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第三部 石橋山の戦い
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源頼朝は、北条宗時、土肥実平らと共に、三百騎を引き連れて、北上していた。
将兵はみな、緊張の面持ちである。
「三浦だ。三浦を頼るのだ」
そう唱えてついに相模に入り、土肥へと到着した。
「大庭が迫っているだと?」
このあたりに勢力を持つ実平が、早速に情報をつかんだ。
大庭景親は、みずからが率いる三百騎に加え、渋谷重国、海老名季貞、熊谷直実らを糾合して三千騎となると、すぐに出陣した。
なお、梶原平三景時をすでに伊豆に潜ませているとの話だった。
「となると、十中八九、伊東祐親だな」
頼朝としては、身から出た錆ともいえるが、祐親の娘の八重姫に手をつけた過去がある。
祐親は娘の産んだ子を始末してまで平家方でいることを選んだ男だ。
恨みもあろう、功名心もあろう。
「そのあたりは、いずれ政子が伝えてくれるであろう」
そのために、政子は伊豆山権現にあずけた。
伊豆山権現は修験者の霊場。
修験者に文を持たせ、頼朝に報せをもたらす。
人質としてあずけているのだ、それぐらいの協力はしてもらう。
しかし伊東祐親であれば、ある程度予測はできる。
「およそ三百騎。伊東だけでとりあえず出て来るとして」
頼朝と同等の兵力。
これに追いつかれるだけでも、頼朝の勢力は相殺される。
かなり有効な策だ。
これを思いつき、実行に携わるというのは、相当な男だ。
「梶原、か……」
もしかしたら、この頼朝の考えていることも、読んでいるかもしれない。
あるいは、読みつつあるかもしれない。
気づかれる前に、戦いに持ち込むしかない。
頼朝は、かたわらにひかえた実平に問うた。
「実平よ」
「何でござりましょうや」
「このあたりに、何か山はないか。できれば、急峻な」
「急峻な、でござりまするか」
いったい頼朝は何を言っているのか。
実平は不得要領だが、心当たりはある。
「……石橋山」
後世、頼朝の挙兵において、否、源平合戦において、最も壮絶な戦いの場所と知られる山。
その名を実平は挙げた。
真鶴岬の近く、そして酒匂川を目の前にした、急峻の山。
「よし。その山にしよう」
酒匂川を前にしているのならば、三浦が来たら、すぐわかる。
この川を渡河しなければならないのだから。
そういうことを頼朝は告げた。
おお、という声が宗時らから湧き上がる。
彼らは、はさみうちが狙えると意気が上がった。
「……そうだな。はさみうちが、狙えると良いな」
頼朝は無表情にそう言うと、馬に鞭をくれた。
三浦を頼ると言った。
それをみんな、勝手に解釈して、勝手に期待している。
今のところ、頼朝の今後の行動を知るのは三浦や六郎である。
そしてそれらの行動の意味を知るのは政子である。
「……それにしても」
世の中の人間は皆、どうしてこう勝手に解釈する者ばかりなのだろう。
あの平治の乱の藤原信頼――頼朝の父・義朝が従った男も、そうだった。
乱を起こしたものの、おのれの都合よく物事を考えた結果、二条帝に逃げられ、自滅していった男。
挙句、義朝に「日本一の不覚人」と罵られた男。
頼朝はその様子をじっと見ていた。
信頼は後白河院との男色によって出世したと言われるが、実際は官吏として有能であり、奥州とのつながりや、ほかならぬ清盛との縁戚もあって、栄達した男である。
そういう男であっても、おのれの勝手な解釈により滅びた。
以来、頼朝は勝手な解釈を避けるようになった。
「だが、その方が都合がいい。誰もが勝手に解釈しているうちに……この頼朝は、やりたいことを、やらせてもらう」
そのためには、まず石橋山に拠らなければならない。
急峻というその山で派手に戦い、そして負けるのだ。
つきあう将兵は気の毒だと思うが、彼らも納得づくでこの頼朝についてきている。
「……せめて報いることだけはしよう。あの地に着いたのならば」
頼朝は馬を馳せる。
これからやることは――負けることは、そしてそこから始まることは、頼朝の人生にとって、一世一代の大博打となろう。
