、とな」
沈思する頼朝に気づき、行家はひとりごちた。
なぜ後白河院の名が効くかは知らない。
どうせ、より権威の高い存在を出すと、「ははあ」とひれ伏したくなる心理だろう。
行家はひとりでそう納得し、「では」と立ち上がった。
「どちらへ」
「この国の各所にいる源氏の武者たちのもとへ」
「まだ、誰が」
「木曽の義仲、陸奥の義経……」
頼朝に聞かれ、ついついしゃべってしまう行家。
伊豆の田舎者には初耳の情報だろうと、行家はつい、得意になる。
だからしゃべった。
「それにな、頼朝」
「何でしょう」
「以仁王さまの策の最大の肝は、全国の源氏ではない」
「…………」
「聞いておどろけ、何と、摂津源氏の源頼政を動かす気じゃ」
「何と」
やった。
無表情なこの甥に、おどろきの表情を浮かべさせてやった。
行家は小躍りしたいほど喜んだ。
こういう、他人をおどろかすのが好きな男だった。
「しかし、どうやって」
迫る頼朝に、まあ待てまあ待てと手を振る。
こういう時――どうして頼政を味方にと言われた時に、使えと言われた小道具がある。
行家はふところをまさぐり、ついにそれを取り出した。
取り出した勢いでそれは手を離れ、床に落ち、円形のそれはころころと転がって――頼朝の前で、くるくる回り、やがてその回転が静止させた。
頼朝はそれを手に取る。
「宋銭……」
「欲しけりゃやるぞ」
まだあるからな、と行家は笑った。
さきほどの後白河院の名と同様に、なぜ宋銭が頼政に効くかは知らぬ。
だが頼朝には相当の衝撃だったらしく、その宋銭を押し戴いていた。
「以仁王さまの武略、思い知ったか」
自分でも、何でそんな台詞が出て来たかはわからないが、行家は得意げにそう言って、高笑いして去っていった。
*
「やはり軽薄な奴でしたね」
亀は容赦ない。
父の安達盛長は、これと言って制止するが、頼朝は別にいいと咎めなかった。
「おかげで以仁王のおそろしさが、あるいはもくろみがわかった」
「な、何が」
盛長には、行家のいう全国の源氏の決起よりも、もっととてつもないものを感じた。
以仁王はいったい、何を企んでいるのか。
後白河法皇との仲について言及していることは、むろん言えない。
だから、盛長たちには以仁王の「挙兵」が後白河法皇とつながっている、とのみ言った。
亀は不審に思っていたが、それを誤魔化すために、というか、こちらこそ以仁王のおそろしさである、理由を述べた。
「――以仁王さまは、摂津源氏の源三位頼政を味方につけている、というかつけることは確実」
源頼政。
清盛の周旋により、念願の従三位に叙せられたため、源三位頼政として知られる。
摂津に勢力を持つ摂津源氏であり、具体的には、摂津国渡辺を本拠地にしていた。
渡辺は渡辺津という港がある土地であり、摂津源氏は──その港を金蔵としており、港湾や船荷の警護などを収入としていた。
「その頼政どのを、どうお味方になさるというのですか、以仁王さまは」
盛長も一廉の武人である。
以仁王が全国の源氏に決起をうながし、その騒乱の隙をついて、摂津源氏を蜂起させて、一挙に京畿を制しようとする武略はわかる。
わかるが、この、あまりにも無謀な暴挙に──天下人たる平清盛に逆らうという愚挙に、源頼政が従うとは思えない。
「何せ、頼政どのは、ほかならぬ清盛入道のおかげで従三位になれた身。それに……」
そこからは、頼朝の前で言いにくかった盛長だが、娘の亀があとをついだ。
「それに……その以仁王とやらの暴発? ですか? それにつきあったら、摂津源氏は破滅では。何ら褒美も出ない上に、負けたら死んでおしまいという、今の頼朝さまが暴発した場合と同じ結果になるのでは」
「これ」
盛長は娘に自重を求めたが、亀はどこ吹く風だ。
頼朝は苦笑しながら「かまわぬ」と流した。
懐から、宋銭を出しながら。
「頼政どのが以仁王さまに従う理由……それがこれだ」
「以仁王は不遇をかこつ身。熊野からの人の出入りがあった、といううわさがあります」
貴人の行動は、それと知らさずとも注目される。
また、熊野の内部でもめごとが起きているという。
平家に従うか、否か――で。
「新宮十郎行家の叔父は、熊野に潜んでいた」
頼朝の脳内で、令旨はほんものとの確信を得た瞬間である。
行家は熊野でそれなりの影響力を持っている。
その熊野でもめごとが起こるということは、令旨によるものであり、逆説的に、令旨がほんものだからこそ、もめごとが起こるのだ。
*
「如何に、如何に!」
さっきからこれしか言わない。
そうやって「乗せる」のが手なのだろう。
頼朝としては、令旨はほんものだろうが、まだ行家が平家の間者という可能性も捨て切れないと感じていた。
そこで行家は業を煮やしたのか、さらに、「後白河院の仰せぞ、後白河院の仰せぞ!」と吠えた。
「…………」
これは地味に効いた。
行家としては、以仁王にここぞという時に頼朝に使えと言われて吠えている台詞である。
どのような効果を持つかは知らぬ。
だが、頼朝の沈痛な面持ちを見て、これは効いていると確信し、かさにかかってさらに吠えるのであった。
「……わかりました」
行家が三十四回ほど「後白河院」と吠えたあたりで、頼朝は観念したのか、了承の旨、返答した。
「…………」
