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第四部 富士川の戦い
37 頼朝の国
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「義時。これから、安房へ――房総へ渡る頼朝どのの側に仕えるのなら、覚えておきなさい」
政子は大姫に乳を与えながら言う。
そういえば、先ほどから授乳していた。
そのせいで、伊豆山権現の僧兵たちも、この政子の「仮住まい」には近づかない。
「宗時の兄は、おそらく伊豆へ戻って地固めをするつもりでしょう。であるなら義時、お前がこういうことをわきまえて、頼朝どのを助けなさい」
こういうこと。
つまり――頼朝は国を作ろうとしている、奥州のような。
義時はうなずいた。
以仁王の令旨で人を集めるのは良いが、そこからどうやって集めた人たちを「集めたまま」にしておくのか。
その答えが、これだった。
「はるかむかし――平将門公のなさったことは、討伐軍に倒されて終わった。そうではなく、今の奥州藤原氏のように、持っていくつもりだ……と」
「そうです」
坂東に生きる者にとっては、鮮烈な印象を与えた、平将門。
将門は坂東に国を作ろうとした。
しかし、朝廷からの討伐軍に敗れた。
それは、なぜか。
頼朝はこう考えたのだろう。
――結局、朝廷にまっこうから反発したことにあるのではないか。
と。
反発したからこそ、討伐される。
周りの者に、「戦っていい」という大義名分を与える。
一度は退けても、何度もかかって来られたら、それは無間の地獄だ。
「であるならと、奥州にみずからの国を作りながらも、朝廷に従う姿勢を示している、奥州藤原氏を真似すればよいと、これから豪族たちにけしかけるのでしょう」
政子はそのために、頼朝は最終的にあの地を目指すのではないかと推測していた。
笹竜胆が咲くという、あの地へ。
「良い手かもしれませんな」
義時は再びうなずく。
彼は、頼朝や政子が、まるで「天」から見ているような目線で語るなら、その見つめられる「地」の側の方で考えてみた。
「これなら、豪族たちもその国の中で分け前にあずかり、かつ、朝廷には表立って逆らわないと示せば、滅びの道は避けられると思うでしょう」
そしてその分け前をより多く取るため、頼朝のために戦うだろう。
それも、頼朝の思惑どおりなのだろう。
何にせよ、豪族たちにとって、わかりやすい目的と、将来の旨味を示した。
これは大きい。
義時はそう思う。
「その国は――平家のように、おのれの一族たちのみで固めず、自分たちも要職に就けると思えるでしょうしな」
「そうです。今、石橋山で負けた今こそ、そういう国を目指していると示すことが、肝要」
政子は乳を飲む大姫を見つめながら言った。
この子のためにも、と言いたいのであろう。
義時は立ち上がった。
「うけたまわりました。では姉上、これから頼朝どのの元に参って、この義時、その国のために身命を賭しましょう」
大姫が、きゃっきゃっと笑った。
義時の生真面目な顔が面白かったらしい。
義時は怒らず、「またな」と大姫の頭を撫で、そして出て行った。
*
箱根。
ここに匿われたのつかの間、頼朝ら一行は、土肥実平の領地――真鶴に向かっていた。
「…………」
一行のひとり、義時は歩を進めながら、ここ数日に起こった出来事を整理していた。
「甲斐源氏、か……」
甲斐源氏・武田信義は弟の安田義定に兵を与え、駿河へと向かわせた。
それは頼朝を救うためと称していたが、その実、出兵は頼朝の敗報のあとである。
それもそのはず、武田はただで出兵したのではない。
頼朝の挙兵につけこんで、その野望である海道――駿河・遠江・三河を手に入れるために出兵したのだ。
「そして駿河へと入ろうとした」
甲斐と駿河の国境に、波志田山という山がある。
