笹竜胆(ささりんどう)咲く ~源頼朝、挙兵~

四谷軒

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第四部 富士川の戦い

39 平家、動く

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 波志田山で甲斐源氏が俣野景久またのかげひさ退しりぞけ。
 衣笠城で三浦義明が城を枕に戦い。
 そしてその隙に、頼朝は真鶴半島に出た。

「今なら、大庭景親おおばかげちかは動けん」

 土肥実平どひさねひらは、自分の置かれている状況がよくわからなくなった。
 いや、実際はわかっているのだ。
 石橋山の戦いに敗れ、逃げ……そして箱根に隠れた。
 隠れた先の箱根で、甲斐源氏の挙兵、三浦と畠山の戦いの報を聞いた。

「これはいったい、なんとしたことだ」

 事態が好転しているのはわかる。
 大庭景親が、頼朝を追えなくなってきているのはわかる。
 ただ、なんでこういう風になっているのかが、わからないのだ。

「実平、汝の土肥の領地の中、真鶴という土地があるだろう」

 実平はその半島の名をよく知っている。
 頼朝に言われて、ふと、その名の由来を思い出した。

「そこなら、舟をしたくできるな」

 実平は電撃に撃たれたような思いを味わった。
 頼朝この男は、なんということを言うのだろう。
 三浦を頼ると言いつつ、石橋山に籠もり、いくさに負け、山中さんちゅういわやへ逃げ、箱根に至り、今──

「今、海に行こうとなさるのですか」

「そうだ実平、汝が味方で、ほんとうに良かった」

 こうなると実平にもわかってくる。
 頼朝の「三浦を頼る」は、三浦の安房の領地を頼るということだった。
 そのため、思わせぶりに相模、三浦を目指していたが、頼朝としては渡海できればどこでもよかったので、あっさりと石橋山にる道を選んだ。

「ただ渡ろうとすると大庭に捕まる。だから敢えて戦う道を選んだのか」

 実平はおぼろげながら、頼朝が甲斐源氏や三浦を動かしたのだろうと思った。
 それは頼朝のねらいのひとつではあったのだが、すべてではない。
 だが、実平にはそこまで推しはかる余裕はなかった。
 彼は先発して、真鶴へ行き、舟を用意する必要があった。

「……それにしても、真鶴か」

 実平はひとりごちた。
 さきほど思い出した、真鶴の名の由来である、上空からこの半島をみたときのかたちが──これからの頼朝を象徴していると感じた。

「そう……まるで鶴の飛び立つような」



 大庭景親は唖然としていた。
 平清盛の読みどおり、源頼朝の動きを押さえた。
 そう思っていた。

「伊豆目代・山木兼隆を討たれたのはしかたない。されど……されど石橋山にて頼朝を破ったのに」

 事前に与えられた清盛の許しにより、諸豪族、武士団を糾合して、大軍をもって、寡兵の頼朝を撃破した。
 兵法の基本どおりの動き。
 だからこそ、頼朝はもう終わったと思った。
 なのに。

「甲斐源氏にわが弟・俣野景久が負け、三浦にて、三浦義澄に逃げられ……」

 畠山重忠が、老兵・三浦義明を討ったというが、それは戦果とはいえない。
 はっきりいって、三浦の「本体」である、義明の息子・義澄ら将兵が逃げるための足止めのようなものだ。
 討った重忠も釈然とせず、しかも「八十九歳の老人を殺した」という罪悪感が、大庭や畠山の将兵に広がりつつある。
 苦悩する景親が、帷幕の梶原景時にどうすればよいかと問うと、

「とにかく、相国入道さま(平清盛のこと)にお知らせすることです。ことは急を要します、早馬を」

 景親はこれまでも早馬を福原の清盛へ飛ばしている。
 またかという思いと、事態が悪化していると伝えるのは心苦しいが、やらざるを得ない。

「このままでは、ゆくえをくらませた頼朝が、房総へ渡ってしまいますぞ」

 わかっていると答えると、景親は頭をかかえた。
 海を見張りたいのはやまやまだが、相模の海は三浦と土肥が双璧だ。
 その、どちらも頼朝についている。
 特に三浦は、その船団ごと脱出しており、舟自体が無い。
 土肥は土肥で、土肥実平の女房が生計の手段の舟を奪うなと強情を張っている。

「くそっ。ならせめて、土肥を見張れ!」

 うけたまわってそうろうと、景時が出る。
 景親はその背を見送りながら、もしかして今、自分たちは、頼朝の術中にあるのではないかと――ふと思った。



 大庭景親の早馬が行く前に。

「甲斐源氏が? 波志田山にて!?」

 すでに駿河目代・橘遠茂たちばなのとおもちの早馬が、福原に到達していた。
 遠茂は、波志田山で甲斐源氏・安田義定に敗れたことを告げ、平家による救援を要請した。

「それ見たことか」

 とは、清盛は言わなかったが、現行の目代の正式な要請により、これには動かざるを得ない。
 しかも、ことは急を要する。
 波志田山にて甲斐源氏はいったん退いたというが、早晩、また襲って来るであろう。
 そこへ来て、相模の大庭景親からの早馬である。

「さらにさらに、頼朝のゆくえが不明。これは憂慮すべきぞ、く、討伐軍を」

 弟の知盛や重衡にまで言われ、さすがの宗盛も重い腰を上げた。

維盛これもりを呼べ」

 かつて清盛が言及したように、平家の武家としての「軍事」は、重盛がになってきた。そして重盛亡き今、重盛の嫡子である維盛が担っている。
 急ぎ海道を下り、伊豆・相模に向かうには、維盛を指揮官――大将軍に任命するしかない。
 維盛が福原に参内すると、特に女官たちがほうと声を洩らした。

光源氏さま」

 そう言って彼女らは、維盛を褒めそやす。
 維盛は当代随一の美男子で、これは平家を嫌う九条兼実すらも認めていることである。
 維盛は宗盛の前で拝礼して、いかなる命でお呼びかと問うた。

「うむ。ほかでもない、維盛……今、海道で……伊豆、相模、駿河で兵乱が起きていることを、知っているか」

「知っています」

 維盛は他ならぬ以仁王の挙兵の鎮圧を命じられている。その流れで、以仁王の令旨がどのようにばらまかれたか知り、そのゆくえに心を痛めていた。

「では維盛、これより海道を征き、頼朝を討て。甲斐を討て。以上じゃ」

 宗盛は、言うだけ言ったとばかりに、場を退出した。
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