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第四部 富士川の戦い
44 義仲
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ところがその亀が、範頼と一緒に武田信義の前を退出したあとに、「このままだと埒が明かないと思ったから言っただけ」と明かし、彼を唖然とさせた。
「え、それじゃどうすれば」
「……情けない顔、しないでください」
「そんなこと言われてもな……これで源頼朝は動きませんでしたじゃ、話にならん」
範頼は天を仰いだ。
それを見て、亀は、はあとため息をつく。
「頼朝さまは、まあ房総でいろいろあるから、無理でしょう」
そこで亀はいたずらっぽく笑った。
たまにこういう表情をするから、この娘は油断ならない。
そういう範頼の胸中を知ってか知らずか、亀は指を一本立てた。
「ですから、頼朝さまではなく、政子さまを頼りましょう」
「えっ」
「これぐらいはやってくれるでしょう。だって、甲斐源氏と平家をぶつけて、漁夫の利を得たいんでしょう?」
「そりゃまあそうだが……」
「頼朝さまに頼むよりは、よっぽどましです。どうせ『自分で何とかしろ』と言いかねませんからね、あの人。それより何より、頼朝さまは今、房総で動いている最中。それより、伊豆山に居る政子さまの方が、すぐ連絡が取れます。そう言い訳をすれば、あとで頼朝さまに何か言われたら、政子さまが味方になってくれます……わたしが行きましょうか?」
ことは急を要する。
北条時政は、人質であるため、連絡はできても自身では伊豆に行けない。
範頼も同様だ。
そこまで考えているのか。
範頼は感じ入ったように、亀を拝む真似をした。
「頼む。恩に着る」
「……おまかせください」
亀も、悪い気はしなかった。
*
「……それで亀、貴女が来たというわけですか」
「はい」
伊豆山権現。
今、亀は甲斐から駆けに駆け、北条政子の社内の居室にたどり着いた。
「よく来ました」
正子は落ち着き払って亀を迎え、大姫をあやしながら話を聞いた。
「――成る程」
政子は範頼の書状(亀が出る時に持たせた)を開き、読みながら答えた。
そして少し考えると、亀に大姫を渡し、文机に向かった。
……亀が大姫と遊んで、大姫が寝てしまう頃には、政子の文は完成した。
「これを伊豆山権現の修験者に頼んで、上野の足利どのに持って行ってもらいます」
「上野の足利」
この場合、のちに足利尊氏や足利直義を輩出する、源氏の足利ではなく、平将門の乱で活躍した藤原秀郷の家系で、藤姓(藤原氏)の足利である。
「その足利は、先の以仁王の挙兵で、宇治にて源仲家のいる、源頼政の兵を打ち破りました」
源仲家とは、頼政の養子で、元は源義賢の息子で――つまりは義仲の兄である。
義賢が大蔵合戦で討ち果たされたあと、義仲は木曽へ匿われたように、義賢は摂津へ預けられていた。
仲家は養父への恩に報いるべく、頼政のその死の瞬間まで戦いつづけた。
そして最後には、嫡男の仲光と共に、息絶えたという。
「……要は、義仲にとって、足利はかたき」
「そうです。そして、そんな義仲が、同じ上野にいるとなったら、足利も面白くないでしょうね」
政子は、藤姓足利氏に書状を出し、義仲が「かたきを討ちたいと同時に、上野に野心を抱いている」と伝えることにした。
「こうなれば、足利としては、虚心でいられまい」
さらに政子は「義仲と同じ河内源氏の頼朝の妻として伝える。覚悟しておけ」と挑発を書き添えていた。
「これでもし、義仲が足利と和したいと思ったとしても、やりづらくなる」
籌策(はかりごと)を帷帳の中に運らし、勝ちを千里の外に決すると言う言葉があるが(張良のこと)、政子がまさにそれだと亀は思った。
しかし同時に、ひとつの疑問が湧いた。
「政子さま」
「何です」
「結果、義仲がやはり信濃に、と戻って来たらいかがします?」
「それなら望むところ」
政子は嫣然と微笑んだ。
「……この先、武田が勝ちに乗ってしまわぬよう、重石になってくれることでしょう。今は、平家の追討軍が来るまでの間、義仲を上野で動けなくすれば良い。まあせいぜい、一、二ヶ月ぐらい、義仲と足利はにらみ合うんでしょう」
亀は、範頼が大体似たようなことを言っていたことを思い出した。
ただし、藤姓足利のような具体的なあてはなく、上野の武士の誰かを煽って欲しい、というような言い方だったが。
「……ま、いいか」
とりあえずは、これで源義仲を押さえることができそうだ。
これで武田信義も範頼も、平家との戦いに傾注できるだろう。
平家の追討軍さえ倒せば、頼朝の勢力は、ひとまずは安泰である。
そのために、また甲斐へとおもむこう。
また範頼が忙殺されているかもしれない。
「では」
「頼みますよ、亀」
政子もまた、亀と同じく、これで平家さえ退ければ、と思っていた。