現在では、富士河口湖町の足和田山と推定される山であるが、安田義定ら甲斐源氏はその山にの近くまで来た。
そこで。
「……駿河目代・橘遠茂が、相模の大庭景親の弟・俣野景久と共に、甲斐源氏に当たった」
急場ではあるが、橘遠茂は大庭からの援軍を引き込むことに成功し、すぐに国境――波志田山まで出張って来たのは、かなりの優秀さと言えよう。
ただ、完全武装して、前から用意をしていた甲斐源氏と戦うには、やはり準備不足だった。
「甲斐源氏・安田義定は、波志田山に至って、野営していた俣野景久を襲った」
甲斐源氏が橘遠茂ではなく、俣野景久を攻撃したのは、やはり景久の方が戦力として上であるという判断だろう。
そして、襲われた方の景久は、当然ながら反撃しようとした。
「ところが、なぜか弓の弦が切られていた景久とその兵は、弓ではなく剣で戦った」
先手を取られた上に、距離を稼ぐ弓矢がなくては、その戦いは押される一方だ。
俣野景久は、歯噛みしながらも撤退した。
こうして波志田山合戦は、甲斐源氏の勝利に終わった。
「……六郎か」
義時は、頼朝の近侍というか、郎党というか、そんな立場であった若者のことを思い出す。
たしか、頼朝の弟だったらしく、最近、名前を変えた。
源範頼という名乗りになったというが、その生まれ育った地から、皆からは蒲冠者と呼ばれている。
「蒲……蒲御厨……遠江、海道に縁を持つ者、蒲冠者、源範頼」
そう都合よく俣野の軍の弓の弦が切られているなど、あからさまに事前工作である。
六郎範頼か、その縁者のしこみであろう。
「思えば甲斐源氏が、波志田山で勝ったにもかかわらず、さっさと退いたのも、手並みが良すぎる」
安田義定は俣野景久を撃退したあと、甲斐へ撤退した。
軍としての体力を考えてのことであり、かつ、木曽にて急速に拡大しつつある、「ある勢力」を警戒したためである。
甲斐源氏は、今後の海道進出のために、後背たる信濃を押さえておきたい。そのため、「ある勢力」への牽制として、信濃侵攻を目論んでいるのだろう。
「まあ、『ある勢力』については措こう。それより三浦だ」
波志田山合戦の実に翌日、三浦はその本拠地たる衣笠城を襲われた。
政子は大姫に乳を与えながら言う。
そういえば、先ほどから授乳していた。
そのせいで、伊豆山権現の僧兵たちも、この政子の「仮住まい」には近づかない。
「宗時の兄は、おそらく伊豆へ戻って地固めをするつもりでしょう。であるなら義時、お前がこういうことをわきまえて、頼朝どのを助けなさい」
こういうこと。
つまり――頼朝は国を作ろうとしている、奥州のような。
義時はうなずいた。
以仁王の令旨で人を集めるのは良いが、そこからどうやって集めた人たちを「集めたまま」にしておくのか。
その答えが、これだった。
「はるかむかし――平将門公のなさったことは、討伐軍に倒されて終わった。そうではなく、今の奥州藤原氏のように、持っていくつもりだ……と」
「そうです」
坂東に生きる者にとっては、鮮烈な印象を与えた、平将門。
将門は坂東に国を作ろうとした。
しかし、朝廷からの討伐軍に敗れた。
それは、なぜか。
頼朝はこう考えたのだろう。
――結局、朝廷にまっこうから反発したことにあるのではないか。
と。
反発したからこそ、討伐される。
周りの者に、「戦っていい」という大義名分を与える。
一度は退けても、何度もかかって来られたら、それは無間の地獄だ。
「であるならと、奥州にみずからの国を作りながらも、朝廷に従う姿勢を示している、奥州藤原氏を真似すればよいと、これから豪族たちにけしかけるのでしょう」
政子はそのために、頼朝は最終的にあの地を目指すのではないかと推測していた。
笹竜胆が咲くという、あの地へ。
「良い手かもしれませんな」
義時は再びうなずく。
彼は、頼朝や政子が、まるで「天」から見ているような目線で語るなら、その見つめられる「地」の側の方で考えてみた。
