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第二部 頼朝、挙兵
18 甲斐源氏・武田信義
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甲斐源氏・武田信義は、源行家を名乗る怪しげな男から『最勝親王』とやらの令旨を受け取って、微妙な表情を浮かべていた。
新羅三郎義光から四世の子孫にあたる彼は五十三歳で、当時としては、もう人生も老境に入りつつある。
そのような年齢の信義は、本来なら守りに入って、令旨など笑止と破り捨てるところだが、なぜだか取っておくことにした。
「これからの時代、平家とてどうなるかわからん」
であれば、令旨を取っておくことこそ、守りだった。
そしてその考えを証するように、『最勝親王』こと以仁王が挙兵し、王は敗れたものの、争乱の種が芽吹き始めたのか、伊豆の源頼朝が立った。
「頼朝め、やるではないか。伊豆の目代・山木兼隆を討ち、『最勝親王』のためと、中原知親をとがめるだと」
信義としては、それは魅力的なおこないだった。
欲しい土地を手に入れ、なおかつ、それを『最勝親王』のせいにできる。
たとえば、駿河を。
*
そうこうするうちに、その頼朝の使いと名乗る、北条時政なる男が甲斐にやって来た。
甲斐と伊豆の豪族はつながりが深い。
その伝手で、会ってくれと言われては仕方ない。
信義は武田館で時政と引見し、頼朝の書状を受け取った。
「ふむ。共に立ち、共に『最勝親王』のために戦おう、とな」
何というか、ありきたりというか、そう来るだろうなという当たり前の文章である。
特に面白味はない。
もっとこう、食いつきたくなるような材料はないものか。
信義が、時政を平家に差し出してその歓心を買おうかと思ったその時。
「あいやしばらく」
時政のうしろに、従者のように付き従っていた男が、口を開いた。
その男は、六郎と名乗った。
「頼朝さまより、書状にては言えないことがあると、敢えて書いていないことが、ございます」
六郎のその言葉は、時政も初耳だったらしく、目をむいていた。
「何だ、それは」
「いえ、敵をあざむくには、まず味方からかと。いえ、この場合、敵ではなく、信義さまもお味方でござりますれば」
ぺらぺらと、よくしゃべる。
さてはこの男、京の生まれか。
信義が眉をひそめさせる。
「いえ、自分は、遠江です」
だから東海道に詳しい。
駿河や三河を攻めるのなら、協力するという。
「甲斐や信濃は、塩に乏しいですからな」
いきなり、信義の肺腑をえぐることを口にする。
今や、時政は口をつぐんでしゃべろうとしない。
そういう勘が、働いたのだろう。
とはいえ。
甲斐という国は、従来、塩に乏しい。
であれば、南下して駿河の海を手に入れて置き、人間にとって必須の塩分を確保しておきたい。
……のちに十六世の孫、武田信玄がいだいたものと同じ企図を、信義もいだいていた。
「よかろう。話を聞こうではないか」
武田信義は身を乗り出していた。
ところが六郎は遠慮した。
「時政どのこそ頼朝どのの舅で、正式な使いござれば」、と。
「……そうか」
時政は気を良くしていたが、信義は気づいた。
六郎こそが、真の頼朝の使いだ。
そして時政の役割は、その六郎の言を――頼朝の言を信じるための、担保だということを。
*
時は少しさかのぼる。
「甲斐へ?」
「そうだ」
……頼朝から呼び出され、北条館へ来てみれば。
六郎は「いつもの京とのやり取り」ではないことを、何となくは予感していた。
山木兼隆を襲撃した時から、頼朝は人に求めるものが、何というか、変わった。
それまでは、どちらかというと生きるため、生きのびるための情報収集が多かった。
それが今では、むしろ人を制するために、あらかじめの「工作」が多くなった。
ついこの前も、源行家という叔父を捜索してくれと来た。
「行家の叔父だが、尾張に潜んでいるとのことだったな」
「……そうですが」
人の心を見透かしたような、話の振り方である。
でも、六郎にも、頼朝が何を狙っているか、わかるような気がした。
尾張。
三河。
駿河。