かつて、伊東祐親が指摘したとおり、頼朝は治天の君──後白河法皇から寵愛を受けた身だった。
父・義朝が差し出したので、頼朝としてはいやおうなく関係を結ぶことになった相手である。
平治の乱で権勢を失っていた後白河院──後白河法皇は、頼朝の助命を平清盛に願ったが、それは拒否された。
結果として助命された頼朝は、だが伊豆へと流されてしまう。
それも、頼朝自身が清盛に抱かれて命乞いをしたおかげで。
後白河法皇としては面白くない。
だが、抜山蓋世の英雄、平清盛を前に、それを口にするわけにもいかず、押し黙っていた。
「……以仁王は、それを知っているのか」
頼朝のそのつぶやきは、頼みもしないのに「でかした」だの「これで勝った」と、ぺらぺらとしゃべる行家には聞こえなかった。
後白河法皇は、みずから院宣を出すことはためらわれるが、代わりに息子の以仁王に令旨を出させたのか。
であれば、この令旨は院宣と同じものなのか。
「宮さまの言ったとおりだわい。後白河院を持ち出せば、頼朝はなびく、とな」
沈思する頼朝に気づき、行家はひとりごちた。
なぜ後白河院の名が効くかは知らない。
どうせ、より権威の高い存在を出すと、「ははあ」とひれ伏したくなる心理だろう。
行家はひとりでそう納得し、「では」と立ち上がった。
「どちらへ」
「この国の各所にいる源氏の武者たちのもとへ」
「まだ、誰が」
「木曽の義仲、陸奥の義経……」
頼朝に聞かれ、ついついしゃべってしまう行家。
伊豆の田舎者には初耳の情報だろうと、行家はつい、得意になる。
だからしゃべった。
「それにな、頼朝」
「何でしょう」
「以仁王さまの策の最大の肝は、全国の源氏ではない」
「…………」
「聞いておどろけ、何と、摂津源氏の源頼政を動かす気じゃ」
「何と」
やった。
無表情なこの甥に、おどろきの表情を浮かべさせてやった。
行家は小躍りしたいほど喜んだ。
こういう、他人をおどろかすのが好きな男だった。
「しかし、どうやって」
迫る頼朝に、まあ待てまあ待てと手を振る。
こういう時――どうして頼政を味方にと言われた時に、使えと言われた小道具がある。
行家はふところをまさぐり、ついにそれを取り出した。
取り出した勢いでそれは手を離れ、床に落ち、円形のそれはころころと転がって――頼朝の前で、くるくる回り、やがてその回転が静止させた。
頼朝はそれを手に取る。
「宋銭……」
「欲しけりゃやるぞ」
まだあるからな、と行家は笑った。
さきほどの後白河院の名と同様に、なぜ宋銭が頼政に効くかは知らぬ。
だが頼朝には相当の衝撃だったらしく、その宋銭を押し戴いていた。
「以仁王さまの武略、思い知ったか」
自分でも、何でそんな台詞が出て来たかはわからないが、行家は得意げにそう言って、高笑いして去っていった。
*
「やはり軽薄な奴でしたね」
亀は容赦ない。
父の安達盛長は、これと言って制止するが、頼朝は別にいいと咎めなかった。
「おかげで以仁王のおそろしさが、あるいはもくろみがわかった」
「な、何が」
盛長には、行家のいう全国の源氏の決起よりも、もっととてつもないものを感じた。
以仁王はいったい、何を企んでいるのか。
後白河法皇との仲について言及していることは、むろん言えない。
だから、盛長たちには以仁王の「挙兵」が後白河法皇とつながっている、とのみ言った。
亀は不審に思っていたが、それを誤魔化すために、というか、こちらこそ以仁王のおそろしさである、理由を述べた。
「――以仁王さまは、摂津源氏の源三位頼政を味方につけている、というかつけることは確実」
源頼政。
清盛の周旋により、念願の従三位に叙せられたため、源三位頼政として知られる。
摂津に勢力を持つ摂津源氏であり、具体的には、摂津国渡辺を本拠地にしていた。
渡辺は渡辺津という港がある土地であり、摂津源氏は──その港を金蔵としており、港湾や船荷の警護などを収入としていた。
「その頼政どのを、どうお味方になさるというのですか、以仁王さまは」
盛長も一廉の武人である。
以仁王が全国の源氏に決起をうながし、その騒乱の隙をついて、摂津源氏を蜂起させて、一挙に京畿を制しようとする武略はわかる。
わかるが、この、あまりにも無謀な暴挙に──天下人たる平清盛に逆らうという愚挙に、源頼政が従うとは思えない。
「何せ、頼政どのは、ほかならぬ清盛入道のおかげで従三位になれた身。それに……」
そこからは、頼朝の前で言いにくかった盛長だが、娘の亀があとをついだ。
「それに……その以仁王とやらの暴発? ですか? それにつきあったら、摂津源氏は破滅では。何ら褒美も出ない上に、負けたら死んでおしまいという、今の頼朝さまが暴発した場合と同じ結果になるのでは」
「これ」
盛長は娘に自重を求めたが、亀はどこ吹く風だ。
頼朝は苦笑しながら「かまわぬ」と流した。
懐から、宋銭を出しながら。
「頼政どのが以仁王さまに従う理由……それがこれだ」
1
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』
月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕!
