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第四部 富士川の戦い
38 衣笠城合戦
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畠山重忠は焦っていた。
まだ十七歳の彼は、京にいる父・重能に代わって、一族を率いなければならないという重圧と、生来の篤実な性格から、一度は成りかけた和睦からの、三浦一族からの手痛い攻撃により、郎党五十名余を失い、しかも梟首された。
「おのれ、なまじ縁者であるということで、和睦しようと取り計らっていたのに」
大庭景親が重忠を三浦に向かわせたのは、穏便に和睦に持っていくためである。
でなければ、三浦義明の娘を継母に持つ重忠を、三浦に当たらせない。
そもそも、景親が平清盛から与えられた許しは、頼朝討伐であって、反抗的とはいえ、豪族を討伐する事ではない。
そのように何でもかんでも戦いに及ぶようでは、逆に平家の支配に対する越権行為である。
皮肉なことに、令旨を建前に、その「何でもかんでも」をしているのが、頼朝ではあるが。
「これぞ、『会稽の恥』。この恥辱、雪がずにおらりょうか」
重忠は歯噛みする。
『会稽の恥』とは、史記に見られる言葉で、その昔、越王勾践が呉王夫差によって会稽山という山に追い込まれ降伏を余儀なくされた。
この時、勾践はかなり屈辱的な条件で(夫差の召使になる)、降伏することを許されており、それを恥という。
なお勾践はその後、復讐を遂げることに成功しており(呉王夫差を倒した)、つまり重忠はそのことも込みで、『会稽の恥』と称しているのである。
さらに。
「この畠山の属する秩父氏(坂東八平氏のひとつ)に出馬を願おう。総領の河越重頼どのに連絡を」
『会稽の恥』と称したことにより、畠山の属する秩父氏の縁者たちに――特に総領に加勢を要求することができた。
河越重頼は重忠の要請にこたえ、同じ秩父氏の一族である江戸重長に声をかけ、数千騎を率いて着陣する。
「かたじけない。これで、百人力だ」
重忠は河越・江戸の両氏に感謝したが、これほど早くに大軍を率いて来てこられたのは、実は大庭景親の頼朝討伐に応じて、駆けつける最中だったからではないか――といわれる。
そうだとしても、同族の畠山と干戈を交えてしまった三浦は、こうなってはもう、最後まで戦うしかない。
*
「父上。お逃げを」
「いらぬ」
三浦義澄は本拠地の衣笠城に帰還することができたが、一族の援軍を得た畠山重忠の猛追はすさまじく、おそらく、一日ぐらいしか猶予はなかった。
籠城のしたくもできるはずがなく、義澄は落ちのびることを決断し、早速に八十九歳の老父・義明に対し、共に逃げることを勧めた。
しかしそれは拒否され、逆に置いていけと言われてしまう。
「わしはもう年齢が年齢。足手まといになろう。それよりかは、迫りくる畠山を受け、引きつけようではないか」
「父上」
そこまで、お見通しでしたか。
とは、言わなかった。
今こうしている間にも、平家の間者が聞いているかもしれない。
間者でなくとも、敵に捕らえられば、話してしまうかもしれない。
あるいは、積極的に伝えてしまうかもしれない。
安房へ向かうということを。
「……それが、三浦の本懐じゃ」
義明は、亡き嫡男・杉本義宗のことを思い出していた。
三浦を内海(現在の東京湾)の覇者にする、という夢をいだき、実際、海を越えて安房に攻め入り、そして死んでいった男――義宗のことを。
「義宗の夢を、こんなかたちでかなえるとはのう」
頼朝はおそらく、三浦の嫡男がなぜ死んだのか、考えたのであろう。
跡取り息子にやらせること――それはつまり、一族の「宿願」であることに気がついた。
だから、妻の政子を寄越した。
政子もまた、その「宿願」に気づいたからだ。
「……ただまあ、そこまでして、つまり、妻女を寄越してまで説きに来たということは、それ相応の覚悟を求めていたのでしょう」
「……そうじゃのう」