そして六郎の出身である遠江だが、このあたりは、源義朝が坂東と京を結ぶ「線」として設定していたあたりだ。
「さては」
「どうした」
「行家どのが尾張に盤踞しているのも、頼朝どののご母堂の、ご実家のおかげでしょうや?」
「…………」
沈黙は肯定の証。
そう思える無言だった。
頼朝の母、由良御前は尾張・熱田神宮の大宮司の娘である。
尾張に何のうしろだてもない行家が立つのなら、まず頼るところである。
「……義円どのを差し向けたのは、そういう理由でしたか」
義円。
幼名は乙若丸といい、牛若丸──源義経の同母兄である。母、常盤御前や兄・今若(阿野全成、牛若と共に、平治の乱後に捕まり、兄弟たちと一緒に出家の道を歩んだ。
全成と義経の行方は今は措くが、義円は園城寺で出家し、その長吏(園城寺の長)である円恵法親王の坊官となった。
その後、以仁王の挙兵においてどう動いたかは不明だが、少なくとも仕えた相手である円恵法親王は平家に味方することを選んだため、脱走したと思われる。
そしておそらく、伊豆の頼朝が挙兵したのを聞いて頼って──
「恐ろしい人だ、貴方は」
六郎は冷や汗をかいた。
義円にはうしろだてが無い。
さりとて、今、頼朝は「河内源氏唯一の嫡子」であるから、こうして北条や土肥に担がれている。
そこへ義円が京より伊豆に登場したら、どうなるか。
平家によって出家させられていたが、逆に義円は公的に「義朝の子」であると認められていることになる。
そんな義円は「頼朝以外の河内源氏の子」であり、頼朝にとって邪魔なのだ。
だから、「伊豆ではなく、この頼朝の母の実家である尾張の熱田へ行け」と言い、一方で行家にも、(伊豆に来ないように)尾張へ行くよう、仕向けた。
あとは、寄るべなき義円と、熊野に帰れない行家が出会い、どうするのかは、火を見るより明らか。
「やがて義円と行家どのの二人は手を組む。尾張で。そして三河をも手に伸ばし……」
六郎の頭に、東海道の絵図面が浮かぶ。
東海道の東端の伊豆は頼朝が押さえた。
西端の尾張は、行家と義円が盤踞している。
すると、真ん中の駿河と遠江は──
「そこを武田に攻めさせるつもりですか。そうすれば、駿河と遠江の平家は、尾張、三河から、伊豆からも助けを呼べず……」
「そこまでわかっているなら、話が早い」
頼朝は、六郎の話が、さらなる先へ言及されるのを防ぐように、口を挟んだ。
「わが真の名代として、義父・時政についていってくれ、六郎……いやさ、蒲冠者」
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そしてその考えを証するように、『最勝親王』こと以仁王が挙兵し、王は敗れたものの、争乱の種が芽吹き始めたのか、伊豆の源頼朝が立った。
「頼朝め、やるではないか。伊豆の目代・山木兼隆を討ち、『最勝親王』のためと、中原知親をとがめるだと」
信義としては、それは魅力的なおこないだった。
欲しい土地を手に入れ、なおかつ、それを『最勝親王』のせいにできる。
たとえば、駿河を。
*
そうこうするうちに、その頼朝の使いと名乗る、北条時政なる男が甲斐にやって来た。
甲斐と伊豆の豪族はつながりが深い。
その伝手で、会ってくれと言われては仕方ない。
信義は武田館で時政と引見し、頼朝の書状を受け取った。
「ふむ。共に立ち、共に『最勝親王』のために戦おう、とな」
何というか、ありきたりというか、そう来るだろうなという当たり前の文章である。
特に面白味はない。
もっとこう、食いつきたくなるような材料はないものか。
信義が、時政を平家に差し出してその歓心を買おうかと思ったその時。
「あいやしばらく」
時政のうしろに、従者のように付き従っていた男が、口を開いた。
その男は、六郎と名乗った。
「頼朝さまより、書状にては言えないことがあると、敢えて書いていないことが、ございます」
六郎のその言葉は、時政も初耳だったらしく、目をむいていた。
「何だ、それは」
「いえ、敵をあざむくには、まず味方からかと。いえ、この場合、敵ではなく、信義さまもお味方でござりますれば」
ぺらぺらと、よくしゃべる。
さてはこの男、京の生まれか。
信義が眉をひそめさせる。