「これなら、豪族たちもその国の中で分け前にあずかり、かつ、朝廷には表立って逆らわないと示せば、滅びの道は避けられると思うでしょう」
そしてその分け前をより多く取るため、頼朝のために戦うだろう。
それも、頼朝の思惑どおりなのだろう。
何にせよ、豪族たちにとって、わかりやすい目的と、将来の旨味を示した。
これは大きい。
義時はそう思う。
「その国は――平家のように、おのれの一族たちのみで固めず、自分たちも要職に就けると思えるでしょうしな」
「そうです。今、石橋山で負けた今こそ、そういう国を目指していると示すことが、肝要」
政子は乳を飲む大姫を見つめながら言った。
この子のためにも、と言いたいのであろう。
義時は立ち上がった。
「うけたまわりました。では姉上、これから頼朝どのの元に参って、この義時、その国のために身命を賭しましょう」
大姫が、きゃっきゃっと笑った。
義時の生真面目な顔が面白かったらしい。
義時は怒らず、「またな」と大姫の頭を撫で、そして出て行った。
*
箱根。
ここに匿われたのつかの間、頼朝ら一行は、土肥実平の領地――真鶴に向かっていた。
「…………」
一行のひとり、義時は歩を進めながら、ここ数日に起こった出来事を整理していた。
「甲斐源氏、か……」
甲斐源氏・武田信義は弟の安田義定に兵を与え、駿河へと向かわせた。
それは頼朝を救うためと称していたが、その実、出兵は頼朝の敗報のあとである。
それもそのはず、武田はただで出兵したのではない。
頼朝の挙兵につけこんで、その野望である海道――駿河・遠江・三河を手に入れるために出兵したのだ。
「そして駿河へと入ろうとした」
甲斐と駿河の国境に、波志田山という山がある。
現在では、富士河口湖町の足和田山と推定される山であるが、安田義定ら甲斐源氏はその山にの近くまで来た。
そこで。
「……駿河目代・橘遠茂が、相模の大庭景親の弟・俣野景久と共に、甲斐源氏に当たった」
急場ではあるが、橘遠茂は大庭からの援軍を引き込むことに成功し、すぐに国境――波志田山まで出張って来たのは、かなりの優秀さと言えよう。
ただ、完全武装して、前から用意をしていた甲斐源氏と戦うには、やはり準備不足だった。
「甲斐源氏・安田義定は、波志田山に至って、野営していた俣野景久を襲った」
甲斐源氏が橘遠茂ではなく、俣野景久を攻撃したのは、やはり景久の方が戦力として上であるという判断だろう。
そして、襲われた方の景久は、当然ながら反撃しようとした。
「ところが、なぜか弓の弦が切られていた景久とその兵は、弓ではなく剣で戦った」
先手を取られた上に、距離を稼ぐ弓矢がなくては、その戦いは押される一方だ。
俣野景久は、歯噛みしながらも撤退した。
こうして波志田山合戦は、甲斐源氏の勝利に終わった。
「……六郎か」
義時は、頼朝の近侍というか、郎党というか、そんな立場であった若者のことを思い出す。
たしか、頼朝の弟だったらしく、最近、名前を変えた。
源範頼という名乗りになったというが、その生まれ育った地から、皆からは蒲冠者と呼ばれている。
「蒲……蒲御厨……遠江、海道に縁を持つ者、蒲冠者、源範頼」
そう都合よく俣野の軍の弓の弦が切られているなど、あからさまに事前工作である。
六郎範頼か、その縁者のしこみであろう。
「思えば甲斐源氏が、波志田山で勝ったにもかかわらず、さっさと退いたのも、手並みが良すぎる」
安田義定は俣野景久を撃退したあと、甲斐へ撤退した。
軍としての体力を考えてのことであり、かつ、木曽にて急速に拡大しつつある、「ある勢力」を警戒したためである。
甲斐源氏は、今後の海道進出のために、後背たる信濃を押さえておきたい。そのため、「ある勢力」への牽制として、信濃侵攻を目論んでいるのだろう。
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