三浦義澄は、当初はいたずらに戦端を開くつもりはなかった。
大庭景親あるいはその麾下の誰かを三浦に引きつけ──引きつけられるだけ引きつけて、その間に頼朝に安房に渡ってもらい、折を見て、みずからも安房へ飛ぶ──そう、考えていた。
「ところが押さえきれず、戦ってしまいました。父上……これはわが不明、この三浦義澄が責を取るべき。ですので父上は海へ……」
「ならん」
三浦義明はまるで鉄塊のような圧力で、息子の言葉を拒否した。
八十九になるまで戦いつづけた男の迫力が、そこにあった。
「わしはもう渡海とそこからつづく、安房、両総での戦いに耐えられん。義澄、お前だ。お前が征くべきなのだ」
それは老いた父を置いていけとか、あとは任せろといった、犠牲的な精神で言っているのではない。
三浦という一族をいかに生かすか、勢力を伸ばすかという観点で、最適な答えを出した──そういう意味で言っているのだ。
「父上……」
「聞けば、追っ手は畠山重忠。わが娘の継子ではないか……これも縁じゃな」
義明は、郎党の命を失う羽目になった重忠に、おのれの首を差し出そうとしている。
それも、合戦に及んだ上で。
「さすれば重忠も……失った郎党たちの家族にかたきを取ったと言えよう。面目も立とう。そして……」
「皆までおっしゃいますな。わかり申した。委細承知。のちの……來たるべき『頼朝どのの国』において、父上のことを持ち出して、重忠と争いはいたしませぬ」
「……痛み入る、息子よ。それにしても」
国、か。
老人はそうつぶやいた。
その言葉の、何と新鮮で魅力的なことだろう。
若者や壮者たちの、夢が詰まっている。
そういえば亡き嫡男――杉本義宗も言っていた。
この海に、この坂東に、新しい国を作るんだ、と。
「では行け」
「はい」
親子の最後の会話はそれで終わった。
そして息子は旅立ち、父はそれを見送った。
*
……こうして衣笠城合戦は始まり、三浦義明は畠山重忠相手に、戦いを挑む。
その戦いは多勢に無勢であり、義明はあっさりと討たれてしまう。
ただ、その最期の言葉は残った。
「吾妻鏡」に伝えられるその最期の言葉こそ、この時のこの老人の想いを如実に示している。
「今は老いたこの命をささげ、子孫の手柄としたい」
まだ十七歳の彼は、京にいる父・重能に代わって、一族を率いなければならないという重圧と、生来の篤実な性格から、一度は成りかけた和睦からの、三浦一族からの手痛い攻撃により、郎党五十名余を失い、しかも梟首された。
「おのれ、なまじ縁者であるということで、和睦しようと取り計らっていたのに」
大庭景親が重忠を三浦に向かわせたのは、穏便に和睦に持っていくためである。
でなければ、三浦義明の娘を継母に持つ重忠を、三浦に当たらせない。
そもそも、景親が平清盛から与えられた許しは、頼朝討伐であって、反抗的とはいえ、豪族を討伐する事ではない。
そのように何でもかんでも戦いに及ぶようでは、逆に平家の支配に対する越権行為である。
皮肉なことに、令旨を建前に、その「何でもかんでも」をしているのが、頼朝ではあるが。
「これぞ、『会稽の恥』。この恥辱、雪がずにおらりょうか」
重忠は歯噛みする。
『会稽の恥』とは、史記に見られる言葉で、その昔、越王勾践が呉王夫差によって会稽山という山に追い込まれ降伏を余儀なくされた。
この時、勾践はかなり屈辱的な条件で(夫差の召使になる)、降伏することを許されており、それを恥という。
なお勾践はその後、復讐を遂げることに成功しており(呉王夫差を倒した)、つまり重忠はそのことも込みで、『会稽の恥』と称しているのである。
さらに。
「この畠山の属する秩父氏(坂東八平氏のひとつ)に出馬を願おう。総領の河越重頼どのに連絡を」
『会稽の恥』と称したことにより、畠山の属する秩父氏の縁者たちに――特に総領に加勢を要求することができた。
河越重頼は重忠の要請にこたえ、同じ秩父氏の一族である江戸重長に声をかけ、数千騎を率いて着陣する。
「かたじけない。これで、百人力だ」