「いえ、自分は、遠江です」
だから東海道に詳しい。
駿河や三河を攻めるのなら、協力するという。
「甲斐や信濃は、塩に乏しいですからな」
いきなり、信義の肺腑をえぐることを口にする。
今や、時政は口をつぐんでしゃべろうとしない。
そういう勘が、働いたのだろう。
とはいえ。
甲斐という国は、従来、塩に乏しい。
であれば、南下して駿河の海を手に入れて置き、人間にとって必須の塩分を確保しておきたい。
……のちに十六世の孫、武田信玄がいだいたものと同じ企図を、信義もいだいていた。
「よかろう。話を聞こうではないか」
武田信義は身を乗り出していた。
ところが六郎は遠慮した。
「時政どのこそ頼朝どのの舅で、正式な使いござれば」、と。
「……そうか」
時政は気を良くしていたが、信義は気づいた。
六郎こそが、真の頼朝の使いだ。
そして時政の役割は、その六郎の言を――頼朝の言を信じるための、担保だということを。
*
時は少しさかのぼる。
「甲斐へ?」
「そうだ」
……頼朝から呼び出され、北条館へ来てみれば。
六郎は「いつもの京とのやり取り」ではないことを、何となくは予感していた。
山木兼隆を襲撃した時から、頼朝は人に求めるものが、何というか、変わった。
それまでは、どちらかというと生きるため、生きのびるための情報収集が多かった。
それが今では、むしろ人を制するために、あらかじめの「工作」が多くなった。
ついこの前も、源行家という叔父を捜索してくれと来た。
「行家の叔父だが、尾張に潜んでいるとのことだったな」
「……そうですが」
人の心を見透かしたような、話の振り方である。
でも、六郎にも、頼朝が何を狙っているか、わかるような気がした。
尾張。
三河。
駿河。
そして六郎の出身である遠江だが、このあたりは、源義朝が坂東と京を結ぶ「線」として設定していたあたりだ。
「さては」
「どうした」
「行家どのが尾張に盤踞しているのも、頼朝どののご母堂の、ご実家のおかげでしょうや?」
「…………」
沈黙は肯定の証。
そう思える無言だった。
頼朝の母、由良御前は尾張・熱田神宮の大宮司の娘である。
尾張に何のうしろだてもない行家が立つのなら、まず頼るところである。
「……義円どのを差し向けたのは、そういう理由でしたか」
義円。
幼名は乙若丸といい、牛若丸──源義経の同母兄である。母、常盤御前や兄・今若(阿野全成、牛若と共に、平治の乱後に捕まり、兄弟たちと一緒に出家の道を歩んだ。
全成と義経の行方は今は措くが、義円は園城寺で出家し、その長吏(園城寺の長)である円恵法親王の坊官となった。
その後、以仁王の挙兵においてどう動いたかは不明だが、少なくとも仕えた相手である円恵法親王は平家に味方することを選んだため、脱走したと思われる。
そしておそらく、伊豆の頼朝が挙兵したのを聞いて頼って──
「恐ろしい人だ、貴方は」
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義円にはうしろだてが無い。
さりとて、今、頼朝は「河内源氏唯一の嫡子」であるから、こうして北条や土肥に担がれている。
そこへ義円が京より伊豆に登場したら、どうなるか。
平家によって出家させられていたが、逆に義円は公的に「義朝の子」であると認められていることになる。
そんな義円は「頼朝以外の河内源氏の子」であり、頼朝にとって邪魔なのだ。
だから、「伊豆ではなく、この頼朝の母の実家である尾張の熱田へ行け」と言い、一方で行家にも、(伊豆に来ないように)尾張へ行くよう、仕向けた。
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「やがて義円と行家どのの二人は手を組む。尾張で。そして三河をも手に伸ばし……」
六郎の頭に、東海道の絵図面が浮かぶ。
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西端の尾張は、行家と義円が盤踞している。
すると、真ん中の駿河と遠江は──
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