賭け金はおのれの命であり、ついて来る者たちの命だ。
それに見合うだけの結果を引き出してやる。
「……清盛入道から」
そのつぶやきは、誰にも聞かれなかった。
頼朝も、誰かに聞かれることを期待していなかったため、もうつぶやくことはなかった。
*
雨が降る。
夜も近い。
相州土肥、石橋山。
このあたりを領する土肥実平が言うだけあって、かなりの急斜面だった。
頼朝と三百騎はこの山を登り、山頂に『最勝親王』の令旨をかかげ、陣をかまえた。
「これだけ急ならば、そうおいそれと攻めかかれはすまい」
北条宗時はそう言って兵らを励ましていたが、その目に、石橋山のちょうど背後にあたる山に、わらわらと、人の集まりができているのが見えた。
「何だ、あの群れは」
暗くなっているので、夜目の利く兵を呼び、よく見させた。
「どうやら、伊東」
「そうか」
ちょうどその時、伊豆山権現からの使いの修験者が来て、政子からの伊東祐親出陣の報を届けた。
宗時はさもありなんと歎息した。
伊東祐親は娘の八重を頼朝によって妊娠させられた。
平家よりであった祐親は、八重の産んだ娘を殺害して、清盛への忠誠を示した。
狂っていると思うが、地方の豪族が清盛に逆らうなどできやしない。
頼朝にしたがって戦っている北条の方が異常なのだ。
「そう、むしろ伊東はまともであり……そんなまともな伊東に、孫殺しをさせたこと、絶対に許しはしないだろう」
宗時はもういちど歎息した。
これで頼朝勢は後方への退路を断たれた。
怒りに燃える伊東は、決して隙を見せないであろう。
「ただのはさみうちだけでなく、退路を断つ……恐ろしい策だ。ただ、大庭らしくない」
大庭景親は将として有能だと思うが、それは戦いに傾く。
どちらかというと、このような戦場の外のはかりごとについては、不得手な方だ。
「……誰ぞの入れ知恵か」
宗時はこの戦いを乗り越えたら、頼朝の側近として振る舞おうと思っている。
そのためにも、その「誰ぞ」を打倒せねば。
そうすれば――これだけの危機を共にして乗り越えたのだ。
それだけの奉公に対して、相応の御恩で報いるべきだ。
そう思う宗時だったが、この時、「誰ぞ」と言った相手――伊東祐親の陣中にいる梶原という武者が、その側近の地位を占めるとは、知る由も無かった。
将兵はみな、緊張の面持ちである。
「三浦だ。三浦を頼るのだ」
そう唱えてついに相模に入り、土肥へと到着した。
「大庭が迫っているだと?」
このあたりに勢力を持つ実平が、早速に情報をつかんだ。
大庭景親は、みずからが率いる三百騎に加え、渋谷重国、海老名季貞、熊谷直実らを糾合して三千騎となると、すぐに出陣した。
なお、梶原平三景時をすでに伊豆に潜ませているとの話だった。
「となると、十中八九、伊東祐親だな」
頼朝としては、身から出た錆ともいえるが、祐親の娘の八重姫に手をつけた過去がある。
祐親は娘の産んだ子を始末してまで平家方でいることを選んだ男だ。
恨みもあろう、功名心もあろう。
「そのあたりは、いずれ政子が伝えてくれるであろう」
そのために、政子は伊豆山権現にあずけた。
伊豆山権現は修験者の霊場。
修験者に文を持たせ、頼朝に報せをもたらす。
人質としてあずけているのだ、それぐらいの協力はしてもらう。
しかし伊東祐親であれば、ある程度予測はできる。
「およそ三百騎。伊東だけでとりあえず出て来るとして」
頼朝と同等の兵力。
これに追いつかれるだけでも、頼朝の勢力は相殺される。
かなり有効な策だ。
これを思いつき、実行に携わるというのは、相当な男だ。
「梶原、か……」
もしかしたら、この頼朝の考えていることも、読んでいるかもしれない。
あるいは、読みつつあるかもしれない。
気づかれる前に、戦いに持ち込むしかない。
頼朝は、かたわらにひかえた実平に問うた。
「実平よ」
「何でござりましょうや」
「このあたりに、何か山はないか。できれば、急峻な」
「急峻な、でござりまするか」
いったい頼朝は何を言っているのか。
実平は不得要領だが、心当たりはある。
「……石橋山」
後世、頼朝の挙兵において、否、源平合戦において、最も壮絶な戦いの場所と知られる山。
その名を実平は挙げた。