自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。
料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。
正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道!
行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。
料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで――
お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!?
読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう!
香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない!
旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること?
二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。
笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕!
さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
神典日月神示 真実の物語
蔵屋
歴史・時代
私は二人の方々の神憑りについて、今から25年前にその真実を知りました。
この方たちのお名前は
大本開祖•出口なお(でぐちなお)、
神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)です。
この日月神示(ひつきしんじ)または日尽神示(ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)に「国常立尊(国之常立神)という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物のことです。
昭和19年から27年(昭和23・26年も無し)に一連の神示が降り、6年後の昭和33、34年に補巻とする1巻、さらに2年後に8巻の神示が降りたとされています。
その神示を纏めた書類です。
私はこの日月神示(ひつきしんじ)に出会い、研究し始めてもう25年になります。
日月神示が降ろされた場所は麻賀多神社(まかたじんじゃ)です。日月神示の最初の第一帖と第二帖は第二次世界大戦中の昭和19年6月10日に、この神社の社務所で岡本天明が神憑りに合い自動書記さされたのです。
殆どが漢数字、独特の記号、若干のかな文字が混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」もあります。
本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、他にも、神霊より発表を禁じられている「巻」が13巻あり、天明はこの未発表のものについて昭和36年に「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります」と語っています。
日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初は、ほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家や霊能者達の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典(1917年〈大正6年〉11月9日 ~2009年〈平成21年〉6月23日)の努力により、現在では一部を除きかなりの部分が解読されたと言われているます。しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり、解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的です。
そのために、仮訳という副題を添えての発表もありました。
なお、原文を解読して漢字仮名交じり文に書き直されたものは、特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれています。
縄文人の祝詞に「ひふみ祝詞(のりと)」という祝詞の歌があります。
日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになってきたと言われています。
この小説は真実の物語です。
「神典日月神示(しんてんひつきしんじ)真実の物語」
どうぞ、お楽しみ下さい。
『神知りて 人の幸せ 願うのみ
神のつたへし 愛善の道』
歌人 蔵屋日唱
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる