笹竜胆(ささりんどう)咲く ~源頼朝、挙兵~

四谷軒

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第三部 石橋山の戦い

24 戦いに臨んで

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 伊豆の伊東祐親が石橋山の後方を扼している間に、大庭景親は石橋山の前方、谷ひとつはさんだ向こうに到着し、そのまま陣をかまえた。

梶原平三景時かじわらへいざかげときめ、やるではないか」

 はさみうちを狙う頼朝を、はさみうちにしてやった。
 これには伊東祐親も快哉を叫んだだろう。

「それにしても、伊東祐親か……そう来たか」

 景親も、祐親が頼朝に遺恨を抱いているのを知っている。
 頼朝を後背を押さえるのに、これほどうってつけの人材はいないだろう。

「あやつめ、梶原平三め……このいくさが終わったら、福原に推挙してやるか」

 ああいう輩は、平清盛のような人物の下でこそ光る。
 だがまずは頼朝を討つことだ。
 そのためにも、頼朝のもった、目の前のあの山を落としてやる。



 その日――治承四年八月二十三日(一一八〇年九月十四日)、石橋山にる源頼朝と麾下三百騎は、前方を大庭景親三千騎、後方を伊東祐親三百騎に囲まれていた。

「三浦だ。三浦が来てくれるはずだ」

 頼朝自身は無表情だが、北条宗時はそう言って将兵を励ました。
 この時、宗時は頼朝の「本心」を知っていたかどうか不明だが、このあとの宗時の行動を見ると、どうも知っていなかったと思われる。
 だから、横柄なところはあるが、基本は善人である宗時は、こうして将兵を励ましている。
 だから、頼朝はそれを見守っている。
 決して、宗時を愚かだとは思っていない。むしろ献身的に働く、良い総領息子だと思う。
生き残れば報いようと思うし、もし頼朝の「本心」に気づいて問いただしてきたら、答えようとは思う。

「ただ、このまま、『良い総領息子』のままでいるのなら、これからの戦いに──目の前のこの戦いだけでなく、これから将来さきの戦いに──ついていけないだろう」

「? 何かおっしゃいましたかな? 頼朝どの?」

「いや……」

 宗時の素直な問いかけに、頼朝は視線を逸らした。
 あるいはそれは、宗時のあり方が、まぶしかったのかもしれない。



 石橋山の頼朝も、山の前方にかまえる大庭景親も、後方を扼している伊東祐親も、みな、硬直したように静かになって、ただ時間が流れた。
 じりじりと照りつける夏の太陽が、やがて走る来る雲に隠れ、ぽつぽつと天から雨滴が降り始める。

「雨か」

 そのつぶやきは、敵味方誰ともなく。
 しかし、雨に対する思惑はそれぞれ別。

「雨になれば、いくさは……なれば皆の衆、三浦が来るまでの時が稼げるぞ!」

 まず宗時が快哉を叫んだ。

「ほんとうにそうか」

 頼朝は、いつの間にか近づいてきた、このあたりの領主である、土肥実平どひさねひらに問うた。
 実平は、黙って首を振った。
 そして地図の上の酒匂川さかわがわを指差す。

「……そうか」

 頼朝も長年、伊豆に住み、伊豆・相模の地理については知悉ちしつしている。
 酒匂川が、暴れ川だということも。
 実平は、せっかく宗時が盛り上げた士気を崩したくなかった。
 だから増水により三浦が来られないだろうと、頼朝にのみ言いに来たのだ。

「忠実で、しかも気がく。実平は有為の士だな」

 そうつぶやいて、とりあえずの褒美とした。



 一方で、大庭景親の陣。
 景親もまた、頬に雨滴を感じ、してやったりと口角を上げた。

「これで酒匂川は暴れる。三浦は果たして……来るのか、来ぬのか」

 やぶれかぶれで突貫する可能性も否定できない。
 そういう、虚を突いた一撃を、景親は最も嫌う。

「兄者」

「景久か」

 うしろから、景親の弟・俣野景久またのかげひさが声をかけてきた。
 振り向くと、景久の向こうに、梶原景時が立っていた。

「どうした」

 景時が戸惑っていると、景久が気にするなと景時を前に押し出す。
 猛将と知られる景久だが、ふだんはこのように遠慮を知る人物であった。

「では申し上げます」

 景時は、伊東祐親がはやっていると告げた。
 なぜだと問うと、頼朝を目の前にして、落ち着かないのだと言う。

「やはり、伊東の娘――八重姫とちぎり、子をして、その子を祐親自身が殺した、ということが響いております」

 頼朝は政子と結ばれる前は、八重姫との婚儀を考えていた。
 だから子を生した。
 しかしそれが、平家に傾倒する祐親にとっては忌まわしく、祐親は孫にあたるその赤子を殺した。

「それは、頼朝のせいだ。頼朝は孫のかたきだと」

「押さえられない、ということか」

 頼朝の背後への抑えとしてその恨みから、最も有効と思われた伊東祐親だが、ここへ来て、その恨みが裏目に出たらしい。
 むろん、早く手柄を立てたいという野心もあろう。

「だが伊東単独ではちと辛いな。三百騎対三百騎で、しかも頼朝は急峻な石橋山に拠っている。古来、高みにいる軍勢を打ち破るは、至難の業ぞ」

 大庭景親は、逸るな焦るなと伊東祐親に使いを送ることも考えたが、その使いに匹敵する梶原景時が、敢えて大庭の陣に戻ってきているのだ。
 ふみや使いでは足りぬと知れた。
 どうするか。
 悩む景親に、今度は景久が「敵に動きが」と言った。

「何?」

 まさか、頼朝が、やぶれかぶれの攻撃をしかけたか。
 大庭の陣中がどよめいたが。
 景久は石橋山と逆方向を指し示した。

「北。おそらく三浦が、大庭のどこぞを焼いておる」

 夜なので、炎の明かりがよく見える。
 北の方は、まだ雨が降っていないのか、それはよく燃えていた。

「やりやがった」

 景親は歯がみした。だが同時に好機だと思った。
 大庭の領地が侵されているとなれば、もう攻撃の理由は充分だ。
 たとえ夜とはいえ、たとえ雨とはいえ。

「いくさをしかけるのは今。大庭を攻めたこと、後悔させてくれようぞ」

 梶原景時が意味ありげな視線を向けた。
 大庭景親は、それに黙ってうなずく。
 景時はこう言いたいのだ、「三浦が合流する前をねらったのか」と。
 だから景親はうなずいて、「そのとおりだ」と示した。
 そして、声に出してはこう言った。

「よいか、景時。われらこれから石橋山に寄せる。寄せて『言葉戦い』をしかける」

 さてこそと景時は膝をたたいた。
 『言葉戦い』とは、この時代、武士同士が戦いを始める前に名乗り合って、まず言葉――口で言い争うという儀式セレモニーである。

「では伊東には、その『言葉戦い』をもって、いくさに臨めと申し伝えまする」

 これならば、戦いを始めるということになるし、それまでは伊東祐親も抑えざるを得ない。
 そして同時に、背後から襲えという合図にもなる。
 景時は、景親の戦場の知恵に感心して、膝をたたいたのだ。
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