真鶴岬の近く、そして酒匂川を目の前にした、急峻の山。
「よし。その山にしよう」
酒匂川を前にしているのならば、三浦が来たら、すぐわかる。
この川を渡河しなければならないのだから。
そういうことを頼朝は告げた。
おお、という声が宗時らから湧き上がる。
彼らは、はさみうちが狙えると意気が上がった。
「……そうだな。はさみうちが、狙えると良いな」
頼朝は無表情にそう言うと、馬に鞭をくれた。
三浦を頼ると言った。
それをみんな、勝手に解釈して、勝手に期待している。
今のところ、頼朝の今後の行動を知るのは三浦や六郎である。
そしてそれらの行動の意味を知るのは政子である。
「……それにしても」
世の中の人間は皆、どうしてこう勝手に解釈する者ばかりなのだろう。
あの平治の乱の藤原信頼――頼朝の父・義朝が従った男も、そうだった。
乱を起こしたものの、おのれの都合よく物事を考えた結果、二条帝に逃げられ、自滅していった男。
挙句、義朝に「日本一の不覚人」と罵られた男。
頼朝はその様子をじっと見ていた。
信頼は後白河院との男色によって出世したと言われるが、実際は官吏として有能であり、奥州とのつながりや、ほかならぬ清盛との縁戚もあって、栄達した男である。
そういう男であっても、おのれの勝手な解釈により滅びた。
以来、頼朝は勝手な解釈を避けるようになった。
「だが、その方が都合がいい。誰もが勝手に解釈しているうちに……この頼朝は、やりたいことを、やらせてもらう」
そのためには、まず石橋山に拠らなければならない。
急峻というその山で派手に戦い、そして負けるのだ。
つきあう将兵は気の毒だと思うが、彼らも納得づくでこの頼朝についてきている。
「……せめて報いることだけはしよう。あの地に着いたのならば」
頼朝は馬を馳せる。
これからやることは――負けることは、そしてそこから始まることは、頼朝の人生にとって、一世一代の大博打となろう。
賭け金はおのれの命であり、ついて来る者たちの命だ。
それに見合うだけの結果を引き出してやる。
「……清盛入道から」
そのつぶやきは、誰にも聞かれなかった。
頼朝も、誰かに聞かれることを期待していなかったため、もうつぶやくことはなかった。
*
雨が降る。
夜も近い。
相州土肥、石橋山。
このあたりを領する土肥実平が言うだけあって、かなりの急斜面だった。
頼朝と三百騎はこの山を登り、山頂に『最勝親王』の令旨をかかげ、陣をかまえた。
「これだけ急ならば、そうおいそれと攻めかかれはすまい」
北条宗時はそう言って兵らを励ましていたが、その目に、石橋山のちょうど背後にあたる山に、わらわらと、人の集まりができているのが見えた。
「何だ、あの群れは」
暗くなっているので、夜目の利く兵を呼び、よく見させた。
「どうやら、伊東」
「そうか」
ちょうどその時、伊豆山権現からの使いの修験者が来て、政子からの伊東祐親出陣の報を届けた。
宗時はさもありなんと歎息した。
伊東祐親は娘の八重を頼朝によって妊娠させられた。
平家よりであった祐親は、八重の産んだ娘を殺害して、清盛への忠誠を示した。
狂っていると思うが、地方の豪族が清盛に逆らうなどできやしない。
頼朝にしたがって戦っている北条の方が異常なのだ。
「そう、むしろ伊東はまともであり……そんなまともな伊東に、孫殺しをさせたこと、絶対に許しはしないだろう」
宗時はもういちど歎息した。
これで頼朝勢は後方への退路を断たれた。
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「ただのはさみうちだけでなく、退路を断つ……恐ろしい策だ。ただ、大庭らしくない」
大庭景親は将として有能だと思うが、それは戦いに傾く。
どちらかというと、このような戦場の外のはかりごとについては、不得手な方だ。
「……誰ぞの入れ知恵か」
宗時はこの戦いを乗り越えたら、頼朝の側近として振る舞おうと思っている。
そのためにも、その「誰ぞ」を打倒せねば。
そうすれば――これだけの危機を共にして乗り越えたのだ。
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