だがこの時、藤姓足利により封じられ、信濃に移っても甲斐源氏と噛み合い掣肘されると思われた源義仲こそが、頼朝と範頼、そしてもうひとり兄弟の前に、脅威として立ちはだかるとは、誰にも予想できなかった。
「え、それじゃどうすれば」
「……情けない顔、しないでください」
「そんなこと言われてもな……これで源頼朝は動きませんでしたじゃ、話にならん」
範頼は天を仰いだ。
それを見て、亀は、はあとため息をつく。
「頼朝さまは、まあ房総でいろいろあるから、無理でしょう」
そこで亀はいたずらっぽく笑った。
たまにこういう表情をするから、この娘は油断ならない。
そういう範頼の胸中を知ってか知らずか、亀は指を一本立てた。
「ですから、頼朝さまではなく、政子さまを頼りましょう」
「えっ」
「これぐらいはやってくれるでしょう。だって、甲斐源氏と平家をぶつけて、漁夫の利を得たいんでしょう?」
「そりゃまあそうだが……」
「頼朝さまに頼むよりは、よっぽどましです。どうせ『自分で何とかしろ』と言いかねませんからね、あの人。それより何より、頼朝さまは今、房総で動いている最中。それより、伊豆山に居る政子さまの方が、すぐ連絡が取れます。そう言い訳をすれば、あとで頼朝さまに何か言われたら、政子さまが味方になってくれます……わたしが行きましょうか?」
ことは急を要する。
北条時政は、人質であるため、連絡はできても自身では伊豆に行けない。
範頼も同様だ。
そこまで考えているのか。
範頼は感じ入ったように、亀を拝む真似をした。
「頼む。恩に着る」
「……おまかせください」
亀も、悪い気はしなかった。
*
「……それで亀、貴女が来たというわけですか」
「はい」
伊豆山権現。
今、亀は甲斐から駆けに駆け、北条政子の社内の居室にたどり着いた。
「よく来ました」
正子は落ち着き払って亀を迎え、大姫をあやしながら話を聞いた。
「――成る程」
政子は範頼の書状(亀が出る時に持たせた)を開き、読みながら答えた。
そして少し考えると、亀に大姫を渡し、文机に向かった。
……亀が大姫と遊んで、大姫が寝てしまう頃には、政子の文は完成した。
「これを伊豆山権現の修験者に頼んで、上野の足利どのに持って行ってもらいます」
「上野の足利」
この場合、のちに足利尊氏や足利直義を輩出する、源氏の足利ではなく、平将門の乱で活躍した藤原秀郷の家系で、藤姓(藤原氏)の足利である。
「その足利は、先の以仁王の挙兵で、宇治にて源仲家のいる、源頼政の兵を打ち破りました」
源仲家とは、頼政の養子で、元は源義賢の息子で――つまりは義仲の兄である。
義賢が大蔵合戦で討ち果たされたあと、義仲は木曽へ匿われたように、義賢は摂津へ預けられていた。
仲家は養父への恩に報いるべく、頼政のその死の瞬間まで戦いつづけた。
そして最後には、嫡男の仲光と共に、息絶えたという。
「……要は、義仲にとって、足利はかたき」
「そうです。そして、そんな義仲が、同じ上野にいるとなったら、足利も面白くないでしょうね」
政子は、藤姓足利氏に書状を出し、義仲が「かたきを討ちたいと同時に、上野に野心を抱いている」と伝えることにした。
「こうなれば、足利としては、虚心でいられまい」
さらに政子は「義仲と同じ河内源氏の頼朝の妻として伝える。覚悟しておけ」と挑発を書き添えていた。
「これでもし、義仲が足利と和したいと思ったとしても、やりづらくなる」
籌策(はかりごと)を帷帳の中に運らし、勝ちを千里の外に決すると言う言葉があるが(張良のこと)、政子がまさにそれだと亀は思った。
しかし同時に、ひとつの疑問が湧いた。
「政子さま」
「何です」
「結果、義仲がやはり信濃に、と戻って来たらいかがします?」
「それなら望むところ」
政子は嫣然と微笑んだ。
「……この先、武田が勝ちに乗ってしまわぬよう、重石になってくれることでしょう。今は、平家の追討軍が来るまでの間、義仲を上野で動けなくすれば良い。まあせいぜい、一、二ヶ月ぐらい、義仲と足利はにらみ合うんでしょう」
亀は、範頼が大体似たようなことを言っていたことを思い出した。
ただし、藤姓足利のような具体的なあてはなく、上野の武士の誰かを煽って欲しい、というような言い方だったが。
「……ま、いいか」
とりあえずは、これで源義仲を押さえることができそうだ。
これで武田信義も範頼も、平家との戦いに傾注できるだろう。
平家の追討軍さえ倒せば、頼朝の勢力は、ひとまずは安泰である。
そのために、また甲斐へとおもむこう。
また範頼が忙殺されているかもしれない。
「では」
「頼みますよ、亀」
政子もまた、亀と同じく、これで平家さえ退ければ、と思っていた。
だがこの時、藤姓足利により封じられ、信濃に移っても甲斐源氏と噛み合い掣肘されると思われた源義仲こそが、頼朝と範頼、そしてもうひとり兄弟の前に、脅威として立ちはだかるとは、誰にも予想できなかった。
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