笹竜胆(ささりんどう)咲く ~源頼朝、挙兵~

四谷軒

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第三部 石橋山の戦い

31 邂逅

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「あと、少しなんだ」

 闇の中。
 梶原景時は、闇――しとどいわやの中を、夢中になって歩いていた。
 今や、猪や熊がいれば、彼を襲うことはたやすいだろう。
 それぐらい景時は集中していた。
 歩くことに。
 頼朝に向かって。
 この場合、頼朝の思考のことを意味しているが。

「あと、少し」

 もう少しで、頼朝の思考のに至れる。
 知りたい。
 どうして、負けいくさに挑んだのだ。
 負けるとわかっていての、武士の意地か。
 いやちがう。
 二十年も流人として生きてきた男に、そんな発想はない。
 鎮西八郎為朝なら、そういうこともあろうが、頼朝はそういう性格ではない。

「なぜなんだ」

 ――何がだ。

 ……その声は、暗闇から響いてきた。
 息を止めると、何者かの気配がする。息づかいがする。
 それも、ひとりではなく、何人もの。
 このいわやは、当たりだったのか。

 ――何がだ。

 声は響く。
 声は、気配たちの中心から聞こえる。
 このいわやに潜んでいる者たちが頼朝たちとしたら、この声は。

「教えてくれ。なぜ、負けたんだ。負けるとわかっていて、なぜ」

 ――…………。

 声は黙りこくった。
 それは、答えたくないからか、あるいは景時のことを推しはかっているからか。

「答えてくれ。答えてくれたら、この場は見のがしても良い」

 それぐらい、景時は欲していた。
 答えを。
 その答えを得れば、が知れる。
 それを、知りたい。
 景時は渇望した。
 これほどの才知を持つ者は、そうそういない。
 否、才知を持ちながら、実行に移すまでとなると、滅多にいない。
 景時は、ずっとそういう者に会いたかった。

「そういう、おのれの才知をしのぐ相手に会いたかったッ! そういう相手になら!」

 全知全能をもって、尽くすことのできる相手に仕え、思う存分、を発揮すること。
 景時はずっとそう思って、くすぶっていた。
 大庭景親は景時を見出してくれたが、景親自身は使いこなせないと自覚し、やがて福原へ向かわせようとしている。
 でもそれでは駄目だ。
 すでに天下を取っている平家に仕えても、やれることなど限られている。
 やはりこれからは。

「頼朝どののような方に、おれはッ」

 ――逆に考えてみよ。

「……え?」

 ――逆に考えるのだ、勝ったら、どうなる?

「勝ったら……?」

 景時は惚けたように、口を半開きにした。
 次いで、目を見開く。
 なんだ、これは。
 なんだ、こいつは。
 こいつは、を考えるんだ。

「勝ったら……だと?」

 勝ったら、どうなる。
 頼朝が、石橋山で勝ったら。
 大庭景親は名将だ。しかも手堅い。
 負けはしても、引き際をわきまえている。
 まず撤退する。
 撤退して、そのあとは……。

「……あッ」

 ――そうだ。大庭が負けたら、平家は、清盛はどうするか。お前の求める答えは、にある。

「おみそれしました……完敗だ。そこまで、そこまで考えて負けいくさに臨むなんて、考えてもできることじゃない……頼朝

「……そうか」

 闇の中から人影が。
 鎧兜に身を固め、口ひげが少し。
 白皙のその風貌は、伝え聞く源頼朝そのものだ。

「そなたの名は」

梶原平三景時かじわらへいざかげとき

「ならば景時よ、さきほどの言のとおり、この場は見のがしてもらえるな」

「この場だけではございません」

 わが主よ、と景時は頼朝に駆け寄ろうとした。
 ところが頼朝はそれを手で制す。
 何をと言いそうな景時に黙るように仕草で伝え、そのあと、入り口を指差した。
 がさがさと、音がする。

「景時、いないか。景時、いないか」

 景親の声だ。
 長居してしまったらしい。

「任せる」

 それだけ言って、頼朝は闇の中に戻った。
 頼朝の周りの人影たちは動揺している様子だが、頼朝は泰然自若としていた。
 言ったとおり、景時に任せるつもりなのだろう。
 この場を。
 そして、これからも。

「うけたまわってそうろう」

 景時は入り口に向かった。



 景時が外に出ると、そのまぶしさに、再びいわやの中に戻りたくなる。
 だが目の前には大庭景親が立っており、逃げることはできない。

「どうした」

 景親は心配そうにのぞき込んで来る。
 基本は善人。
 そういう男だ。
 景時はこういう男がになるのは、本当に気の毒だなと思った。

「何でもありませぬ」

 明暗の差に、目がくらんだと言って、さっさとその場を立ち去ろうとした。

「待て」

 景親は、そのいわやの中はどうであったと聞いてきた。
 景時は、心底どうでもいいように、「何も無かった」と言った。

「無い?」

 入り口にこのように枝葉を積んでおいてか、と景親は枝葉の山を足で蹴った。
 のいい男だ。
 生半可なごまかしは、この男には通用しない。
 今も、「ふたりで見ると言ったはず」と言いつのっている。

「無いと言ったら無い。それがしを疑うか」

 景時は凄んで見せた。
 強引だが、景親を退しりぞかせることに成功する。

「そんなことより、思いついたことがある」

 景時は、指一本立てて、仔細らしくいわやから離れていく。
 さあ。
 いわやの中のよ、この梶原平三景時かじわらへいざかげときの知恵をごろうじろ。

「頼朝はおそらく、三浦を目指している」

「三浦」

 だが三浦勢については、畠山重忠が追跡している。
 若いが、忠実な男だから、途中、頼朝らしき人や集団を見かけたら、まず間違いなく捕縛するだろう。

「なんで三浦を目指すのか。それを考えたことは?」

「……いや?」

 さきほどから、景時の態度は、どこか大きい。
 まるで敵国の使者のような態度だ。
 あるいは、図太くなったのか。

「答えは海。海を越えて、安房を目指している」

「なんだって」

 景親は舌を巻いた。
 そういえば、三浦は三浦半島を根城に、海にもその触手を伸ばしている。
 当然ながら、三浦半島から房総半島にも、その領土を広げようとしている。
 かつて、三浦一族に杉本義宗という男がいて、その男は房総へと攻め入って、敗退して死んだと聞いている。

「まことか」

「まことだ。こんな山中さんちゅうの暗いいわやなんぞ、探しても無駄だ。この景時、暗闇の中でさ迷いながら、それに思い至ったわ」

 どうだ。
 してやったり。
 景時は振り向きこそしなかったが、いわやの中の頼朝に向かって、そんな表情をした。
 頼朝は「任せる」と言ったのだ。
 それに、海の話は景時が考え、思いついたことだ、言ってもかまうまい。
 というか、そうやって「言う」ことも計算に入れて、頼朝は話したのだろう。
 ということは、頼朝がこれから逃げるのは、海ではなく、山。
 そして山から海へと脱出するのだろう。
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