重忠は河越・江戸の両氏に感謝したが、これほど早くに大軍を率いて来てこられたのは、実は大庭景親の頼朝討伐に応じて、駆けつける最中だったからではないか――といわれる。
そうだとしても、同族の畠山と干戈を交えてしまった三浦は、こうなってはもう、最後まで戦うしかない。
*
「父上。お逃げを」
「いらぬ」
三浦義澄は本拠地の衣笠城に帰還することができたが、一族の援軍を得た畠山重忠の猛追はすさまじく、おそらく、一日ぐらいしか猶予はなかった。
籠城のしたくもできるはずがなく、義澄は落ちのびることを決断し、早速に八十九歳の老父・義明に対し、共に逃げることを勧めた。
しかしそれは拒否され、逆に置いていけと言われてしまう。
「わしはもう年齢が年齢。足手まといになろう。それよりかは、迫りくる畠山を受け、引きつけようではないか」
「父上」
そこまで、お見通しでしたか。
とは、言わなかった。
今こうしている間にも、平家の間者が聞いているかもしれない。
間者でなくとも、敵に捕らえられば、話してしまうかもしれない。
あるいは、積極的に伝えてしまうかもしれない。
安房へ向かうということを。
「……それが、三浦の本懐じゃ」
義明は、亡き嫡男・杉本義宗のことを思い出していた。
三浦を内海(現在の東京湾)の覇者にする、という夢をいだき、実際、海を越えて安房に攻め入り、そして死んでいった男――義宗のことを。
「義宗の夢を、こんなかたちでかなえるとはのう」
頼朝はおそらく、三浦の嫡男がなぜ死んだのか、考えたのであろう。
跡取り息子にやらせること――それはつまり、一族の「宿願」であることに気がついた。
だから、妻の政子を寄越した。
政子もまた、その「宿願」に気づいたからだ。
「……ただまあ、そこまでして、つまり、妻女を寄越してまで説きに来たということは、それ相応の覚悟を求めていたのでしょう」
「……そうじゃのう」
三浦義澄は、当初はいたずらに戦端を開くつもりはなかった。
大庭景親あるいはその麾下の誰かを三浦に引きつけ──引きつけられるだけ引きつけて、その間に頼朝に安房に渡ってもらい、折を見て、みずからも安房へ飛ぶ──そう、考えていた。
「ところが押さえきれず、戦ってしまいました。父上……これはわが不明、この三浦義澄が責を取るべき。ですので父上は海へ……」
「ならん」
三浦義明はまるで鉄塊のような圧力で、息子の言葉を拒否した。
八十九になるまで戦いつづけた男の迫力が、そこにあった。
「わしはもう渡海とそこからつづく、安房、両総での戦いに耐えられん。義澄、お前だ。お前が征くべきなのだ」
それは老いた父を置いていけとか、あとは任せろといった、犠牲的な精神で言っているのではない。
三浦という一族をいかに生かすか、勢力を伸ばすかという観点で、最適な答えを出した──そういう意味で言っているのだ。
「父上……」
「聞けば、追っ手は畠山重忠。わが娘の継子ではないか……これも縁じゃな」
義明は、郎党の命を失う羽目になった重忠に、おのれの首を差し出そうとしている。
それも、合戦に及んだ上で。
「さすれば重忠も……失った郎党たちの家族にかたきを取ったと言えよう。面目も立とう。そして……」
「皆までおっしゃいますな。わかり申した。委細承知。のちの……來たるべき『頼朝どのの国』において、父上のことを持ち出して、重忠と争いはいたしませぬ」
「……痛み入る、息子よ。それにしても」
国、か。
老人はそうつぶやいた。
その言葉の、何と新鮮で魅力的なことだろう。
若者や壮者たちの、夢が詰まっている。
そういえば亡き嫡男――杉本義宗も言っていた。
この海に、この坂東に、新しい国を作るんだ、と。
「では行け」
「はい」
親子の最後の会話はそれで終わった。
そして息子は旅立ち、父はそれを見送った。
*
……こうして衣笠城合戦は始まり、三浦義明は畠山重忠相手に、戦いを挑む。
その戦いは多勢に無勢であり、義明はあっさりと討たれてしまう。
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